1731:アガレス五姉妹。
――鼻歌を口ずさむのはいつ振りだろう。
アガレス帝国帝都。皇宮にある皇帝の執務室で椅子に体重を預けたわたくしは機嫌良く歌を口ずさんでいる。ナイさまから届いた招待状の返事を済ませて数日が経っているのだが、噂によれば、フソウやヤーバンの者たちもナイさまに南の島行きを誘われているようだ。ナイさまとわたくしの二人きりの時間が設けられないのであれば、悲嘆に陥ってしまいそうである。
だが、ナイさまに会えない日々を思えば、島で二人きりの時間を望むのは凄く贅沢だと言えよう。ナイさまのお顔を眺めるだけでも幸せだ。しかし南の島という特殊な場だ。長期休暇を利用した旅行なのだから、なにが起こるか分からない。
島の主と呼ばれる白い大蛇と挨拶を交わし、亜人連合国の方たちにお世話になることを伝えればあとは自由だそうである。
基本、女性陣は自然の中で読書をしたりしているそうだ。気になる者は島の森の中へと探検に向かうこともあるとか。夜は女性と男性に分かれて、お喋りの時間となるそうである。もちろん、男性が女性陣の中に混じることもあれば、女性が男性陣の中へ混じることもあるらしい。護衛が付いているので、男女のうんぬんは全く気にしなくて良いとのこと。
珍しい料理が提供されると聞いているし、ナイさまが各国から集めたお菓子もたくさん出してくれるそうである。わたくしもアガレス自慢の食べ物とお菓子を島に持参する予定だ。
お酒も持って行く予定であるものの、タダでは飲ませられない。アガレス自慢の酒を各国で売り込んでくれと頼んでから渡すつもりである。ナイさまはお酒を嗜まれないことは残念だ。酔いが回って可愛らしいお姿を見られるかもしれないというのに……。
……――顔に朱を差したナイさまが隣に座るわたくしの方へと身体を寄せる。お酒が回っているのか彼女の体温は高く、自身が纏う布越しに熱が伝わってきた。
『ウーノさま、少し酔ってしまいました。肩をお借りして宜しいでしょうか?』
そう告げたナイさまが私の肩――小柄故に肩に届かず、二の腕の位置であるが――に頭を預ける。体重をわたくしに預けているはずなのにとても軽い。少し潤んだ瞳は部屋の灯りを反射させ、ナイさまの黒い瞳を妖艶に魅せる。わたくしの心がどくんと高鳴り、自由な方の腕を動かしナイさまの美しい黒髪を手で梳いた。ナイさまは短く息を吐いたあと、上目遣いでわたくしを見上げる。
『気持ち良いです』
いつもとは雰囲気が全く違うナイさまにわたくしの心がまたどくんと跳ねた。酔っておられるとはいえ、ナイさまのこのような姿が見られるとは。
『もっと甘えてくださって良いのですよ、ナイ』
『本当ですか? 嬉しいです、ウーノお姉さま』
わたくしの言葉にナイが顔を綻ばせ、身体を捩って胸に頭を納めた。わたくしは愛おしくてたまらない彼女の小さな身体を抱きしめる。わたくしの腕の中でナイはふふと小さく笑って、赤子の様に頭を胸に押し付けた。嗚呼、もう。ナイの可愛さが空を突き抜け、双子星にまで届きそうだとわたくしは微笑んだ――。
「ふふ、ふふふふふ」
「――ウーノお姉さま、ウーノお姉さま!!」
唐突に妹であるドゥーエの声が聞こえる。良いところなのに、どうしてドゥーエの声が聞こえるのだろうか。わたくしの胸に顔を納めるナイの顔が歪んでいき、ついにはどこかへと霧散していく。あれ、と目を開けると、目の前には心配そうな顔を浮かべるドゥーエが私の肩を揺らしていた。
「お疲れでしょうか、少し魘されていたような……」
眉尻を下げたドゥーエにわたくしは笑みを浮かべる。本当にもう少しでナイさまのあらぬ姿を拝めるところだったはず。しかしあらぬ姿を見てしまえば、ナイさまときちんと顔を合わせられるか自信はない。続きを見なくて良かったとわたくしは小さく息を吐いて、肩に置かれたドゥーエの手に手を重ねた。
「いえ、大丈夫。ありがとう」
大丈夫という意味を更に込めるために、肩に置かれた手をぎゅっとわたくしが握ればドゥーエはいつもの表情に戻る。嫌な夢でも見ていたのでしょうかとドゥーエに問われて、わたくしは正直に答えるわけにはいかないと首を縦に振った。
「ここ最近、執務を詰めておられますからね」
「島に向かうためだもの。いつもより気合が入っているわ」
片眉を上げたドゥーエにわたくしも片眉を上げる。二週間、アガレス帝都から帝が離れるのは稀だ。とはいえ偶の休暇だからと周りの者たちは『楽しんできてください』とか『アストライアー侯爵との縁を深めてきてください』と口にしており、快くわたくしたち五姉妹を送り届けてくれる予定だ。
有難いことに、ナイさまは妹たちにも各自で招待状を届けてくれている。普通はわたくしに纏めて宛てられるものだが、ナイさまらしい気遣いだった。妹たちも個別に手紙を頂けたことに大層喜んでいる。
夢を見る前に考えていたことをわたくしは妹のドゥーエにも聞いてみようと口を開いた。
「ナイさまはなにを持参すれば喜ばれるかしら」
「サツマイモは確実に喜ばれそうです。辛い食べ物は苦手とされておりますから、お菓子や甘い果物なども良いのではないでしょうか?」
たしかにサツマイモは必須であろう。ナイさまは今でも定期的にサツマイモの買い付けをアガレスからされている。新種の甘いサツマイモも気に入ってくださっており、結構な頻度で買っていた。
大量購入は迷惑が掛かると気遣ってくれておられ、回収のために飛竜便をしょっちゅう送ってくださっていた。大海を挟んでの移動のため、大型の竜の方がきてくださっている。偶に話をするのだが、凄く穏やかなドラゴンの方で、いろいろと西大陸のことを教えてくださるのだ。ナイさまについても面白おかしく話してくださり、わたくしの大事な情報源でもあった。
「そうね。サツマイモは必ず持ちましょうか。しかし、ナイさまだけが島へ訪れるわけではないですし、世話になる亜人連合国の皆さまや大蛇さまにもなにか考えないと……」
「アストライアー侯爵閣下以外となると、難しくなりますね」
わたくしとドゥーエがどうしましょうかと顔を見合わせていれば、他の三人の妹も執務室へと顔を出す。どうやらわたくしの仕事を手伝ってくれるようだ。
「お姉さま方。難しいお顔になられておられましたよ?」
どうしましたかとトレが肩を竦めた。
「なにかお困りごとが?」
「ウーノお姉さまとドゥーエお姉さまに?」
クワットロとチンクエが首を傾げる。わたくしが南の島へ持って行く品をドゥーエと一緒に悩んでいたと告げれば、三人は顔を輝かせた。そして『なにを持っていかれるのですか?』とか『アガレス帝都で人気のある菓子店の品は如何でしょう?』とか『美味しい苺を作るという者が確かいたはずです!』と口々に告げる。
アインたちが粛清されてから、妹たち四人の顔は明るい。母も父から逃れられ、後宮で静かな生活を楽しんでいる。母は時折手伝ってくれるのだが、自身の美貌を利用して官僚たちを手玉に取るのは如何なものだろうか。いや、まあ……母は自身の美貌が武器と心得ているから、官僚たちを落として情報を手に入れているため止めろと強く言えないが。
妹たち四人は島になにを持って行くかと盛り上がっていると、はたと末妹のチンクエが声を上げる。
「そういえば温泉があると聞いております。楽しみですね、お姉さま」
チンクエの言葉にドゥーエとトレとクワットロが顔を見合わせる。そしてドゥーエがわたくしに視線を向けた
「あ、アストライアー侯爵閣下と一緒に入ることもあるのでしょうか?」
ドゥーエがとんでもないことを言い出した……――ナイさまと一緒に湯浴みをする、なんて。ナイさまの玉の肌を見ることになるなんて!! なんと神々しい光景でしょうか。いえ、神がおわす世界のため神々しい光景をみたことはあるのですが……ナイさまのナイさまの。
「ぐふぅっ!」
わたくしは溜まらず胸を押さえ机に突っ伏す。伴侶の裸を見た時よりも刺激が強いかもしれない。今は妄想の域を出ていないけれど。妙なことを考えるのは止め、島へ向かうために持参する品を真面目に考えようと妹たちと視線を合わせるのだった。
◇
夏がやってくる。
毎年恒例となった、アストライアー侯爵の仲の良い者たちが南の島へとやってくる。私はダークエルフの村の長として、彼女たちを迎える準備に勤しんでいた。代表殿も白竜殿もエルフのあの二人も島を訪れ、各施設の確認を行っている。
アストライアー侯爵の活躍により、アルバトロス王国の者だけではなく他の国の者もやってくるようになっている。ヤーバン王国とは小型の竜の飛来地ともなっているそうで、王国の者たちに受け入れられているそうだ。アガレス帝国にはアストライアー侯爵が雇った飛竜便が飛び、長距離を飛べて気持ちが良いと大型の竜たちは喜んでいる。
コテージの掃除はどうなっているかと、私は様子を見に行こうと村からコテージへと続く道を歩いていた。すると茂みがガサガサと揺れて、なにかの気配が近づいてくる。この気配には覚えがあると右へ顔を向けると、茂みの中から大きな蛇の顔がぬっと現れた。
『おーい、準備は進んでおるかのう?』
「ガンド殿。滞りなく」
声を上げたガンド殿は島の主である。島に住む生き物たちの長であり、取り纏め役を担っていた。我々、ダークエルフの入植も快く受け入れてくださり、彼と我々は親交を続けていた。
出会った頃のガンド殿は確かに大蛇であった。しかし最近の彼の身体は随分とむちむちであり、鱗はきらきらと白に輝いている。移動範囲も広くなっており、今では島全体を行き来できるようになったとか。彼の住処である沼が少し手狭になって困っていると言っていたが、我々にはどうすることもできない。大きな沼地は他の場所にはないから、どこか都合の良さそうな場所があると良いのだが。
『ナイたちがくるのは一年振り。楽しみだ! そういえば代表殿たちは?』
「コテージで掃除の指揮を執っておられます」
ガンド殿に私が答えると『お前さんもコテージに向かうのか?』と言われ『ええ』と伝える。すると一緒に向かおうとなり、何故かガンド殿と道を一緒に歩くことになった。
「島の主と共に歩こうとは」
『こういうこともあろう。島で一緒に住んでいるのだ。仲良くしたいものだのう』
これもアストライアー侯爵のお陰だとお互いに話していれば、コテージに辿り着いている。お客人が増えるのは分かっていたので、今年もまた新しいコテージが増えていた。外には掃除を終えたのか村の者たちと代表たちが出ており、なにやら話し込んでいる。どうしたのかと私はガンド殿と共に彼らの下へと向かった。皆が集まってどうしたのかと私が問えば、代表が難しい表情を浮かべて答えてくれる。
「創星神さまもくるのだが……他の星の創星神さまもおこしになられると……ナイがな」
そして白竜とエルフの二人が苦笑いを浮かべ、村の者たちが『だそうです、村長』と私を見る。創星神さまがくることは知っていたが、他の星の創星神さまもお越しになられるとは一体……アストライアー侯爵はどうやって他の星の創星神さまと縁を繋げたのだろうか。




