1698:【③】ちょっとしたトラブル。
アストライアー侯爵領へと戻ってきて数日が経っている。
一週間の移動中、初日だけ変わった人に引っ掛かり方々に連絡を入れる羽目になったけれど、他の日は順調に進んだ。ちょっとした品だけれど美味しそうなお野菜を買い付けることができたから、各地の領主さまとの会食も悪くないのかもしれない。
そう口にすればクレイグ辺りが『ナイは現金だ』と言われそうだから、黙っておいた方が良さそうだけれど。ジークは慣れない会食にげんなりしていたけれど、自領の蜂蜜を売り込んでいる辺り遣り手だなと私は感心していた。
件の商人の方はいろいろと動いているらしいが、私はなにも手を出していない。一先ず、泳がせておこうというのが家宰さまたちの判断である。あとは子爵領の領主さまやエーリヒさまに任せる算段だ。
卵から孵った竜の仔二頭は女神さまに少し慣れつつあるが、まだ少しおっかなびっくりしていた。ジルケさまは『そんなこともある』という感じだけれど、ヴァルトルーデさまは竜の仔二頭と仲良くしたいのに怖がられるため少し落ち込んでいる。
まだまだ屋敷で過ごすつもりのようだから時間が解決して、ヴァルトルーデさまとお喋りしたり、遊んだりできることを願っておこう。朝ごはんが終わってリンが持っていた篭を私に渡してくれると、竜の仔二頭は顔を伸ばして私を覗き込んでいる。
『?』
『~?』
私を見たあと竜の仔二頭はきょろきょろと屋敷を見渡していた。どうやらここがどこなのか気になるようである。
「ここは食堂だよ。みんなと仲良くしてくれると嬉しいなあ」
私の声に竜の仔が首を傾げる。すると肩の上に乗っているクロも顔を傾げながら尻尾を振っていた。
『好奇心旺盛な仔で良かったねえ。女神さま方は怖いみたいだけれど、他のことには物怖じはあまりしてないよ~』
クロの言葉通り、竜の仔二頭は女神さまには慣れていないが外の世界には興味を示している。御者の方の横で景色を一生懸命見ていたそうで、時々声を上げていたとか。竜の仔二頭はクロの言いつけを守ってくれるので凄く手が掛からない。あとは亜人連合国へ向かうかどうかを決めて貰わなければいけないけれど……アストライアー侯爵家で卵から孵った仔たちのように誰かに懐きそうである。どうなるかは竜の仔次第だけれど。
「さて、仕事しないとね」
私の声にジークとリンとクロが頷いてくれる。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんも一緒にきてくれるそうだ。毛玉ちゃんたちは竜の仔たちに構って欲しかったのに構って貰えず拗ねていた。影の中に入ったまま出てこないけれど、しばらくすればケロリとして出てきてくれるだろう。
そうして食堂から玄関ホールへと向かえば、丁度アルティアさまが目を丸く見開きながら両手を前に出してこちらへと進んでくる。
「ナ、ナ、ナ、ナイさま……そちらの篭の中のとても愛らしい竜の姿をこの目に焼き付けてもよろしいでしょうか!?」
はわはわとしながらアルティアさまが私に問うてきた。アルティアさまは直ぐに私が持つ篭へと視線を変えれば、竜の仔二頭がこてんと首を傾げる。
「はうあ!」
アルティアさまが妙な声を出して後ろへ仰け反った。彼女の隣に偶然いたセシリアさまが溜息を吐く。朝の仕事はじめで屋敷をうろうろしていた方は、辺境伯夫人の有らぬ姿に驚きつつも、娘さまで慣れているのか『ああ』と言った感じでそれぞれの持ち場へと戻って行った。
「ああ、お可愛らしい! 巨大な竜も素敵でございますが、小さくとも竜は竜。可愛らしいものですわねえ」
「このように小さな竜の仔を側で見れるのは驚きです」
のけ反らせていた背を戻したアルティアさまとセシリアさまが竜の仔を見ながら告げた。たしかに卵から孵って日が浅いため、肩乗りサイズのクロたちより少し小さいため、可愛らしく見えるようである。
アルティアさまが『おはようございますわ』と竜の仔に声を掛ければ二頭は短く鳴き返した。それを見たセシリアさまも『おはようございます』と告げると、竜の仔たちはまた短く返事をくれる。
どうやら本当に女神さま方が苦手なだけで、竜の仔二頭はとても理性的ではないだろうか。挨拶できて偉いねと私が褒めれば、竜の仔二頭はふふんと言いたげに顔を高くつき上げた。卵から孵って二週間弱、感情のバリエーションが増えているなと笑っていると、アルティアさまがまた背を仰け反らせて元に戻る。
「意識が神の下へ飛びそうになりましたわ……」
ふうと息を吐いたアルティアさまに竜の仔二頭が首を傾げていた。そしてアルティアさまは『触れたいですが、嫌がられましょうか……そうなったらわたくしは生きていく自信がありませんわ』とひとりごちている。
随分と大袈裟だけれどセレスティアさまとアルティアさまなら、魔獣や幻獣に拒否されたとショックを受けて自刃しそうな勢いがある。そうなっては困るから私は暫く彼女を見守ることにした。
「アルティア。仕事に向かいますわよ」
セシリアさまが声を上げて、アルティアさまを見つめていた。自分たちが長々と玄関ホールにいるのはおかしいと考えたのだろう。
「も、もう少し、今少し、竜の方のお姿をこの目に焼き付けたく!!」
アルティアさまはセシリアさまに『そのようなことは言わないでくださいまし!』と言いたげになっている。セシリアさまはありありと溜息を吐き、家宰さまは苦笑いを浮かべた。
どこぞの辺境伯令嬢さまにそっくりな行動のため私とジークとリンはいつものことだなあと眺めている。そういえば竜の仔たちの姿を写真の魔道具で撮っておこう。きっとアルティアさまが竜の仔を見たとなればセレスティアさまが悔しがるだろうから。
「いつでも見られるでしょうに。クロさまやアズさまとネルさまもいらっしゃるでしょう?」
「たしかにクロさまもアズさまもネルさまも素敵な竜の方たちですが、目の前の仔の愛らしい小さな姿は一瞬でございます! 可憐な姿を目に焼き付けずして、なにをしようと仰るのですか!」
嗚呼、お可愛らしいと両手を頬に当てて、アルティアさまは身体を右側へと倒した。なんて格好だと驚いていると、セシリアさまが呆れ顔になっていた。
「仕事です。さあ、行きますわよ」
セシリアさまの声掛けにアルティアさまはまだ渋っているので、私はそろそろ限界かなと悟って言葉を紡いだ。
「一緒に過ごすので、執務室で彼らに会えます」
私の言葉にアルティアさまがはっとして、くるりと身体を翻して執務室を目指し小躍りしながら歩いて行く。セシリアさまは小さな溜息を吐いて、先に向かっておりますと視線で教えてくれた。ジークとリンに私たちも行こうと告げ、一度部屋に戻って着替えを済ませることになる。篭を抱えたまま歩いていると、クロとアズとネルがじっとそちらを見つめていた。
『面白い人たちだよね~』
クロの声にアズとネルが楽しそうに鳴き声を上げ、籠の中の竜の仔二頭は首を傾げている。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんはいつも通り私たちの隣を歩いていた。
「毛玉ちゃんたちはいつまで拗ねているのかな?」
毛玉ちゃんたちは竜の仔二頭が遊んでくれないと私の影の中で拗ねたままである。出てこないかな~とアピールしてみても、うんともすんとも言いそうにない。そんな毛玉ちゃんたちにヴァナルは小さく笑い、雪さんたちは余裕の笑みを浮かべて声を上げた。
『椿と楓と桜はまだまだ仔供ですねえ』
『松風と早風の方が早く大人になりそうです』
『権太もフソウで元気にしているようですから、戻るのが楽しみですね』
そうそう。あと三週間経てば、ジークと私はフソウの温泉宿に三泊四日で向かうことになっている。新婚旅行となるのだが新しく開かれる店だそうで、貴人用のところだとか。帝さまとナガノブさまに最初のお客として是非にと誘われたのだ。
凄く贅沢なことだから恐縮しつつも、折角のお誘いだからとよろしくお願いしますと伝えておいた。フソウ各地の名物料理も用意してくださるし、久しぶりに権太くんと松風と早風とも会えるので楽しみにしている。ヴァルトルーデさまとジルケさまも一緒にフソウ入りするけれど、二柱さまは帝さまとナガノブさまが接待役を務めるから、ジークと私は夫婦水入らずでゆっくりしていろとも言われていた。
亜人連合国にも、アガレスにも、他の国からも遊びにきて欲しいというお誘いはいくつか受けているので、期間を空けて赴く予定である。兎にも角にもまずはフソウで温泉旅行だと、少しばかりテンションが高い。
しかし休暇となればまたお仕事が溜まるなと遠い目になるものの、家宰さまとセシリアさまとアルティアさまに四日間は丸投げ状態となるため、なるべく執務を捌いておかないと。
気合を入れて頑張ろうと着替えを済ませ、竜の仔二頭がいる籠を持って私は執務室へと移動する。ジークとリンは先に着替えを済ませていたようで、執務室の壁際に立っていた。私が席に腰を下ろすと、家宰さまが紙を数枚持って私の前に立つ。
「ご当主さま、取り急ぎの件を先ず……――」
家宰さまに私は返事をして聞く態勢を執った。どうやら一日目に出会った店の主は良からぬことを考えていたようで、はした金で雇ったならず者がジークの領にたまたまいた竜の方に捕まったそうである。竜の方はならず者に雇い主を聞けたようで、エーリヒさまの領地にある店の乗っ取りを狙っていた。だからならず者は王都のベナンター子爵邸に竜の方が連れて行ったそうである。
「如何なさいますか?」
「私はなにも不利益を受けていませんしね……ジークはどうする?」
家宰さまの疑問に私は特に関わりを持っていないし首を突っ込むつもりはないと伝えて、領地に商会の支店があるジークはどうするのか聞いてみる。
「またエーリヒと相談してみて良いか?」
ジークの答えに私は構わないよと伝えれば、エーリヒさまと連絡を取ってくると言って執務室を出て行った。さて、エーリヒさまとジークはどうするのだろうと首を傾げて、執務を続けるのだった。




