1719:壁の華と染みに務める。
伯爵位を賜ったエーリヒさまと子爵位を賜ったフライハイトさまとの挨拶を終え、会場の中へとジークと私は戻った。本日の夜会は交流を深めようという趣旨のため、踊っている方は少なく、飲み物を手に取って談笑している方が多い。
参加者はアルバトロス王国の貴族の方がほとんど参加されているのではと勘繰ってしまうくらいに多い。仲良くしてくださる方や見知った方を見つけて声を掛けているのだが、どうにも女性陣からの視線が強い気がする。もしかして女性会議の内容が漏れているのだろうか。仮に漏れていたとして、被験者――言葉が悪いけれど――が多くなるなら、品物がある限りn数を確保できるから有難い。
今までは敵意や妬みの視線を向けられることが多かったけれど、好意や興味の視線が混じっているため居心地が悪いというか。お尻がムズムズするというか。お尻を掻きたい欲求を堪え、一緒に挨拶をしているジークに私は視線を向けた。
「視線が刺さるね」
「嫌か?」
「刺さること自体は構わないけれど」
私の言葉にジークが首を傾げ、肩の上で話を聞いているクロも尻尾を揺らす。今までとは少し違う質の視線が混じっていると私が告げれば、ジークは納得した様子だった。
「ナイのことが理解されてきたんじゃないか? 俺は良いことだと思う」
ジークが小さく笑う。個人的に私のことを誰かがなにを思っていても気にしていないというか。聖女と侯爵位という役職を持っているから、個人的なことを優先するわけにはいかないため、体面はある程度気にするけれど……今までのやらかしが過ぎるので、怖がられても当然なのだろう。
フライハイト子爵さまの態度を見ていれば、なんとなく分かってしまう。騎士爵位、男爵位、子爵位を持つ方々には私と話す際は恐縮されっぱなしだし、伯爵位を持つ年上の男性にも気を遣われている。爵位という階級がなかった前の社会では年功序列気味だったから、変な感じは今でも拭えない。いい加減に慣れないといけないものだが、染みついたものは中々取れずにいた。
「私に対する理解が深まれば、面倒事に巻き込まれる機会は減るかなあ」
「微妙なところだな。しかし解決できる力は十分持った。なら胸を張っていよう」
私のぼやきにジークが苦笑いを浮かべるものの、教会宿舎で生活していた頃とは違い周りの顔色を伺う必要はないと言いたげである。たしかに学院に入学する前は周りの方に対して、自分がどう見えているか凄く気にしていた。今でも気にしているところはあるけれど昔ほどではない。
「そうだね。でも勘違いして暴走するわけにはいかないし、気を付けておかないと」
「大丈夫だ。その時は止めてやる」
現状に胡坐をかいて傲慢になってしまうこともあるだろう。私が肩を竦めるとジークが真面目な雰囲気で答えてくれる。するとひょいと私の視界に顔を滑り込ませた人がいた。
「ナイ。私も」
へらりと笑うリンに私は苦笑いを浮かべた。そっくり兄妹はいついかなる時も私を護ってくれるスタンスは変わらないらしい。
「ありがとう、ジーク、リン」
私も笑えば、ジークとリンは『ああ』『ん』と答えてくれた。すると肩の上に乗っているクロがすりすりと私の顔に顔を寄せて喉を鳴らす。
『ボクもだよ~でもナイに勝てる気がしないかも~』
「え?」
最後の一言は余計ではないでしょうか、クロさんや。という前に毛玉ちゃんたち三頭が空気を察したのか、悪い顔を浮かべながら私の周りをクルクル回る。尻尾を揺らしながら三頭は『にゃい、ちゅおい!』『くろ、かてにゃい!』『りゅうにゃのに!!』と声を上げていた。
ケタケタという笑い声が聞こえてきそうなほど、毛玉ちゃんたち三頭は面白がっていた。クロは冗談だったのにねえと、こてんと首を傾げながら尻尾を揺らしている。全くと私は息を吐いて、毛玉ちゃんたちを見下ろしながら口を開く。
「椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃん、揶揄わないの!!」
静かにしないとおやつのジャーキーが一本減るよと伝えれば、毛玉ちゃんたちがぴたりと立ち止まる。こういう躾の入れ方って良かったかなと首を小さく傾げるも、正解なんてそれぞれだろうと私は毛玉ちゃんたちに夜会の場だから余り騒がしくしてはいけないよと伝えた。
苦言を呈された毛玉ちゃんたち三頭は『へるにょ?』『おにゃかすく』『いっぱいたべちゃい』としょぼんとしていた。私は夜会できちんと静かに過ごすことができれば、いつも通りのおやつだよと伝えると毛玉ちゃんたちは口元を緩ませる。
「ヴァルトルーデさまとジルケさまじゃないんだから……」
はあと溜息を私が吐くと、ジークとリンとクロが『いつも通りだな』『ね』『毛玉ちゃんたちは愉快だねえ』と言葉にした。ちなみに側仕えに扮していた二柱さまは、さっそく軽食コーナーを占拠している。
陛下からヴァルトルーデさまとジルケさまは招待状を頂いているため、私の側仕えに扮しつつ、夜会の参加者として軽食コーナーを陣取ることは問題ない。アルバトロス王国上層部の大半の方たちと、高位貴族の方にはヴァルトルーデさまとジルケさまの正体は知っている。勘の良い方も気付いているだろうから、私の側仕えとして控えているのも時間の問題ではなかろうか。理解ある方であればシラを切ってくれるだろうけれど、実直な方とかは女神さまだと分かれば頭を下げそうだ。
実際に軽食コーナーを陣取っているヴァルトルーデさまとジルケさまに興味の視線を向けている方は多くいる。ただ女神さまかもしれない、もしくは女神さまであると分かっているため、二柱さまへと吶喊できる方はいなかった。
「軽食コーナーへ行きたい所だけれど……我慢して、壁の染みと花に務めても良い?」
私の声にジークとリンとクロが腹でも壊したかと言いたそうな雰囲気を醸し出していた。大丈夫かとクロが問うけれど、私は至って健康だと告げる。ジークが一番先になにかあると感じ取ってくれ小さく首を傾げた。
「構わないが、理由は?」
「話しかけたそうな方がいるから、機会を設けても良いのかなって」
今回、視線を向けてくる方に女性が多いのは少し気になるところだ。女性会議は身内ばかりのため、多様な意見を聞き取れないかもしれない。それならいっそのこと、今回を機に新たな空気を入れても良い気がする。
あまり増やすと取り纏めが大変だから、増やすと言っても一人、二人が限界だろう。ジークは少し考える素振りを見せた。どうやら頭の中でいろいろとパターンを描いているようである。少しするとジークは小さく頷いた。
「仲介役を設けられるかが分け目か」
「そうだね。私より爵位の低い方はそうなるかも」
たしかに初対面の方となら、仲介を経なければ失礼な行動となる。私はジークとリンとクロたちと共に壁際に移動して、ヴァルトルーデさまとジルケさまが視界の中に納まるのか確かめる。
右端の方に二柱さまを捉えることができているので、なにかあれば即行動できるはずだ。さて、ご新規に縁を繋げる方はいるかなあと果実水を頂きながら待っていると、好奇の視線が突き刺さる。声を掛けたいのだが、どうしたものかと視線を向けている皆さまは考えているようだ。あるいは、なにかの罠ではと勘繰っているのかもしれない。
しばらく待っていると、給仕の方から頂いた果実水を飲み干していた。
「こ、声が掛からない」
一杯飲み切る間に、何組かの方に声掛けがあるはずと踏んでいたのにどうしてだろう。空になったグラスを給仕の方が見つけて回収にきてくれた。新しい飲み物はと問われたので、私は大丈夫ですと伝えておく。
「構えて待っているからじゃないか?」
『ナイの雰囲気、いつにも増しているからねえ』
「こういう時もある」
ジークが肩を竦め、クロは少し揶揄いを含む声を上げ、リンは小さく笑っていた。毛玉ちゃんたち三頭はおやつを減らされてはたまらないと私の横でちょこんとお座りして、行儀よくしてくれていた。まあ、こういうこともあるのかと私は肩を落とす。ジークはもう少し粘ってみようと声を上げれば、ふいに人影がこちらへと近づいてくるのだった。
◇
――私はアルバトロス王国に所属するしがない男爵である。
地方の小さな領地を持ち、王城で官僚として日々を過ごしていた。今日は陞爵式が執り行われ、今は陛下主催の夜会がアルバトロス城の迎賓室で行われていた。会場は華やかな雰囲気に包まれており、二階の席には主催者である陛下と王妃殿下が会場を見守られている。
陛下は若くして玉座に就いたが、最近、貫禄が増しておられる。王妃殿下も昔の美しさを損なっていない。男が女性について言及すると非難を浴びかねないので、決して口にはしないけれど。
挨拶回りを終えた妻とともに私は会場を見渡す。フライハイト子爵はステージの上で縮こまっているものの、どうにか他の方たちと挨拶を済ませているようだ。娘である筆頭聖女アリアさまを後ろに控えさせており、教会とも縁の強い方なのであろう。
フライハイト子爵が怯えた姿を我々に見せているのは撒き餌であろうか。欲深い者であれば、小心者と決めつけてフライハイト子爵領乗っ取りを計画しそうである。とはいえそんなことを仕出かせば、王家から目を付けられ破滅の道を突き進むのみだ。フライハイト子爵領の魔石の鉱脈は王家も運営に噛んでいるのだから。とはいえ、あの小心者だと言わんばかりの姿は付け入れられる隙となるので、もう少しどうにかならぬものだろうか。
もう一方、ステージにはベナンター伯爵夫妻がいて、訪れる者たちと無難に挨拶を済ませている。私も彼と話したが、伯爵位とは思えぬ物腰の柔らかさであるが強かな青年であろう。アストライアー侯爵と懇意にしていると一部の者には知れ渡っている。
聖遺物を手に入れ、聖王国の大聖女を嫁に迎えた人物だ。能あるグリフォンは爪を隠すというが、彼もまた爪を隠しているに違いない。ふうと息を吐いた私は会場内を見渡して、横にいる妻へと視線を向ける。
妻もまた会場内に知り合いや挨拶すべき者がいないかと視線を彷徨わせていた。とはいえせっかく陛下主催の夜会に参加できたのだ。招待状が届いたということは王国から私は信を得ている証拠であり、楽しまなければ損であると考える。長年連れ添った妻と踊ってみるのも悪くないかと、私は妻へと再度視線を向ける。
「一曲、踊るか?」
「あなた、アストライアー侯爵閣下との伝手はないのかしら?」
私が問えば、妻は申し訳なさそうに首を振った。もう少しあとでも良いかという言葉を付け加えると、壁際に立つアストライアー侯爵とロウ男爵一行に視線を向ける。私はなるほどと頷いた。
「……あったなら既に侯爵とウチは縁を結んでいるさ。どうしたんだ、いきなり?」
せめて彼女がミナーヴァ子爵を名乗っていた頃に縁を繋げていれば良かったのだが。生憎と子爵時代の彼女は夜会にほとんど参加しておらず、主催することもなかった。
領地でなにか自慢できるような特産物を作っていればまた別の話となるものの、ウチの領地は普通の品しか作っていない。なにか珍しい野菜を手に入れ育ててみるのもアリかと考えるが、我が妻の話を聞かなければ。
「いえね、お茶会で少々噂になっていることがありまして。どうにかしてアストライアー侯爵閣下との縁を結べないものかと思案していたのですわ」
妻が頬に手を当てて深い息を吐いた。茶会は貴族女性が主体で開くもののため、男の私は部外者でしかない。貴族女性の間でなにが噂になっているのかと妻に聞いてみれば、月のものについてアストライアー侯爵はなにか取り組みを始めたそうである。
妻はもうその時期を過ぎているが、今までの経験を活かせるのではないかと考えているそうである。そういえば妻は随分と苦労していた。私は苦しむ妻の姿を見て聖女の派遣を教会に要請するだけで、他にはなにもできずに手をこまねいただけだった。娘も我が妻に似たのか、月のものの際は部屋に引き籠って外に全く出てこなかったなと嫁に出した娘を思い出す。
「誰か仲介を頼める方がいれば良いが……ああ、ロステート伯爵を頼ろうか。たしか閣下は肉を卸していたはずだ」
ロステート伯爵家とは昔からの付き合いがある。地方の男爵家である我が家は隣領との兼ね合いで、肉を手に入れ辛い環境であった。そこで畜産業を営んでいたロステート伯爵家から平民用の豚肉を卸すようになった。そこから縁を持っているので仲介役を頼めば受けてくれるかもしれないと、私は妻の顔を見る。
「ありがとう、あなた。あら?」
喜ぶ妻に私は視線を細めると、アストライアー侯爵閣下の下へ王太子殿下と王太子妃殿下が歩いて行く姿が見えるのだった。




