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1693:程度の問題。

 侯爵領へと戻るため、私たち一行は馬車に乗り込んだ。


 王都でパレードを行った時は本当に人が凄く集まっていたけれど、貴族街にある屋敷の中は凄く静かである。早朝、手早く朝ご飯を済ませた私たちは屋敷を出て、王都の外門を抜け、アルバトロス王国主要道のとある道を馬車で進んでいるところだ。

 小麦畑が広がる光景が続いているのだが、ところ変われば葡萄畑になることもあれば、馬産地として馬と草原が広がっていることもある。本当に各領地の特色が見えて面白い。


 今回の旅はジークと私が婚姻を済ませた挨拶回りであるものの、顔を売って交流を広めていこうという目的があった。アストライアー侯爵家は高位貴族の方たちや王族の方たちのと交流を多く持っているため、低位貴族の皆さまとは数えるほどのものしかない。寄り家の関係も歴史のある高位貴族家と比較すると凄く少ない。アストライアー侯爵家は新興だから仕方ない部分もありつつ、これから生まれる子供たちのためにも縁はたくさんあった方が良いとなったのだ。


 馬車は休憩を挟みながら、夕方まで止まらない計画である。


 お昼ご飯は調理部の方にサンドイッチをたくさん作って頂き、馬車の中で食べるか、どこかで止まって食べようとなっていた。車の中にはヴァルトルーデさまとジルケさまと私とクロが乗っていて、影の中にはヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちがいる。

 ロゼさんも待機してくれているのだが、孵ったばかりの竜の仔は御者の方の隣に篭が置かれネルが面倒を見てくれている。どうにも竜の仔は二柱さまが苦手なようで、こういう形となってしまった。怖がられてしまっていると知ったヴァルトルーデさまは出発前から肩を落としたままで、難しい表情を浮かべて席に腰を下ろしている。

 

 「一緒に乗ってくれなかった」


 「仕方ねえよ、姉御」


 「ですね。怖がっている仔を無理矢理乗せるわけにはいけませんから。時間が経てば慣れて、乗ってくれるようになるかと」


 ヴァルトルーデさまにジルケさまと私がフォローを入れた。私たちの言葉に納得できなかったヴァルトルーデさまはクロに視線を向ける。


 「クロ、どうすれば良い?」


 『ぅえ? どうだろう。ナイが言った通り、時間が経てば慣れてくれるはずだよ~彼らは孵ったばかりで外の世界は分からないだろうしねえ」


 急に声の掛かったクロはきょとんとしたあと直ぐに言葉を紡いで、尻尾をちょこちょこ動かしている。いつものようなゆっくりと左右に振る動作ではないから、少し慌てているのかもしれない。こればかりは竜の仔だけが分かることだろうと私は肩を竦めて窓から外を見れば、小麦畑で作業に勤しむ方たちがたくさんいる。農家の方たちがいなければ美味しいご飯を食べられない。


 農業は重労働だし、天候に左右されて、長い時間を掛けて世話をした農作物が駄目になることもあるだろう。こういう時のための対策も打っておかないといけないなと、目を細めながら、灌漑工事にため池の設置、農業器具の開発に肥料、農業系の本とかあれば良いかなと首を傾げる。


 「ナイ」


 「はい」


 「なにを考えているの?」


 「いえ、大したことではないのですが、農業がもっと楽にならないかなあと少し考えておりまして」


 ヴァルトルーデさまはうんうん唸っていたのに私の方が気になったようである。真面目な表情で私を見つめているため、真面目に答えたのだが、話の意図は伝わっているだろうか。そう考えた瞬間にヴァルトルーデさまが首を傾げる。どうやら話を伝えるには端的過ぎたようだと、私はもう一度口を開いた。


 「種苗研究所を開所させて少しだけ成果は出ていますが、他にもやれることはあるなと。肥料や農機具の開発とかありますし、もしもの時のために大雨対策と日照り対策もしなきゃいけないかなと」


 私が補足すればジルケさまが『ナイがそこまで考えるとはなあ』と失礼極まりないことを口にし、ヴァルトルーデさまが少し遠くを見つめながら言葉を紡いだ。


 「前、困っている人間が大勢いたから悪いことじゃないと思う」


 ヴァルトルーデさまの『前』というのは二千年以上前のことではないだろうか。最近まで引き籠もっていた女神さまで、部屋から出たあとに日照りや大雨が降ったことはない。本当に女神さまの時間間隔は壮大なものだなあと感心していれば馬車が止まる。どうしたのかと窓から顔を出せば、ジークが側に寄ってきた。


 「前の馬車が悪路で脱輪したようだ」


 ジークの側にはリンがいて肩を竦めている。きっと前の馬車をどうにかしないと、私たち一行もこのままだろう。手伝えそうなことがあれば協力してあげて欲しいと護衛の方たちにお願いする。

 ヴァルトルーデさまとジルケさまも大丈夫かと心配しているようだ。時間が掛かると予定が変わってしまうと私は馬車から降りると、リンがエスコートを担ってくれた。ジークは脱輪した馬車の方へ向かっており、少し離れた場所に赤い頭が見えていた。


 リンを横に連れ、後ろにはヴァルトルーデさまとジルケさまを控えさせて私は先頭へ歩いて行く。整備された道の先に大きな穴ができている。どうやらソコに馬車が嵌ったようで、そのまま横転したようだ。時折、あることだから珍しいことではないものの、こうして遭遇するのは初めてだなと私は目を細めた。


 「盛大にやっちゃっているね。大丈夫かな……」


 「だね」


 私の心配の声にリンが同意してくれる。ジークは向こうの責任者と話込んでいるようで、なにやら真剣にやり取りをしていた。


 「凄いな」


 「こんなこともあるんだ」


 ジルケさまとヴァルトルーデさまは道端で横転している馬車を見つめている。馬車を引く馬は前脚を上げてよろよろしながら御者の方に宥められていた。あれは不味いなと私が目を顰めると、話を終えたジークがこちらへと駆け足で戻ってきた。


 「怪我人がいるから、治癒師がいれば診て欲しいと」


 ジークが少し困り顔で教えてくれた。怪我を見るのは良いけれど、どれくらいの程度であろうか。ジークに聞いてみれば大したものではないらしい。でも血が流れているから手当はした方が良いだろうとのことだった。


 それなら私は馬車を引く馬の方へ先に行こうとジークとリンに告げる。するとジークが面倒なことにならないかと言いたげな表情になった。リンもジークと同じ気持ちのようで、なにか起こると言いたいらしい。

 その気配を察知したのかヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃん三頭が影の中からぬっと出てくる。止めた馬車の御者席では籠の中から顔を伸ばした竜の仔二頭がきょろきょろしていた。なかなかにカオスな状況になってきたけれど、痛みで嘶きを上げている馬を先に診なければと私は足を進める。


 「大丈夫ですか?」


 「え……あ、あの……え?」


 馬を一生懸命御そうとしている方――多分御者――に私が声を掛ければ、目を引ん剝いて驚いている。そして言葉にならなかった『アストライアー侯爵さま!?』という声を上げて、彼が勢い良く頭を下げそうになるのを私は制しした。


 「よろしければ治療を施したいのですが」


 私はそう御者の方に声を掛けて、なにか対価になりそうなものはないかと伝えた。するとこんな品しかないのですがと彼は身に着けていた指輪を差し出す。御者の方が言うには、侯爵である私にとっては大したものではないし、路傍の石ころと同じ価値かもしれないが、商売道具である馬を失うわけにはいかないそうだ。


 教会で開かれている治癒院の寄付代くらいにはなると私が告げると、彼はほっとした表情になって親の形見であると教えてくれる。少し受け取り辛いものを差し出されたものの、今から返すのも変だろうと私は馬さんの正面に立つ。嘶きを短く上げた馬さんに『今から治療をするからじっとできるかな?』と告げると、言葉を理解してくれたのか動き回っていた身体をピタリと止めた。

 

 私はしゃがみ込んで馬さんの前脚を見れば、ぼこっと一部が膨らんでいる。折れていそうだなと目を顰めるけれど、術を施せば治る代物だろう。ただし暫くは無茶はできないと御者の方に伝えた。


 「本当ですか!? ありがとうございます、ありがとうございます!!」


 私の言葉を聞いた御者の方は心底ほっとしたような表情で今度こそ頭を下げた。これは馬さんの傷が治らなければ私の不名誉になりそうだなと苦笑いを浮かべ、骨折治療用の魔術を二節唱えておく。するとボコッとしていた腫れが引いていき、馬さんが不思議そうな表情になるも尻尾は左右に揺れ始めていた。クロは私の肩の上で様子を見ながら、ゆらゆらと長い尻尾を揺らす。


 『ナイの魔力は心地いいねえ』


 「そうなの、良く分からない……」


 私にとって魔力は商売道具というか、なんというか。心地良いとか悪いとか差が分からない。でもまあ、偶に禍々しい魔力を持つ方もいるのだから、私の魔力は反対の質を持っているのだろう。禍々しくても心地良くても神々しくても、治れば良いのだ。馬さんは二本の前脚をしっかり地面に付けて、周囲を歩いて私の方へと向き直り頭を上下に振る。


 『治してくれてありがとうって。痛みが引いて喜んでいるねえ』


 「そっか。しばらく無茶はしたらいけないって伝えて貰える?」


 クロが馬さんの気持ちを通訳してくれた。それならばと私は馬さんに伝えたいことをクロにお願いする。なにやら二頭は話し込んでいるようで、首を傾げたり、尻尾の動きを止めたりと忙しない。やり取りする姿は可愛いなと私が肩を竦めると話が終わったようでクロがまた通訳してくれた。


 『お礼をしたいけれど、なにも持っていないからごめんなさいって』


 「気にしなくて良いよ。お礼はちゃんと御者の方から頂いているからね」


 とはいえ、その素敵な唇を撫でさせてくださいなとクロに頼んで貰えば、そんなことで良いのならと顔を下げてくれる。馬さんのぷにぷにの唇は不思議な感触をしていてなんとも言えないものである。

 でも気持ち良いんだよなあと堪能していれば、御者の方より良い衣装を纏った方が私の下へとやってくる。誰だろうと首を傾げると、ジークが怪我をした方の従僕の方だと教えてくれた。凄く申し訳なさそうにしながら、汗を拭きながら彼は言葉を紡ぐ。


 「あ、あのぅ……閣下……」


 「はい」


 私の返事に従僕の方は凄く申し訳なさそうにしながら、馬さんの治療が終わったのであれば主人の方もお願いしたいと言い辛そうに声を出す。私はそうだったと思い出して倒れた馬車の下へと歩く。

 側にあった大きな石の上にはこめかみから血を流した男性が座っている。私を見るなり男性は腰を掛けたまま、よろしくお願いしますと言葉を紡いだ。その様子にジークとリンがぴくりと気配を引き締めるけれど、怪我人に無理は言えない。とりあえず、治療を施そうと私はしゃがみ込んで様子を見れば、ジークが教えてくれた通り額を切っただけで他はなんともなさそうだ。意識も確りしているから、あとはなにもないことを祈るのみ。


 「気分が悪いとか、こめかみの傷以外でなにか症状はありませんか?」


 「特には。しかしながら閣下……馬より私を先に診てくださらないのは、聖女として如何なものでしょうか?」


 おずおずと申し訳なさそうに、でも馬よりあとにされたという雰囲気はありありと醸し出して主人は言葉を紡ぐ。すると従僕の方は止まらない汗を更に拭きながら、なんてことをと言いたげにしていた。私はどうこうする気はないし早く出発したいから、一先ず目の前の彼の額の傷に術を施す。うん、我ながら綺麗に消えたなと満足して、先程の疑問に答えるべく目の前の方と視線を合わせる。


 「馬の方が貴方さまより酷い怪我を負っておりました。程度の問題です」


 すると彼は『そうですか』と小さな声を紡いで『ありがとうございました。お礼は必ず』と仰ってくれた。そうして彼に就いていた護衛の方とアストライアー侯爵家の護衛の方が倒れた馬車を起こし、行先が同じと知ったヴァナルが馬さんの代わりに彼らの馬車を引き、一泊目の領地へと辿り着くのだった。

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