1702:焼きたてはいいぞ。
フソウの高級旅館二日目。
特に予定は決めておらず、ジークと私は部屋でまったりと過ごしている。朝ご飯を済ませて部屋の横にある縁側で二人して腰を掛け、お茶をシバいていた。お茶請けにお饅頭が用意されているのだが、ゆっくりと一個を味わうよりも、一気に二十個くらい掻き込みたいのだが……雰囲気が壊れるから止めておこう。
ジークはお茶を飲みつつ、豆菓子をちまちまと頬張っている。豆菓子をお土産として買って、お酒のおつまみだと称せば呑み助な皆さまは喜んでくれるだろうか。ポリポリと豆菓子を食べているジークを見ていると、私の視線に気付いて首を傾げていた。すると、ジークは手を止めて言葉を紡ぐ。
「今日はなにを?」
「外で食べ歩きもできるみたいだけれど、どうしよう」
新しく見つけた源泉のある場所を観光地にしようと試みていたようで、貴人用の温泉宿の外には一般の人たち用の宿とお店がたくさん並んでいた。どの建物も新しく、あまり時間が経っていないことが分かる。私たちが泊っている旅館が一番新しいだろうか。大きいものだから、きっと完成するまでに時間が掛かったに違いない。棟上げ式では餅撒きは行われたのか少し興味がある。
前世で古い風習を守っていた家が棟上げ式を行っていて、施設のみんなと様子を見に行ったことがある。当時、珍しいことだから近所の人たちが多く集まっていて、危ないなあと判断して参加はしなかった。お餅とお菓子がぽいぽい投げられており、参加してみたかったという心残りがある。でも、今回も建物は完成しているので、無理難題だと私は肩を竦める。
高級宿の外では少し歩けば、お土産屋さんに饅頭屋さん、温泉卵なんかも売っているそうだ。
ジークは私が考えていることをお見通しのようで、小さく笑って『外に行ってみるか?』と提案してくれる。私は素直にうんと頷けば、ジークが護衛の方たちと宿の方に声を掛けに行ってくれた。浴衣と羽織を纏って外に出る。
北大陸に位置するフソウだからアルバトロス王国より気温が低いものの、耐えられなくはないレベルだった。宿の名前が記されている木札を首から下げ――これでどこの宿の客かを把握するとか――て、ジークと私は手を繋いで坂道を下って行く。
しばらく歩いていると、もくもくと白い煙の立つお店が何軒か見えてくる。お饅頭を蒸かしていたり、温泉卵を作っていたり、鰻を焼いていた。歩くたびにカランコロンと鳴る木札の音が耳に心地良い。他にも宿屋の前には引き込みの方たちが手ぐすねを引きながら道行く人たちに声を掛けている。
「宿場といえば、月見亭だよ! 安いのに飯が美味いって評判だ! 泊る店が決まってないなら、ウチにおいでよ、お客さん!」
「いやいやいやいや! 宿場と言えばウチだろう!? なんたって布団はふかふか! 虫もいねえ! 飯もたくさんでるからな! どうだい、お兄さん、お姉さん!」
ガラガラな声で呼び込みをしている男性に私は目を細める。威勢が良くてなんだか聞いていると楽しい気分になってきた。静かな場所も良いけれど、こういう雑踏に紛れるのも味がある。
とはいえ私たちの雰囲気は異様なものなで、周りから少し避けられていた。お店の木札を見れば私たちが貴人であるというのは直ぐに分かるようで、声掛けもされないのである。クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちを連れていないというのに、私たちの存在は目立っているようで少し可笑しいというか。
「ちょっと寂しいけれど、他の人たちの邪魔にならないようにしなきゃね」
「だな。混んでいる場所には近づかない方が良さそうだ。食べたい物や欲しい物があれば、俺たちの代わりに誰かに向かって貰おう」
ジークの提案に私は首を縦に振る。お店の方と気さくにおすすめのものを話したり、他愛のないやり取りをするのも好きだけれど、叶えるには難しそうである。とはいえフソウの温泉饅頭と鰻と他にもいろいろなお店があるのだ。期待せざるを得ないとジークを見れば、どこか遠くを見つめていた。私がどうしたのと問えば、ジークはこちらへ視線を向ける。
「出掛けの際、メシタキオンナに気を付けろと言われたな。どういう意味だろう」
ジークは高級宿の方から声を掛けられた意味を測りかねていたようだ。私も一瞬、飯炊き女の意味が分からず首を傾げそうになるが、前世でなにかで言葉を耳にした機会がある。時代劇だったような、時代モノの漫画だったような。詳しくは忘れてしまったけれど、ジークに軽く説明するくらいのことは思い出せた。
「私も詳しくないけれど、たしか宿で働きながら春を売ってる人のことだったはず」
「俺が買うと……?」
意味を直ぐに理解したジークは片眉を上げて眉間に皺を寄せた。買うというより、唆されないようにという注意の意味合いが強いのではないだろうか。多分きっと押しの強い方もいるだろうし。
フソウは性に奔放な所があるから、アルバトロス王国の貴族よりも緩いところがある。遊郭に遊びに行くことも、女性を買うことも抵抗感はないようだ。身請け制度もあるから、家を買って住まわせて世話をしているという話もあるそうで。仏門や神職の方たちは女犯が禁則だからと、陰間を買う習慣があるらしい。お店の方は手練手管に騙されるなよと言いたかったのではないだろうか。
「引っ掛かるなって意味じゃないかな」
「……誰にでもついていく子供じゃあるまいし」
はあとジークが溜息を吐くので私は空気を換えるべく、土産物店や食事処と記された店を指差した。よく見れば地酒を売っているところもあるし、蕎麦屋さんやうどん屋さんもある。山菜料理を売りにしているお店もあるようだし、熊肉鍋なんてものを売りにしているお店もあった。
猪や鹿や熊は下処理をきちんと施せば臭みはないと聞くけれど、いったいどんな味だろうか。宿に戻ってお昼ご飯を食べると告げているから、がっつりしたものは避けた方がよさそうである。しかし私の欲ばかりを優先させるわけにはいかないと、微妙な表情のままのジークを見上げる。
「ねえ、ジークは食べたいものある? いつも私の意見を優先させて貰っているから偶にはジークの食べたいものが食べたい!」
「特にないんだが……センベイか?」
私の言葉にいつもであればなんでも構わないと口にするジークが少し考えてから煎餅と教えてくれた。
「甘いのじゃなくて、しょっぱい系が良さそうだね。探せばありそうだけれど……あった!」
煎餅を取り扱っているお店はあるかと視線を彷徨わせると小さい規模だが、お店がちょこんと建っていた。お客さんは少なそうなので行くなら今が好機だと私は握っていたジークの手を引っ張ってお店を目指す。またカラカラと鳴る木札の音と履いている草履の音が気持ち良い。少し硫黄の匂いも混じっていて、温泉宿町にいると実感できる。そうしてお店の前に辿り着いて、お店の中へと入ってみる。
中に入れば、建屋は新しいのに他のお店と比べるとお客さんの入りが悪い気がした。でもお煎餅はいろいろと取り扱っているようで、籠の中には煎餅がたくさん入っている。ジークが気に入りそうなものがあると良いけれど……勝手に店内を物色するのは駄目だろうから私は声を紡いだ。
「ごめんください」
「はい、いらっしゃ……は、花菱屋の木札っ!? あ、アストライアー侯爵さま……!?」
私が声を上げた丁度、お店の奥から店の人が出てきて『お客かあ』という顔でこちらを見る。するとすぐに目を見開いて泊っている宿屋の名前と私の名前を口にした。数少ないお客さんもお店の人の声でこちらに視線を向ける。貴人用の宿だから驚くのは仕方ないのかとジークと顔を見合わせたあと、もう一度私は店の人と視線を合わせる。
「すみません、お煎餅を頂きたくて立ち寄らせて頂きました」
「ほ、本日はお日柄も良く、良くいらしてくださいましたっ!」
なにかいろいろ混じっていないかなと私が苦笑すれば、このような場所にご足労頂き申し訳ありあませんとお店の方が頭を下げた。言ってくだされば花菱屋に煎餅を届けたのにとも。知っていれば頼んでいたかもしれないけれど、知らなかったのだから仕方ない。驚いている店の方に私はとりあえずと声を上げた。
「おすすめはありますか?」
「焼きたてのものをご賞味頂きたく……!」
知らないお店に入って心行くまで眺めるのも良いけれど、お店の人に聞いてみるのもアリだ。炭火で焼く煎餅があるようで、職人の方が目の前で焼いてくれるそうである。汗を拭いながら説明してくれる店の方に『では二枚お願いします』と頼めば、少し失礼をと言い残してすっと奥へと引っ込んだ。
待っていれば店の奥から『えー!?』という声が聞こえ『しー!!』という声も直ぐに聞こえてきた。私はジークと肩を竦めれば、今度は良さそうな着物を纏った男性が出てきた。
「アストライアー侯爵さま、我が店にお越しいただき感謝致します。煎餅は直ぐに職人が焼きます故に少しお待ちくださいませ」
丁寧な礼を執った方はこの店の主人なのだそうだ。自慢の煎餅だからきっと美味しいですよと胸を張っている。それなのにお店にお客さんが少ないのは何故だろう。
温泉宿町での煎餅に訴求力がないのだろうか。良く思えば、鰻とか熊鍋とかの方に気が行くよなと私が目を細めていれば、籠の上に焼きたての煎餅を乗せたいかにも職人さんの風貌の方が私たちの前に立つ。どうぞ、と言われてジークと私は煎餅を手に取った。
「熱っ!」
焼きたて故に手に持てば瞬時に熱が伝わった。主人の方が『ああ!?』と凄く慌てた様子で見ているけれど、私は右手と左手へと煎餅を持ち換えて熱を逃した。ジークは手の皮が厚いのか平気そうにしている。私がどうにか口にしたのを見届ければ、
「美味しい!」
「ああ、美味いな」
焼きたての煎餅を初めて口にしたけれど、触感が普通の煎餅とは違って少ししっとりしていた。塩味がほんのり効いているうえに、炭の香ばしい匂いとお米の甘い香りが凄く良いバランスで鼻腔をくすぐる。
ジークも気に入ったのか一瞬で平らげていた。これは美味しいともう一枚お代わりをすれば、嬉しそうに主人が職人さんにお願いしている。美味しいのにお客さんが少ないとはこれいかにと私が首を傾げれば、主人の方が煎餅は目新しいものではないから注目されないと悲しそうな表情になった。そして『それに』と主人の方が言葉を付け加える。
「煎餅よりも美味いものはあるとお客が寄り付かず……だというのにアストライアー侯爵さまが我が店にいらしてくださろうとは!」
凄く嬉しいし、光栄なことだと喜んでくれる。私にお店の現状をどうにかできる力はないから、美味しい煎餅をたくさん買って帰ろうと主人に他の煎餅もくださいと伝えた。醤油味に塩味、変わり処だと梅風味がある。結構面白い味が生み出されているんだなと目を細めていれば、ふとやりたいことがあったと頭に過った。
「お餅を売っているお店を知りませんか?」
「餅ですか。ウチでも取り扱っておりますよ?」
どうしてお餅を所望されているのだろうと主人が不思議そうな顔になる。いや、宿に戻ったら火鉢で焼いてあべかわや砂糖醤油にしてお餅を食べたいと伝えれば、なるほどと店の主人が納得してくれる。日持ちもするのでお土産用の煎餅も買い付けて、よろしくお願いしますと口にしてジークと私は店を去るのだった。
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