1725:分かってくれたかな。
――どうして。
最近、凄く平穏だと喜んでいたのだが……どうして、平和だと呟いた翌日の朝、アストライアー侯爵に関することが舞い込んでくるのだろう。ヤーバン王国とアガレス帝国から届いた手紙には『アストライアー侯爵に妊娠の傾向があれば教えて欲しい』というものだ。
手紙だから、強制ではなく、お願い程度のものである。国同士、仲良くしたいから年齢の近い子供を儲けたいということであれば起こり得ることだ。だが、他国から国内の一貴族に対して届く内容ではない。私はアルバトロス城の執務室で、届いた手紙を机の上に置き息を吐いた。
「分かれば、教えても構わないが……」
背凭れに体重を預け、天井を見上げると視界の下に外務卿であるシャッテンの顔が映り込む。
「妊娠兆候は知られないようにするのが常ですからね。腹が目立ち始めれば我々も分かるでしょうけれど……屋敷に籠る可能性もあります」
苦笑いを浮かべるシャッテンは貴族女性における一般論を口にした。子供を流してしまったり妊娠できないと噂が立てば、女性の立場が一気に悪くなるため貴族はソレを隠す傾向がある。
王族も当然、妊娠したと大々的に発表することはなく、赤子の健康状態が良いと判断出来ればようやく公の下に晒すのだ。手紙の内容を読むに、アストライアー侯爵の子と自身の子と懇意にさせたいのだろう。あわよくば婚姻関係を結べればと考えているはずである。ヤーバンとアガレス以外からも同じような内容の手紙が届いており、当然の結果というか。
「アストライアー侯爵関連のことが落ち着いたかと思いきや、別方向からとんでもない話が舞い込むとはな」
「はははは。国同士の思惑が絡んでおりますなあ。とはいえアストライアー侯爵であれば、無難に対処なさるのでは?」
私が息を吐いてシャッテンへ視線を戻す。良い顔でシャッテンは笑っていた。シャッテンは外務部が忙しくなってからというもの、性格が変わったように見える。以前の彼はもう少し自信のなさそうな態度で私と接していた。
外務部が忙しくなって、随分と生き生きとしているというか。忙しいからと自棄にならないだけマシではあるが、変わった態度を訝しんでしまうのは王としておかしいことだろうか。
「たしかにアストライアー侯爵であれば対処できるだろう。ただ、彼女の下でなにが起きるかと考えた際に途方もないことが起こりそうでな」
そう。竜が屋敷に卵を落としたり、卵を抱えたグリフォンがやってきたり、天馬が大量に降り立ったり。どこかの誰かが欲を掻いて彼女に喧嘩を売って自滅する。
アストライアー侯爵が怒らなくとも、周りの者たちが怒りを抱き裏で手を回すかもしれない。今の今までアストライアー侯爵の下へと舞い込んだ事件はアルバトロス王国にとって益となっているものの、これから起こることが不利益となるかもしれない。その時、私はきちんと対処できるのだろうか。女神さま方や創星神さまが彼女の後ろに控えているから問題なく解決しそうではあるが……神を頼るというのは如何なものだろう。
「たしかに侯爵の周りでは破天荒なことが起こります故。しかしながら陛下は泰然とした姿で対処をなされれば良いのでは」
シャッテンが当然のように口にするが、私は引き攣りそうな自身の表情をどうにか取り繕うので精一杯なのである。王として威厳を損なうわけにはいかないから、そう振舞っているだけなのだから。誰か私の気苦労を理解してくれないだろうか。そう考えた瞬間、一人の者の顔が浮かぶ。
「ああ、そうだ。ベナンター伯爵に偶には飲みにきなさいと伝えてくれ。いつでも構わない」
ふいにベナンター伯爵の姿が浮かび、そういえば最近彼と酒を酌み交わしていないと気付いた。私が要望を伝えれば、シャッテンは片眉を上げる。
「陛下。日時を指定されないままの誘いはベナンター伯爵が困るのでは。彼は宰相殿と違いますからな」
「む。そうか」
たしかに私の年齢に近い宰相とは長い付き合いがあるものの、ベナンター伯爵と仲を深めたのはここ数年である。アガレス帝国に拉致され、アルバトロス王国に戻ってきた際の彼はまだ頼りなさそうな雰囲気を持っていた。
今は聖王国の大聖女を娶り、一人の男として立派に振舞っている。彼と酒を酌み交わす際はつまみを持参してくれ、どれも美味いものばかりだった。次に彼と酒を酌み交わす際はなにを土産に持ってきてくれるだろう。私は期待しながら、シャッテンに都合の良い日をいくつか伝えておく。そしてシャッテンも偶にはきなさいと付け加えて。
「では、失礼致します」
執務室から出て行くシャッテンの背を見送った私は立ちあがりワインセラーへと歩いて行く。美味いワインは残っているだろうかと指を指しながら確認をする。アストライアー侯爵のことで悩んでいると暗い気分になるから、楽しいことを考えよう。ゲルハルトとツェツィーリアの間には子が誕生し、腹の中で育っている。アルバトロス王国の未来は明るいと、自身に言い聞かせながら。
◇
アストライアー侯爵領領主邸で執務を終え、お昼を済ませた私は東屋に出ていた。今日はジークとリンも一緒で、のんびりとお茶を楽しんでいるのだが、じーっとこちらを見ている方がいた。私に向けられた六つの瞳はなにかを訴えているのだが、自分たちから語る気はないようである。仕方ないと私は小さく笑い、ティーカップをゆっくりとソーサーの上へと戻した。
「毛玉ちゃんたち、どうしたの?」
私が首を傾げると、毛玉ちゃんたち三頭が気付いてくれたと言わんばかりに尻尾を思い切り振った。ちぎれて飛んでいきそうな勢いがあるのだが、流石に飛んでいきはしない。クロは私の肩の上で首を傾げ、アズとネルもクロを真似してジークとリンの肩の上で首を傾げる。
側にはヴァナルと雪さんたちがゴロンと寝転がっているけれど、ピクリと耳を動かしただけで関知しないようだ。もしかして手作りジャーキーの催促かと私が視線を合わせると、毛玉ちゃんたちは私の前に三頭座り直した。
『ユーリ、なく!』
『なんで?』
『どうちて?』
こてんと首を傾げた毛玉ちゃんたちだが、真面目に悩んでいるようだ。少し前、ユーリと遊んだ毛玉ちゃんたちは勝負を持ち掛けて、手抜きしないから全てのことに勝っていた。その時の毛玉ちゃんたちは悪戯が成功した子供のように喜んでいたけれど、時間が経って考えが変わったのだろうか。
もしくはヴァナルか雪さんと夜さんと華さんたちになにか諭されたのか。人間と魔獣は違うから私に聞いてみろとでもアドバイスを受けたのか。問うてきた原因は分からないけれど、問うていることは真面目な内容だろうと私は片眉を上げた。
「そりゃ、毛玉ちゃんたちがずっと勝負に勝っているから」
庭に出て毛玉ちゃんたちとユーリが遊ぶ時は大体、追いかけっこかボールを誰が一番に取れるかで遊んでいる。そしてユーリが全て負け、勝負の世界の厳しさを既に味わっているというか。
毛玉ちゃんたちは勝って当然と胸を張ってユーリを見ているから、余計に悔しさを煽っているというか。悪いことではないけれど、そのうちユーリが本気で毛玉ちゃんたちのことを『嫌い』と言いそうである。良い時期に質問が飛んできたかもしれないと、私は毛玉ちゃんたちと視線を合わせた。
『しょうぶはかちゅもの!』
「そうなんだけれどね。でも、楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんはユーリと遊んでいるんだよね?」
椿ちゃんがドヤ顔で言い張るものの、勝負ではなく遊びの中での出来事だ。ユーリもまだ幼なく、勝てない理由をきちんと理解できていない。ここはどちらかが折れるしかない場面であるが、毛玉ちゃんたちとユーリが先に『お姉さん』になれるのはどちらだろうか。
『あそんでる! たのちい!』
今度は楓ちゃんが胸を張りながら尻尾を振って答えてくれた。遊んで楽しいのは毛玉ちゃんたちだけとは、露とも思っていなさそうだった。
「毛玉ちゃんたちが楽しいだけで、ユーリはずっと負けて楽しくないのかもしれないよ?」
毛玉ちゃんたちも幼いから、周りの方たちが気を使ってくれている節がある。そろろそ卒業しても良い時期であろうか。フソウで暮らしている松風と早風は随分と早く大人びていて、フソウ国中を権太くんと一緒に駆け回っているとか。
フソウの方たちも松風と早風を神獣さまのお仔として認めてくださっており、遊んでいる彼らを見かけたら拝んでいるそうである。時々、他人様に迷惑を掛けている妖――こちらでいう魔物――を倒して、感謝されているとも聞いた。私がふふと小さく笑えば、桜ちゃんがむっとした顔になる。
『まける、ユーリがよわい!!』
確かに今はユーリの方が弱いだろう。でも成長すれば魔力量次第でユーリは毛玉ちゃんたちに勝つことができるはずだ。ただそこまで待っていられないので、私は違うことを口にする。
「そうだね。まだ身体が成長しきってなくて、足が遅くて勝てないけれど……もし、毛玉ちゃんたちがユーリと違うことをして遊んだ時に、ユーリばかりが楽しんでいたらどう思う?」
私が投げた疑問に毛玉ちゃんたち三頭はこてんと右へ首を傾げた。仕草が揃っているから凄く可愛いし、私の問いを真面目に毛玉ちゃんたちは考えているようだ。
難しい顔になって、そのまま右へと倒れ込みそうな勢いがある。しばらく毛玉ちゃんたちが答えを導き出せるのを待っていれば、三頭ははっとした顔になって言葉を紡ぐ。
『じゅるい!!』
『たのちくにゃい!!』
『いじわりゅ、よくにゃい!!』
毛玉ちゃんたちの想像力は豊なのか、べしんべしんと尻尾を苛立たし気に叩きつけている。どうやらユーリに勝てないシーンを思い描けたようで、勝てなかったことに腹を立てているようだ。とはいえ毛玉ちゃんたちも仮の話と分かっているようである。
「だよね。で、毛玉ちゃんたちが今、ユーリに対してやっていることは?」
私の言葉を聞いた毛玉ちゃんたちはバツが悪そうに黙り込んだ。少しはユーリが毛玉ちゃんたちを嫌がった理由を分かってくれたかなと私はティーカップを持ち上げて、少し冷めた紅茶を嚥下した。
毛玉ちゃんたちは座っていたお尻を上げて、寝転がっているヴァナルと雪さんたちの間に無理矢理割り込んで寝る態勢に入った。
「分かってくれたかな?」
苦笑いを浮かべた私の問いに、今度は一緒にいたジークとリンが答えてくれる。
「どうだろうな」
「毛玉だから微妙」
要領を得ない答えと、微妙に手厳しい答えに私は肩を竦めるのだった。後日、少しだけ毛玉ちゃんたちのユーリに対する接し方が変わっていた。




