1723:情操教育。
陞爵祝いのため陛下がご主催された夜会が終わり、我々宮廷料理人は片付けを行っている。
大勢の方が招かれた夜会には我々が腕によりをかけた品を多く提供していた。夜会で食事を摂る方は少なく、たくさんの料理がまた残っているだろうと迎賓室へと向かえば、用意した料理はほとんど食べてくださっている。なんという光景だろうかと私が目を見張っていると、料理長も料理がなくなっている光景を認めたようで目を丸くして口を開く。
「す、凄いな。今日は提供した料理の残りが少ないぞ」
「ええ。私たちが作った料理が皆さまに認められたのですね!」
料理長の言葉に私も嬉しさのあまりに、つい語気が強くなってしまう。私はアルバトロス城に務める料理人である。いついかなる時も平静を保っていなければならないというのに、料理がたくさん食べられていたことが嬉しくて仕方ない。
普段の夜会であれば、こんもりと料理が残っていただろう。残っていれば城で働く者たちが食べてくれるのだが、やはり我々料理人としては夜会に参加していた方たちのために作ったものだから、その方々に食べて欲しいという気持ちがある。
「女神さま方がたくさん食べてくれたと聞いているが……普段より多く料理を用意していたからな。きっと他の方たちも食べてくれたに違いない」
アストライアー侯爵閣下は夜会に女神さまを連れてくると聞いていたから、我々料理人は戦々恐々としていたが、侯爵閣下からはなにも言われていない。女神さま方は我々の料理を気に入ってくれたようだと私は安堵して料理長の顔を見た。
「ええ! きっとそうです! ベナンター伯爵に助言を求めておいて正解でしたね、料理長!」
はははとお互いに笑っていれば、片付けの手伝いにきてくれている近衛騎士が下げられた料理を早く食べたいと申し出てきた。時間が経てば経つほど料理の味が落ちてしまうからと、料理長も私も承知したと頷き、提供されていた料理を一先ず片付ける。調理場で再度彼らに提供できるように、温め直したり、盛り付けをし直したりするのは手間ではあるものの、美味しく食べて欲しい気持ちがある。明日になれば通常業務に戻ることになる。
「また女神さまに我々が作った食事を提供することになるのでしょうか?」
私が料理を温め直しながら言葉を投げると、料理長は肩を竦めていた。
「あり得ない、とはいえないな」
やはり、まだ我々が西の女神さま方に料理を提供する機会があるようだ。それがいつになるかは分からないけれど……また、自身の力を盛大に振り絞って料理作りに励もうと誓うのだった。
◇
ベナンター伯爵とフライハイト子爵の陞爵祝いの夜会が終わり、主催者を務めていた私は宰相と共に執務室へと戻っている。王妃であるベアトリクスと王太子であるゲルハルトにその妃であるツェツィーリア、そして第二王子であるライナルトは私室へ戻っている。
王太子妃であるツェツィーリアの腹の中にはゲルハルトの子がいる。悪阻は随分と収まり、安定期と呼ばれる時期のため彼女は今日の夜会に顔を出していた。まだ公式に子を儲けたことは発表していないが、無事に子が生まれたならば第一子誕生の報を大々的に知らせねばと、私は執務室の椅子に腰を掛ける。
「陛下、お疲れさまでした」
宰相が片眉を上げながら、私に声を掛ける。陞爵式ということもあり、王国にいる数多くの貴族がアルバトロス城に集まっていた。久方ぶりに顔を見る者もいたなと私は目を細める。
「アストライアー侯爵が参加していたから、なにか起こるのではと身構えていたのだが何事もなく無事に終わったな」
「ええ、本当に」
私がふうと息を吐けば、宰相は目を細めて小さく頷く。本当に彼女がいるとなにかトラブルが起こるが今日は至って平和であった。アストライアー侯爵に喧嘩を売る者も媚びを売る者もいなかったのだから。
王太子妃であるツェツィーリアがアストライアー侯爵に女性会議に参加したいと、話に向かったくらいであろうか。ツェツィーリアの後に続いてベナンター伯爵夫妻とロステート伯爵と娘と子爵夫婦もアストライアー侯爵に声を掛けていたが、ベナンター伯爵が一緒にいたのであれば問題はなかろう。
「侯爵が婚姻して一ケ月。子を望むのは気が早いか」
「そうですね、陛下。せめて一年経ってからでなければ」
腹に子がいるなら悪阻があるだろう。個人差があるというが、我が妃であるベアトリクスも王太子妃であるツェツィーリアも一時期酷いものであった。落ち着く頃には少し腹が目立ち始め、男として自分の子が生まれるのだなという実感を持つ。
さて、アストライアー侯爵とロウ男爵の子はいつになることやら。ベナンター伯爵は婚姻から一年間は子を儲けるつもりはないと聞いている。上手くいけばゲルハルトの子が彼らの子らと同世代となるようにと願う。
しかし本当にアストライアー侯爵の子はどう育つのだろうか。
現状であれば、女神さまが屋敷にいることが普通となり、竜の背に乗ることが普通となってしまいそうだ。アストライアー侯爵は元孤児だから、王族、貴族社会に疎いところがある。アストライアー侯爵の子の乳母を務める者は貴族の常識を確りと身につけている者が適任となりそうだ。
「侯爵を前にして子はまだかと問い辛いからな」
私はふうと息を吐く。宰相が口にした通り、せめて一年はこの問を封印しなければならないだろう。他の貴族であれば『まだなのか』と圧を掛けられるのだが、侯爵は特殊な人物である故に。
「そうですね。女神さま方が一緒にいる場だと特に」
宰相が片眉を上げながら答えた。そう、女神さま方が侯爵の側に常に控えているのだ。妙な質問を飛ばせば、私の身は女神さまによってどうとでもなってしまう。本当に、なにがどうなって、こうなってしまったのか理由は分からないが、女神さまが現界なされ侯爵の下でお過ごしになられているのだから認めなければ。
挙句の果てに創星神さままで現れ、他の星の創星神さまも現れるなど誰が思うだろうか。本当に怒涛の勢いでアルバトロス王国が四大陸に名を馳せることになってしまった。今では各大陸の国々と連絡を取るようになっており、また外務部から増員要請が届いている。椅子の背凭れに私の体を預けると、ぎっと軋む音が鳴る。
「侯爵のお陰で、外務部の増員と拡張を考えねば」
悪いことではない。むしろ歓迎すべきことである。侯爵のお陰で周辺各国はアルバトロス王国に手を出せないだろう。リームとヴァンディリア王国との関係も強化されている。亜人連合国とも友好的だと各国に知れ渡っているから、当分の間は自国が争いに巻き込まれることはない。国内に不穏な動きはなく、皆、アストライアー侯爵の動きに注目している。
「そうですね。予算を都合しなければなりませんね」
「うむ。さて、今日は休もう」
苦笑いを浮かべる宰相に私は席を立つ。そうして彼と一緒に執務室を出て行き、自室へと戻るのだった。
◇
――エーリヒさまとフライハイト子爵さまの陞爵式を終え、数日が経っている。
今日も今日とてアストライアー侯爵領領主邸にて、私は執務と執り行っていた。六年近く執務を続けていれば、書類を読んでなにをすれば良いのか直ぐに分かる。慣れていることが分かるのだが、慣れた頃にミスを犯すものである。
偶になにか抜けていることがあるので、ポカミスに気を付けなければと書類に目を光らせながら午前の執務を終えた。昼食と執ればあとは自由時間となり私はユーリの部屋へと向かう。
部屋では乳母さんが読み聞かせを行っていたようである。側にはアンファンもいて、ユーリにアドバイスを送っていたとか。ユーリは難しそうな表情になったり、褒められて笑ったりと忙しそうだ。
微笑ましい光景だと部屋の片隅で見守っていると、読み聞かせを終えてユーリが私たちの存在に気付いた。椅子の上から飛び降りたユーリは満面の笑みを浮かべ、両手を広げながら私の側へ走ってくる。以前は転倒しそうではらはらしていたというのに、時間を追うにつれてユーリの足取りはしっかりしている。本当に成長したなと私が目を細めると、ユーリは私の腰に腕を回す。
「ナイおねーさま!」
「ユーリ。お疲れさま」
ぐりぐりとユーリは私の胸の辺りでぐりぐりと顔を擦り付けた。彼女の背は随分と伸びており、いつの間にか私の胸元近くまでになっていた。アンファンも侍女養成校を卒業した頃から更に背が伸びている。アンファンは『成長期のようです』と言っていたが、私がアンファンと同年齢の頃に自身の背が伸びることはなかった。どうしてと言いたくなるものの、個人差だろうと私は口をぎゅっと結ぶ。
「文字を読めるようになった?」
「むずかしい……です」
私がユーリに問えば、微妙な答えが返ってくる。乳母の方が言っている意味は理解できるものの、本に書かれている文字はまだ追えないようだ。そろそろ家庭教師を付けることも考えても良いのだろうか。
高位貴族の家では幼いうちから勉強漬けと聞いている。ソフィーアさまとセレスティアさまはユーリと同じ年齢の頃には家庭教師が就けられていたとも聞いていた。とはいえ、ユーリにはのびのび成長して欲しい気持ちもあるため、家庭教師のことは保留にしている。
「早く文字を覚えて読めるようにならないとね。本を読めるようになれば、一気に世界が広がるよ」
「?」
私の言葉にユーリは首を傾げている。まだ難しかったようだと私が苦笑いを浮かべると、一緒にユーリの部屋に訪れていた毛玉ちゃんたち三頭がぬっとユーリに顔を近付ける。
『ユーリ! あしょぶ!!』
『にわ、いく!!』
『おいかけっこ!!』
毛玉ちゃんたち三頭が声を上げると、ユーリは私の腰に回していた手を解いた。ユーリは毛玉ちゃんたちに渋い顔を向け口を開く。
「ツバキとカエデとサクラ、つよい。あたし、まける……やだ」
最近、毛玉ちゃんたちの中でユーリと遊ぶことが楽しいらしい。ただユーリは身体能力が育ち切っていないため、毛玉ちゃんたちと追いかけっこをすれば勝てないし、ボール遊びも上手く捌けなくてぶすくれてしまうことが多い。
毛玉ちゃんたちは遊び相手が増えて楽しいけれど、ユーリは毛玉ちゃんたちと遊ぶのはつまらないと感じるようである。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが毛玉ちゃんたちを嗜めてくれるけれど、だんだん本気になってきて結局ユーリが勝てないでいる。
これも経験だと大人は考えてしまうけれど、ユーリは毛玉ちゃんたちに勝ちたいようだ。忖度して勝つのは違うし、さて、どうしようかと私が悩んでいると、毛玉ちゃんたちはユーリの背を押して庭へ出るようにと足を進めるのだった。




