1689:屋敷の皆さまの心配。
庭師の朝は早い。一先ず、庭の様子を伺うため、俺は陽が昇る前に起きて見回りをしているところだ。
――調理場に畑にいる妖精ととても良く似た妖精が現れたようだが……庭にいる妖精は何故こうも尊大な態度なのであろうか。
アストライアー侯爵領で庭師頭を務めている俺は裏庭にある家庭菜園を眺めながら深い溜息を吐く。王都にあるミナーヴァ子爵家のタウンハウスにも畑の妖精がいるのだが、ご当主さまがお過ごしになられていた頃より数が減っているとか。もしかして侯爵領の方へ移動していないかと首を傾げれば、俺に気付いた黄金色の畑の妖精がとことことこちらに歩いてくる。そして目の前で立ち止まり、両手を上げてくるくると俺の周りを歩き始めた。
『タネクレ』
『シゴトクレ』
お決まりの台詞を口にしながら、早く寄越せと言いたげな顔になっていった。俺は念のためにと用意していたラディッシュの種を彼らに渡す。すると彼らは種を大事そうに掲げて、ぴゅーっと畑の方へと戻って行く。
「いや、うん。助かるには助かるんだけれどな……」
黄金色の畑の妖精が育てたものは侯爵領領主邸内で消費されている。新興の家故に人手不足に苛まれているが、侯爵位を持つ家なのだ。働いている者たちは多いし、庭には天馬さま方やグリフォンさまたちがお過ごしになられている。
彼らは黄金色の妖精が育てた野菜を喜んで食べてくれるし、むしろ、収穫はしていないかと時折問われることがある。丁度、採れていたならば彼らに渡して際限なくできる野菜を消費して貰っていた。
野菜を天馬さまの森へ持って行くからと、時折彼らに背中に括りつけて欲しいとお願いされることもある。天馬さまやグリフォンさまが言うには屋敷で育った野菜には魔素が豊富に含まれており、元気になれるとのこと。そういえば侯爵邸に舞い降りてきた天馬さまの身体は随分と張りのあるものになっているし、グリフォンさまたちの毛艶はお会いした頃より断然良くなっていた。
「もう芽が生えている」
そろそろこの場から退散しなければ、また黄金色の畑の妖精に種か苗を求められる。俺が踵を返そうとすれば、黒い大きな天馬さまがこちらにやってきた。黒い天馬さまはルカさまだった。
まあ、黒い天馬さまは屋敷の中で一頭しかいないため、直ぐにルカさまだと分かる。ルカさまは俺に視線を合わせて首を傾げたあと、片前脚で地面を掻きながら嘶きを挙げた。どうやら腹が減っているのか、ルカさまは不思議そうに見ている俺から視線を外して家庭菜園の方へと視線を向ける。俺はそういうことかと小さく肩を竦めた。
「ルカさま。朝ご飯の飼い葉を食べたばかりでは?」
そう。庭師の朝は早いが、厩舎で働く者たちも早い時間から起きて馬に餌を与えている。天馬さま方も厩でお過ごしになられているため、馬と一緒に朝ご飯の飼い葉を食べていた。だからルカさまは先程食事を終えたばかりのはず。あまり食べ過ぎても宜しくないのではと俺は苦笑いを浮かべると、今度はエルさまとジョセさまが俺の隣に並んでいる。
『アルティアさんが朝の散歩だと、ルカに乗っておられましたから。お腹が空いてしまったようです』
『ルカも相手にしてくださる方が増えて嬉しいのですが、代わりにお腹が空いてしまうようですね』
我が息子は困ったものですとエルさまとジョセさまが困り顔で俺を見た。目の前のルカさまは『ゴハンないの?』と言いたげに前脚で地面を掻いている。すると黄金の畑の妖精が勢い良く走ってきて、ルカさまの周りをクルクル走り始める。なんだこの状況はと俺が困惑していれば、黄金色の畑の妖精が『アナ、アケナイ!』『コケル! キケン!』と声を上げた。ルカさまは黄金色の畑の妖精を目で追いながらこてんと首を傾げている。
『ルカ。誰かコケては大変でしょう』
『脚で地面を掻く癖は直さないといけませんね』
エルさまとジョセさまがルカさまの方へと移動して苦言を呈している。ルカさまは微妙な表情になって、なにか言いたそうに俺を見ていた。
「厩の者に伝えておきますから。もう少し時間が経ってから厩に戻ってみてください」
俺は天馬さま方の適切な食事量は分からないし、変な品を与えてしまっても問題だろうと苦笑いを浮かべる。ルカさまは少し残念そうにしながらも、俺の言葉の意味を理解してくれたのか唇を器用に動かしてお礼を伝えているようだった。
しかし、そのお礼の伝え方は如何なものだろうか。上と下の唇を器用に翻して頭を上下に振っているのだ。知らない者がルカさまを見れば馬鹿にされていると勘違いしそうである。俺は侯爵邸で働く時間が長くなっているので、あれはルカさまの感情表現であると分かっているけれど……まあ、とにかく厩の者に伝えなければとルカさまとエルさまとジョセさまに別れを告げて、そのまま厩の方を目指す。
俺が厩に入ると馬房にいる馬たちが『誰かきた』と一斉に顔を覗かせた。偶に厩の連中と話をしていることから、俺の顔を見た馬たちは『なんだ、アイツか』と言いたげに顔を引っ込める。愛想がねえなあと俺は肩を竦めて厩の中をずんずんと進めば、空の馬房の中で熊手を持った知り合いが掃除をしている。
「おう、頑張ってるか?」
俺が声を掛ければ知り合いは掃除をしていた手を止めてこちらを向いた。
「よう。お前さんも朝は早いな!」
「ルカさまが腹が減っているみたいだから、なにか用意できないか?」
ニッと歯を見せながら厩で働く知り合いが笑い、俺の言葉を聞いた彼は持っていた熊手の柄の先に両手を置き明後日の方を向いた。
「……朝、二頭分は食べてんのにまだ足りないのか。分かった、なにか用意しておこう」
知り合いは深い息を吐くものの、呆れを通り越して面白いらしい。せっかくここまできたならば、少し世間話をしても構わないかと口を開いた。
「天馬さま方やグリフォンの世話は大変なのか?」
「いや、全然。エルさまとジョセさまが俺たちと話できるだろ。調子の悪い奴がいれば教えてくれるし、なにかあれば相談してくれる。グリフォンさまたちもジャドさまが面倒みてくれて、俺らがやっているのは飼い葉の用意くらいってもんだ」
どうやら厩で働いている連中は仕事が少しだけ増えただけという認識らしい。むしろエルさまとジョセさまとジャドさまのお陰で調子の悪い馬がいれば、直ぐに分かるようになったから有難いようである。また歯を見せながら笑った厩の知り合いが、今度は熊手の柄から手を放して肩に掲げた。
「ご当主さまは俺たちに無茶を言わないから有難いぜ」
「だな。庭も詳しくないからって俺たちに任せっぱなしだ。楽と言えば楽なんだが、どんな花や木が好きなのかくらいは知りてえなあ」
本当にヤバい当主は俺たち下働きを食べない家畜くらいに捉えている。使い潰してナンボだと豪語する奴もいるし、誰か死んでも代わりなんていくらでもいると放言していたとか。
俺はヴァイセンベルク辺境伯家の寄り家からの紹介でアストライアー侯爵家に職場を変えたから変な当主に出会ったことはない。アストライアー侯爵家のご当主さまは変な当主ではないが、俺たちに気を配り過ぎではないだろうか。俺が考え込んでいると、厩の知り合いが肩を竦めた。
「好きな食べ物の話はよく聞くけどなあ」
そういえば好きな花や衣装に装飾品の話は全く聞かない――前の職場では奥方さまやお嬢さまの好きな花やドレス、装飾品の話は従業員の間で周知されていた――と俺は思い返す。
婚姻式で他の星の創星神さまから七色に光る花を頂いたと聞いているので、それを育てて欲しいと言われれば困るけれど。そういえばご当主さまの口から好みの男がどんな人なのかも聞いたことはない。
以前の屋敷のお嬢さまは、どこそこの家のだれそれがカッコいいとお茶会で話していたと侍女から聞いたりしていたのに。ご当主さまの旦那さまは男の俺から見ても、顔が整っているし背も高く、騎士で『邪竜殺しの英雄』と二つ名を持っている。それにご当主さまとは幼い頃からの付き合いだし、初夜もちゃんと済ませていると屋敷内では持ち切りの話だ。でも、一抹の不安は残るというか。あまり恋愛話に興味のなさそうなご当主さまが、上手く夫婦生活を送ることができるのだろうか。
「旦那さまと上手くやっていけるのか、少し心配だ」
「そこはまあ、上手くやってもらわねーとなあ。俺たちが飯を食えなくなっちまう!」
俺の心配を他所に知り合いがまた歯を見せながら豪快に笑った。
「ご当主さまに子供、できると良いんだけれどなあ」
「だなあ。ま、それは神さまからの授かりものって言うし……待つしかねえなあ」
ふうとお互いに溜息を吐く。俺たちにも子がいて、家業を継ぐのは当たり前のことだからご当主さまに子ができないのは困るのだ。ユーリさまがいらっしゃるから最悪の事態は避けられているが……本心を言わせてもらえばやはり直系男児が望ましい。朝飯がまだだから食いに行くかと笑えば、不意に気配を感じて出入口の方へと視線が勝手に吸い寄せられる。
「呼ばれた気がした……なにかあった?」
するとそこには朝陽を背に浴びる西の女神さまが立っていた。どうして、こんなに朝早くから西の女神さまがいらっしゃるのだという疑問は吹っ飛んでいき、ただただ声が困惑の声が漏れるだけである。しかし黙ったままなのは女神さまに失礼だと、俺と知り合いは背を伸ばして直角に背を折り口を大きく開いた。
「に、西の女神さま!! お、おはようございます!」
「おはようございます!」
それと同時に顔を上げれば、西の女神さまがゆっくりと厩の中へと足を踏み入れる。すると馬房にいる馬たちが一斉に顔を出し、鼻を鳴らしながら女神さまを歓迎していた。
「ん。おはよう」
西の女神さまは挨拶の言葉を紡いだあとに大袈裟にしなくていいと仰るが、俺と知り合いは気が気ではない。女神さまに粗相しようものならとんでもない失態だ。
しかし西の女神さまは教会の女神像とは違い、細身のお美しい方であると妙なことを考えてしまう。それこそ失礼ではという言葉が頭を過りいかんいかんと俺は首を横に振れば、西の女神さまが片眉を微かに上げる。
「なにを話していたの?」
「ご、ご当主さまの子はいつ誕生なされるかと!」
西の女神さまの疑問に正直に答えた。本当にご当主さまのお子はいつ誕生なさるのだろうか。気が早いけれど、気になってしまうのは仕方ない。もしかすると誕生しない可能性もあるのだから。
「ジークフリードとナイの子……あまり想像つかないね」
「め、女神さま!?」
西の女神さまがうーんと唸って懐疑な表情になるのだが、俺と知り合いはそれでは困ると声を上げてしまった。
「ん?」
「誕生なさってくださらなければ、俺たちの子が路頭に迷ってしまいます……!」
「どうして?」
西の女神さまが不思議そうに首を傾げる。そうか。貴族の習慣を女神さまが知るはずもないかと俺は説明をしておく。すると西の女神さまは俺の話を静かに耳を傾けていてくれた。
「そういうことがあるんだね」
ふむと頷いた西の女神さまは俺たちに別れを告げて厩を出て行く。話の意図は女神さまは理解してくれていたはずだが、妙なことにならないよねと俺と知り合いは顔を見合わせ、とりあえず朝飯を食いにいくのだった。




