1710:ただいま。
ヒトミチさまの様子が気になるところだけれど、長期滞在としての予定は立てていない。
密に連絡を取りましょうという約束をフソウと取り付けた私たちはアルバトロス王国のアストライアー侯爵領領主邸へと戻っている。玄関へ入るなり、屋敷の皆さまに出迎えられ挨拶を終えたところだ。
リンの機嫌が少し悪いから、あとで話を聞かなければと決め、着替えのためにいったん部屋へと戻る。そうしてユーリの部屋へ向かおうと部屋を出れば、リンが待っていてくれた。いつもであればリンは私が着替え中でも部屋の中へと入ってくるというのに、どうして外で待っていたのか。片眉を上げながら、不機嫌は継続中かなと私は小さく笑う。
「入って良かったのに」
「うん」
リンの頭の上に生えた犬耳の幻がぺしょんと前に倒れた。なんだろう。一週間弱離れることは稀だったから、リンの中でいろいろと思う所があったようだ。
とはいえこれからは長い期間離れることはないだろうし、もし離れるのであればリンとサフィールが婚姻した時ではないだろうか。新婚旅行はアルバトロス王国に根付いていないけれど、余裕があるなら出掛けても良い筈だ。その時は私がリンのいない寂しさに耐えられるか分からないけれど。兎にも角にもジークと私が留守の間、屋敷で過ごしながら守っていてくれたことは事実である。私はリンの側に歩み寄り、顔を見上げた。
「お土産、買ってきたから楽しみにしていて。いつも一緒にお出掛けするから、リンのお土産選ぶの楽しかった」
いつも一緒に行動しているから旅行先であれいいね、これいいね、というのはあったけれど、リンにお土産を贈る機会はなかった。だから今回、お土産屋さんでリン向けのお土産を選ぶのは楽しかったし、ジークと一緒に悩むのも不思議な感覚を覚えたものだ。
海外向けに真珠のイヤリングやネックレスを取り扱っていたから、リンに似合うかなと選んでみたけれど気に入って貰えるだろうか。他には日持ちするお菓子をたくさん買ってきた。ヴァルトルーデさまとジルケさまは自分用の品を大量に買いつつ、普段お世話になっている屋敷のみんなにも買って帰りたいと乞われたためお金を渡している。
残るものよりも、消えものの方が良いだろうと食べ物やお菓子がお薦めと伝えておいた。二柱さまがなにを買ったかまで確認するのは失礼だから、変な品は買い付けていないと信じたい。温泉旅行は楽しかったし、ゆっくりできたけれど、リンは屋敷でどう過ごしていたのだろう。夜に話せるかなと首を傾げれば、満面の笑みを浮かべるリンの腕が私へと伸びてくる。
「ありがとう、ナイ!」
ぎゅっと私の胸の周りを抱きしめ込んだ二本の腕は万力の様に締まっていく。どこにそんな力があるのかと疑問を呈す前に口から声が漏れていた。
「し、締まる!」
私がリンの腕をタップすれば『あ、ごめん』としゅんとしながらリンが腕を離してくれる。感情が高まると私を抱きしめる癖は直さないとねと告げれば、リンが『えー』と言いたそうな表情を浮かべた。
まあ、良いかと片眉を上げた私はリンにユーリの部屋へ行こうと告げる。分かったと頷いてくれるリンと一緒に一階に降り、ユーリの部屋の前に立つ。取次ぎを受けて部屋へと入ったリンと私に気付いたユーリが遊んでいた床から立ち上がって、こちらへとことこと駆け寄ってくる。本当にユーリは日々成長しているなと私は感動しながら、ユーリの脇の間に両手を挟み込んだ。
「ユーリ、ただいまー! お土産一杯買ってきたよ~」
「ねーね、おかえりなさい」
私は抱き抱えたユーリのずっしりと重さを耐えていると、おみゃげ! とキャッキャと声を上げる。リンが私に似てきていると言っているが、ユーリは確実に私より美人さんへと成長することだろう。異性の目を引く容姿になったら変な虫がたくさんつきそうだからと、私はユーリの頬を指先でちょんちょんと触れる。
「ふふ。ユーリは可愛いねえ。ほっぺぷにぷに」
子供特有である肌のモチモチさにやけが止まらない。けれど一方的に受けているユーリは顔を一瞬で顰める。
「やめちぇ!」
「おっと。ごめんね、ユーリ」
私は苦笑いを浮かべて抱き上げていたユーリを床にゆっくりと下ろした。乳母の方にユーリのお土産と彼女たち用のお土産を渡せば深々と頭を下げてくれ、リンと私はユーリの部屋から出て行った。
一旦自室へ戻って買ったお土産を取りに行こうとリンと一緒に廊下を歩く。私は部屋を出て行く前に乳母の方が持ったお土産に即興味を示したユーリの姿に苦笑いを浮かべた。私がこっそり笑っているとリンがどうしたのと顔を覗き込んでくる。
「お土産には敵わないなって」
「そうだね。他のみんなには渡したの?」
私の言葉にリンは表情を苦笑いに変える。他の方たちにはまだお土産を渡していないから、部屋に戻って各部署の代表の方へ渡しに行くつもりだ。細々としたものは、というか人数が多くてどうしても量が必要になってくるから私が持てる量だけを部屋に置いている。残りのお土産は一旦保管庫に入れてあり、適宜各部署の方たちが回収してくれる。お高い品や大事な方に渡すお土産は私が管理しているけれど。
「ううん、ユーリが最初。リンのも先に渡そうか?」
私の声にリンは夜で良いと答えてくれる。それならと私は各部署の皆さまにお土産を渡しに行こうと、リンと一緒に部屋に戻り荷物を回収してまた部屋を出て行く。
各部署の長の方はありがとうございますと丁寧に礼を執ってくれるのだが、もう少し軽い調子にならないだろうか。でもまあお貴族さまの世界だから無理だなと片眉を上げながら、私は屋敷の中を歩き回るのだった。
◇
――アストライアー侯爵領領主邸。調理場。
ご当主さまがお戻りになられて、屋敷の中の少し寂しさが漂っていた雰囲気が霧散している。さて、今日からまた気合を入れ直して料理を作っていかなければと、私は調理部の長として頼もしい同僚を見つめた。
「今日はご当主さまがお帰りになられた! フソウの料理の方が美味しいなんてご当主さまに言われた日には、我々は全員で退職願いを出さなければならない! 心して掛かろう!!」
私が調理場で声を張り上げれば、他の者たちから野太い声が返ってくる。そうして今日の晩餐に出す予定の品の下拵えを始めようと包丁を持った。最近、ご当主さまから我々調理部の者たちに賜ったドワーフ製の包丁を使うことに抵抗感が消えている。
最初こそ包丁の柄を持つ際にプルプル震えていたというのに、今ではドワーフ製の包丁がなければ綺麗に野菜や果物を切れない自信があった。調理部の他の者たちも同様で、回収されたらどうしようと困り顔になった者もいる。本当に恵まれた環境だと小さく笑っていると、西の女神さまと南の女神さまが調理部に顔を出した。一体どうなされたんだと私は包丁を置いて、二柱さまの下へと向かった。
「いつもありがとう」
「おう。美味い飯、ありがとな。これ、フソウ土産だ。ナイが日頃の感謝を伝えるなら良い機会だろうってよ」
西の女神さまが持っていた袋を掲げて私に差し出す。つい、勢いで受け取ってしまい目を回していると、南の女神さままで袋を差し出して『みんなで食べてくれ』と仰った。
どうやらフソウに出掛けていたからお土産を我々に用意してくれたそうである。しかしご当主さまは女神さま方になにを吹き込んでおられるのか。いや、でも反射的に受け取ってしまったから、今更返却するのは失礼千万。
「ヴァルトルーデさま、ジルケさま、ありがとうございます! 調理部一同で食させていただきます!!」
南の女神さまの土産物も受け取った私は頭を下げる他ない。すると二柱さまは嬉しそうな顔を浮かべ『ご飯楽しみ。戻ってきた感じがする』『だよなー。邪魔しちゃ悪いから行くなー』と告げられて、調理場から出て行かれる。
私は緊張で周りの者たちの反応に気付いていなかったのだが、女神さまがこられたということで皆も手を止めて様子を見ていたようである。私がくるりと踵を返して、同僚たちの顔を見渡した。
「お、おい! 料理長が女神さま方からお土産を頂いてしまったぞ!?」
いや、私の所為にされても困るのだが。つい受け取ってしまった私も確かに悪いのかもしれないが。
「た、た、食べて良いものなのか!?」
袋の中身は豆菓子のようだから、食べても良いのだろう。ただし、女神さまからの贈り物という注釈がつく。
「食べないと逆に不敬にならないか?」
そう。食して感想を女神さまに伝えねば失礼に当たるだろう。ということで我々調理部全員は問答無用で女神さまから賜ったお土産を頂かなければならない。
「ご当主さまも何故、止めてくださらない!?」
ご当主さまは大陸各国へ飛び回ることがある。その際には向かった先の野菜や果物に調味料を仕入れられることが多い。そして料理のレシピも買い付けてこられる。再現できるかと頼まれ料理を作ることが多々あって、迷惑料だと言ってお土産を我々に大量にくださる。向かった先の菓子を買われて我々に渡してくれるのだが、どれも美味しい品である。ご当主さまから土産物を頂くだけでも恐縮だというのに、まさか女神さまからも頂くことになろうとは。
「みんな、心して食べよう。女神さまから賜ったものだ……残してはならんだろう」
「……は、はい」
「う、うっす」
私の言葉に皆が力なく答えてくれる。とりあえず一旦調理の手を止めようと私は再度皆に声を掛けた。そうして私は紙袋の中身を取り出して、皿の上に盛り付けた。フソウ特有の豆菓子なのだろう。見たことのないものがたくさん入っていた。
「よし、せーのでいくか……!」
私が皿に盛った豆菓子を一つ摘まみ上げる。私の声に皆も豆菓子を一つ摘まんだ。皆で視線を合わせれば言葉もなく、豆菓子を握った手を口へと運んだ。
「美味いな」
「ショウユの味か。豆と合うんだな」
「こっちはセンベイか。サクサクで仄かに甘さを感じられる」
女神さまから頂いた貴重な品だというのに、美味しいと分かれば手が止まらない。出勤日ではない者や夜勤の者の分を残して、あとは全て豆菓子を食べ切った。なんだろう。女神さまから頂いた品だというのに、罪悪感が湧いてしまうのは。
直ぐに食べ切ったことが悪かったのか、それとも女神さまから頂いた品を食べた者という栄誉を頂いたことがそう思わせるのか。分からないが、とにかく……ご当主さまには女神さまからお土産は控えてくださるようにとお願いしなければならないだろう。
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