1709:一方、侯爵邸では。
フソウの武家や公家に富裕層の方たちには肉食は浸透していないそうである。
四方を海に囲まれている島のため、魚の方が安価に手に入りやすい。肉は猟師の方たちが獲ってきたものを村や町で消費するため、大きな都に届くことは滅多にないとか。畜産業も盛んではなく、卵を産まなくなった鶏や烏骨鶏を食べるくらいだとか。
豚肉は脚気を治すために有用な食材だからどうにかならないだろうか。ロステート伯爵さまに頼んでフソウに輸出して貰うのもアリかもしれない。輸送費で随分と高くなりそうだが、商売相手は貴人である。肉食に慣れさえすれば良い販路になるかもしれない。豚肉を融通して貰っているロステート伯爵さまには恩があるから相談してみよう。あと当然、買う側となるフソウの皆さまにも。
来賓用の部屋で帝さまとナガノブさまとヒトミチさまと私たち一行は病気について語り合っているところである。皆さまは食べ物が影響して病気になるとは全くこれっぽっちも考えていなかったものの、理由を知ればなるほどなと納得できたようだ。
他にもヒトミチさま同様の症状の方がいるそうで、治す方法を教えても良いかと皆さまに問われる。これを見越していたのかエーリヒさまは手紙でフソウのためになるなら、周知してもOKと書いてくれていた。本当にエーリヒさまは機転が利くなと、私は感心しながら試してみたいことがある旨を伝えなければと口を開く。
「帝さま」
「どういたしましたか、ナイ?」
帝さまが私と視線を合わせてくれる。彼女の側にいる雪さんと夜さんと華さんも顔を私に向け小さく首を傾げた。大したことではないし、成功するか、取引が始められるのかさえ分からないけれど、一先ず伝えてみないことには一歩を踏み出せない。
「フソウでは豚を食す機会が少ないと聞き及んでおります。病気を治すためにも、豚肉を食べる機会を設けてみませんか?」
私の言葉にナガノブさまが『上手い肉が食える!』と笑みを浮かべた。そういえばナガノブさまはアストライアー侯爵邸で牛肉も豚肉も他の肉も美味しそうに食べている。彼は目新しいものに抵抗はないようで、とりあえず食べてみなければ美味しいかどうかは分からない。食べれるかどうかは周りの者が食べていれば問題ないという考えの持ち主だった。
じっくりと大きな肉の塊を焼くヤーバン王国の料理にも興味を示しており、アリーさまと食べる約束を取り付けたとか、いないとか。まあ、なににせよフソウで肉食が広まれば、フソウ独特の料理が誕生するはず。時代が少し違うけれど、シチューを作るつもりが材料がなく、肉じゃがになったという話もあるのだから期待せずにはいられない。
「良いことではありましょうが、保守的な者が多いですからね。異国の文化を受け入れられるかどうか。ナガノブのような者が多くいれば話は簡単でしょうけれど」
帝さまがナガノブさまを見ればドヤと胸を張った。ヒトミチさまはナガノブさまの態度に呆れるも、仕方ないなと言った感じである。帝さまはどうしようか迷っているようで、返事は直ぐにこなかった。その間に良い表情を浮かべたままのナガノブさまが声を上げる。
「ナイ。儂が買い付けても良いか?」
「豚肉を取り扱っている方にまだ話を通していないので、ご破算になる可能性があることを承知して頂けるならば」
私が片眉を上げればもちろんとナガノブさまが答えてくれる。あとはロステート伯爵さま次第だろう。ナガノブさまであれば美味しい品があると各大名の方に披露できるだろうし、病気を治すために一役買ってくれると触れれば『薬』として豚肉を食べてくれるかもしれない。フソウで豚肉の扱いがどうなるか楽しみだなと私は笑みを浮かべ、話を終えるのだった。
◇
陽が沈む頃。アストライアー侯爵領、領主邸。
ナイとジークがフソウへと旅行に出向いているため、リンは凄く寂しそうにしている。僕たちは貧民街からずっと一緒に過ごしているけれど、ナイが聖女として活躍していた期間は少し離れていた。
でもリンは教会騎士としてずっと側に控えていたから、ナイが長期間側にいないことに慣れないようである。感情が表にでる子ではないし、心の内に溜め込んでしまうことが多いから少し心配だと僕は彼女の様子を伺っていた。
「おい、サフィール。いつもぼーっとしてるリンが余計に酷くなってんぞ。大丈夫かよ」
「大丈夫じゃない気がするね。ナイとジークといつも一緒だったから、どうやって時間を過ごせば良いのか分からないみたい」
クレイグと僕は東屋でネルを肩に乗せてぼーっとしているリンを遠くから見ていた。ナイとジークが旅行に出かけて一日目は普通に過ごしていたけれど、二日目になるといつもいる人がいないと違和感を受け始めたようだ。三日目、四日目となってついにリンは『寂しい』という気持ちを自覚したようである。本当に三人一緒の時間が長く、離れないまま彼らは過ごしてきたのだなと僕は苦笑いを浮かべる。
「石を投げたら当たりそうだな」
「あとが怖いよ、ソレ。あと女の子に石を投げたら駄目だからね?」
クレイグが目を顰めながら僕に言葉を掛けるけれど、仮に石を投げてリンに当たれば僕たちはボコボコにされるのがオチだろう。そうならない可能性もあるけれど、投げた本人は確実にリンの怒りを買うはず。僕がやめようねと伝えれば、クレイグは肩を竦める。
「やらねーよ! 冗談だ、冗談!」
クレイグははあと息を吐き、東屋でぼーっとしているリンを見る。
「ま、サフィールはリンの未来の旦那さまだ。どうにかしてやれ」
「もちろん、どうにかするけれど、一番は二人が帰ってくることなんだけれどね」
僕は肩を竦め、フソウへ向かっている二人に早く戻ってきてと願う。まあ予定を終えれば戻ってくるけれどリンの寂しそうな顔を見るのは胸が痛む。僕はクレイグにちょっと行ってくると告げ、屋敷の二階から庭の東屋を目指す。リンは東屋にある椅子に腰を下ろしたままだけれど、僕が近づくと一瞬だけ目線をくれる。僕だと分かって視線を戻した彼女はネルの頭を撫でていた。
「リン。大丈夫?」
僕の声にリンが首を傾げる。彼女がなにも言わないのは、口にしなくても良いと判断したからだろう。知らない人がリンに声を掛ければ、視線もくれずに無反応のままである。
本当に身内にしか価値を見出していない子だけれど、僕もリンと同様に仲間内が元気でいきているならば世界や周りがどうなろうと知ったことではないと考える口だ。僕に力はないから、絶対に公言できないけれど。本当に不器用な生き方だなと苦笑いを浮かべた僕はリンの前に腰を掛けた。
「分かってないの? ぼーっとしてたよ」
「そう?」
婚約関係になったけれど、僕たち二人の距離はあまり変わっていない。けれどこうして二人の時間は確実に増えていた。ジークとナイが夫婦になったから必然とリンが一人でいることが多くなったということもあるけれど……僕にとっては有難いことだ。
リンは一人の時間が多くなったことをどう捉えているのだろうか。好きな女の子に寂しい思いはして欲しくないけれど、僕で彼女の心の隙間を埋めることはできるのか。片眉を上げた僕は不思議そうにこちらを見ているリンに苦笑いを浮かべる。
「うん」
僕の声にリンがそうなのかと息を吐いた。どちらにしても東屋に長居をすれば疲れてしまうと、僕は立ち上がってリンに右手を伸ばした。
「もう陽が暮れるから部屋に戻ろう」
「本当だ」
僕の声でリンが立ち上がり伸ばした手に手を添え、屋敷に向かって歩き出す。リンと僕の背はさほど変わらない、いやリンの方が少し高いだろう。もう少し僕の身長が伸びてくれれば嬉しいけれど、二十歳を超えているからもう成長は望めない。
でも、僕もリンも相手の背の高さを気にする性質ではないはずと『今日の晩御飯はなにが出るかな?』と口に出す。するとリンが『ナイと同じことを言っている』と小さく笑った。
ナイとジークが戻ってくるまであと二日。彼女の寂しさを紛らわせることが僕にできるか分からないけれど、なるべく独りになる時間が減るようにしなければと決意する。すると握っていた手が後ろに留まっていて、気付けばリンが立ち止まっていた。リンと視線を合わせれば、風がさっと僕たちの間を吹き抜けた。
「サフィール」
「うん?」
「ありがとう」
彼女の紫色の瞳が僕を射抜いていた。オレンジ色の夕陽と彼女の持つ赤い髪が随分と映えている。僕はなんだか気恥しくなって顔を逸らし『行こうか』と告げた。僕の短い声にリンが『うん』と返してくれたのが聞こえて、手を握ったまま屋敷をまた目指す。
リンと僕の関係は僕が『ナイとジークと一緒にいたいなら、僕と結婚しない?』と迫った。リンは一瞬だけ考える素振りを見せて『分かった』と口にして婚約を結ぶことになったのだ。
ナイが話を聞けば『夢も希望もなくない? それで良いの?』と言いそうだけれど、僕は好きな子が側にいるだけで満足だった。リンは変な相手を添えられるなら、僕が一番良いと選んだとあとで知る。世間一般の婚約関係ではないかもしれないし、歪な関係なのかもしれない。でもお互いに納得しているし、将来について語ることもある。
『愛がどんなものか分からない。でも、サフィールの子供なら産んでも良いかなって。クレイグは……嫌だ』
リンが将来について僕と話していた時に残した言葉だけれど、リンの中では僕がきちんと認められているようだ。とばっちりを受けたグレイグには悪いけれど。リンと僕の歩みはナイとジークより遅いかもしれない。でも確実に距離は近くなっているのだから、焦らなくて良いと屋敷へ戻るのだった。
◇
アストライアー侯爵領領主邸。二階にある廊下。
俺が立っている廊下の窓からは東屋が見える。今丁度、サフィールがリンの手を引いて中へと戻っているところだ。二人が婚約を結ぶ前、サフィールは持ち前の弱気を発揮して『失敗したらどうしよう』とかなんとか言っていたのに、いざ、結ばれれば男としてリンをリードをしている。
「心配なんざ、必要ねえか」
ふっと笑って肩を竦めると、ふいに気配を感じた。
「そうですねえ。ご自身の心配をしないといけませんね、クレイグは」
「か、家宰殿!?」
ぬっと俺の背後に現れた家宰殿はしたり顔で告げ、俺はびくりと肩を震わせる。って、どうして家宰殿が俺のことを知っているんだと言いたくなるものの、上司にそんなことは言えないと口を噤んだ。
ふふと笑みを浮かべて直ぐに俺の下を去って行く家宰殿の背を見た。もしかして彼なりに俺とアリアとの関係の発破を掛けているのだろうか。相手はアルバトロス王国の筆頭聖女を務める者だ。
国の意向、教会の意向、フライハイト男爵家の意向もある。侯爵家麾下にある者でしかない俺に彼女との婚姻は……うん。可能だな。幼馴染のナイがやらかし過ぎていて、多分国も教会も認めてくれるはず。あとはフライハイト男爵家が首を縦に振ってくれるかどうかだけが問題かもしれない。ここで深々と考え込んでも仕方ないし、飯を食いに行こうと俺は廊下を去るのだった。




