1704:もちもち。
ナイが食べたいと買ったモチは味付けを施せば美味かった。
モチ自体にそう味はない――ほんのり甘いか――のだが、ディップすればいろいろな味が楽しめた。ナイが美味しいと笑っているならそれで構わないのだが、その後に昼飯を大量に食べていたのには驚きである。普段より訓練の量を落としているから影響が出ないか俺は心配しているのだが、ナイには関係ないことのようである。昼を済ませてからは二人で内風呂に入って、ゆっくりしていた。
ナイは湯舟に浸かるのが気持ち良いと随分と長い間そこにいて、上せないのが不思議だった。しかし俺の前で裸が恥ずかしいと身体を隠す必要はあったのだろうか。
お互いに素肌をさらけ出しているというのに、女性の感覚はよく分からない。以前、ナイとエーリヒたちがいた場所がそういう文化であったのかもしれない。しかしフソウによく似ているらしい――フソウでは風呂は混浴である――のに、と俺は首を傾げてしまう。
そうして夜がまたきて、晩飯の時間となっている。
座卓を挟んだ向こうにはナイがいて、ゆっくりとフソウ酒を飲んでいた。二十歳は過ぎたし、たまには良いよねと食事前に言い訳のようにナイが口にしていた。提供されたフソウ酒は飲み口がよく慣れている者であればするすると喉を通っていくだろう。彼女は酔って失敗するのが嫌なようで、本当に少量ずつ口に運んでいる。あまりにもちまちまと飲むナイの姿は猫が水を飲んでいるようにも見えた。
しかし本当に二人きりで過ごすのは珍しいというか貴重な時間だ。いつも側にはクロやアズたちがいるし、女神さま方もいる。護衛もついて人の気配をずっと感じているが、宿では本当に気配が少ない。
以前であれば気が気でなかったかもしれないが、今であればナイも自分自身を守れるようになっていて特に心配することはなかった。本当にナイはとんでもない速さで出世したなと、俺は小さな陶器製のグラスを掲げる。
「美味いか?」
「美味しい……と思う。飲み慣れてなくて味の判断ができないね。夜会で勧められるから、喉と胃を鍛えておかないとね」
俺の声にナイが緩く笑って、もう一口フソウ酒を飲んだ。飲み過ぎではないが、体質で酔い方は人それぞれのため少し心配になる。普段飲まないのに、何故、今日に限って飲んでいるのか。俺しかいないから気を緩めているというのであれば嬉しいものの、このあとのことを考えればあまり飲んで欲しくない。
「断れば良いだろうに。ナイに文句を言う奴がいれば常識外れも良いところだ」
今の彼女であれば断ったところで誰も文句は言わないし、強く進めれば常識がないと相手が疑われるだろう。ナイも分かっているはずなのに口にしたのであれば、フソウ酒を飲んでみたかったのかもしれないなと俺は片眉を上げる。
「そうなんだけれどね」
他愛のないやり取りをしながら箸を進め、ゆっくりと晩飯を終わらせればナイはものの見事に酔っていた。さもありなんと俺は肩を竦めるものの、彼女は悪酔いはしておらず、普段より感情の上下が酷くなっているくらいだ。
見ていると面白いかもしれないが、なにを始めるのか予想が付かない。宿の者が用意してくれた布団に飛び込んだり、生けられた花を指で触ったりと普段であればやらないことをナイは楽しんでいる。酒に酔って理性や常識から解放されているなと俺はまた肩を竦めていれば、ナイが縁側に腰を下ろしてくるっと顔を動かした。
「ジーク、こっち、こっちー」
へへへと笑いながらナイが俺を呼んでいるが……縁側に座っても昼間のように庭を楽しむことはできないはず。だから何故、呼ばれているのだろうかと俺は首を傾げる。
「どうした?」
「外の景色、見ようよ」
ナイが手招きをしながら俺を呼ぶ。
「変わらないし、見え辛いだろう」
「夜と昼じゃあ雰囲気が違うでしょー」
ほらほらと今度は自分の横を手で叩く。どうやらそこに俺が座れと言いたいらしい。俺は全くと呆れて彼女の隣に腰を下ろして胡坐を掻けば、俺の目と足を交互に見つめてナイが動く。ちょこんと俺の膝の上に乗ったナイはトリグエルが寒さを凌ぐように、暖を取ろうとしている姿にそっくりだった。すっぽりと納まったナイの背中が俺の胸に当たり、じんわりと体温が伝わってくる。
ユカタというフソウ独自の衣装は生地の厚さが薄く、肌に伝わる感覚を艶めかしく感じてしまう。ナイが素面であれば、こんなことはしなかったはずだ。とはいえ婚姻前よりは俺に触れること、頼ることは増えた気がする。
ナイは俺の気持ちなど意に介さず、行灯に照らされた庭へと視線を向けながら頭を俺の胸に預けた。ぐりぐりと後頭部を俺の胸に擦り付ける行動にどんな意味があるのだろうか。不思議に感じていれば、俺の胸から頭を離したナイがこちらへ顔を向ける。
「ジーク。胸、硬いね。リンだとむにむにするのに」
「男だからな」
むーとナイが顔を顰めているが、妹のリンと俺の胸を比べても勝てるはずがない。分かり切っているはずなのに何故ナイはこんなことを聞くのかと不意に考えるものの、彼女にとっては深い意味などなく、俺を揶揄っているだけかと息を吐いた。
「リンより胸の大きい人ってセレスティアさまかな?」
「俺に聞くな。答えたら首が飛びそうだ」
とんでもないことをナイは口にしていた。どうして俺の前で胸の話を始めるのだろうか。俺が答えてしまえば、ナイは拗ねそうだし、名前を出した相手に知られれば大問題となる。
「本当に飛ぶのかなあ」
「俺で試さないでくれ」
ふふっと小さく笑ったナイの身体から力が抜けていく。これはそろそろ眠たくなったのかと俺は彼女の腹に腕を回した。
「リンと同じだね」
「意識したことはないが……双子だからな」
どうやら俺は無意識で妹のリンと同じことをしていたようである。ずっと前からナイとくっ付いているのはリンだったから俺は意識したこともなかった。言われて初めて気づき、俺も妹のリンもナイから離れられないのだろうと実感する。
ナイも小さく笑みを浮かべながら尻をもぞりと動かした。妙な動きだなと俺は首を傾げるが、当たるところに当たれば少々不味いことになる。心を落ち着けようと長い息を吐いて、ナイの腹に回していた腕に力を込める。
「うわ」
なにも告げずに俺はナイを抱えて立ち上がる。ナイは呑気に『視線が高いー』と喜んでいた。確実に酔いが回っているなと、もう一度息を吐いてから言葉を紡ぐ。
「寝よう。冷えると風邪を引く。ナイの看病をするのはもう懲り懲りだ」
熱にうなされて、ナイはまた妙なことを口走るかもしれない。エーリヒに聞いてナイの言葉の意味を知った時、素面の状態で聞きたかったと思うのは贅沢だろうか。でも、まあ……ナイらしいと言えばナイらしいのだが。
嬉しいような、少し情けないようなと思い出し笑いを浮かべた俺は布団が敷かれてある部屋へと向かう。ナイは小柄だから両腕で抱いていれば負担に感じることはない。おそらく片手でも抱き上げられるが、ナイが急に動くと危ないものがある。何故か彼女は妙なタイミングで動いて、俺の腕から落ちてしまいそうだった。だから両腕でしっかり抱き留めておかないとおっかない。
そうして奥の部屋へ向かい、ナイを布団の上へと導いた。もぞもぞと動いて布団の中に潜り込んだのを認めた俺も中へと入る。ユカタが少し乱れているのはご愛敬だろうか。布団の乱れは直した方が良いなと、厚い掛布団を肩まで手繰り寄せた。そして俺は枕に頭を置いてナイを見る。
「おやすみ」
「寝るの、ジーク?」
どうやらまだ彼女にはまだ眠るつもりはないようで、布団の中で喋ろうと言いたいらしい。たまには夜更かしも良いのかと俺はナイの話に付き合うことにした。良い雰囲気になるようにと願いながら。
◇
――どうしてジークは朝から元気なのだろうか。
三日目の朝。昨日より私の目覚めた時間は遅かった。ジークは先に起きていて、着替えも済ませていた。予定していた朝ご飯の時間が過ぎていたけれど、ジークが宿の方にお願いして遅らせて貰ったそうである。
「食べれるか?」
なんとなくジークの声にも張りがあるようなと私は首を傾げつつ、疑問に答えなければと口を開く。
「うん、食べる。動けなくなったら困るからね」
ジークの声に答えた私は布団から出て、介添えの方を呼んだ。いつものエッダさんではなく、宿の仲居さんがやってきて手伝ってくれる。最終日の四日目は仲居さんの手によって、帝さまから頂いた着物を纏う予定だ。
そしてそのままドエの街へ入る予定だ。そこから帝さまとナガノブさまとの会談――難しい話ではなく、友好を続けたいですねーという雑談をフソウ上層部の皆さまに見て貰うため――を行って、あとは宴会を執り行うことになっている。
朝ご飯を済ませて、縁側でお茶を飲みながら庭の景色を楽しんでいると、一緒にいたジークが庭の一点を見つめている。私がどうしたのと問えばジークは見ていた場所を指差した。
「小動物がいるな。なんだ、あれは?」
庭の隅っこにある松の木の根本にまん丸い茶色の生き物がゴソゴソとしていた。成体が一頭と小柄な仔たちが三頭いるので、母子だろうと私は目を細める。
「狸かな。狐でもハクビシンでもなさそうだから」
丸っこい身体のフォルムにぼふっとした尻尾は狸独特のものである。狐の尻尾は太けれど身体は細身だし、名前の通りハクビシンには鼻に白い筋が通っている。イタチとも違うようだから、狸だろうと私は判断した。
しかし人里に降りてくるのは珍しいのではなかろうか。山に餌がないのか、それとも他の天敵に追われて町まで降りてきたのか。理由は分からないけれど、自然がたくさん残っているフソウではあり得なさそうなことだけれど。
たしかフソウは江戸時代の風習によく似ていて、あまり武家の方たちの間では肉を食べないことになっている。農民の方たちは害獣駆除後にもったいないからと食べているそうだ。
狸の母子を見逃す方が良いのか、それとも宿の方に報告しておくべきか。少し迷った末にジークがどうすると聞いてくる。農民の方にとって狸は畑を荒らす獣である。そして狸を狙った熊を寄せ付けるかもしれないから、申し訳ないけれど宿には報告しておくべきかと私は決めた。
まだ松の木の下で仔同士が遊んで母狸は周囲の警戒をしている彼らに『逃げなね』という念を送りながら、朝食の片付けのために部屋へとやってきた仲居さんへ狸がいたことを報告するのだった。




