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1721:情報提供者。

 ――おかしい。


 アストライアー侯爵閣下と先程挨拶を済ませたのに、また彼女と私は会話をしなければならなくなっていた。いや、寄り家の者からの頼まれ事だから、ロステート伯爵家としてきちんと面倒を見てやらなければならないことは当然である。それに我が家の豚肉を卸してくれているのだから、今私の目の前にいる彼らを無下には扱えない。だから彼らの望みである、アストライアー侯爵閣下との顔合わせを私は叶えることになった。

 

 「ありがとうございます、ロステート閣下」


 「本当に感謝致します」


 男爵位を持つ夫婦が私に頭を下げているのだが、これきりにして欲しいとは言えない。だから私は口の端を伸ばしながら言葉を紡ぐ。


 「いや、気にしないでくれ」


 こう告げるしかないのだろう。私の隣にいる娘は早くアストライアー侯爵閣下の下へ行きましょうと言いたげである。我が妻は少し身体が弱く、夜会で私の隣に控える役は娘がよく努めてくれていた。

 娘は勝気なところがあるし、思い切りのよい性格だ。アストライアー侯爵閣下とも物怖じせず語ることができるのだが、一体、誰に似たのだろうか。なににせよ廃嫡した息子に似なくて良かったと私は片眉を上げる。


 アストライアー侯爵閣下は迎賓室の壁際でロウ男爵と一緒に立っている。少し前、二人の下に王太子殿下夫妻が向かい話をしていたのだが、どうやら終えたようだ。次にアストライアー侯爵閣下に話をしようと待っている者はいないようなので、私は男爵夫妻に視線を向けた。


 「では、参ろう。王太子殿下と妃殿下の話が終わったようだ」

 

 伯爵位を持つロステート家としての威厳を損なわないようにと上げた私の声に娘と男爵夫妻が頷いた。本当はなるべくアストライアー侯爵閣下と話したくない。彼女自体は穏やかで、威を翳さない立派な人物である。

 だが、彼女の側に控えているロウ男爵と妹であるガル男爵の視線は『余計なことをしたら殺す』という視線を向けて――少しマシになった――いるし、今は子育てで侯爵の下を離れている側仕えの眼光も尋常ではない。それに女神さま方が二柱も控えている――今は軽食を摂っていらっしゃる――し、小さいが竜もいるし、フェンリルとケルベロスにその仔が一緒なのだ。誰が近づこうと考えるのだろうか。あ、いや。男爵夫妻がアストライアー侯爵閣下と話したいと願っているのだから、いるのか……。


 どうしてアストライアー侯爵閣下に近づこうと考えるのだろう。


 ロステート伯爵家も侯爵閣下のお陰で随分と名を挙げ、領地の豚肉が良く売れるようになっている。なっているが、お礼を伝え、滞りなく取引できればそれで良いはずである。侯爵も私のような者と頻繁に絡むのは面倒だろう。

 せめて女性でなければもう少し気楽に語り合えたのかもしれない。それこそ酒を酌み交わしながら。少し腹の調子が悪くなっているようなと、足を踏み出せずにいれば娘が私の腕を取る。


 「お父さま、参りましょう」


 にこやかに笑う娘の勢いに押され、固まっていた足が動き始める。私たちより少し遅れて夫妻も歩を進めているようだ。アストライアー侯爵閣下がいる壁際の少し手前まで辿り着き、私はふうと長い息を吐いた。すると不意に近くに気配を感じ、無意識に視線を向けてしまう。そこには本日の主役である一組の夫婦が私たちを見ていた。私たちに気付いた彼らは軽く礼を執った。


 「ロステート伯爵。卿もアストライアー侯爵閣下と話が?」


 顔を上げた彼はベナンター伯爵である。陞爵式で子爵位から伯爵位へと昇りつめた、聖王国の大聖女さまを娶っている。ベナンター伯爵の隣に控えている奥方は銀糸の長い髪を纏め、美しいライトブルーのドレスに身を包んでいた。

 彼女もまた伯爵と一緒に私に頭を下げてくれている。伯爵を慮り、言葉を発することはない。異国の地での生活は大変だろうに、苦労を微塵も感じさせない雰囲気である。私は黙ったままではいけないと、背を伸ばしてベナンター伯爵の疑問に答えるべく口を開いた。

 

 「ベナンター卿。ええ。私ではないのですが、アストライアー閣下と顔合わせさせたい者がおりまして」


 私の言葉にベナンター伯爵はなるはどと頷いて小さく笑う。


 「私たちは急いだ話ではないので、お先にどうぞ」


 「い、いえ、しかし。ベナンター卿の邪魔をしては……先にどうぞ」


 主役である彼らの邪魔をしようものなら、社交界でどう囁かれるのやら。それだけは避けたいと、私はベナンター伯爵に先を譲ろうとする。しかし彼は私の言葉が不本意だったようで、片眉を微かに上げていた。機嫌を損ねてしまっただろうかと不安が過るが、彼の次の言葉で大丈夫だと悟る。


 「では、一緒に向かいましょう。宜しいでしょうか?」


 ベナンター伯爵がにこやかに笑い、私が連れている男爵夫婦にも確認を取っている。あ、あれ。もしかして私は遠慮なく先にアストライアー侯爵閣下の下へ向かっていた方が気持ちの面で楽だったのかもしれない。しかし、これ以上固辞するのは失礼に当たる上に、男爵夫妻がもちろんですとベナンター伯爵に返事をしてしまったため、私は彼らと一緒にアストライアー侯爵の下へと向かう羽目になるのだった。


 ◇


 王太子妃殿下と私の話が終わったタイミングで、ジークと王太子殿下が戻ってきた。二人ともなにを話していたのか分からないけれど、離れる前より雰囲気が柔らかくなっている気がする。ジークと王太子殿下と少し距離が縮まっていれば嬉しいけれど、果たして友人関係となれるだろうか。王太子殿下から『偶には城に遊びにきて欲しい』とお願いされ、お二人は私たちの下から離れて行った。


 「王太子殿下も妃殿下もお元気そうで良かったね、ジーク。そういえばお子の話は聞かないけれど……フィーネさまたちみたいに計画立てているのかな?」


 王太子殿下の婚姻から二年ほど経っているはずなのに、子が生まれたという話を聞かない。流産ならば隠すだろうけれど……調子を崩すだろうから、聖女として呼び出しを受けそうだ。

 もしかしてアリアさまかロザリンデさまが秘密裏に依頼を受けているのかと訝しむものの真実は分からない。単に計画しているだけなら良いけれど、お二人は王族であり、アルバトロス王国の未来を握る方たちだ。計画している暇なんてないようなと私が首を傾げればジークが小さく笑っている。


 「どうだろうな。あまりに長いと方々から指摘が入る。ナイ、大丈夫だと思うが……」


 ジークは王太子殿下夫妻の子がどうこうよりも、私がお二方に変なことを言ってしまわないか心配しているようである。流石に心配されるほどデリカシーが私に欠けているわけではない。


 「言わないよ。大丈夫」


 「そうか」

 

 ジークも念のために口にしただけだから、それ以上は私になにも言わなかった。クロは王太子殿下夫妻が去っていった方を見ながら、こてんこてんこてんとなにやら首を傾げている。

 毛玉ちゃんたちは暇になったようで、ワンプロを三頭で初めてしまった。また暫く壁の染みと花を務めることになるかなと、周囲を見渡すと見知った顔がこちらへと向かってくる。エーリヒさまとフィーネさまとロステート伯爵さまと彼の娘さん。そして見知らぬ夫婦が共に歩いてきた。


 「アストライアー侯爵閣下」


 「ベナンター伯爵、先程振りです」


 エーリヒさまが代表して声を上げれば、フィーネさまがにこりと笑みを浮かべて私たちに小さく頭を下げた。ロステート伯爵さまと娘さんと知らないご夫婦も礼を執る。

 とりあえずはエーリヒさまと話をして、どこかのタイミングでロステート伯爵さまに言及すれば良いだろう。知らないご夫婦は多分、ロステート伯爵さまが連れてきた方だろう。エーリヒさまであれば、誰かを紹介したいなら事前連絡を入れてくれるはず。


 エーリヒさまはロステート伯爵さま方がいるからか、なにか言葉を選んでいるような気がする。それなら私から話掛けた方が良いだろうと口を開いた。


 「ベナンター伯爵、先日はお手間を取らせてしまいました。まさか、治療の順番で文句を付けられるとは思わず」


 私の声にロステート伯爵さまと知らないご夫婦が首を傾げた。丁度良い機会だから、この際、治療の順番に文句を付けないように広めて貰うのもアリだろうか。もちろん、大きな怪我を負っていた方を優先させるが、優先すべき対象は人間だけではないということを知っていて欲しい。少しエーリヒさまを利用しているようで申し訳ないけれど、状況的に好都合だ。


 「いえ。我が領にある風見鶏商会が事を上手く運んでくれ、相手方の子爵殿が取り計らってくださいました。しかし、軽い怪我でありながらアストライアー侯爵閣下に苦言を呈す者がいようとは」


 「車を引く馬の方が酷い怪我を負っておりました。それ故に馬を優先させていただいたのですが、治療を後回しにされた方は不満だったようです」


 エーリヒさまは私の意図を気付いてくれたようである。ジークは悪乗りするなよと言いたげに私たちのやり取りを見ていた。フィーネさまはもっと言ってしまいましょう! と鼻息を荒くしている。

 ロステート伯爵さまと知らないご夫婦はどんどん顔を青く染めていった。どうやら、エーリヒさまと私の話を聞いて私に喧嘩を売った方がいると理解してくれたようである。


 「わたくしの悪評を流そうとしたようですが未遂に終わったのは、怪我を負った方が商売をしていた領の子爵殿とベナンター伯爵、そして我が夫のお陰です」


 私がジークを夫と呼んだためか、呼ばれた本人が少し変な顔になっていた。でもまあ、私がロウ男爵と呼ぶわけにはいかないし、夫であることは事実だ。フィーネさまは私がジークのことを夫と呼んだため、凄くにやにやにやにやした表情になっている。なにか言いたそうだけれど、フィーネさまは空気を読んで口を噤んだままだった。

 さて、このやり取りが社交界でどう囁かれるのだろう。もしかするとロステート伯爵さまと知らないご夫婦は黙っているかもしれないが、それならそれで構わない案件である。エーリヒさまは『いえ』と軽く顔を振る。さて、この話はもう終わりだと言わんばかりにエーリヒさまが言葉を続けた。


 「竜の卵が孵ったと聞き及んでおります。いつかは卵から孵るところを私も見たいものですね」


 「また機会があれば、お知らせいたします」


 エーリヒさまとフィーネさまであれば、いつでも呼べるだろう。外務部で仕事をしている時は無理だけれど、ロゼさんの転移でお二人を呼ぶことができるのだから。ちなみに緑と紫色の竜の仔が孵るところを見れなかったセレスティアさまからは、三十枚近くに上る悔しさを綴った手紙が私の下へと届いている。

 だから、次があればセレスティアさまは必ず呼ばなければならない。そうしてエーリヒさまとの話を終えると、ロステート伯爵さまが紹介したい人がいると申し出た。


 そして知らないご夫婦が私の前に進んで名乗り出る。どうやら夫人の方が私に用があり、噂で聞いた女性会議に参加したいとのこと。ただ、ご自身はすでに終わっているため被験者としての報告というより、いろいろな女性から聞き取りをして月のもの時の症状や個人差のデータで提供したいそうである。


 それは有難いと私は頷いて、目の前にいる男爵夫人と握手を交わすのだった。

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― 新着の感想 ―
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2026/09/29 02:43 あかマント
更新お疲れ様です。 まぁ『黒髪聖女の双璧』は昔からナイちゃん第一ですなw でもロステート伯爵は、だいぶ警戒が緩んだ方でしょう。豚肉の取り引きでナイちゃんが喜んでいるしw エーリヒ君はやっぱり緩衝材に…
しがない男爵さま御夫妻w……無事にアストライアー侯爵閣下と面識を得たようで一安心しました♪(^^) 奥方様は長年の経験からさまざまなデータを保持しているようで、この申し出もボランティア活動として知り…
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