1724:平和を享受する。
毛玉ちゃんたちに背中を押されたユーリは庭に出ていた。
乳母の方とアンファン、そして私とクロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんも一緒である。東屋の近くの少し開けた場所で、毛玉ちゃんたちはユーリの周りをくるくると動き、尻尾をぶんぶんに振りながら『にゃにする?』『はちる?』『ぼーるとり?』と声を掛けている。
ユーリは毛玉ちゃんたちの容赦のない遊びに少し引き気味だ。毛玉ちゃんたちが決めきれないユーリに痺れを切らして、追いかけっこをしようと決める。当然、毛玉ちゃんたちの脚が速く、二足歩行のユーリが勝てるわけもなく。
凄い勢いで毛玉ちゃんたち三頭は走り出す。彼女たちが庭にある小道をぴゅっと駆け抜ければ、ユーリは一生懸命に足を動かし始めるものの全く追いつけていない。ユーリが遠くなっていく毛玉ちゃんたちの背を見つめ、ついには立ち止まってしまった。毛玉ちゃんたちはユーリが付いてこないことに気付いて、くるりと脚の方向を変えて戻ってくる。
「かてない!!」
むーとユーリが拗ねて、その場に立ち尽くしていた。毛玉ちゃんたちは何故、ユーリが怒っているのか分かっていないのか、頭の上に疑問符を浮かべている。ユーリは目尻に涙を貯め込んでいるけれど、泣くのは我慢しているようだ。
泣けば疲れると分かってきたようで、必死に我慢しているらしい。本当にユーリは成長したなと感心していると、毛玉ちゃんたちがどうしたものかと悩み始めている。
とはいえ毛玉ちゃんたちとユーリが対等に遊べることはなにがあるだろうか。私も東屋の椅子に腰を掛けて頭を捻ってみるけれど、イマイチ思いつかない。幼かった貧民街時代は食にありつけるようにと毎日必死で、遊んだ記憶は皆無である。前世の子供の頃の記憶は施設の子たちと一緒に喋っていたことしか残っていない。
「そういえば女の子の定番の遊びって、お人形遊びとかおままごとのような……?」
定番の遊びといえばこれくらいだろうか。時代が進めばテレビゲームや動画鑑賞となりそうだ。外で木登りとかでも良いけれど、ユーリが木登りを始めたら乳母の方やアンファンが悲鳴をあげそうである。私的には元気があって良いことだと思うけれど、貴族の女性となると木登りやちゃんばらごっこは禁止されそうだ。私が乳母の方とアンファンに『どうよ?』と視線を向ける。
「ツバキさまとカエデさまとサクラさまでは相手を務められませんからね」
「部屋の中では、人形で遊んでおります」
乳母の方が小さく笑い、アンファンは苦笑いを浮かべる。女の子だからとお人形や積み木を渡しているけれど役に立っているだろうか。フソウのでんでん太鼓は直ぐに飽きてしまったと聞いている。
まあ、乳母の方とアンファンがユーリの遊び相手を務めてくれているはずだ。毛玉ちゃんたちは私と一緒にユーリの部屋を訪れて、遊ぼうと誘っているだけ。
いつまで続くか分からないけれど、動物――毛玉ちゃんたちを動物とカテゴライズして良いのか微妙だが――と触れ合うことも勉強になる。
ユーリは毛玉ちゃんたちを少し苦手としているけれど、ヴァナルと雪さんたちなら平気だ。ヴァナルと雪さんたちはユーリを子供と認識してくれており、少し乱暴な接し方になっても怒らない。
やんちゃだなあと言いたげに、ユーリのやりたいことをさせてくれている。時々、尻尾をぎゅっと掴んで驚いているので、それは止めて差し上げてと私がユーリにお願いするくらいだ。
クロもユーリと遊ぶことがあるのだが、偶に力が強い時があるのか『もう少し優しくして欲しいなあ、ユーリ』と伝えることがある。ユーリも歳を重ねたお陰か、やって良いこと、駄目なことの判断が付くようになり同じ失敗は繰り返さないようになっていた。
本当にユーリは大きくなったと私が目を細めていると、庭の茂みからエルとジョセがこちらに歩いてくる。ユーリの方を気にしつつ、東屋の近くまでやってきた。
『ユーリさんが泣きそうになっておられますが、大丈夫でしょうか?』
『必死に我慢をなさって。如何なされたのです?』
エルとジョセはユーリが心配だったようである。いつものことだと私は笑えば、エルとジョセは『毛玉ちゃんたちもまだ子供ですね』『そうですねえ。ルカとあまり変わりません』と呟いた。
たしかに毛玉ちゃんたちとルカの精神年齢は似通っている気がする。毛玉ちゃんたちの喋り言葉はまだ少し幼い感じが残っている。ルカとジアとノールも毛玉ちゃんたちのように言葉を発しても良いのではないだろうか。
「ルカたちはまだ喋れそうにないよね」
私が首を傾げると、エルとジョセが尻尾を振りながら答えてくれる。
『喋るには少しコツが必要ですから』
『まだ少し時間が掛かるかと』
まだルカたちと語り合うには我慢が必要なようである。でもまあ、いずれその時がくるのだろうと、私はエルとジョセに話を続ける。
「別邸が移築されたけれど、少しは広くなった感じはする?」
どうにかこうにか婚姻式での贈り物を片付けて、領主邸内にあった別邸は天馬の森近くへと移築された。向こうでは別邸の他にも建設が進んでおり、限界集落の村くらいの規模になる予定だ。
一般の方ではなく天馬の森の警備に就く方たちが過ごす場所となり、新規に厩や監視塔ができる。別邸の移築完了につき、領主邸の庭は少し広くなっていた。あとは庭師の方にお願いして、景観を整えて貰う予定だ。
『はい。とても』
『我々のためにありがとうございます』
エルとジョセが感謝の言葉を伝えてくれる。
「天馬の森近くに監視小屋を建てるって計画していたからね。時期が丁度良かったから、あまり気にしないで」
天馬さま方が増えて禁忌の森を天馬さまの森としたし、エルとジョセがいろいろと取り計らってくれているから天馬さま方が屋敷に溢れ返ることはない。ジャドさんたちものびのび過ごしているようだし、警備だと言って天馬さまの森に遊びに行くこともある。
卵から孵った特殊個体の仔たちも大きくなっており、雄の個体はヤーバン王国への移住をそろそろ考えているそうである。クロエおばあも元気だし、魔獣や幻獣の皆さまが増えることを願おう。ただしアストライアー侯爵邸以外で。
『森は安全ですから、天馬が更に増えるでしょうね』
『落ち着いて出産ができる場所は貴重です』
エルとジョセが嬉しそうに声を上げる。こ、侯爵領内だし屋敷の中ではないからセーフだろう。十年後の天馬さまの数はどうなっているのやらと苦笑いを浮かべていると、ユーリが本格的に泣き始める。
毛玉ちゃんたちはユーリの声に気圧されて、尻尾を内側に入れ、首を下げて申し訳なさそうな表情で私の下へやってくる。
『泣いてしまいましたねえ』
『毛玉ちゃんたちに悪気はなかったようですが、能力の差を加味することを覚えて頂かなければならないでしょうか』
エルとジョセは苦笑いを浮かべながら毛玉ちゃんたちに言葉を残して、ユーリの下へとゆっくり歩いて行く。びえんと大泣きしている彼女の下へと辿り着いたエルとジョセは首を下にして、鼻先をユーリの頬へと近付ける。
天馬さまの独特な鼻先がちょこんと触れると、ユーリは驚いたのか泣き声を止めてきょとんとしていた。流石、エルとジョセと感心しながら私が眺めていると、ユーリは流した涙を袖口で拭う。
『ユーリさん。悔しいのですか?』
「けだま、はしるのはやい。かてない……どうして?」
エルの問いにユーリが答えるのだが、毛玉ちゃんたちに足の速さで勝つのは大人でも難しい。ユーリはまだ小さくて、大人でも勝てないという事実を知らない。一度、誰かと毛玉ちゃんたちと走って貰えば、ユーリの悔しさは半減するだろうか。微妙だなと私が目を顰めると、今度はジョセが声を上げる。
『どうしてユーリさんは毛玉ちゃんたちに勝てないのでしょうね?』
「あし、すくない。ずるい」
ユーリがむすっとした顔になる。どうやら四本脚で走っているから毛玉ちゃんたちには勝てないと不貞腐れたようだ。ユーリの不貞腐れた顔も可愛いけれど、どうにかしてユーリが毛玉ちゃんたちに勝つ方法はないだろうか。毛玉ちゃんたちに手加減して貰うのは違うし、人間の姿になって貰いユーリが勝ったとして、それは喜んで良いのか分からない。こういう答えを出すのは難しい。
『勝てなくても良いではないですか』
『ええ。ユーリさんと毛玉ちゃんたちでは種族が違います』
エルとジョセがユーリを諭そうと頑張ってくれている。種族が違うと彼らは言っているが、種族が違うのに幼い子を諭している姿は得難いものがある。
「ちがうけど、いっしょにすんでる。なかまで、かぞくだけど、まけたくない!」
ユーリがむっと口を真一文字に結んだ。エルとジョセはユーリの覚悟に『おや』と感心している。ユーリは毛玉ちゃんたちのことを仲間で家族だと捉えているようだ。
いつも私と一緒にユーリの部屋を訪れているから、きちんとした認識が彼女の中に芽生えていることに私は安堵する。しかし毛玉ちゃんたちに勝てる日はくるのか。毛玉ちゃんたちは私の足下で申し訳なさそうにしていたのに、ユーリがへこたれていないと知って尻尾がぬっと上がっていた。
現金な毛玉ちゃんたちだと私が笑うと、毛玉ちゃんたちはぴゅーっとユーリの下へと走って行く。そうしてまた『きょうそう!』『はちる!』『まけにゃい!』と毛玉ちゃんたちが声を上げ、ユーリも『かつの!』と高らかに宣言した。そうして数十秒後。
「かてないぃぃいい!」
ユーリがまた地団太を踏むのであった。
◇
――アストライアー侯爵に関する事件や問題が最近起きていない。
いや、相変わらず侯爵の屋敷では女神さまがお過ごしになり、竜が飛来し、天馬が増え、グリフォンもいるのだが……婚姻を果たした彼女は大人として落ち着いたからだろうか。
それならめでたい。あとは侯爵を起点とした諸外国との外交に力を入れ、国内にも目を光らせていればアルバトロス王国は安泰だ。少々、国の規模を超える評価を受けているが、上手く立ち回れば良いだけである。
「平和だな」
「そうですね。しかし陛下。なにが起こるのか世の中、分からないものです。油断はなさらぬように」
執務室で作業をしていた私の声を耳聡く拾った宰相が肩を小さく竦める。いや、平和だと口にした途端に否定しなくてもと言いたくなるが、私はアルバトロス王国のトップに君臨する者として我慢するのだった。




