1715:二人の時間。
私が以前、アストライアー侯爵領領主邸を訪れたのはナイさまとジークフリードさんの婚姻式が執り行われた時だから、またここに訪れるまでに時間がそう掛からなかったことに少し驚いています。
クレイグさんのことが気になり始め、そして恋へと変わってから随分と時間が経った気がしますが、私の想いが実ったことに喜ばずにはいられません。侯爵邸の来賓室で私はクレイグさんと二人きり――と言いつつ護衛の方が控えている――で過ごしております。
ナイさまが気を使ってくださり、夕飯までゆっくりしていてくださいと仰ってくれました。クレイグさんは私の相手を務めるようにとナイさまからお願いされたとのこと。応接用の机を挟んで目の前の椅子に座るクレイグさんは少し照れている様子ですが、私は彼に聞きたいことがあります。
「クレイグさん、肩の竜のお方は……?」
何故、クレイグさんの肩に緑色の小さな竜が乗っているのだろう。フライハイト男爵領へやってきた彼に直ぐ問うべきことのような気がするものの、お父さんが凄く緊張していてそれどころではなかった。
お父さんは竜に乗ってやってきたクレイグさんに最初の一言が発せないから、気付けの魔術を少しだけ施していたら逃してしまったのです。本当にお父さんの根性のなさには呆れてしまいますが、私の婚約と婚姻を凄く喜んでくれているので……あまり強くは言えませんでしたが。クレイグさんは私の疑問に『ああ』と答えて、緑色の竜の仔に指先を寄せる。
「王都の屋敷で卵から孵った竜だけど、女神さまが怖いからっつって俺とサフィールに懐いたんだ。クロが言うには俺たちの側は落ち着くってよ。ほら、アリアだ。挨拶できるか?」
クレイグさんはどうして懐いたのやらと片眉を上げながら、指先に顔を擦り付ける緑色の竜を見ながら目を細めています。苦言を呈していますが、まんざらでもない様子で緑色の竜の仔を可愛がっておられるようです。ひとしきり緑色の竜の仔がクレイグさんの指に顔を擦り付ければ、今度は私の方を向いて頭を下げて一鳴きしました。
「凄く可愛い仔ですね! お名前は?」
私も緑色の竜の仔の可愛い姿に目を細めれば、クレイグさんは少し困り顔となってしまいました。
「まだ決めてねえ。サフィールにも懐いた奴がいるんだが、ソイツも名前はまだだな」
そういえば二個の竜の卵からそれぞれ一頭ずつ孵ったと教会から聞いていました。ナイさまであればグリフォンさんたちの卵のように、一個から複数の仔を孵しそうですが……あれ、ナイさまが産んだわけではないので変な話かもしれませんが。名前がまだ決まっていないというのは凄く不便ではないでしょうか。今、クレイグさんはソイツとかコイツと仰っていました。名前を決め、情を注げばきっと今以上に素敵な関係になれるはずですから。
「あ! 差し出がましいかもしれませんが、私も一緒にお名前を考えさせて頂いても宜しいでしょうか?」
私が提案すると、クレイグさんは少し驚いた表情になるものの直ぐに穏やかなものへと変わりました。私の思い違いかもしれませんが、クレイグさんは気の強そうな表情でおられることが多いですが、私と一緒にいると時々穏やかな顔になることがあります。
ナイさまとクレイグさんであれば、妹を兄が叱るような雰囲気を醸し出しておられますし、ジークフリードさんとジークリンデさんとサフィールさんと過ごしている時もお三方より前を歩こうとしているというか。私の前だけで見せてくれる彼の顔や雰囲気を感じとれると幸せな気持ちになってしまいました。そんなことを考えていると、クレイグさんは私の提案に指で頬を掛けながら言葉を紡ぎます。
「助かる。俺はナイと違ってあんま知識持ってねえしな」
ふうと息を吐いたクレイグさんが緑色の竜の仔に『良かったな。良い名前を贈ってやれそうだ』と呟きました。彼の言葉を聞いて、なんだかプレッシャーが襲ってきたような気がしますが……でもやはり良い名前を贈ってあげたいというクレイグさんの気持ちは理解できるので、私も頑張らなければなりません。
「でも、クレイグさんは領地運営の勉強をなさっているとナイさまが教えてくださいましたよ」
クレイグさんは知識を持っていないと先程仰りましたが、ナイさまの話によれば夜な夜な自室でお勉強をしているとか。領地運営のことを学んでいるようですが、他にも興味があることを書物で理解しようとしているそうです。
「アイツ、余計なことを……まあ、ジークフリードもできてんだから、俺にできない道理もねーなって。最初は商家で下働きとして生きていられりゃ良いかって考えていたけど、状況が変わったからな」
クレイグさんがむっとした顔になって直ぐ、息を吐いてジークフリードさんのことに言及されました。同性として負けたくないという気持ちがあるのでしょうか。幼馴染なので勝ち負けというより、劣っていたくはない、仲間に恥を掻かせるわけにはいかないという気持ちなのかもしれません。
クレイグさんも波乱の人生を歩んでいるのではないでしょうか。孤児として貧民街で過ごし、教会の孤児院に預けられ、商家の下働きとして勤めていたのに、ナイさまが凄く顔が広くなったお陰でクレイグさんはアストライアー侯爵家麾下第二位の家の当主になったのですから。四大陸中から贈られた品を片付けるのに苦労をしたとか、急に領地を任されるようになったとか、クレイグさんにお会いする度に大きな話があります。
「もうこれ以上の出世はないけど……――」
「――ナイがなあ」
「――ナイさまですからねえ」
クレイグさんと私の声が重なって、お互いに肩を竦めました。緑色の竜の仔は私たちの話についていけていないようで、首をこてんと傾げています。凄く可愛いなあと私が竜の仔を見つめれば、どうしたのと言いたげにこてんと首を傾げます。
アルバトロス王国の王城で過ごしているワイバーンさんたちも可愛らしいのですが、肩乗りサイズの小さな竜の仔はまた別格ではないでしょうか。私を見て小さく笑ったクレイグさんは息を吐いて口を開きました。
「図書室から名前図鑑持ってきてもらうか」
どうやらクレイグさんは緑色の竜の仔の名前を決めるようです。私も彼のお手伝いができれば良いなと頷きました。
「そうですね。お名前は早く決めるに越したことはないでしょうから」
クレイグさんが呼び鈴を使い、侍女の方を呼んで用件を告げました。図鑑がくるまで少し待っていようと仰った彼は私が話すより先に言葉を発します。
「教会はアリアと俺の婚約をどう考えているんだ? 筆頭聖女を掻っ攫った奴ってなってないか? アリアの立場が悪くなったりしてないよな?」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐクレイグさんは珍しいのではないでしょうか。でも教会内での私の立場を凄く気にしてくださっているので、周囲を気にする彼らしいというか。
「大丈夫です! カルヴァイン枢機卿も、神父さまもシスターもアストライアー侯爵家と縁ができたと喜んでくださっていますよ」
教会の皆さまはクレイグさんと私の婚約を凄く良いことだと喜んでくださっております。やはり、四大陸中に名を轟かせ、屋敷に女神さまが滞在なさっているナイさまを教会は無下にはできないのですから。私の答えを聞いたクレイグさんはそうかと頷いてくれるのですが、直ぐにまた心配そうに私を見つめます。
「変な奴がいたら直ぐに報告しろよ? 自分で解決できるなんて考えるなよ? 俺も手を貸してやりたいけど、教会の中では無理だからな」
小さい子供ではないですし、教会ではロザリンデや神父さまかシスターが常に私の側に控えてくれています。でも、よく考えるとクレイグさんは私のその姿を見る機会は少ないですし、神父さまやシスターたちが信頼に足るのか彼には分からないはず。だからこその心配と分かり、また私の心が満たされていきます。私が添い遂げるのは彼しかいないと考えていると、婚姻の時期や結婚式はどうしたいと問われました。
「婚姻の時期は少しでも早ければ嬉しいです」
彼から告白を受けた時に『まだ未熟で地位もなにもかも足りないけれど、アリアを幸せにする気持ちだけは誰にも負けない。だから俺と婚約してください』と告げられましたが、どうして彼は今の地位に満足していないのでしょうか。
私は筆頭聖女ですが、筆頭聖女であることを理由にクレイグさんがご自身を卑下するのは少し違うというか。婚姻を果たして彼の妻となれば、少しはクレイグさんの心の負担を軽くできるのではないでしょうか。
「待ってくれって、言われるかと」
クレイグさんが不思議そうな顔で告げました。彼は私が直ぐに婚姻を果たしたいことが意外だったようです。
「私はクレイグさんのことが大好きですから。本当は直ぐにでも式を挙げて婚姻したいですよ? でもいろいろと準備もありますからね」
クレイグさんの心の負担を少しでも軽くしたい気持ちもありますが、婚姻を果たせば彼と過ごす時間が確実に増えるでしょう。好きな方と過ごす時間はとても愛おしい気持ちになれます。
「クレイグさんとの子供も楽しみです!」
クレイグさんと婚姻をすれば子供を儲けることになるでしょう。
「ぶほっ!!」
息を勢いよく吐いたクレイグさんに緑色の竜の仔が少し驚きました。クレイグさんは『驚かせたな、悪い』と伝えると、緑色の竜の仔は一声鳴くと落ち着きを取り戻します。クレイグさんは口元を拭って私に視線を向けますが、顔が赤く染まっていました。
「いや、そりゃ……そのうちにとは……その、アリアからその言葉がでてくるとは考えてなかった」
「ナイさまとジークフリードさんたちに、エーリヒさんとフィーネさんに、ソフィーアさんにギドさまとセレスティアさんとマルクスさまの子たちと遊んでいる姿を描けば、凄く良い未来だなって」
クレイグさんは私と婚約を結ぶことに必死だったのかもしれません。クレイグさんから告白を受けてからの私は、歩む未来をいろいろと考えていました。子供は凄く可愛いです。きっと実の子であればもっと可愛いのでしょう。少し先の未来に私が小さく笑っていれば、クレイグさんは照れ臭そうに手を頭の後ろに回しました。
「そうだな。あとサフィールとリンの子もその中にいたら俺は嬉しい」
そういえばサフィールさんとジークリンデさんも婚約を結んでおられます。お二人の婚姻式はいつ執り行うのでしょうか。一緒に挙げられたら素敵かもしれません。
「ジークとナイの子に男ができたら凄いことになりそうだな」
クレイグさんは片眉を上げながら苦笑いを浮かべました。
「四大陸中から、釣書がたくさん届きそうですよね」
私も小さく笑いながら、ナイさまがたくさんの釣書に頭を悩ませている姿を簡単に想像することができました。一先ずは私のお父さんにも挨拶を終え、教会と王国の許可も下りたので、あとは婚姻に向けて動いていきましょうとクレイグさんと話していれば、名前図鑑が届くのでした。




