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1694:生きていますわ。

 王都からアストライアー侯爵家を目指し、一泊目の領地にある高級宿屋へと辿り着くなり、ご領主さまが私たちの下へとすっ飛んできた。どうやら助けに入った馬車の一行は、ここに住む方たちであったようだ。血相を変えて馬車から降りる私の下へと駆けつけたご領主さまは、深々と頭を下げて顔を上げる。


 「領地の者が閣下にお手間を取らせてしまい、大変申し訳ございません!」


 「いえ、治癒代を頂いたため問題ありません。今日は領地にお邪魔させて頂き、夕食のお誘いまでありがとうございました。お世話になります」


 小太り中年のどこにでもいるようなご領主さまである。王都から伸びる主要道の筋にあるため。宿泊施設が充実し旅人も多くこの領地で宿を取るそうだ。現に旅装姿の方たちが領地の外門を潜り宿を目指している。

 以前も侯爵領に戻る際に一泊しており、前は挨拶だけで済ませていた。ご領主さまは今度こそ私をもてなそうと、最高の食材を用意して最高の料理を提供すると息巻いていた。

 

 ご領主さまは私に謝罪をするなり、では夕食でと口にして領主邸へと戻って行く。宿に入って部屋へと案内されたあと、みんなで私の部屋に集まっている。

 ヴァルトルーデさまとジルケさまとジークとリンがいて、床には馬車を馬さんの代わりに引いてくれたヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちがまったりしていた。竜の仔たちはヴァナルのお腹のところで、顔を突っ込んでいるから女神さま方がちょっと怖いようである。お尻が沈む高級ソファーに腰を下ろせば、ジークが苦笑いを浮かべて私を見下ろす。


 「大丈夫なのか?」


 片眉を上げるジークに私も片眉を上げる。ヴァルトルーデさまは私がまた事件に巻き込まれそうと微妙な顔になり、ジルケさまはいつものことだろうと泰然としている。リンは隣に腰を下ろして、私の顔を覗き込んでいた。


 「どうだろう……変なことにはならないはずだけれど……有名になり過ぎても問題が発生するんだね」


 大丈夫かどうかは分からないけれど、治癒を施したあの人はなにか言いたげであった。ご領主さまに治癒を施した方の情報を貰い、少し立ち回っておいた方が良いだろう。

 特になにかするわけではないのだが、妙なことになっても困る。あの助けた方は私を侯爵と認めていたけれど、聖女の名前も口にしていた。聖女として『人より馬を先に診た』となれば責められる点になるかもしれないのだから。

 

 「領主には子細伝えておいた方が良さそうだな」


 「うん。馬さんの怪我の方が酷かったのにね」


 ジークと私は視線を合わせて溜息を吐く。クロも馬さんの方が確実に酷い怪我だったと口にした。馬さんは脚を一本失えば生きられない――サラブレッド限定かもしれないけれど――と聞いていたから、額の傷だけだった人より優先したのだ。きちんと御者の方から対価を頂いたので治療を施した。そういえば御者の方が主人に責めらるかもしれないと頭に過る。この件についてもご領主さまに相談しておこうと決めると、ジークが肩を竦めた。


 「どこかの商家の者だろうから、痛いことに慣れていないのかもしれないな」


 商家も貴族家と同じように代を継ぐことで、店を盛り上げている。もちろん代を受け継いで事業失敗ということもあるのだが、幼少期から恵まれた環境で育っていたならば怪我に慣れていないこともあるだろう。

 額から流れ出る血は派手に見えるけれど、意識があって気持ち悪くないのであれば大体問題ない。頭に損傷があると分からないから、術は少し過剰な物を施している。あとからなにか病気を発症することはないはずとみんなに説明すれば、横にいるリンから腕が伸びてきた。


 「ナイの判断は適切。文句を言う方が悪い」


 「ありがとう、リン。でもまあ……相手の人はどうとでも言えるだろうから、気を付けるに越したことはないかな?」


 リンの胸の柔らかさを感じつつ、私は肩を竦めた。今や、アストライアー侯爵家の名前が売れ過ぎて、相手の心配をしなければならないのは如何なものだろうかと三人で肩を竦める。ヴァルトルーデさまは良く分かっていないのか首を傾げ、ジルケさまは小さく溜息を吐く。駄弁っていれば、直ぐに夕食の時間となり領主邸へとお邪魔することになった。


 ようこそいらっしゃいましたと、先程血相を変えて頭を下げていたご領主さま一家がニコニコ顔で出迎えてくれた。


 ジークは私の夫として隣に並んでいる。リンは護衛として一緒にきてくれて、後ろから余計なことをするなよという覇気を醸し出していた。二柱さまは食事を摂れないからと宿に残っている。

 宿の方には二柱さま用のご飯を用意して貰っているので、きっと今頃は美味しい、美味しいと食べているに違いない。私たちは今から今日の事の説明をしながらの食事だなと笑って、ご領主さまによって食堂へと案内される。

 

 子爵領規模の屋敷のため、侯爵領にある領主邸と比べれば随分と狭い。狭いけれど広い……という矛盾を抱えながら、椅子に腰を下ろした。隣にはジーク、目の前にはご領主さまと奥方さまが。対面の少し離れた場所に息子さん夫婦が腰を下ろしていた。


 「我が領地に泊ると聞いた際は、以前できなかったことができると歓喜に震えました。ご満足いただけるか分かりませんが、我が家の料理人が腕に縒りを掛けて作っております。是非、ご賞味くださいませ」


 「卿から最高の夕食をご用意すると聞き、今日まで楽しみにしておりました。本日はよろしくお願いいたします」


 ご領主さまと私の声に夫人が『なんてことを言ったの!!』と目を引ん剝いて、彼女は隣の席に座る旦那さまを見た。それも一瞬にして隠し、前を見つめほほほと笑みへと変わった。移り変わりが凄いと感心していれば、給仕の方が食前酒を持ってきてくれた。桃の白ワインだそうで、通常のワインは透き通っているけれど少し白濁していた。


 「閣下、飲まれますかな?」


 軽いものですとご領主さまが説明を付け足す。年齢的には飲んでも問題ないのだが、普段飲まない人間が調子に乗って飲めば失敗するのは前世の酒の席で知っている。とはいえそろそろ解禁しても良いだろう。妊娠していればはっきりと断るが、まだその心配は必要ないはず。


 「飲み慣れていないため、味の評価を正確に下せませんが……いただきます」


 私にはボルドー男爵さまのようにお酒の味は判断できない。凄く美味しそうに彼は飲んでいるけれど、私の舌は子供のためキツイやつは慣れが必要である。ご領主さまがグラスを手に取って掲げれば、ジークと私と夫人と息子さんもグラスを手に取る。


 「では、閣下とご伴侶さまの良き時間となりますよう……乾杯」


 そう口にしたご領主さまの挨拶のあと、桃のワインを少量口に含む。たしかに口当たりが軽く、桃の甘い味と匂いが口の中に広がった。喉が焼けるような感じはまったくないから、飲み過ぎると危険だなと苦笑いを浮かべてグラスをテーブルへと戻す。ジークも平気そうに飲んでいるけれど、私と同じ気持ちらしく飲み過ぎると危ないと言いたげだ。そうして前菜が運ばれてきて、小さな晩餐会が始まるのだった。

 

 ◇


 侯爵閣下が我が領地に訪れる少し前。アストライアー侯爵家一行をもてなすことは小さな領地の主としてとても喜ばしいことだと、この地の領主として私は夜に開かれる晩餐会の準備をしていた。


 だというのにアストライアー侯爵閣下が我が領地へ辿り着く前に入った情報はとんでもないものであった。


 我が領の商人が馬車で戻ってくる際に脱輪したようで、閣下のお手を煩わせてしまったようだ。閣下も閣下で気軽に対応し過ぎではと言いたくなるものの、彼女は元々聖女として活動していた。きっと聖女時代を懐かしく感じ、怪我を負った者に治療を施したのだろう。

 しかし、しかしだ。四大陸に名を轟かせ、婚姻式には創星神さま夫妻が参加された侯爵閣下に我が領地の者が不躾な態度を執ろうとは。想定外の出来事になんてことをしてくれたのだと、私は膝を床に突く。

 

 「なんてことだ」


 頭を抱えて私は顔を床に近づけた。家宰がそんな私を見て『落ち着いてください』と声を掛けてくれる。我が妻も話を聞きつけて血相を変えながら私の下へとやってきた。


 「貴方! 侯爵閣下に我が領地の者が盾突いたと! しかも馬車の馬の代わりを侯爵閣下が従えているフェンリルが担っているなんて!!」

 

 我が妻は件の者たちが戻ってくれば、領主権限で即捕えましょうと口にする。たしかに彼らを捕らえて閣下の前に差し出すのもアリだが、先ずは領地の者が無礼を働いたことに詫びを入れるのが先だ。そして侯爵閣下がその者たちをどうしたいのかを聞いてからでも遅くはない。ただ身柄は確保させて貰おうと、私は床からゆっくりと立ち上がり、家宰に命を下す。


 「彼の者の下に騎士を向かわせよう。決して逃げられないように」


 「承知致しました」


 私と家宰の声を聞いた我が妻は玄関ホールをぐるりぐるりと回って、どうしましょう、どうしましょうと不安に駆られていた。侯爵閣下であれば理性的な判断をくだすのではないかという考えを持つ私と、我が家も制裁を受けるのではと考える我が妻とでは様子が違うのも当然だ。もちろん、侯爵閣下に無礼な態度を執った領地の者になんてことをしてくれたという気持ちは変わらないが。


 「閣下が領地に辿り着く前に私は領門に向かう。もし仮になにかあれば家のことは君と息子に託す」


 「貴方……!!」


 くっと涙を堪えるような我が妻に私は毅然とした態度で玄関を出た。でも、侯爵閣下の前に立つのかと分かれば、膝の震えが止まらない。しかし当主として、領主として向かわなければと自分を鼓舞する。

 馬車に乗って領都の門へと辿り着けば、タイミング良く侯爵閣下一行も辿り着いたようだ。私は馬車を勢いよく飛び出して、侯爵閣下の下へと向かい詫びを済ませれば、彼女は怒った様子はなく冷静に対処してくださった。有難いと私は感謝しつつ、迷惑料は晩餐会で支払わなければならないと急いで領主邸へと戻ったのだ。そうして私が無事に戻ってきて驚く我が妻と息子に急ぎ晩餐会の用意をと声を張る。


 迎えた侯爵閣下と伴侶のロウ男爵は年齢の割に凄く落ち着いていた。件のことにも怒ってはいないが、食事を摂りながら状況を事細かに説明してくださる。

 たしかに人間より馬を先に治療したことは問題があるのかもしれないが……侯爵閣下の判断を否定できる者などいないだろう。それに怪我を負った主人は問題なく今も過ごしているのだから。そしてアストライアー侯爵閣下は私にひとつお願いがあると言葉を紡いだ。


 「御者の方が理不尽な目にあうようでしたら、卿のお力添えを頂けないでしょうか?」


 面倒なことをお願いして申し訳ないと小さく頭を下げる閣下に私はお任せくださいと声を張る。そうして晩餐会は無事に終わり、侯爵閣下は宿へと戻って行く。


 「生きていますわ」


 「生きていますね、母上」


 感慨に耽る我が妻と息子の声を聞きながら。

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― 新着の感想 ―
馬と人とはいえ骨折と擦り傷程度だしな。それに魔物討伐に参加していたナイは治療の順番を決めるのには慣れてもいる。屋敷には馬も馬っぽいのも沢山いるし、優先が馬のほうが先になっても仕方ないよ多分。
アストライアー侯爵家一同は 一泊目の高級宿屋に着かれた 助けた馬車の一同もここの住人で在ったようで いきなりだが この領の領主が血相を変えて現れ馬車から降りるナイ様に深々と頭を下げる「領地の者が閣下に…
2026/09/02 01:08 あかマント
更新お疲れ様です。 一泊目の子爵領の領主は、領地に店を構えている商家の者がアストライアー侯爵一行の手を煩わせたと聞いて泡を吹きかける等、少々早とちりではあるけど、極普通の(善良寄りの)下級貴族思考の…
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