1690:タイミングを。
朝。ジークが隣にいて目が覚めることも少しだけ慣れてきている。
リンが兄さん良いなあ、みたいな視線を向けているからたまには交代した方が良いのかもしれないが。同じようでいて、少しだけ違う環境に苦笑いを浮かべて私は食堂を目指す。
早い方は日の出前から働いているし、警備部の方たちは夜の見回りもある。屋敷が平穏なのは皆さまのお陰ですと感謝しながら廊下を歩き、途中でリンと合流して食堂へと辿り着けばいつのも面子が揃っていた。
そしてヴァルトルーデさまとジルケさまも既に席へと腰を下ろして、私たちを待ってくれている。お待たせしましたと声を上げた私も席に就くと、給仕の方たちが忙しなく準備を始めた。
今日の朝ご飯はパンとスープと果物というアルバトロス王国貴族の定番の食事だ。スープはどんなものかなとか、パンに付けるジャムはたくさん出してくれるかなと楽しみにしながら待っていると、ヴァルトルーデさまが私をじっと見ている。丁度、お茶が配られて一口入れてから私が首を捻れば、ごくりと息を呑んだヴァルトルーデさまが口を開いた。
「ナイ。子供作るの?」
「ぶふう!」
「うわ! 汚ねえだろ、ナイ!」
ヴァルトルーデさまの疑問に私は盛大に吹き出してしまう。被害はジルケさまが受けたようで、なにしやがるんだとはっきりと口にしている。今の光景を見た給仕の皆さまは顔を青くして、どうすりゃいいですかと慌てふためいている。
とりあえず給仕の方には綺麗な布を用意して貰ってジルケさまに渡して貰った。ヴァルトルーデさまはどうして私がお茶を吹き出したのか良く分かっていないようである。
はあと息を吐いた私と朝から女神さまになにをしているんだと呆れているクレイグに、苦笑いで食事を待つサフィールと片眉を上げているジークと何事もなかったかのようなリン。ヴァルトルーデさまはジルケさまが顔を拭き終わるまで質問の答えを待ってくれているようだ。そしてジルケさまが吹き終えると、私はすっと背を伸ばした。
「ヴァルトルーデさまが突拍子もないことを仰るので。苦情はヴァルトルーデさまにお願いします」
はい。妙なタイミングで声を上げ、妙な質問をするからこうなるのだ。するとジルケさまがヴァルトルーデさまを一瞥しているが、反応を見せない姉神さまに妹神さまは小さく息を吐く。
「で、なんで姉御はナイに疑問を投げたんだ?」
「厩で庭師と話してた」
ジルケさまの疑問にヴァルトルーデさまが答えてくれるけれど、イマイチ状況が理解できない。どうして厩に庭師の方がいたのか。どうしてヴァルトルーデさまは厩に向かったのか。ただ、あまり深い意味はなさそうだなと私は苦笑いを浮かべて、先ずは一つの疑問を晴らそうとヴァルトルーデさまを見る。
「ヴァルトルーデさまはどうして厩に?」
「早く目が覚めたから朝の散歩していただけ」
どうやら厩の方と庭師頭の方が朝の早くから話し込んでいて、ヴァルトルーデさまは聞き耳を立てていたようである。内容は私が婚姻を果たしてめでたいというもので、子供が早く誕生しないかと話題に上がっていたそうだ。
そしてヴァルトルーデさまはジークと私の間に子供を儲けることが不思議に感じるそうだ。そういえばヴァルトルーデさまは赤子を怖がる節があるので、妊婦には慣れていなさそうだし、生まれたばかりの子にも慣れていなさそうである。でもエルとジョセたち天馬さま方の出産に立ち会っているのだから、今更人間の出産で驚くことはないだろうに。ただ単にジークと私の間に子ができる、ということが受け入れられないだけのようだ。
「赤子が生まれたら夜泣きやらで煩いでしょうし、苦手なら別邸に部屋を用意しますね」
慣れない方は寝不足に陥りそうである。私も寝不足に陥るだろうけれど、生んだ責任があるから文句は言えない。ただ乳母さんが控えてくれているので、赤子を育てるということに関しては前世より随分と気が楽だ。まあ、生まれてもいないし、妊娠もしていないのだから、まだ気が早い話である。でもまあ、備えておくのは悪くないことだと私は肩を竦めた。
「そういう意味じゃない」
口元をへの字に曲げたヴァルトルーデさまにジルケさまが首を傾げる。
「じゃあ、なんなんだ?」
「ナイは小柄。心配なだけ」
口元をへの字から真一文字に変えたヴァルトルーデさまは私を真剣な目で見た。
「それに関してはどうにかなるかなと」
心配は有難いし、嬉しいものだ。たしかに私の背は百六十弱で、アルバトロス王国において小柄な部類になってしまう。成人女性の身体つきにはちょっと届かないというか。でもまあ、私と同じ体格の女性が出産した例はいくつかあるし、私も出産に立ち会ったことがあるのだ。小柄な女性が妊娠した経緯は碌でもないことだから省くけれど、本当になるようになるとしか言えない。
あとは覚悟の問題かなと私が肩を竦めると、ヴァルトルーデさまは真面目な顔のまま『本当に心配している』と言いたげにしていた。ヴァルトルーデさまの心配をどうすれば軽くできるだろうと考えていれば、朝ご飯が届いて真剣な空気が霧散する。
話を聞いていた他の幼馴染組が『単純だな』『まあまあ』と声を上げているけれど、空気が戻ったようでなによりと私は手を合わせる。
「いただきます!」
私の声にみんなが複唱すれば、各々ご飯を口へと運ぶのだった。
◇
――ナイさまー! 遊びにきましたよー! という幻聴が聞こえた気がした。
ヴァルトルーデさまに『無事に子が生まれるか心配』と問われて数日が経っている。私は領都の屋敷から転移陣を使用して王都の城へと足を運んでいた。王国の障壁維持のための魔力補填の回数は以前より減っているものの、一ケ月の間に一度は補填を行っている。私の補填が終わったあとに副団長さまと猫背さんが壊れていないかとチェックされるようになっているのだが、補填部屋を壊した張本人なので文句は言えなかった。
補填を終え、飛竜騎士隊のワイバーンさんたちの様子を伺ったあと、私は一緒にきてくれているジークとリンとヴァルトルーデさまとジルケさまに声を掛ける。
「じゃあ、タウンハウスに行こうか」
私の声を聞いた皆さまは頷いてくれ、肩の上に乗っているクロと一緒に歩いているヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも分かったと頷いてくれた。
一週間前にジークと婚姻式を挙げたことが信じられないけれど、城を歩いていると廊下の端へと寄った方から『閣下、おめでとうございます』と声が掛かる。ありがとうございますと返しながら私たち一行は馬車回りに辿り着く。
転移を使って移動しても良いけれど、御者の方の仕事を失くすわけにはいかないと馬車移動を選択していた。ロゼさんは副団長さまと猫背さんの下で怪しげな取り組みをしているようだ。
ロゼさんは侯爵領へ戻る時間になれば帰ってくると言っていたが、ちゃんと姿を現してくれるのやら。ヴァルトルーデさまとジルケさまと一緒に馬車に乗り込んで、少し話をしていればタウンハウスに辿り着いていた。
馬車回りから玄関ホールへ移動すれば、タウンハウスで働く皆さまが出迎えてくれる。アリアさまとロザリンデさまも顔を出してくれており、嬉しそうに笑っていた。
そしてお二人の隣にはフィーネさまがにっこにこで私に手を振っている。なんだか『遊びにきましたよー』という幻聴が聞こえてきそうな勢いがある。まあ、フィーネさまから王都にくるなら話をしましょうという手紙が届いていたので問題ないけれど。
しかしフィーネさまはベナンター子爵家の差配を放置して良いのだろうか。頭に浮かぶ疑問は隅に置いて、私はアリアさまとロザリンデさまとフィーネさまと向き合った。
「お久しぶり、ではないですが、今日はよろしくお願いします」
私がお三方に礼を執ると、それぞれが言葉を紡ぐ。
「おかえりなさい、と迎えるのはなんだか新鮮ですね、ナイさま」
「ええ。補填作業、お疲れさまでした」
「そういえば、アルバトロス王国の聖女さまには障壁維持のための補填作業があるんですよね……私もできるかな?」
アリアさまとロザリンデさまがお互いを見つめて笑い、フィーネさまは王城の方へと視線を向けて不思議そうにしていた。補填に関してならば、アルバトロス上層部の許可が出ればできるのではないだろうか。
フィーネさまの魔力量は多いから問題なくできるはず。あとは補填後の疲れがどうなるかが問題だろう。ヴァルトルーデさまとジルケさまも屋敷の中では私の側仕えのフリは直ぐに止め、お三方に挨拶をしている。挨拶を終えれば集まってくださった方たちは仕事へと戻り、私たちは来賓室へと向かった。フィーネさま何度もきている屋敷だというのに、きょろきょろと忙しなく顔を動かしながら歩いている。
アリアさまとロザリンデさまは慣れたもので、目を瞑っていても来賓室へ辿り着けそうだ。天馬さまやグリフォンさんたちは屋敷の庭にいないので、見た目は普通の貴族のお屋敷になっていた。でもやはり女神さまが闊歩する貴族屋敷は変だろうし、肩に竜を乗せている人間がいて、フェンリルとケルべロスと仔たちも歩いているのは変わった屋敷と言って良いのかもしれない。
貴賓室の前へ辿り着けば、ジークは部屋には入らず立ち止まって私を見下ろした。
「俺は部屋の前で警備に就くから、なにかあれば直ぐに呼んでくれ」
「うん。ありがとう、ジーク」
ジークに私は礼を告げるとリンがいつの間にか後ろに立っている。
「部屋の中は任せて」
ドヤ顔になるリンを見た私は肩を竦めて、他の面子と一緒に貴賓室の中へと入った。静かに閉じられた扉の向こうには、ジーク以外の男性の護衛が立っている。まあ、屋敷の中でなにか起こることはないだろうと肩を竦めて、私は皆さまに椅子をすすめた。お茶とお菓子が用意できるまで雑談をしていれば、侍女の方が即お茶を淹れてくれ、テーブルには焼き菓子が並べられている。
「王都で人気の焼き菓子です! 手に入れるのは苦労するとか」
フィーネさまが声を上げ、食べましょうと続ける。今日のお菓子はフィーネさまが今回の茶話会の言い出しっぺだからといって用意してくれたものだ。王都には貴族御用達の菓子店がいくつかあり、人気店も存在している。
そういえばアストライアー侯爵家では菓子店への買い付けはあまりなく、屋敷の料理人の方にお菓子も任せきりだった。負担を考えて店から買うのも悪くはなさそうだ。一先ず、お茶を楽しんだあと、フィーネさまがタイミングを見計らってごほんと一つ咳払いをする。どうしたのかと皆さまが手を止め彼女に視線を集めていた。
「ナイさま、お子さまのご予定は?」
なんだかその手の質問を凄く受けるなと私は苦笑いになる。答えなかったり、恥ずかしがれば揶揄われるのは分かっているので、私は普通に務めて口を開いた。
「自然に任せます。というか計画的にしているフィーネさまに問われたくないですよ……」
私はフィーネさまとエーリヒさまがこの先半年はいちゃこらしたいからと、子供ができないようにしていることを知っている。するとアリアさまとロザリンデさまが目を丸くしていた。あれ、お二人にはオフレコだったのかと私は言ってはならないことを口にしてしまったかと、フィーネさまを見た。
「いやあ、でもナイさまと一緒のタイミングで子供ができたら良いなーなんて考えていますし」
テレテレとフィーネさまが顔を赤く染めながら答えてくれる。私たちと同じタイミングと言っているけれど、フィーネさまの一番の目的はエーリヒさまとのいちゃこらではなかろうか。
じーっと私がフィーネさまを見つめていると、驚いていたアリアさまとロザリンデさまが再起動して『ナイさまと一緒』『確かに悪くはございませんわねえ』と口にしているのだった。まさか、みんなと年齢の近い子たちがたくさん生まれるのではないかと私は目を顰めるのだった。




