1722:いざ、出陣。
ロステート伯爵さまと男爵夫婦がエーリヒさまとフィーネさま、ジークと私の下を去っていく。
初対面の方と穏やかに話を終えたのは久しぶりではないだろうか、という疑問を抱くほど私はいろいろなことに巻き込まれやすいようである。気を付けていてもトラブルが舞い込んでくるから、どうにもならないなと苦笑いを浮かべているとフィーネさまが『あ』と声を上げた。
「ナイさまはお気づきになりましたか?」
「なにをですか?」
ふふふと良い顔を浮かべるフィーネさまに私がなにが言いたいのやらと答える。すると彼女ははあと盛大に溜息を吐いた。エーリヒさまは苦笑いを浮かべ、ジークもフィーネさまの言葉の意図を掴みかねているようだ。周囲を見渡したフィーネさまは仕切り直すようにすうと息を吸い込んだ。
「もう! ナイさまは気付いていないんですね……王太子妃殿下のドレスについてです」
「いつも通り、綺麗な衣装でしたが」
王太子妃殿下のドレスはいつも通り綺麗なものだった。夫婦仲が良いので、王太子殿下が贈った品かもしれない。それがどうしたのかという視線を私がフィーネさまに向けると、片眉を片方の唇を歪に歪ませている。
「…………絞めて良いですか?」
「うえ?」
私の口から変な声が出た。最近、フィーネさまは私に対して遠慮がない。大聖女という地位を辞し、同じアルバトロス王国の者となったからだろうか。態度に関しては仲が良くなった証拠だろうけれど、傍から見ている方たちはどう感じるのだろうか。
エーリヒさまとジークがいるから、酷いことになりそうなら止めてくれるはず。リンも側にいてくれるから、なにか変なことが起きそうなら教えてくれるはずだ。
彼らがなにも告げないということであれば、フィーネさまの態度は特に問題ないのだろう。しかし王太子妃殿下がどうしたのだろうか。先程、王太子殿下夫妻が私の下へきたのは、女性会議に参加させて欲しいという要望であった。なにか関係することをフィーネさまは知っているのだろうかと傾げると、フィーネさまが私の耳元に顔を近付けた。
「もう。あまり大きな声で言えませんが……――」
フィーネさまは王太子妃殿下のドレスはお腹周りが緩いものになっていたと告げる。そして多分妊娠しているのではとも、周りの方に聞こえないように教えてくれる。私は王太子妃殿下のドレスは至って普通に見えていたのだが、言われてみれば確かにウエスト周りは少し余裕があったような。フィーネさまの声はクロにも届いていたようで、尻尾を左右に大きく揺らしている。
『だよねえ。ボクはちょっと違う理由で分かったけれど』
「ぅえ?」
私の口からまた変な声が漏れると、クロがドヤと胸を張る。クロは王太子妃殿下のお腹の位置の魔力の流れが変わっていると感じたようである。微々たるものだったから、気のせいかと思っていたけれどフィーネさまの言葉で確信に変わったようだ。
エーリヒさまは気付いたのかと私が視線を向けると苦笑いになり、ジークに視線を向けると緩く左右に首を振った。良かった。気付いていない仲間がいたと安心するものの、妃殿下の妊娠は公になっていない。黙っていた方が良いだろうとみんなで頷くと、フィーネさまが肩を竦める。
「クロさまも気付いたのに、どうしてナイさまは鈍いのでしょうね……本当」
ふうと息を吐くフィーネさまにエーリヒさまが『まあまあ』と宥めていた。なににせよめでたいことだ。そのうち、お腹も目立つようになってくるのだろう。あれ、もしかして今、フィーネさまか私が妊娠すれば、生まれた子は王太子夫妻の子と同級生となるのだろうか。そういえば、ソフィーアさまとセレスティアさまの二番目の子供とも上手くいけば学年が一緒になるかもしれない。
生まれた子が学院へと入学するであろう頃のアルバトロス王国はどうなっているのやら。平和であれば良いけれど、なにが起こるか分からない世界である。どうか平和でありますようにと願いながら、ヴァルトルーデさまとジルケさまを放置しているから引き取りに行こうと今の面子で軽食コーナーへ向かう。
軽食コーナーを陣取っているヴァルトルーデさまとジルケさまはご機嫌な様子だ。取り分け用のお皿の上にこんもりと料理が盛られており、提供されている全種類を制覇しそうな勢いである。幸せそうに食べながら、私たちに気付いたヴァルトルーデさまとジルケさまは食べている手を止めた。
「美味しい」
「姉御はなんでも美味いっつってるよな」
「末妹も。口にしなくても、手がずっと動いている」
「美味いからな」
長姉さまと末妹さまは軽口を叩きながら、お互いを見つめていた。私たちが女神さま方の下へと辿り着いたためか、給仕の方がほっと息を吐いている。軽食コーナーを占領していると他の食べたい方たちがこられない。一度、女神さま方を引き取った方が良さそうだと私は口を開いた。
「少し休憩しませんか? こちらを見ている方がたくさんいらっしゃるので、皆さまお腹が空いているのかと」
私の声にヴァルトルーデさまとジルケさまが周囲を見渡す。王城での夜会である上に主催者が陛下だから、今日の料理は宮廷料理人の方が作ってくださっている。美食通の方たちも食べたいようだが、女神さま方が居座っているお陰で近付けないようだった。女神さま方は少しバツの悪そうな表情になる。
「悪いことをしてしまった」
「だな。行くか」
また壁の花を務めようと、合流したみんなで壁際へと移動していく。すると注目されていたのか、他の方たちの視線も一緒に動いている。こちらを見過ぎではないだろうかと苦笑いを浮かべていると、会場の隅へと辿り着く。
そこには四人掛けのソファーが設置されていて、疲れた方が休めるようになっていた。丁度良いかと、フィーネさまと二柱さまと一緒に座ろうと私は指を指す。エーリヒさまとジークには申し訳ないが、文句は飛んでこなかった。
「美味しいお料理はありましたか?」
私はタイミングを見計らって軽食コーナーへ向かうつもりのため、先にお料理を頂いている女神さまにリサーチを始める。女神さま方は味音痴ではないので、きちんとした答えが返ってくるはずだ。
「全部、美味しかった」
「な。あたしの一番は肉料理だ」
ヴァルトルーデさまがへにゃりと笑い、ジルケさまがにっと笑う。なんだか凄く大雑把な女神さまの判断に私はズッコケそうになった。ただ私も誰かに『なにが美味しかった?』と問われれば『全部』と答えてしまう可能性が高い。二柱さまのことをとやかく言えないなと肩を竦めると、今度はフィーネさまが口を開いた。
「納豆料理がないのは残念です。でも、少しずつですが、興味を持ってくださる方がいらっしゃるんですよ!」
今度はフィーネさまがドヤと胸を張る。納豆料理が出ていないのは王城なので仕方ないのだろう。アストライアー侯爵家主催かエーリヒさまが主催する夜会であれば、料理人の方たちが腕を振るってくれたはず。
フィーネさまは挫けず納豆料理をいろいろな方に布教しているようで、成果が少し出ていると嬉しそうに笑っている。納豆に情熱を注げることが凄いなと私が感心していると、ヴァルトルーデさまとジルケさまがフィーネさまを見つめる。
「納豆、食べられるようになったけれど、フィーネみたいに美味しいという境地に至れない」
「あの匂いと粘りが独特だからなあ」
二柱さまは納豆そのものを食べることができるが、やはり調理しているものの方が良いようである。私も調理済みの納豆であれば、美味しく頂くことができた。フィーネさまは他の方には納豆そのものを楽しんで貰いたいけれど、無理に勧めてしまうと失敗に終わると考えているはず。
「調理すれば匂いや粘りは取れるので、そちらで美味しく食べてくだされば私は嬉しいです!」
フィーネさまが微笑みながら告げるのだが、やはり銀髪美人が納豆を食べている姿は違和感が拭えないというか。偏見と分かってはいるものの、やはり日本人が食べている姿であれば納得できるなと私は苦笑いになる。
二柱さまは『調理したものは凄く美味しい』『食べやすさが違うよな』と声を上げている。でも、たしかに納豆を調理すると凄く食べやすくなる。料理人の方たちの腕前もあるかもしれないが、不思議だなあと私は目を細めた。
「エーリヒさまもいろいろ考えてくださっていますし、私は幸せ者ですね!」
ふふふとフィーネさまが綺麗に笑いながらエーリヒさまを見つめる。見つめられた方は少し顔を赤らめて頬を指で掻いていた。
「城の料理を気に入っていただけたなら幸いです。俺もレシピの提供となにを出せば良いかと助言を求められ協力しましたから」
どうやらエーリヒさまは宮廷料理人の方に協力したようである。陛下からの依頼だったのか、料理人の方からの依頼だったのかは分からないけれど。
エーリヒさまの料理の腕前や知識の豊富さが、周りの方たちに知れ渡っているような。私も料理を詳しく知っていれば良かったけれど、生憎と知識は毛が少し生えたくらいである。
宮廷料理人の方に協力できるようなことはなく、食べたい料理を告げるくらいしかできないので黙っておいた方が良い。提供されている料理はどれも間違いなく美味しいから、あれ食べたい、これ食べたいとリクエストするようなことはないけれど。ヴァルトルーデさまとジルケさまは今回の料理を気に入ってくださっただろうか。でなければエーリヒさまの評判に傷がつきそうだ。
「美味しい。また食べたい」
「な。でもまあ、ちと視線は気になるな」
うん。軽食コーナーに張り付いて料理をひょいぱくしていれば、誰でも驚く。侯爵邸であれば特に物珍しさはないが、ここはアルバトロス城の迎賓室なのだから。女神さまと気付いていない方もいて、単にどこぞのご令嬢が料理をばくばく口にしている姿は圧巻だ。それも雰囲気のある二柱さまだし、お腹が膨れるほど軽食を貪っている方は稀なのだから。
「雰囲気がありますから。注目は致し方ないのかと」
エーリヒさまが告げれば、二柱さまは肩を竦めている。美味しい料理を食べるには視線を受けるのは致し方ないと諦めた方が早いかもしれない。そういえば夜会も随分と時間が経っているのだが、私は軽食を一口も食べていない。そう気づくと盛大にお腹の虫が主張しそうになっていた。私は椅子から立ち上がって、数歩前に出てくるりと身体を反転させる。
「よし。私もお料理を頂いてきますね!」
ヴァルトルーデさまとジルケさまとフィーネさまと、エーリヒさまとジークに私は礼を執る。するとジークが俺も行こうと告げ、護衛のリンも一緒にきてくれるようだ。
肩の上に乗っているクロは言わずもがな一緒にきてくれ、毛玉ちゃんたち三頭も一緒に移動するようである。エーリヒさまとフィーネさまはいってらっしゃいと手を振ってくれ、ヴァルトルーデさまとジルケさまも席を立って『食べ直す』『まだ余裕あるぞ』と宣言するのだった。




