1695:無事の帰還に。
夜が明けて出発の時間となった。
昨日、晩餐会で私たちはご領主さまから助けた商人一行の情報を手に入れることができた。彼らは私たちが宿泊した子爵領でブイブイいわせていたようである。
父親の代で一財産を築き上げ、継いだ本人は有頂天になって方々に販路を広げようと頑張っているとか。ご本人は頑張っているつもりだけれど、やり方が強引で顰蹙を買っているとか。
出発前に助けた馬さんの様子を見に行きたかったけれど私が赴けば大騒ぎになる。ご領主さまに頼んで、子爵領にある教会の神父さまに話を付けて頂き聖女さまを派遣してくれることになった。もちろん、派遣代を払っているからお仕事の範疇だ。もし店の主人や馬さんの御者が変なことを言い出せば迷惑料を払うつもりだ。馬さんになにもなければ良いけれどと心配していれば、出発の時間となっていた。
高級宿の前にはアストライアー侯爵家の馬車が止まっており、多くの護衛の方たちが周囲を固めていた。朝の早い時間なのに既に働いている人は多く、子爵領の商業区には往来に人が通ってこちらを見ている方がチラホラといる。そんな視線を浴びながら私たち一行は馬車に乗り込もうとしていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまは当然のように私が乗る車を目指している。ジルケさまと目が合えば、私に向かって肩を竦めた。
「初日から、ナイは変な連中に絡まれているな」
ジルケさまが微妙な視線を私に向けている。なんとなく憐みも含まれているような気もしてならないが、どうにも昨日の商人のような方に絡まれてしまう体質らしい。でもまあ、人と接する機会が多い分、御者の方のような真っ当な方に出会うこともあるのだから相殺されているというか。あははと私が渇いた笑いを浮かべるとヴァルトルーデさまがドヤ顔になった。
「それがナイの魅力」
それは自慢になるのだろうかと私は首を傾げて、ふと思いついたことを口にする。
「それだと女神さま方も変な連中に含まれませんか?」
私が女神さまに絡まれる人間というならば、女神さま方は変な人となるわけで。どうでしょうという視線を私が二柱さまに向けた。
「あたしらは真っ当だろーが!」
「ちゃんとお金払っている」
するとジルケさまとヴァルトルーデさまは心底失礼だなという視線を私に向けて抗議の声を上げた。女神さまのお陰でアストライアー侯爵家はアルバトロス王国を超えて四大陸で一番有名な貴族家となっている。貴族としては有難いけれど、一人の人間としては有名になり過ぎるということは面倒がたくさん転がりこむわけで。
でもまあ、言っても仕方ないなと私は苦笑いを浮かべて馬車に乗り込んだ。相変わらず竜の仔二頭は御者の方の横の篭を定位置としていて、いつになれば女神さまに慣れるのか。慣れないならばグイーさまの下へ行って、もっと神々しい方の存在を知って貰うのもアリだろうか。でもトラウマを追う可能性があるから無茶はできない。うーんと悩んでいればヴァルトルーデさまが動き出した馬車の窓の外を見ながら声を上げる。
「馬は大丈夫かな……?」
「念のために二節の治癒魔術を施して、子爵領の聖女さまに様子を見て貰うので、酷くなるようなことはないかと」
ヴァルトルーデさまが窓から視線を私へ移してこてんと首を傾げた。車窓には子爵領の商業区が流れているから、それを見て西の女神さまはふと思い至ったのだろう。御者の方も馬を大切に扱っていたから酷使されるようなことはないはずだ。あとは例の店の主人が御者の方に難癖をつけないか心配であるものの、この地のご領主さまにちょっと目を光らせておくように頼んだから大丈夫なはず。
「ナイに変なことを言った奴、エーリヒの領地にある店を狙っているんだって?」
「そうみたいですね。新店の主人を元孤児に任せたことで、商人の皆さまの間で話題になり、目立ってしまったようで」
ジルケさまが椅子の背凭れに体重を預けた。例の店の主人はエーリヒさまの領地にある商店に目を付けているとか。何故、この情報を得られたのかと言えば、昨夜、子爵領の領主さまがいろいろと調べてくれて朝一番に情報を持ってきてくれたからだ。
エーリヒさまも聖遺物を見つけ、聖王国の元大聖女さまと婚姻を果たした子爵家主人として名を馳せている。そろそろ伯爵位を賜るという噂も広がっているから、この地の領主さま的に厄介事は勘弁して欲しいから、どうにかして欲しいということだろう。エーリヒさまと私が懇意にしているというのは一部の貴族家しか知らないはず。この地の領主さまが知っているかどうかは謎であるが、高位貴族家同士の繋がりがあるだろうからと私に報告した気がする。
「よく分かんねーな」
「狙っていることがですか?」
ジルケさまが首を傾げると、ヴァルトルーデさまも私もよく分からないと不思議そうな表情になっていた。クロもイマイチ分からないようなので、説明をしておいた方が無難だろうと私は判断する。
「新しい店を興したなら、その店の主人は血族に任せるのが基本ですから」
商人の皆さまも身内で固めることが多い中、元孤児に新店を任せられる方は凄く人格者である。しかし家族の反対はなかったのだろうかとも考えてしまう。無理矢理に反対意見を封殺したのか、押し切ったのか、誰も興味がなかったのかは分からないけれど……なににせよ、貴族社会や商人社会で生きている人たちでは稀有な方であろう。
私の言葉にジルケさまとヴァルトルーデさまはまた良く分からないと言いたげになっていた。兎にも角にも一週間近くはジークと共に宿泊先での挨拶回りに奔走しなければと肩を竦め、アストライアー侯爵領を目指すのだった。
――一週間後。
一日目の宿泊先以外の挨拶回りは普通に終わっていた。皆さま顔を引き攣らせていたような気もするが、侯爵位を持つ方たちではないため緊張するのは当然だろう。男爵位や子爵位の方の屋敷に泊るのは少々ご遠慮した方が良さそうだとジークと相談しつつ、各領地での買い付けも順調に済ませている。領主邸の馬車回りから玄関ホールへと足を踏み入れると、従業員の皆さまに出迎えられる。
みんな仕事があるだろうに、主人の帰宅でいちいち呼び出されるのは億劫ではないだろうか。無駄なことは止めようと一度家宰さまに進言してみたものの、貴族社会ではこれが普通で止める方がおかしいと言われてしまっている。従業員の皆さまの顔を眺めていると、家宰さまの声で一斉に礼を執る姿は迫力があった。顔を上げた皆さまは口を揃えて『お帰りなさいませ、ご当主さま』と声を上げた。
「ただいま戻りました。なにか問題になるようなことは?」
私は軽く視線を下げて集まった皆さまに声を掛ける。調子の悪そうな方や変わった様子の方は特にいなさそうで安心していると、家宰さまが私の疑問に答えてくれた。
「滞りなく。ああ、早馬でお知らせ頂いた件についてですが……」
「執務室で話しましょうか」
「承知いたしました」
そんな会話を経て、私は一旦自室に戻り、ヴァルトルーデさまとジルケさまも宛がわれている部屋へと戻って行く。ジークとリンや護衛の方たちも一度解散となったから、このあとは久しぶりの休暇となるだろう。
私は先に気になることや溜まった仕事を捌いてから一日休む手筈になっていた。竜の仔たちは私と一緒に自室へくるようで、ヴァナルの背に乗ってじっとしている。さて、家宰さまからどんな話を聞けるのだろう。少しして介添えでやってきたエッダさんと軽く今回の移動の話をしながら着替えを済ませ、自室から執務室へと向かう。
「ジーク、リン。休んで良いのに」
執務室へ入るなり着替えを済ませたジークとリンが壁際に立っていた。私の姿を見るなり、そっくり兄妹は笑みを浮かべる。
「疲れていないし、ナイが仕事をしているなら俺たちも動かないとな」
「うん」
こうなるとそっくり兄妹は私がなにを告げても動かないから、さっさと仕事を片付けようと自席に腰を下ろせば、セシリアさまとアルティアさまが席から立ち上がる。
なんだろうと私が首を傾げると、お二方はにこりと笑みを浮かべた。今のセシリアさまとアルティアさまの表情は年の項なのか妖艶なものだ。私も彼女たちの年齢に達すれば、同じような表情と雰囲気を醸し出せるだろうか。微妙だなあと私が変なことを考えていればお二人が礼を執る。
「先程もご挨拶をさせて頂きましたが、改めて」
「おかえりなさいませ、ご当主さま。無事のお帰りようございまし……ふぁあ!?」
セシリアさまが言葉を紡ぎ、アルティアさまが補足のために口を開いたのだが視線が一瞬ヴァナルの方へと向き目を引ん剝いていて甲高い声を上げた。どうやら卵から孵った二頭の竜の仔に気付いたようで、ヴァナルがこてんと首を傾げる。
「な、な、なっ、なんということでございましょう!! 幼い竜の仔が……卵から孵ったばかりの竜の仔が目の前にっ!!」
テンションを天元突破させたアルティアさまがヒャッハーしている。両手を頬に当ててくねくねと腰を動かしていた。ヴァナルは大丈夫かなという顔を浮かべながら、二頭の竜の仔を背に乗せたままアルティアさまの下へと移動する。竜の仔二頭は女神さまがいないため彼女の様子に驚いてはおらず、なんだこの人間という視線を向けてるだけだ。
「ご挨拶の際に見逃していたなどど……一生に一度の不覚っ!!」
竜の仔の可愛さにアルティアさまが囚われているが、卵から孵ったところを見逃したと気付けば彼女はどうなってしまうのだろう。できることなら執務中は気付かないで欲しいと願いつつ、セシリアさまがはわはわしているアルティアさまは放置して仕事を開始しましょうと告げる。
彼女にはあとでサボった分の仕事を押し付ければ良いからと。家宰さまもあまり気に留めず、溜まった仕事の書類を私に差し出した。とりあえず内容を確かめて、私はアストライアー侯爵家の印を押していく。
そうして急ぎの案件を捌けば、件の商人の方の話題へと移る。その頃にはアルティアさまは正気に戻り、凄いスピードで仕事を終わらせていた。家宰さまの情報によると、件の商人は柄の悪い人を集めていろいろとやっているようである。
時代劇のようだと言いたくなるが、時代劇のような世界だしなと私は肩を竦めた。
「商人の掟や事情はよく分からないですね……」
商人の方たちも仕入れのための独自ルートや販売ルートを持ち、日々、管理に勤しんでいるそうである。その領域を犯されると報復に出るのは当たり前だとか。やっていることは貴族と変わらないと私が口にすれば、家宰さまとセシリアさまとアルティアさまが苦笑いを浮かべた。
違うところは貴族よりも商人の方の方が気を使うところだろうか。商人の上には貴族という存在があり、ご機嫌を損ねれば商売ができなくなる。商人は本当に大変だけれど、成功すればフェルカー伯爵家のようにもなれる。
「目を付けられた方の新店はジークの領地にあるよね。ご挨拶させて貰ったはず」
「ああ。エーリヒの領地に本店があるし、領地の者がよく利用している店だ。潰れると困るな」
私がジークに視線を向ければ、困った顔へと一瞬変わるが直ぐに気を引き締めていた。いろいろと取り揃えているお店だったし、お客さんも多く真っ当な店のためジーク的には潰れて欲しくないところと判断しているらしい。これはエーリヒさまにも注視しておきましょうと一声掛けておく方が良いだろう。馬車の脱輪事件がまさかここまで話が大きくなるなんて誰が思うだろうか。




