1706:引っ掛かる。
帝さまが神妙な表情のまま、相談事について語る。ちなみに内容については極秘として欲しいそうで、今部屋にいる方以外には口外しないでくれと頼まれた。
時と場合によっては喋る可能性はあると伝えた私は帝さまから言質を貰い、そこから話を聞くことになる。帝さまは年齢故に譲位をお考えになられているそうだ。引継ぎのため帝位継承権第一位である、帝さまの甥がヤマシロの都――多分京都にあたる場所――からドエの都に移ったそうだ。
私が帝さまにはお子がいらっしゃったよなと片眉を上げていれば、目の前の彼女は皺を増やしながら笑う。帝さまのお子は男系男子ではなくなるため継承権は与えられないそうだ。先帝が崩御された時に適齢の男児がおらず帝さまが位に就いたから、帝さまもお子さまも納得なされているとのこと。
「アルバトロス王国では女性当主が認められ、直系の子であれば家を継ぐことができると聞いていますから、ナイが訝しむのは仕方ないのでしょう」
帝さまが周りの方への説明のために言葉を発する。フソウは帝家だけではなく公家も武家も男系男子で家を繋いでいるから、国外のお家事情はおかしいと感じていたようだ。当たり前のことを聞いていると訝しんでいる方がいたので、帝さまの言葉は私にとって有難いものである。
「ドエの都に移って数週間は元気に過ごしていたのですが……疲れが取れないと言い始め、ついには寝込んでしまいました」
情報が少ないけれど、後から詳しく聞いた方が良さそうだ。できればご本人から聞きたい。ただ症状次第で喋ることができないかもしれないから……今はまだなにも言えないと私は沈黙を貫く。
「大巫女もわたくしも巫術を施しましたが快方に向かう気配はなく……貴女であれば、甥の病気が治せるかもしれないと相談した次第です」
帝さまが温泉宿に泊まらせておいて、あとでこのような話をして申し訳ないと頭を下げる。すると周りの方たち――ナガノブさま以外――がざわざわと騒ぎ始める。創星神さまの使いを務めた者といえど、やはり帝さまが安易に頭を下げれば国の威信に関わると感じているようだ。でも帝さまはざわざわし始めた部屋の雰囲気を一瞥して収めている辺り、流石帝位に就いておられる方だと私は小さく息を吐く。
しかし帝さまの甥で次期帝さまに魔術を施すことになろうとは。気になるのは大巫女さまと帝さまが巫術を施したというのに、改善の余地がみられないことである。私が魔術を施しても同じ状況に陥りそうだ。なにかもっと根本的なところに原因があるのではないだろうか。
帝さまが『診て貰えましょうか?』と眉根を顰めた。私は帝さまと視線を合わせて口を開く。
「一先ず、ヒトミチさまのご様子を直接お伺いすることは可能でしょうか?」
帝さまの甥御さんはヒトミチさまと仰るそうである。帝さまの弟さまとは十五歳という年齢差があり、ヒトミチさまとは孫くらいの年齢差があるため可愛いがっていたとか。
帝さまが凄く心配そうにしている理由のひとつなのだろう。まだ三十代後半とお若いから、周りの皆さまもヒトミチさまが寝込んだことを驚いたに違いない。私のお願いに帝さまはもちろんと答えてくれ、部屋に集まった方たちは一旦解散となった。
「悪いわね、ナイ。本当は個人的にお願いしたかったのだけれど……」
「すまない。異国の者に頼むことを嫌う者もいてな」
人払いを済ませた部屋で帝さまとナガノブさまがほとほと困った顔で仰った。それに関しては仕方のない部分ではないだろうか。個人的な依頼であれば私が失敗したとしても、責められることはないと帝さまは気を使ってくれたようだ。集まっていた方たちの中には敵対勢力がいてご病気が治ることを良く思っていないかもしれないのだから。気にしないでくださいと、いつも通りの定型文を言葉にすればお二人も苦笑いを浮かべた。
そうして私たち一行はヒトミチさまの下へと案内される。
大きな畳の部屋の真ん中にぽつんと布団が敷かれ、そこには中年の男性が臥せっていた。布団の側には大巫女さまが控えていて、私たちを見るなり頭を下げる。帝さまとナガノブさまが先に部屋へ入っていき、私もお二人を追いかける形で中へと進む。
ジークとヴァルトルーデさまとジルケさまは少し離れた所で立ち止まった。私はそのままお二人についていき、布団の側まで向かった。帝さまとナガノブさまはさっと畳の上に座る。私は慣れない着物を纏っているため、よろけそうになるのをどうにか耐えながら膝を折って正座になった。
「ヒトミチ、アストライアー侯爵がおいで下さいましたよ」
帝さまが枕元の側で声を掛けると、ヒトミチさまが目を開けて私と視線を合わせる。髪を結えていないようで、随分と長い茶色の髪が布団に広がっていた。帝さまの甥故かなんとなく彼女の面影がある。無理に起きあがろうとするヒトミチさまに帝さまが手で制して、そのままで構わないと告げていた。ヒトミチさまは布団の上で大きく息を吐いたあと私と視線を合わせる。
「見苦しい姿で申し訳ない。アストライアー侯爵。お初お目に預かる」
「帝さまより、貴殿の治癒をご依頼頂きました。ナイ・アストライアーでございます」
私が名乗りを上げれば、ヒトミチさまは気軽に名前で呼んで欲しいと言ってくださる。伯母上と懇意にされている者であれば気になさらないとのことだ。
そういうことであればと私は帝さまにいろいろとお世話になっていることや、今纏っている着物は帝さまから賜った品であることを伝えた。すると彼は伯母上が気に入っている者ならば間違いないと小さく笑う。治せなかった時のプレッシャーが増えたなと私は苦笑いを浮かべて、どうして今の状況に陥った過程を詳しく教えて欲しいとお願いする。すると少し考える仕草を見せたヒトミチさまはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「譲位を賜ることになり、ドエ入りを果たしてから体調を崩してしまってな。あれよあれよと歩けなくなった」
最初は身体のだるさを感じ、食欲が落ちたそうである。そこから足が重くなり、手足が痺れるようになったとか。時々、息が乱れることもあったとか。他に症状はありませんでしたかと私が問うと、足首やすねがむくみ始めたとか。時間が経つにつれ、むくみははっきりとしたものになったそうである。そして足の痺れが酷くなり、次第に歩きにくくなって、ついには歩けなくなってしまったとのこと。
「不甲斐ないな……これからという時に」
ヒトミチさまがはあと長い息を吐いた。彼は帝さまにもナガノブさまにもお世話になっていたそうである。お母さまが身体の弱い方で構って貰えず、帝さまが代わりに相手をしてくれたと。
ナガノブさまはヒトミチさまがドエの都に遊びにきた時、こっそり城を抜け出してご自身の知らない世界を教えてくれたと。だから次代の帝に推された時は、彼らのようになりたいと決意したそうである。帝になったご自身の姿を語るヒトミチさまの声がだんだん小さくなり、ついには聞こえなくなっていた。意識を失ったというよりは……少し疲れてしまったようで、大巫女さまが困り顔で布団を掛け直す。
「お眠りになられましたね」
「申し訳ありません、ナイ」
「弱っているのか、寝ている時間が長くなっておられるのだ」
私の言葉に帝さまとナガノブさまが憂いを含んだ笑みを浮かべた。帝さまもナガノブさまもヒトミチさまは大切な方なのだろう。心配そうに眠りに就いた彼に視線を向けていた。
場所を変えましょうかと声にした帝さまが立ちあがり、ナガノブさまと私も一緒についていく。ヒトミチさまがいた部屋から庭に出て、大きな池に掛かる赤い橋の上に私たち三人が立つ。少しはなれた場所にはジークとヴァルトルーデさまとジルケさまがいて、クロとヴァナルと雪さんたちに毛玉ちゃんたち五頭と九条さまに権太くんが控えていた。
「私が治癒魔術を施しても一時的に良くなる可能性はありますが……帝さまと大巫女さまが巫術を使っても効果がないと仰っておられたので、効果が切れると同じ状況に陥るかと」
ヒトミチさまの症状を聞いて、どこかで聞いたことがあるようなと頭の中でずっと考えているが、靄が掛かっているように思い出せない。なんだったかなと首を傾げても出てこないので、一先ず私の考えを帝さまとナガノブさまに伝える。
「一時でも治るのであれば、ナイに術の付与をお願い致したく」
「病が治ることが一番大事良いことだが……先ずは、寝たきりの生活をどうにかしなければならぬ」
帝さまとナガノブさまが私に頭を下げる。いや、お世話になっている方たちから頭を下げられることに慣れないと私が伝えると、お二人は『こちらが世話になっているだろう』と笑った。私がヒトミチさまに治癒魔術を施して効果があるかはまだ未知数だ。うーんと私が唸っていると、雪さんたちと松風と早風と権太くんが橋の上にやってくる。ちょこんとお座りした雪さんたちと松風と早風に、権太くんはじっと私を見ていた。
『ナイさん。私たちはナイさんの下で過ごさせておりますが』
『フソウの神獣であることは変わりありません』
『何卒、ヒトミチの治療をお願いできないでしょうか?』
伏せの体勢を取って頭を下げる雪さんたちに私は『そんなに気を使わないで』と伝える。雪さんたちは『お願いをするのですから当然でしょう』と言って、伏せの体勢を解いてくれない。困ったなあと私が頭を掻いていれば、松風と早風が私の足下にちょこんと座り直して片前脚を上げた。
「松風と早風も?」
私は両手で松風と早風の片前脚を取れば、二頭はぴーと鼻を鳴らす。そうして権太くんがこちらへ歩み寄り、私と視線を合わせた。
「オイラもナイにお願いする! おっちゃん、オイラの悪戯も笑って許してくれるんや!」
「権太くん、悪戯は駄目だよ?」
権太くんの悪戯をヒトミチさまが笑って許せるなんて驚きである。結構、えげつない悪戯をしていたようなので、駄目だよと注意をすれば権太くんから生えている耳と尻尾がぺしょっと下がった。
先ずは私が術を施してみて、効果があるかどうか確かめようとなる。そしてフソウの煩い方たちは帝さまとナガノブさまが抑えるから、私は遠慮なく治癒に当たって欲しいとお願いされた。しかし、症状を聞いて先程から思い出せないことをまた頭の中で張り巡らせていれば、帝さまが『参りましょう』と声を上げた。
「はい」
そう返事をした私は赤い橋の上からヒトミチさまの部屋に戻ろうと歩き始める。うーんと空を見上げてなにか思い出せないかと首を傾げると、髭を生やした総髪の小父さんの姿が頭に浮かぶ。隣には歳若い着物を着た女性の姿もあった。
「あ! あれ?」
あ、と思い出した瞬間、足が地面につかず身体が横に倒れていく。
「ナイっ!」
ジークの慌てた声と伸ばした手を掴もうとした私はそのまま大きな池の中へとドボンするのだった。何故……?




