1700:良い匂い。
女性会議に参加した方からちょいちょい試作品の報告が上がり、治療の順番に異議を唱えた商人の方の処分は予想した通りの展開となった。商家は取り潰しになることが決定し、風見鶏商会の主人が吸収するとか。治療の順番に文句を付けた方は、まあ。
私たちはフソウ国から招待を受けて新婚旅行を兼ねた温泉宿へと泊りにきている。
とはいえ外交しないわけにはいかず三泊四日の前に行うか後に行うかを問われ、ジークと私はあとからフソウの帝さまとナガノブさまとの会談を執り行うことになっていた。ドエの都の近くにある町で源泉が見つかり、帝室と将軍家が主導して貴人向けの宿を建てたそうである。
大型の竜の方の背に乗ってアルバトロス王国からフソウのドエの都に辿り着いたジークと私と護衛の皆さまは、九条さまの案内で都から少し離れた位置にある町へと辿り着いていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまとクロとヴァナルと毛玉ちゃんたちとアズは雪さんと夜さんと華さんと一緒に過ごすためドエの街に残っている。帝さまの屋敷で二泊、ドエ城で一泊するそうだ。
篭に乗って移動したのだが凄く早く走り抜けており、考えていたよりも時間が掛からなかった。篭の中で垂れ下がっている布にしがみ付いておかなければならなかったけれど、人間と篭を背負って凄く早く移動できているのだから驚きである。
町へと入り一番奥まで向かえば、一切大きな武家屋敷が見えてきた。
大きな門を潜れば日本庭園が……フソウ庭園が広がっており、松の木や池に赤い橋が視界にすぐ映る。池に鯉はいるだろうか。鯉は臭いと聞くけれど、食べる風習のある地域があると聞いたことがある。川や池に住んでいるから泥臭ささえどうにかなれば、淡泊な味なのだろうか。それとも泥臭さを誤魔化すために天ぷらとかの揚げ物になるのだろうか。少し興味が湧いたけれど、私が口にすれば池の鯉が犠牲になりそうである。
口には出すまいと誓えば、いつの間にか宿泊宿の玄関前へと辿り着いていた。すでにジークは篭から降りたようで、私の篭の前に立ってエスコートをしてくれる。フソウの皆さまがほんわかとした雰囲気でこちらを見ているのは、ジークと私が夫婦になったからだろうか。
しかしまあ、目の前の宿は貴人用にと造られただけあって玄関も凄く大きくて広いようだ。大きな平屋建ての屋敷を見上げれば自然と私の口から声が漏れていた。
「凄い……漆喰は真っ白だし、屋根瓦は真新しい」
壁に使われている漆喰は白く輝いており、屋根にある鬼瓦も凄く立派である。屋根の天辺にある棟飾りも凄く凝っていて、屋根瓦職人さんが凄く気合を入れて作ったと素人の私でも感じてしまう重厚感があった。
ジークはフソウの建物が珍しいのか、きょろきょろと周りを見渡している。そっくり兄妹の兄は視線を方々へと向けるついでに、避難ルートや危なそうな場所を見つけているのは職業柄なのだろう。アストライアー侯爵家の護衛の皆さまも玄関前できょろきょろと周りを見つめていた。フソウの皆さまは私たちの態度を咎めることはなく、案内役の九条さまがニッと笑う。
「帝と大樹公がアストライアー侯爵殿のお言葉を聞けば喜びましょう。では中へどうぞ」
花菱屋と達筆な看板を掲げている門扉を潜る。少し歩いて、玄関の中にはいれば広い土間が広がり、小上がりを経た廊下には虎が描かれた大きな衝立が置かれていた。中から出てきそうな迫力があるなと目を細めていれば、宿屋の主人と女将さんと番頭さんに仲居さんや料理人の方たちが迎えてくださった。
四日間、よろしくお願いしますと私が目線を下げれば、少し驚きつつも女将さんたちもよろしくお願いしますと言葉を返してくれた。そうして案内役は九条さまから女将さんへと変わり、靴を脱いだ私たちは部屋へと案内を受ける。
玄関から廊下を歩いて屋敷の奥へと歩いて行く。所々に生けられている生け花はいかにもフソウという感じの花が飾られている。種類はよく分からないが、芭蕉とかそんな感じのものだ。
藍色とか淡い桜色の花は目に楽しいねとジークと話していると、廊下から見える庭には枯山水があり鹿威しもあった。コンと一定の感覚で鳴る鹿威しの音がなんだか妙に懐かしく感じてしまう。鹿威しの音なんてテレビの中でしか聞いたことがないというのに、何故か前のことを思い出すのは不思議だ。
「こちらのお部屋となります。お気に召してくださると良いのですが」
女将さんが廊下に膝を突いて、障子を開けると凄く大きな部屋が広がっている。といってもこの場所は前室で寝室や主室は別にあるはずだ。膝を突いていた女将さんがすっと立ち上がって主室へと案内してくれる。四十畳ほどの畳の部屋の真ん中には黒檀の座卓が置かれ、側には火鉢が置かれていた。火鉢を見て直ぐにお餅を焼きたいなと望むのは食い意地が張っている証拠だろうか。
「凄く広いですね。畳の良い匂いがします……!」
私が笑みを浮かべれば、女将さんが安堵の表情を浮かべる。ジークと私は女将さんにとって異国人だから、どういう反応が出てくるのか分からず少し怖いのかもしれない。
やはりフソウの方たちに比べると、ジークと護衛の皆さまの背は凄く高いため、フソウで初見の方たちはぎょっとしているのだから。女将さんは私より少し背が低いくらいだから、百九十センチを超えるジークや百八十センチ台の護衛の皆さまは大男となる。恐々するのは仕方ないと肩を竦めながら、湯殿や厠の説明を受ければ奥が寝室になっていると女将さんが教えてくれた。一先ず、女将さんはお茶を淹れてくれ、しずしずと頭を下げて去って行った。
女将さんという職業柄か絶えず語り掛けてくれていたため、二人きりになると部屋が凄く静かになった。いつもであればクロとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちにアズがいるはずだが、今はドエの都に残っていて側にはいない。ロゼさんは私の影の中でヴァナルたちがいないからとゆっくり過ごすそうである。側にいるジークの吐息が聞こえてきそうなほど静かだなと、緑茶から香り立つ湯気を鼻腔へと吸い込んで心を落ち着かせる。
「ジークと二人きりって珍しいよね」
屋敷でも二人でいることはあるけれど、なんとなく誰かの気配を感じていた。今日は本当にジーク以外の気配を感じられず、逆に落ち着かないというか。緊張しているかと私が視線をジークに合わせれば苦笑いを浮かべた。
「いつも誰かしらいるからな」
腰を下ろしてお茶を前にしているジークが肩を竦める。お茶請けには豆菓子が用意されており、甘い物が苦手なジークに配慮されているようである。おかきやいりこも入っていて、塩気が利いて凄く美味しい品である。
これ、どこかで買えるか女将さんに聞いてみようとジークに伝えると『そうだな』と小さく笑う。甘い物ではないためか、ジークも豆菓子を口に入れて味を楽しんでいた。いつもこういう所に行くと甘い品物が多いから、本当に有難い配慮である。
「ジークは私の言うこと否定しないよね?」
私はクレイグなら『また食い物か、太るぞ、止めておけ』と呆れながら言うからねと言葉を付け加えればジークが肩を竦めた。
「否定する理由がないからな。危ないことをしていれば咎めているだろう?」
それはそうだとジークの言葉に私は頷く。危ないことを私がしようとすれば、ジークに止められたことは何度かある。言葉で聞かなければリンが強制的に私の首根っこを掴んでいたなあと、討伐遠征によく参加していた頃を思い出した。お互い、危険な場所に身を置いていたから余程の事がない限り驚かない。ジークに怒られるようなことを私はする気はないし、ジークも私に怒られるようなことをする気はないそうだ。
「ちょっとジークに怒ってみたい気はある」
「なにをすれば怒るんだ、ナイは」
私の願いにジークが肩を竦めた。私がジークに対して怒るようなことはないから、あまり想像が付かないようだ。
「ご飯を横取りされたとか? でも、ジークなら構わないし……気にしないし……うーん……」
ご飯を横から取られたとしてもジークやリンであれば特に気にしない。ヴァルトルーデさまとかジルケさま相手なら、文句は言うけれどそれ以上は言わないはず。クレイグとサフィールには一言くらいはあっても、結局良いかとなるはず。
ユーリはまだ小さいから私のご飯を横取りしても怒りはしないけれど、教育のために人のものを取っては駄目だと諭さなければならないはず。他になにかないかなあと、私ではなく他の誰かの癇に障るようなことを考える。
暴言を吐かれた……ジークが口にするはずもなく。暴力を振るわれた……ジークが私を殴ることはない。お金を盗られた……ジークになら別に構わない……駄目だ、なにも思いつかない。
他にはなにかあるかと頭を捻れば、そういえば伴侶が不倫してブチ切れたということがあった。仮にジークが不倫したとして、私は怒るだろうか。自分にジークを引き留めるための魅力がなかったという結論に至りそうだ。というかジークは不倫に走ることはないだろうし、私もジーク以外の方とどうこうなるつもりはない。
「思いつかない……――ま、二泊三日、ゆっくりしようよ。本当に完全休暇は久しぶりというか……ちょっと緊張しています」
照れますなあと私は出されていたお茶を啜る。すっきりとした味わいで、喉をすっと通っていった。ジークは私がお茶を飲んだのを見て、自分もお茶を口にする。
「たしかにみんながいないのは変な感じはするな。四日間も離れたことはなかったから」
本当にクロたちでさえいないので、二人きりの時間は久しぶり、どころか初めてに近いのではないだろうか。屋敷に戻ればリンが私を鯖折りしそうだけれど謹んで耐えなければ。
でも、リンはサフィールとなんだかんだ仲良くやっているようで、ジークと私がいない間はサフィールと一緒に託児所の子供たちの面倒をみているそうだ。幼馴染だから気心が知れているし、相手のことを良く分かっている。サフィールならリンを任せても問題ないから、ジークもなにも言わなかったわけで。私はふうと息を吐き、足を崩して畳の上に寝転がる。私の行動にジークが少し驚いていた。
「畳、気持ち良いー」
まあ、ジークが驚くのは仕方ない。畳文化を知らないのだから。フソウに訪れてナガノブさまとの会談の際に直接腰を下ろしていたのも不思議そうにしていた。
「寝転がって良いものなのか?」
「うん、大丈夫。ジークもごろんってしてみようよ。気持ち良いよ」
お行儀は悪いと言われてしまうが、部屋には私たちしかいないのだ。誰も見ていないなら問題ないと、私はジークにこっちにくればと手招きをする。するとジークは片眉を上げながらゆっくりと私の横に腰を下ろして、同じように畳に身体を預けた。
「貸し切りだから遠慮なく使えるのは有難いね。本当は女神さまにきて欲しかっただろうけれど……まあ、次の機会にヴァルトルーデさまとジルケさまと屋敷のみんなを誘ってこようか」
「そうだな。羨ましそうになされていたから」
みんなで泊るのも悪くないと、温泉旅行の計画をジークと一緒に立てていれば夕飯の時間が迫っていた。




