1714:ご挨拶返し。
陽の沈む少し前。アルバトロス王都にある一番大きな教会にある一室に私は佇んでいた。
机の上に並べられたティーカップは西の女神さまがアストライアー侯爵家でご使用なされたものである。今回、筆頭聖女であるアリア・フライハイト嬢とアストライアー侯爵家麾下第二位となるクレイグ殿との婚姻が決まった際に秘密裏に侯爵閣下から教会へ贈られた品となる。
クレイグ殿には黙っておいてくれと侯爵閣下から頼まれているのだが、目の前の品を公開すれば直ぐに感づかれるだろうから大衆の目に晒せるものではない。ベナンター子爵殿から預かっている選定の王冠は公開可能となっており、信者の方の数も増えているので問題はないが……本当に預かってしまって良いものだろうか。
聖王国との兼ね合いもあるため、彼の国の教皇猊下に相談した方が良さそうである。教皇猊下も神の信徒であらせられる故に驚いてしまうかもしれないが。ふうと私が息を吐けば背後から気配を感じてそちらへと顔を向ける。そこには私の婚約者であるロザリンデがこちらへと歩いてきていた。
「アウグストさま。顔色が優れません」
「ああ、ロザリンデ。いや、その……女神さま由来の品を預かって良いものかと考え込んでしまってね」
ロザリンデが落ち着いた声色で私に声を掛けてくれた。彼女は視線にティーカップを捉えたのか私の言葉を聞いて苦笑いを浮かべた。彼女は筆頭聖女に次いでアストライアー侯爵閣下と懇意にしている。
西の女神さまと南の女神さまもロザリンデのことを覚えてくださっており時折会話を交わすそうである。夏には西大陸と東大陸の間にある島に赴けば、ロザリンデは女神さま方と一緒に寝ることもあるそうだ。もちろんアストライアー侯爵閣下や他の者もいるのだが、私であれば緊張のあまり一睡もできずに朝を迎えそうである。ロザリンデは少し緊張するものの、昼の時間に遊んで疲れているため寝てしまうとか。
「ナイさまのことですから軽い気持ちで贈られたような気がしますわ。侯爵家のお屋敷には女神さま由来の品がたくさんありますから」
「ええ。しかし選定の王冠がアルバトロス王国教会にあるというのに、女神さま由来の品をお譲りいただけるとは……」
選定の王冠を所蔵しているだけでも凄い偉業だろう。聖遺物を見つけ出したベナンター子爵は信心深い方なのか教会に預けることを選択された。私はその話に驚いたものの、彼と直接会って話をすれば凄く感じの良い青年であった。物腰柔らかく、誰にでも分け隔てなく接する方と言えば良いのだろうか。だからこそ聖王国の大聖女さまが彼に惹かれたのだろうと凄く納得できた。
横にロザリンデが並べば、私はもう一度ティーカップへと視線を向ける。
「クレイグさんとアリアさんのことを慮ってのことでございましょう。アルバトロス王家にも許可を願い出たようですから」
ロザリンデが綺麗に笑い私を見る。私は彼女の美しい表情が直視できなくて、少し視線を逸らしてしまった。私より彼女の方が二つ歳が上であるものの、歳の差はあまり感じられない。治癒院で真面目な顔を浮かべながら患者の方に術を施す姿も微笑ましい――彼女は治癒魔術は苦手としている――し、教会の祭壇で祈りを捧げる姿は誰よりも美しい。
……頭の中の思考が変な方へと向かっていると私は首を軽く振る。
教会上層部は筆頭聖女の伴侶をどうすべきかと悩んでいた。アリア嬢が望まないのであれば、先代の筆頭聖女さまのように未婚のままでいることもできる。聖女という称号を与えられているため、未婚のままでも問題にはされない。
引退すればアルバトロス上層部から爵位を賜り年金で生活することになる。だから聖女の座から退いても生活に困ることはない。婚姻すれば筆頭聖女の子として、女児なら聖女になれるかと期待されるし、男児でも魔力量が多いかもしれないと期待される。
どう転んでも良かったのだが、アリア嬢が望んだ婚姻ならば教会は口を出すことはない。もちろん相手が素行不良のものであれば教会も全力で婚姻を止めるものの、アリア嬢の相手はアストライアー侯爵家麾下の者である。
「侯爵閣下の情の厚さには私も助けられたけれど……まさかこんなことになろうとは」
また教会が聖遺物を所蔵することになろうとはと私は苦笑いを浮かべる。
「ナイさまですもの」
ロザリンデは私の表情を見て肩を小さく竦めた。とりあえず盗まれないように宝物庫に仕舞わなければ。もう一人のアルバトロス王国教会の枢機卿は目の前の品を見るなり気絶したから、誰か他の者を呼んで大事に丁寧に扱わなければ。割ってしまえば大事だと私がロザリンデに告げれば『そうなるとナイさまは同じような品をまた贈ってくださいそうですわ』と片眉を上げて笑うのだった。
◇
陽が沈む直前。クレイグがフライハイト男爵領から飛竜便の竜のお方に乗って、アストライア侯爵領領主邸へと戻ってきた。
クレイグが戻ってくる時間はだいたい決まっていたから、窓の外を眺めていれば五頭の竜の姿が見える。私はジークとリンとサフィールと一緒に自室から出て長い廊下を歩いて庭を目指す。
そうして竜から降りたクレイグの姿を認めるなり、アリアさままで一緒に戻ってきたようだ。軽い足取りでアリアさまが竜の方の背から降りれば、一緒にフライハイト領へと向かっていた小型の竜の方も一緒にこちらへとくる。アリアさまは凄く嬉しそうに、クレイグは少し照れ臭そうに私たちの前に立つ。
「ご当主さま、ただいま戻りました」
「ご挨拶をと考え、クレイグさんと一緒にこさせていただきました。この度はいろいろと手配してくださり、感謝致します。アストライアー侯爵閣下」
ふうと息を吐いたクレイグは少し大人っぽく見えるのは気のせいだろうか。アリアさまはクレイグの横で満面の笑みを浮かべている。フライハイト男爵さまは婚姻を断るようなことはしなかったようである。大事な娘は渡せないとキレる父親もいると聞いているものの、フライハイト男爵さまもお貴族さまである。いろいろと加味した上で許可を下したのだろう。私は二人を前にして背を正す。
「クレイグ、無事に戻ってきて安心致しました。アリアさま、ようこそアストライアー侯爵領へ。挨拶は後回しで良かったのではないでしょうか……帰りは如何するおつもりですか?」
クレイグが戻ってきたことは良いけれど、アリアさまはどう戻るつもりなのだろうか。筆頭聖女の務めもあるだろうから、王都にも戻らなければいけないはずだ。私の言葉を聞いたアリアさまは胸を張って答えてくれる。
「竜の仔たちがフライハイト領まで送ってくれるそうです!」
得意げにアリアさまが告げると、小型の竜の方たち四頭も得意げな顔になる。尻尾を振って可愛いけれど少し問題があった。
「もう暗くなってしまいますよ」
夜目が利く仔であれば問題ないけれど、アリアさまは暗闇の中で空を飛ぶのは怖いはずである。大丈夫だろうかと私が首を傾げると、アリアさまとクレイグがしまったと言いたげな顔になった。
「よろしければ泊っていってください。おもてなしは不十分になりますが、寝る部屋はありますから」
私の声にジークとリンとサフィールも片眉を上げていた。フライハイト男爵さまから婚姻の許可が降りて二人は嬉しかったようである。告白も済ませたか聞きたいけれど、クレイグに聞くのは野暮だろう。
フィーネさまが一緒にいる時にアリアさまに聞いてみよう。ロザリンデさまも一緒にいると良いけれど果たしてどうなるだろうか。
十五メートルほどの竜の方にアストライアー侯爵領からフライハイト男爵領までの往復をありがとうございましたと告げれば、アリアさまを明日の朝に連れて戻りますよと答えてくれる。
私がどうしますかとアリアさまに視線を向ければ『よろしくお願いします』と頭を下げていた。対価はどうしますかと問えば、一晩庭で過ごさせて欲しいとのことである。本当にそんなことで良いのかと告げれば、良いのですと十五メートルほどの竜の方が真面目な顔で頷いた。小型の竜の方がいうには『魔素溜める~』『一晩でも他の所より良いよ~』と声に上げた。
『お恥ずかしいのですが、そういうことです』
十五メートルほどの竜の方が顔を下げながらそう告げた。どうやら一晩屋敷の庭で過ごしたい理由がバレて恥ずかしいようである。小型の竜の方四頭も一緒に一晩明かすとのことで、畑の野菜を食べて良いかとか、天馬さまやグリフォンさんたちと遊んで良いかと問うてくる。
『ご迷惑をお掛けしてはなりません。困っておられたらどうするのです?』
少しだけ目を吊り上げた十五メートルほどの竜の方が小型の竜の方四頭に苦言を呈した。すぐに四頭はしゅんとするけれど、こちらへ顔を向けて尻尾を何度か振る。
『困ってるのー?』
『僕たちいない方が良い?』
『邪魔なのかなあ?』
『駄目かなあ?』
こてんこてんと首を傾げる姿は可愛い。けれどワザとではないかという疑問も湧いてくる。でもやっぱり可愛いんだよなあと目を細めていると、アリアさまも同じ気持ちになっているようだ。
迷惑じゃないから一晩庭で過ごそうねと告げると、四頭の小型の竜の方たちはピューと走り始めた。十五メートルほどの竜の方は申し訳ありませんと告げて謝ってくれる。そうして屋敷の中へ私たちとクレイグとアリアさまが戻れば、玄関ホールで屋敷の皆さまが待っていてくれた。
「おめでとうございます、クレイグ。筆頭聖女アリアさま」
家宰さまが声を上げると、他の方たちもおめでとうと続いた。祝福を上げられた二人は照れ臭そうにしつつ『これからよろしくお願いします』と礼を執る。お客さまが急にきたけれど調理部の方は対応可能だと笑ってくれる。
ヴァルトルーデさまとジルケさまは『やっとだ』『やっとだなあ』と言いたげな顔になっている。今日の食事は少し豪華になっているから二柱さまは楽しみなようで、早く晩御飯にならないかとそわそわしていた。来賓室へ行こうとアリアさまと一緒に廊下を歩いていれば、ふいにアリアさまが頬を膨らませる。
「お父さんも挨拶にと誘ったのですが、固辞されてしまいました。もう少し領主として確りして欲しいですよね」
「挨拶はまたの機会で良いのかなと」
少し膨れているアリアさまに私は苦笑いを浮かべ、来賓室でクレイグが告白してくれた惚気話を聞いていると、晩御飯の準備が整ったと知らせが入るのだった。




