1697:【②】ちょっとしたトラブル。
――ロウ男爵領・風見鶏商会支店。
柄の悪い人が店の前に現れてから数日が経っていた。ご店主さまには報告をしており、今の所は様子見をしようということになっている。町に居着いた柄の悪い人であれば問答無用で追い出せば良いけれど、どこの手の者か分からないのであれば今は放置が一番良い方法だろうと。
柄の悪い人は相変わらず、建物と建物の間にある小さな道を塞ぐ形でたむろったままだ。夜になれば静かにどこかに消え、開店時間に近くなるとどこからともなく現れる。尾行してあとを追いかけてみようかとも考えたけれど、ご店主さまの命令は守らなければならない。様子見と言われたのだから、様子見だけして、お客さんや店の者に被害がなければ一先ずそれで良いと僕は自分に言い聞かせた。
開店前。店の中から外を覗けば相変わらず柄の悪い人がいつもの場所でたむろっている。
「今日もいる」
そう告げて溜息を吐けば、店の手伝いの女の子――たしか十歳だったはず――が不安そうな表情で僕の服の裾を引っ張った。
「兄ちゃん、大丈夫なの?」
彼女の兄ではないけれど、ご店主さまが孤児院から引き取った子たちからは『兄ちゃん』とか『兄さん』と呼ばれることが多い。ご店主さまの期待に応えようと幼い子たちの面倒を見ていたら、いつの間にか懐かれていた。
悪い気はしないし、僕と同じ境遇の子だからむしろ『兄』と呼ばれることは家族のようでいて嬉しかった。そんな子が心配そうに僕を見上げる姿は胸が痛む。貧民街で怖い目にたくさんあっていたはずだろうに、またその記憶が蘇らなければ良いと願う。けれど世の中はそんなに甘くないのもまた事実だ。僕は少し背を屈めて女の子と視線を合わせた。
「近づかなければ大丈夫。あと、一人で行動しては駄目だ。店の誰か……大人と一緒に外に出るんだよ」
この数日、店の外に出る場合は一人で出かけないようにと店のみんなに声を掛けている。気の強い者は柄の悪い人に『どこの誰だ?』と聞き出そうというけれど、相手の実力も分からないし、彼らの後ろに立つ人も分からないからと説得して止めている。ご店主さまから様子見という命令が下っているので、彼らも無茶はしないはずだ。けれど、状況が長く続けば怒って柄の悪い人たちへ詰め寄りそうだ。
「……うん、わかった」
そう言って女の子は与えられた仕事へと戻って行く。下を向いて不安を抱える小さい子に僕はなんと言えば良かったのだろう。直ぐに解決するからなんて言えないし、誰かが助けてくれるなんてこともない。僕が柄の悪い人に立ち向かっても、力の差で負けることは確実だ。お客さんも怖がっているから、店の売り上げに響かなければ良いけれど……と願うものの、確実に客足は減っている。
「はあ。どうにもならないのは歯痒いなあ」
僕は貧民街に産まれて運良く孤児院に入ることができた。そしてご店主さまと出会って、孤児院から引き取って貰った。貧民街の生活より悪いものはないと言い切る自信があったけれど、こうして理不尽な状況に陥ると途端に不安になるのは僕の悪いところだろうか。
柄の悪い人たちが早くどこかへ消えてくれるようにと願っていると、竜の方が店の前の通りを歩いてくる。ロウ男爵領には竜の方が時折姿を現して、畑仕事や重い荷物運びを担ってくれていた。
最初こそ竜が手伝いをするなんてと領の人たちは恐縮していた。けれどご領主さまはアストライアー侯爵さま直属の護衛を努めていて、その繋がりで竜の方が飛来するようになったと分かればすんなりと状況を受け入れられたのだ。誰かが対価だと言って竜の方に果物を渡すようになれば、仕事はあるかと竜の方の飛来回数が多くなったらしい。
本店のあるベナンター子爵領でも竜の方たちは姿を現し、荷物運びや力仕事を担ってくれていた。ご店主さまも竜の方と親しくなって店の商品を運んで貰っている。それ故かウチの店にも竜の方は声を掛けてくれており、今日も窓からひょっこりと顔を出して僕を認めればこてんと首を傾げた。
『お仕事ある~?』
「いつもありがとうございます。今日はなにもなくて……申し訳ありません」
『謝らなくて良いよ~暇だから寄ってみただけ~他の所行ってみるね~蜂蜜貰えると良いなあ』
竜の方はゆっくりとした喋り方で僕に声を掛けた。今日は力仕事も荷運びもなく、店の者で手が足りている状態である。竜の方は僕の返事を聞いてこてんと首を反対に傾げて、別の所で仕事があるか探してみるようである。予定を合わせて仕事をお願いする方が効率が良いけれど竜の方に強要できることではない。こうして気ままに顔を出して、その時ある仕事をお願いするのが一番良いのだろう。
『甘くて美味しいんだよ~蜂蜜』
「ええ。ロウ男爵領の特産品ですからね」
竜の方は蜂蜜の味を思い出しているのか目を細めていた。僕の返事にじゃあね~と声を上げて窓から顔を引っ込めて、竜の方は領の外を目指して歩いて行った。直ぐそこには柄の悪い人たちがたむろしていて、竜の姿にぎょっとしている。
見慣れていないようだから、やはり彼らは余所者なのだろう。はあと溜息を吐きたくなっていれば、外を歩いていた竜の方がピタリと足を止めて柄の悪い人たちに顔を向ける。こてんと首を傾げる竜の方は少し考える素振りを見せ、尻尾を大きく左右に振った。柄の悪い人たちは竜の行動に釘付けになっていてピクリとも動かない。
『嫌な臭い~! 悪い奴ー?』
そう声を上げた竜の方が柄の悪い人たちに向かって突進していく。それを見た彼らは一歩、二歩と後ろに下がって行った。
「ひっ!?」
怯える声が僕の耳に届けば、柄の悪い人たちの姿が建物と建物の間に消えた。彼らは路地裏を抜け逃げるつもりのようである。
『どうして逃げるの~?』
間延びした声も耳に届けば、竜の方も路地裏へと消えていく。今の状況をどう捉えれば良いのだろう。先ずは落ち着いて状況を整理したあと、店の人たちと相談してご店主さまにまた一報を入れようと僕は店の奥へと引っ込むのだった。
◇
――アルバトロス王都・ベナンター子爵邸。
夕方。城から仕事を終えてタウンハウスへ戻った俺は執務を始めようと椅子に腰を下ろす。すると家宰がやってきて、ナイさまから手紙が届いていると教えてくれる。しかしナイさまは数日前にフィーネと王都で顔を会わせて、今は侯爵領へと戻る馬車の中だが、少し問題が起き密にやり取りをしていた。早く内容を知った方が良さそうだと、俺は執務机の引き出しを開ける。
引き出しから取り出したペーパーナイフで封を開き中にある紙を取り出し、相変わらず筆圧の高いナイさまの文字を読んでいく。目の前では家宰さんが大丈夫だろうかと心配そうな気配を醸し出していた。そうして俺は手紙を読み終え、机の上にゆっくりと置き首を傾げる。
「と、飛び火しているような?」
うん。ナイさまが王都から領地へ戻る間に問題が起きたようである。切っ掛けは脱輪していた馬車に乗っていた人の怪我を治したことから。でもそこから飛びに飛んで、何故かベナンター子爵領にある店が怪我をした人物に狙われているかもしれないとのこと。
王都に程近い場所にある子爵領にある店の者のようで、そこのご領主さまの調べで発覚したそうだ。まだ表立った行動には出ていないものの、なにかあってからでは困るだろうからとナイさまは急ぎ連絡を寄越してくれたようである。
「ご当主さま?」
困惑している家宰さんに俺は手紙の内容を伝える。
「人より馬を優先させるのは如何なものでしょうか……」
「たしかに軽く話だけを聞けばそう思うのは仕方ないのかもしれませんね。馬の方が怪我が酷く、アストライアー侯爵閣下は優先すると決めたようです」
怪訝な顔になる家宰さんの気持ちは分かるものの、現場ではいろいろとやり取りがあったようである。馬の持ち主――御者――はナイさまに治癒代をきちんと払ったようだから、特に問題ないのではないだろうか。ただ怪我を負っていた店の主は『聖女なのに人間より馬を優先させるとは』と苦言を呈したようだが。ナイさまはその場ではっきりと馬の方が怪我の度合が酷かったと告げたそうである。
そして苦虫を噛み潰したような顔になりながらも店の主人はなにも言わなかった、と。その腹いせなのか分からないけれど、話がすっ飛んでベナンター子爵領にある風見鶏商会を怪我を負った店主が乗っ取りを狙っているそうである。
「しかし、よく風見鶏商会を狙っていると調べられましたね」
「きっと子爵領の領主が必死になって調べ上げたのではないかと……アストライアー侯爵閣下が関わればどうなるか誰にも分からないですから」
件の店がある子爵領の領主はかなり血眼になって調べ上げたのだろう。店の主人の治療をナイさまが施したことも知っているようだし、苦言を呈されたことも知っているようだから。これ以上なにかあっては領地を王家から取り上げられる可能性もあると考えたのではないだろうか。ナイさまが動くとなにか事が起きるなあと俺は窓の外を見る。
双子星の明かりで随分と外は明るい。窓に浮かぶ双子星の前に黒いなにかがこちらへ移動してきていた。
「え?」
「竜でしょうか?」
なんだと俺が短く上げれば、家宰さんが影の正体は竜ではないかと教えてくれる。たしかに目を細くすれば竜の姿に見えなくもない。でも竜にしてはなにか形が変だと俺は更に目を細めると、脚になにかがぶら下がっているように見えた。どんどんとこちらに迫ってくる影は一分もしないうちに、ベナンター子爵邸の庭に降り立った。
『エーリヒ~いる~~?』
竜の方の声に俺は執務室からベランダに出る。すると近くの部屋からフィーネさまも様子を見ていた。窓から見ているのでベランダに出るような危険な真似はしなかったようで少し安堵する。
俺は庭にいる竜の方に直ぐに行くから待っていてと告げて、急いで家宰さんと護衛を数名連れて庭を目指す。途中、フィーネさまも部屋から顔を出して一緒に行きたいという申し出に、後ろに下がっていてくださればという条件を付けると分かりましたと声が上がる。
「どうして急に……って誰?」
地面には大きな男が気絶していた。俺が首を傾げると竜の方――多分、霧隠れの亡国を一緒に目指した竜の片割れ――が尻尾を左右に振る。
『えっとねえ、うんとねえ、嫌な奴!』
俺の疑問に竜の方が答えてくれるけれど、凄く大雑把なものだ。俺が詳しく経緯を聞けば、ジークの領地へとなんとなく向かい仕事はなかったけれど、町で目の前の男を見つけて嫌な感じがして追いかければ逃げたから捕えたそうである。
あと二人は逃してしまったそうだが、目の前の男から俺の領地にある風見鶏商会に嫌がらせをして欲しいと見知らぬ者から小金を握らされたとのこと。そして先ずは支店から嫌がらせを初めてくれとも頼まれたそうだ。
「……問題解決の糸口が舞い込むのは早いなあ」
どう対処しようかと悩む間もないまま、下っ端を一人捕えてしまっている。一緒に庭にきていたフィーネも碌な事ではないようだと苦笑いを浮かべていた。
さて、とりあえずは気絶している目の前の男を拘束して、アルバトロス上層部にも伝えよう。あとはナイさまとジークフリードと件の店があるという領主さまにもか。まだ全容は分かっていないけれど、多分きっと解決するのではなかろうかと俺は夜空に浮かぶ双子星を見上げるのだった。




