1708:ご馳走病。
アルバトロス城の執務室でいつものように執務に励んでいた。
ふと、扉の向こうからノックが聞こえ、取次ぎを頼めば外務卿であるシャッテンが私に話があるということだった。私は執務室に入ってくるように伝えると、近衛騎士がシャッテン卿を連れてくる。
シャッテンとは随分と長い付き合いとなるが、外務部が忙しくなってからというもの生き生きとしていた。日陰部署と蔑まされていた長である。自部署がアストライアー侯爵のお陰で忙しくなり、自信を取り戻しているというか。
しかしアストライアー侯爵のお陰で生き生きしている者もいれば、地に落ちてしまった者もいる。地に落ちた者たちは自業自得な所業を働いているので気にすることではない。ただ私の胃が疲れ果てているので、少しくらい優しくなってくれても良いのではないだろうか。侯爵はジークフリードと婚姻を果たしたのだから、今後はしおらしくなるかもしれないのだから。
執務室へ入り椅子に腰掛けている私にシャッテンが恭しく礼を執った。さて、なにかあったかと私は彼と視線を合わせる。
「ベナンター卿が陛下との面会をご希望なされておられます」
シャッテンがそう告げるのだが、彼であれば直接私の執務室へ訪れて良いのに。ベナンター卿は私に気を使い過ぎではないだろうかと苦笑いを浮かべながら口を開く。
「分かった。きて貰ってくれ」
「承知致しました。アストライアー侯爵閣下のことだと彼は口にしておりましたので」
直ぐに私が返事をしたのが悪かったのか、シャッテンが大事な内容を今伝え終わった。先に教えてくれていれば、ベナンター卿と顔を突き合わせることに嬉しさを覚えていないのだが。
今更愚痴を吐いても意味はないし、アストライアー侯爵関係ならば早く話を聞いておくべきだ。シャッテンは場から一旦下がり、ベナンター卿を連れてくると言い残した。そうして幾ばくの時間も経たないまま、ベナンター卿が私の執務室へ顔を出す。
「陛下、執務のお時間に申し訳ありません」
彼は私の前に立つなり深々と礼を執る。相変わらず腰の低い青年だ。しばらく経てば伯爵位を名乗るのだから、もう少し威厳というものがあっても良い気がする。とはいえ彼が周りの貴族のようにふんぞり返る姿は全く想像できないと片眉を上げた私は視線を合わせて言葉を紡ぐ。
「構わんよ。アストライアー侯爵のことで報告したいことがあるのだろう? 聞こう」
ベナンター卿とは酒の話をしたいところだが神は許してくれないようだ。これもアルバトロス王国の頂点に立つ者の務めとして受け入れなければ。さて、どんな話でもこいと覚悟を決めれば、ベナンター卿が言葉を紡いだ。
「フソウの高位のお方が病に伏せり、治療を頼まれたと」
神妙な表情でベナンター卿は私に告げるが内容は至って普通であった。アストライアー侯爵であれば問題なく治癒を施し、患者を快方へと向かわせるはず。侯爵の治癒能力が足りないのであれば、筆頭聖女をフソウに向かわせれば良い。聖女アリアは奇跡を起こせる。だからなにも問題はないというのに、何故目の前の彼は私に報告を行ったのだろうか。
「それだけかね?」
違和感を受けた私はベナンター卿を責めるような物言いをしてしまった。飲み仲間を失いたくはないというのに、玉座に就いている者の性なのか確かめてしまったのだ。許せ、ベナンター卿と口にしたいのを我慢しながら、私は彼の言葉を待つ。
「治癒だけでは根本的な解決はできないため、閣下は私を頼ってくださいました。私が持ち得る知識で状況を変えられるため、手法を認め閣下のスライムに持たせております」
ベナンター卿の説明に私は一つ頷く。アストライアー侯爵の治癒で完治を目指すのは難しかったようである。しかしベナンター卿を頼ったのであれば、彼らの前の記憶が必要になったのだろう。一先ず、大きな事件にはなりそうにないと私は大きく頷いた。
「承知した。詳しいことはまた後で聞こう。夜に使いの者を寄越す」
「はい」
私の声にベナンター卿が礼を執って執務室を出て行った。隣に控えている宰相へと私は視線を前に向けたまま問いかける。
「本当にこれだけで済むのか?」
「アストライアー侯爵閣下ですからね。想像が及びません」
以前のような波乱の展開にはなりそうにないものの、話が大きくなりそうだと私と宰相が肩を竦めるのだった。
◇
ヒトミチさまが目を覚まされ、私が術を施すと床から出ると言われて散歩を楽しんでおられた。
久しぶりだと凄く機嫌が良さそうに笑っていたけれど、寝た切り生活のために筋肉があからさまに落ちている。回復するにはまだ長い道のりであるし、再発しないようにと願うのであればエーリヒさまから有用な情報を得られると良いけれど。
散歩を終え、陽に当たりながら縁側でお茶を飲んでいるヒトミチさまを見る帝さまとナガノブさまの瞳には『安堵』という文字がありありと浮かんでいる。しばらくは大丈夫だろうけれど、一時的なものなのだから安心はできないと伝えているのに、庭を歩けたこと、縁側に腰を下ろしてお茶を飲んでいるヒトミチさまの姿にお二人は言い知れぬ感情を抱いているようだ。
帝さまとナガノブさまの話によれば、ドエの都に住む武家の方や公家の方にお金持ちの方が同じ症状を患うことがあるそうだ。そのためドエの都に住む皆さまからは『ご馳走病』と揶揄されているそうだ。金銭に余裕があると白米をたくさん食べるのがドエの都に住む武家の方や公家の方にお金持ちの皆さまの中に根付いているそうだ。逆に庶民の皆さまは粟や稗か麦を食べるのが一般的だとか。
なるほどなあと私は納得しつつ、エーリヒさまに栄養学についてもサラっと知識を得られるようにならないかと相談してみるのも良いかもしれない。世情的に難しいこともあるかもしれないけれど、お貴族さまや富裕層の間で浸透すれば、おのずと一般の皆さまにも知識が広がるはず。教会でも軽く、いろいろな品を摂取しなさいと布教するのもありだろうか。ただ少し難しそうだと感じることもあるけれど、やらないよりマシだろう。
来賓用の部屋でロゼさんの帰りを待っていると、鼻がムズムズしてきた。池に落ちてしまったし、フソウの気温はアルバトロス王国よりも低いから風邪を引く前兆だろうか。あー駄目だ、もう耐えられないと私は眉間に皺を寄せて、込み上げてくる息の塊を吐き出そうとする。
「へっ……って……ロゼさん、お帰りなさい」
くしゃみが出そうになる丁度、魔術陣が浮かべばロゼさんが戻ってきた。驚いたのか、くしゃみは途中で止まり、私はロゼさんへと視線を向ける。
『ただいま、マスター! エーリヒの手紙!』
ドヤっている雰囲気のロゼさんがスライムボディーの一部を私の方へと伸ばす。そこにはベナンター子爵家の封蝋が施された手紙があった。私はロゼさんボディーを撫でたくり手紙を受け取る。急いで手紙を読みたいけれど、急にアルバトロス王国まで転移をしてくれたロゼさんを労わないと。しかしまあ、単独で往復できるのだから本当にロゼさんは凄いスライムだ。
「外務部の場所は分かった?」
『ハインツに連れて行って貰った!』
どうやらロゼさんにはエーリヒさまの居場所は分からず、私が教えた通りに副団長さまを頼ったようだ。
「そっか。副団長さまにお礼を伝えないとね」
『ハインツ、期待していますって!』
「……副団長さま、私の行動はお見通しなのか」
ロゼさんが身体をぽよんぽよんと何度も揺らす。副団長さまにフソウ土産はなにが良いのだろうか。奥方さまもいらっしゃるから、なにか買って帰った方が良さそうだ。フソウには寒さに強いヒオウギ貝がいるそうで、真珠の養殖が盛んだそうである。買って帰ったら恐縮されるだろうか。でも奥方さまに贈れば喜んでくれるかもしれないし……今まで魔術関連の品しか副団長さまには渡したことがないから、値段相応のものがあれば丁度良い機会かもしれない。
ロゼさんと少し話して、エーリヒさまからの手紙を開ける。記されていた文字は脚気だからきっと『江戸煩い』だろうと。白米をたくさん食べるのは止めて、麦を食べるのが良いと書いてある。
手に入れやすさなら豆類でも良いそうだ。なににせよ白米ばかり食べず、いろいろな品を食すようにとある。豚肉も有用だが、ドエの都で豚肉は手に入るだろうか。猪なら猪豚と呼ばれているから代用可能だろうか。そもそもフソウの食文化を私は食べるだけで詳しくは知らない。
むーと考え込んでいると、ヴァルトルーデさまとジルケさまが『また考え込んでる』『池に落ちるぞ』と肩を竦める。クロとアズとロゼさんとヴァナルと毛玉ちゃんたち三頭も私の心配をしてくれていた。池には落ちないよと私が苦笑いを浮かべていると、障子の向こうに頭が三つある大きな影が映っていた。誰かは直ぐ分かったけれど、こちらから障子を開くのは無粋だろう。
『ロゼが戻ってきた雰囲気を感じましたので』
『失礼ではございますが、皆を連れて参りました』
『入っても宜しいでしょうか?』
雪さんと夜さんと華さんの声に私は『どうぞ』と答えれば、あとから松風と早風に帝さまとナガノブさまに遅れてヒトミチさまがやってきた。あれなにか足りないようなと私が首を傾げていると、雪さんたちが天井を見上げる。
『権太、どこにいるのですか』
『気配が丸わかりですよ』
『降りてきなさい』
天上の一部が動いて、そこから権太くんが気まずそうに顔を覗かせた。どうやら天井裏からこの部屋の上に忍び込んだようである。なにをしているのかと苦笑いを浮かべていれば、権太くんが天井からシュバッと降りてきた。ズッコケるかもと心配したのに、全然そんな気配はなく権太くんは畳の上に綺麗に着地する。
「うへえ……バレてもうてん。オイラだけ除け者は勘弁してや!」
尻尾を三本揺らしながら権太くんが松風と早風の間に座る。そうして私が腰を下ろしている前に、真ん中にヒトミチさまが座って、両隣に帝さまとナガノブさまが畳に座る。私はエーリヒさまから頂いた内容を伝えれば、治療方法が不明だった病に光明が見えたと驚いていた。けれど驚いたのも束の間、ヒトミチさまがしゅんとしている。どうしたのかとみんなの視線が集まると、がっくりと肩を落としたヒトミチさまが口を開いた。
「こ、米が食べられないのか」
「白米の食べ過ぎは駄目というだけで、白米だけでお腹を満たしてはいけないということです。何事も加減が必要ということですね」
一生口にしては駄目ということではなく、適宜摂っていれば問題ないことを伝える。するとホッとした様子でヒトミチさまはお米がたくさん食べられるドエの都の住み心地は最高だと笑った。
元居た都は白米が手に入り辛く、こちらに移動してからは白米ばかり食べていたそうだ。いや、本当に白米、もといお米さまが大好きなのだなとシンパシーを感じる。とはいえ脚気の症状が出なくなるまでは白米は控えた方が良いかもしれない。
「麦飯に戻るのか……」
「ヒトミチ、治るまでは白米は控えましょう」
「お、伯母上!? 殺生な!!」
またガクンと肩を下げたヒトミチさまに帝さまが笑顔でお米さまは控えるようにと宣言する。ナガノブさまははははと笑い、帝さまのお屋敷に明るさが戻ってくるのだった。




