1730:島行きの準備を。
アストライアー侯爵邸の庭の一角にある芝生の上で、ジルケさまはクロエおばあのお腹のところにゴロンと寝転がっていた。昼寝をしているのに起こすのは悪いかなと少し迷っていると、ジルケさまがぱっと目を開けた。
起こしてしまったかなと思いつつ、用があるので私は距離を詰めていく。後ろにはジークとリンとアズとネルにヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちがいて、肩の上にはクロがいる。さて、ヴァルトルーデさまの様子がいつもと違うことにジルケさまは気付いているだろうかと、私はジルケさまと視線を合わせて芝生の上にしゃがみ込んだ。
「ナイ、どうしたー?」
凄く気の抜けた声をジルケさまは上げた。クロエおばあもジルケさまの声で目を開けて私の姿を捉えると、身体を起こしてこちらに顔を寄せる。
「少しお聞きしたいことがありまして」
私はクロエおばあの頬を撫でながら、ジルケさまに問うた。するとジルケさまは『あん?』と首を傾げて、少し考える素振りを見せた。とりあえず聞いてみなければ始まらないと私は声を上げる。
「ヴァルトルーデさまの様子が変ではないですか?」
「姉御? 姉御ならずっと前から変わってんだろ」
私の問いにジルケさまが答えてくれるのだが、割と酷い言い様ではないだろうか。たしかにヴァルトルーデさまは掴みどころがないけれど、知らないことが多くて初めて体験することに興味を持っているだけというか。変わっているけれど、そこまで変とは言い難いような。私が首を傾げるとジルケさまは『そんだけかー』と聞いてくる。もう少し深堀したいから、少し状況を説明すべきかと私は口を開く。
「最近、ヴァルトルーデさまが私に対して凄く優しくないですか?」
「まあ、確かにな」
さっきのストールを持ってきてくれたこともだけれど、少し前には冷えるからと私はヴァルトルーデさまにお姫さま抱っこをされて中へと連れ戻された。他にもこっちのお菓子も美味しいと半分分けてくれた――以前はそんなこと一度もない――り、階段を降りようとしていると手を差し伸べてくれたりと、本当に様子がおかしいのである。私がこれらをジルケさまに伝えると『なにやってんだ、姉御は』と片眉を上げている。どうやらジルケさまもヴァルトルーデさまの様子が変だと気付いてくれたようである。
「あーナイ。それ、嫌か?」
「嫌ではないです。気持ち悪……変な感じがするだけで」
そう。ヴァルトルーデさまが私を気に掛けてくれることは有難いけれど、どうにも変な感じを受けてしまうのだ。ヴァルトルーデさまのだからなにか一物を抱えていることはなさそうだし。
「今、気持ち悪いっつったな」
ジルケさまが眉を顰めるものの、怒っているのではなく揶揄いの感情の方が大きいようだ。とはいえ聞こえていたのなら気まずいと私はジルケさまから視線を逸らす。
「目ぇ、逸らすなよ。良いけどよ……――嫌じゃないなら受け入れてやってくれ。姉御もなんか考えがあってそうしてんだろうしなー」
そう告げたジルケさまはまたクロエおばあのお腹のところにゴロンと転がる。そうして目を閉じたジルケさまは直ぐに寝息を掻き始めた。私は起こすのは悪いかと、クロエおばあに手を振って芝生の上から立ち上がる。
『ピョエ~』
クロエおばあが小さな声で鳴いた姿を見たあと、私たちは踵を返すのだった。
◇
ナイが遠ざかって行く姿を薄目で確認をしたあたしははあと深い溜息を吐く。グリフォンのクロエの下で寝転がっていたあたしはナイたちの姿が見えなくなってから身体を起こした。
「クロエ。ナイは鈍いっつーのに変なことだけは気付くんだよなあ」
どうして姉御がナイに対して過保護になっているのかは、まあ言わずもがなの理由がある。とはいえナイの妊娠は神しか気付いていないことだから、姉御のようにあからさまな態度をあたしまで取るわけにはいかない。そりゃ、ナイの子がきちんと生まれてくるかあたしも心配はしている。ただ姉御のように分かりやすく態度には出さないだけで。忠告していたが、やはり姉御はナイのことが気になって仕方ないようである。
『ピョエー?』
クロエは不思議そうに首を傾けながらあたしを見ている。クロエたち魔獣や幻獣たちもナイの妊娠に気付いていないはずだ。おそらく彼らが気付くにはもう数週間ほど掛かるはず。
彼らがナイに教えるかは彼らの自由として……神であるあたしたちが人間のことに関わるのはよろしくないのだ。だから、ナイや周りの者たちが気付いて初めて、あたしたちも『おめでとう』と言えることである。首が折れてしまいそうなほど曲げているクロエにあたしは苦笑いを浮かべ、顔に手を伸ばした。
「なんでもねえ。クロエはナイのところで過ごすようになって、本当に元気になったよな」
クロエは一生空を飛ぶことはできないが、ジャドたち仲間に助けられて屋敷にきた時よりも随分と状態が良くなっている。あのまま死んでしまってもおかしくはなかったというのに、良く持ち直したとあたしは感心している。
ナイの治療術の効果が高かったのか、クロエがまだ生きたいと願っていたのか。真実は分からないものの、こうして一緒に過ごせているのは幸せなことのはずだ。クロエはあたしの言葉を聞き、目を細めて身体を張った。
『ピョエ!』
自慢気に一鳴きしたクロエにあたしはもう一回寝ようと、芝生の上に転がるのだった。
◇
ヒトミチさまがご快復され、ドエ城内も帝の屋敷の中も明るさを取り戻していた。
ナイから七月初旬に海の真ん中にある島へ行こうと誘われているため、ヒトミチさまと私は島へ向かう準備を入念に始めているところだ。ドエの都にある帝の屋敷へ立ち寄った私は主に挨拶を終えれば、ヒトミチさまが良い顔で私を見ている。
「ナガノブ! 島へはなにを用意すれば良いのだ?」
元気を取り戻したヒトミチさまは『白米を制限されていることは至極残念だが……また寝込んでしまっては元も子もない』と口にされ、偏食しないようにと気を使っておられる。
アルバトロス王国のベナンター伯爵から助言を受け、食事についてもヒトミチさまは充実した日々を送っておられた。白米だけは残念で仕方ないようだが、また寝込まれてしまえば我々も困る。しかしながらベナンター伯爵は貴人というのに、フソウの料理と他国の料理について凄く詳しいのは何故だろうか。いや、まあ、探りをいれるよりも、ヒトミチさまが楽しみながら食事をされているのだから、感謝を述べるべきかと私はヒトミチさまを見た。
「基本的な物は島に揃っています故。荷物を持たずとも、困ることはありますまい」
「とはいえ、手ぶらで向かうのはアストライアー侯爵に失礼であろう。なにか持っていかねばなあ」
私の声にヒトミチさまがふむと顎に手を当てて、考える素振りを見せた。その様子を眺めていた帝が微笑みを浮かべる。
「ヒトミチ。ナイであれば、食べ物が良いでしょう。皆で食すこともでき、戻る際に荷物となりません」
たしかにナイならば食べ物が一番無難であろう。しかしボルドー男爵とヤーバン王もくると聞いている。アガレスの女帝殿もくるそうで、噂では随分と飲む口であるとのこと。フソウの食べ物と酒はたくさん持っていかねばなと私は帝の言葉に頷いた。
「酒と食べ物はたんまりと用意する予定です。今、方々に声を掛けておりますぞ」
私が声を上げるとヒトミチさまがほうと頷く。帝も小さく笑っていた。帝はナイが子を授かれば、赤子のためにいろいろと良い品を贈る用意をしているそうだ。
悪阻の際に妊婦が良く好んで食べるという酸っぱい品も用意をしてあるとか。気が早いのではと私は首を傾げてしまうものの、いつかは生まれてくるし、腐る物でもないから良いだろうと帝が笑っておられた。私もナイが子を生んだ際にはなにか贈らねばならん。女子であれば雛人形、男子であれば兜でも贈ろう。しかし今は島行きのことを考えねばと、
「私が用意するものがないではないか……」
むすっとヒトミチさまが顔を顰めた。大の大人が子供のような顔をしてと思うものの、今は身内しかいない場だ。今後の彼はフソウの帝となり、日々、国の繁栄を願わなければならなくなる。今しか国外へ出る機会はないのだから、多少のことは目を瞑ろう。ヒトミチさまが拗ねていると、勝手に障子が開く。そこには妖狐の権太と松風と松風に狐の雌が二頭いて、権太が尻尾を振りながらこちらへと歩いてきて、畳の上にどかっと腰を下ろした。
「ばっちゃん、おっちゃん、ナガノブ! 島に行く話なら、オイラも混ぜてーな!!」
どうやら権太は私たちの話を盗み聞きしていたようだ。松風と早風が申し訳なさそうに部屋に入ってきて、権太の横にちょこんと座る。雌狐も権太の横にちょこんと座って、機嫌良さそうにしていた。相変わらず権太は元気だと我々は笑い、一ケ月後に控えた南の島の話に盛り上がるのだった。
◇
――ヤーバン王国。森の中。
鬱蒼と木々が茂る森の中を私と護衛の者数人が進む。四方から虫の声が届いているのだが、獣の気配は全く感じられない。私は一旦立ち止まり周囲を見渡す。
「大型の獣がいれば良いのだが」
周囲を見渡しても獣の気配はなく、側に控える護衛の二人が私に声を掛ける。
「いないようですね」
「陛下自ら、狩りに出ずとも……」
たしかにヤーバン王である私自ら狩りに出る必要はない。
「南の島に向かう予定があるからな。手ぶらで良いと言われているが、流石にそうもいかぬ。なにか持って行かねばヤーバンの恥となる!!」
酒はたくさん用意したが、獣の肉となるとやはり確保が難しい。家畜の肉でも良いのだが、豪快さが足りない。まだ一ケ月先のことだから、狩りをして干し肉を作って持って行こうとしているのだが。
「それに、小柄なナイは肉をたくさん食べねば!」
はははと私は冗談吹かして笑えば、護衛の二人は『たしかにアストライアー侯爵殿は小柄だ。陛下の言は説得力がある』『食べているのに、大きくならぬのはお辛かろうな』と大真面目な顔で告げる。ジークフリードと無事に閨を共にできたとは聞いているものの、あの身長差だ。無理をしていないか心配になる。だが、夫婦の営みに口を挟むのは無粋の極みである。
で、あるならば、こうして力のつく品を差し入れしようとなるのは必然だ。決して私が狩りをしたかったから、という理由ではないと一つ頷いて、森の奥へと更に進むのだった。
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タイトルは『夫を亡くした私ですが息子と一緒に幸せになります~代筆と繕い物、ときどき騎士さま~』です。15万字。全35話で完結まで書いています。
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