1712:決意。
陛下との謁見が終わり、夜の帳が降りている。俺は陛下から話があると個人的な呼び出しを受けていた。
一体なんだろうと首を傾げながら俺は外務部の執務室から廊下に出て陛下の執務室を目指す。陛下の執務室の立ち番をしている近衛騎士の人と顔を合わせれば、俺が口を開かなくとも『ベナンター子爵殿。少々お待ちください』と声を掛けられた。
顔パスになっているようなと眉間に皺を寄せていれば、中に入るようにと促される。本当に王城の中に馴染んできているのだが、馴染む速さが尋常ではない気がした。陛下を待たせるわけにはいかないので、大股で歩を進めながらも、毅然とした態度でいることを志す。
陛下の姿が見えると、宰相閣下も控えている。そういえば個人的な呼び出しを受けた際は宰相閣下も同席していることが多い。ナイさま関連のことを中心に軽く話して、彼女が考えていることを良く聞かれていた。今回もナイさまのことを聞かれるのだろうか。フソウで病を患っている方に治癒魔術を施したから、そちらの件も含まれそうだった。
「ベナンター子爵、よくきてくれた。座ってくれ。あと、公的なものではないから気楽にな」
「はい。では失礼致します」
小さく笑う陛下に俺は軽く頭を下げる。気楽にと仰ったのだから最敬礼を執るのは失礼になるだろう。宰相閣下はワインセラーへと向かい、難しい顔をしながら今日の一本を選んでいる。
「アストライアー侯爵が次期帝に治癒を施してな」
「うっ」
陛下がふうと息を吐くのだが、少し待って欲しい。今の話は俺も少し前に聞いたところだ。次期帝の座に就く方に治癒を施すとは、ナイさまから受け取った手紙には記されていなかった。フソウで帝の価値は元日本人であれば十分に理解しているはず。なのに一切記されていないなんて……あ、いや。ナイさまの性格上、あまり身分には拘らないところがあるし、もしかすると俺が気を使うからと記さなかったのかもしれない。
いや、でも俺は病気の根治に協力して、帝からお礼状が届くのは予想できただろうから、やはり抜けていたのかもしれない。ロゼさんが俺の下に手紙を寄越してくれた時に知っていれば、俺の心臓がぎゅっとなることはなかったはず。
知っていれば多分、もっと真面目に答えていたというか……もう少し時間を掛けて連絡したというか。とはいえもう過ぎたことなので、なにをどう悔やんでも仕方ない。フソウの帝さまと征夷代将軍であるナガノブさまから凄く丁寧なお礼状を頂いているのだから。
俺が渋い表情を浮かべていると陛下が『アストライアー侯爵だからな』と苦笑いを浮かべる。
そうして宰相閣下がワインを一本手にして陛下の隣でコルク栓を抜く。ぽんと小気味よい音が鳴り、用意されていたワイングラス三つにゆっくりと中身が注がれていった。
「五十年モノです。深い味わいが楽しめるかと」
宰相閣下の言葉に陛下が『良いものを選んだな』と感心している。俺は正直ワインの味は分からず、前世で飲んでいたキンキンに冷えたビールの味くらいだ。ワインは安物を買って料理に使っていたくらいで、本格的に味を気にするようになったのはつい最近である。
陛下と宰相閣下はワインに通じているため、ワイン初心者の俺は少しばかり居心地が悪いというか。家でもフィーネさまと晩酌でワインを飲んでいるが、陛下の執務室のワインの高級さには敵わず、恐縮してしまうばかりというか。
「ご相伴に預かります。何分、経験が浅いためきちんとした評価を下すことができません……ご容赦ください」
俺に差し出されたワイングラスを受け取る前に言葉を発すれば、陛下と宰相閣下が苦笑いを浮かべた。
「なに、気軽に飲めば良い。味の理解は十年も飲めば分かるようになるさ」
陛下が軽く笑った。謁見場で見せるような表情ではなく、凄く柔らかいものである。今のお姿が陛下の素に近いものになるのだろうと、俺はワイングラスを手に取った。
三人でグラスを軽く合わせ『乾杯』と声を上げる。一国の王さまと私的な時間に俺が一緒にワインを飲むようになるなんて本当に信じられない。グラスを回したあと、鼻に近づけて香りを楽しむ。
少しだけ含んで口の中でワインを転がした。味は……どうだろうか。陛下と宰相閣下と一緒に飲んでいることで、フィーネさまと一緒に飲むワインの方が美味い気がしてならない。五十年モノだから美味いはずなのに、状況的に苦味が強く感じてしまうというか。俺はふうと息を吐き話を元に戻すべく、陛下と宰相閣下の方へと視線を向ける。
「陛下、アストライアー侯爵閣下がフソウの次期帝に治癒を施したと仰っていた件ですが……」
「本当のことだ。ベナンター子爵も協力したのだから、知っているだろう?」
「そうですね……しかし次期帝に術を施したとは知らず、覚えていた知識を使って助言を送ったのですが……知っていれば精査してから手紙を送ったのですが」
俺が愚痴に近い言葉を吐くと、陛下が気を取り直せと告げて言葉を続けた。
「今回、侯爵は旅行としてフソウに赴いたからな。人手が少なかったことが仇となったか」
ふうと息を吐いた陛下は小さく笑い、宰相閣下は片眉を上げている。そうか。本来の側仕えである二人は産休期間でナイさまと一緒に行動していない。新婚旅行ということで、お付きの者の数はなるべく減らしていたはず。側仕えと称して一緒にフソウへと向かったのは西の女神さまと南の女神さまだった。ジークフリードもナイさまの伴侶として向かっているから、アルバトロス王国への報告が遅れたことは仕方ないのだろう。
「今回の件でフソウはベナンター子爵に相当感謝していてな。伯爵位に陞爵する話を少し早めようと私は考えている。あと小さい領地ではあるが、ベナンター子爵に任せたい」
陛下がうんうんと頷いている。有難い話ではあるものの、棚から牡丹餅過ぎて受け取って良いものか迷う。しかし将来のことを考えると、少しでも収入を増やしたいし、子供ができたなら飛び地の管理を将来任せることもできる。悪い話ではないと俺は前を向き、陛下に感謝を述べてよろしくお願いしますと告げた。そうして前祝だと百年モノのワインを開けてくれるのだった。
◇
ジークと私がフソウから戻って二週間が経っている。
婚姻式の騒がしさも、フソウへ新婚旅行に向かい溜まっていた執務もどこかへと消えている。ジークと私が二人で過ごす時間が増えると共に、リンとサフィールが一緒にいる時間が増えた気がする。二人は婚約しているから問題はないけれど、上手くやっていけるのか。サフィールはいつも通りに過ごしているけれど、リンが時折変な方向へと進むことがあるので少し心配だ。
いつも通りの日常が戻っているのだが、お昼前の執務室で作業をしていると外からトンカントンカンと小気味よい音が届いている。
別邸を解体して天馬さまの森に移築する話がようやく進むことになった。けれど、別邸のあとには規模を半分にした倉庫が新たに建てられることになる。多くなった天馬さまやグリフォンさんたちの居場所にと別邸移築計画を発案したのに、本末転倒というかなんというか。
でも各国から届く贈り物の保管場所に困っており、天馬さまやグリフォンさんたちに断って倉庫を建てることになったのだ。大工さんたちの仕事斡旋の側面もあるから、こればかりは天馬さまとグリフォンさんたちには我慢して貰う他ない。ただ私たち側の事情を理解してくれているため、割とすんなり天馬さま方とグリフォンさんたちは受け入れてくれている。倉庫の完成はまだ先だし、別邸の移築完了もまだまだ先だ。
天馬さまの森の側を開拓は終了しているから、別邸の解体を待つのみ。解体した荷の移動は天馬さまとグリフォンさんたちがメインで担ってくれ、お手伝いとして小型の竜の方もちょこちょこと手伝ってくれている。馬さんたちの仕事を奪っている気もするけれど、重い荷物を運ぶから魔獣や幻獣の皆さまの方が適しているので、馬さんには他の仕事を頑張って貰おう。
ぎゅるるとお腹が鳴りそうなお昼前、私の執務机の前に家宰さまが立った。どうしたのかと私は握っている筆を置き彼と視線を合わせる。
「ご当主さま、クレイグが話したいことがあると」
「クレイグが? 承知しました」
どうしてクレイグがと私は首を傾げると、家宰さまが片眉を上げている。ということは家宰さまはクレイグが執務室に顔を出す理由を知っているようだ。今日はクレイグが執務室に訪れる用事はなかった。だというのに訪れるということはなにか大事な話があるのだろう。しばらく待っていると家宰さまに案内されたクレイグが私の前に立つ。少し緊張した面持ちだから大事な話があるのだろう。私は背を伸ばしてクレイグと視線を合わせる。
「ご当主さま、失礼致します」
先に口を開いたのはクレイグだった。私はいきなりやってきたクレイグがなにを告げるのかと少し緊張している。
「如何なさいましたか、クレイグ」
私の口調が丁寧なものになれば、クレイグは片眉を上げるもののいつものように突っ込んではならないと小さく首を横に振っていた。
「アルバトロス王国教会、筆頭聖女であらせられる、アリア・フライハイトさまに婚約を申し出ようと考えております。ご当主さまのご許可を頂きたく、本日は参らせて頂きました!」
クレイグの言葉に家宰さまが笑みを浮かべ、セシリアさまが『ようやく決断を』と呟き、アルティアさまが扇を開いて『男を見せる時ですわね』と小声で囁いた。クレイグはお三方に驚くものの、私がなにか行動に移したと勘づいたようである。
「もちろん構いません。心置きなく告白をなさってください」
クレイグの緊張の理由が分かって、私は苦笑いを浮かべた。アリアさまにクレイグが告白することは前に知っていた。ただクレイグはアストライアー侯爵家に迷惑を掛けてはいけないと事前に知らせてくれたようである。アリアさまとクレイグの婚約、婚姻の根回しは済んでおり、アルバトロス王国上層部もアルバトロス王国教会も許可は下っている。ただ少しクレイグの身分が低いことが問題となっているくらいである。
ただ、ネーベルハイム領の統治をクレイグに任せるから、アストライアー侯爵家第二位の麾下では駄目かと問い合わせればOKと返事がきた。どうして筆頭ではないのかと問われもしたが、リンとサフィールに与えたい旨と理由を添えれば納得してくれた次第である。
「条件を付けるのであれば、必ずアリアさまを幸せになるようにクレイグがしっかりと支えてくだい」
「は」
私の言葉に短くクレイグが返事をくれて部屋を出て行く。
「微笑ましいですわねえ」
「少し貴族のしきたりとは違いますが」
アルティアさまが扇を閉じ、セシリアさまが小さく息を吐いた。たしかに貴族流でいくなら命令を下して強制婚約や婚姻が多いからなあと私は苦笑いを浮かべる。それでもこうしてお互いが惹かれ合って婚姻するのであれば、良いことだろうし、クレイグの告白が成功しますようにと願うのだった。いや、うん。百パーセント成功するけれど。




