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1688:婚姻後の日常は。

 初夜を迎えたご当主さまはまた前後不覚に陥るのではないかと、アストライアー侯爵家従業員一同は心配していた。


 王都で執り行われた婚姻式の夜は寝てしまい、初夜をすっぽかすというなんとも言えないことをご当主さまは致したわけだけれど、翌日きちんと無事に結ばれたようで良かったと安堵した。そしてなにもないところで転びそうになったり、扉にぶつかったりするだろうと思いきや……普通であった。いつも通りの日常に戻って、アストライアー侯爵領領主邸でお過ごしになられている。


 ご当主さまが王都から侯爵領の領主邸に戻って三日が経ち、凄く忙しかった屋敷の中は落ち着きを取り戻している。婚姻式で準備していた物品は倉庫へ仕舞い込まれ、昨日片付けがようやく終わっていた。

 あとは婚姻式用に買い付けていた食材の消費と細々としたことが残っているご飯がちょっぴり豪華でひそかな楽しみだったのだが、それも今日で終わりを告げる。ちょっと寂しい気持ちがありつつ、お昼ご飯を食堂で今食べ終えたところである。

 

 侍女仲間である同僚が目の前でお茶を一口飲み、ティーカップをソーサーの上へと置く。そして真剣な眼差しで私と視線を合わせた。


 「エッダ……ご当主さまは本物なの?」


 真面目な顔でなにを言い出すのかと身構えていたのに、彼女が口にしたのはご当主さまのことであった。彼女の疑う気持ちは分からなくもないし、口にできないこともあると私は普段通りの姿をなるべく心掛けた。


 「本物だよ。急になにを言いだすの」


 うん。ご当主さまは本物である。というか偽物であったならばクロさまやヴァナルさまたちが真っ先に気付くし、女神さま方も分かる。そして誰よりもジークフリードさんとジークリンデさんが気づく。だからその点に関しては嘘偽りのない事実で、ご当主さまが入れ替わっているということはあり得ない。私の言葉に同僚がぐっと顔を近付けて、小声で囁き始めた。どうやら他の方にはあまり聞かせられない内容らしい。


 「侍女長が言っていたでしょ? 旦那さまと関係を持ったから、告白された時みたいになるかもしれないから注意しろって」


 「うん」


 彼女の言う通り侍女長さまからの連絡事項で『注意せよ』とされていたことだが、ご当主さまは婚姻前の様子と変わらない。幼馴染の皆さまと朝食と夕食を共にしているし、休む間もなく執務も再開なされている。ご予定を随分と詰め込んでおられたから、ご当主さまが前後不覚に陥るよりも、疲労で倒れてしまわないかということの方が今の私は気にしていることである。

 

 介添えの際、ご当主さまの肩甲骨のところに口吸いのあとがあった……なんて目の前の彼女には言えない。言えば恐ろしい速度で屋敷中に広まるはず。噂が広まり、恋愛事情に疎いご当主さまが委縮してしまってはならないだろう。それにご当主さまの介添えは私が主担当故に噂の出どころは直ぐに分かってしまう。分かった途端にご当主さまとジークフリードさんとジークリンデさんに凄い形相で睨まれそうだ。


 ジークフリードさん……もとい、旦那さまはご当主さまを押し潰してはいないだろうかと少々心配になった。とはいえご当主さまの様子は普段通りである。私の心配は必要ないのかもしれないと片眉を上げれば、目の前の彼女がまた小声で私に喋り掛ける。


 「初夜は無事に済んだから良いとして……次はあるのかしら?」


 「どう、だろうね」


 たしかに心配なことではあるが、夫婦の情事に侍女が心配をするのは如何なものだろうか。そりゃ私たちの子が生まれて大きくなったら、アストライアー侯爵家で働くことになる。ご当主さまに子ができないとなれば私たちにも死活問題となり得るのだ。だからこうして話しているわけだけれど、恋愛話と違ってちょっと生々しい話題になっている気がしてならない。私はティーカップに残っていたお茶を飲み干して席から立ち上がる。

 

 「さて、午後のお仕事も頑張らないとね」


 「あ、うん。エッダは片付けの続きだっけ?」


 私が席から立ち上がれば同僚の子も少し慌てて立ち上がった。私はご当主さまの介添えを専門としているが、着替えを行う回数が凄く少ないため割といろいろな仕事に就くことが多い。

 今回は応援という形で侍女長さまから家宰さまの下で仕分け作業を手伝うようにとお願いされている。午前中も行っていたけれど、あまりの量の多さにちょっと引いていた。この作業を細々と言って良かったのか分からないけれど、婚姻式の片付けの九割は終わっている。


 「頂いた贈り物の仕分け。式の片付けは終わったけれど、まだ残っているんだ」


 「招待した方たち凄く多かったからね」


 片眉を上げて笑う同僚の子に私も笑みを返して食堂を後にするのだった。


 ◇


 ネーベルハイム領に戻りたいところであるが、アストライアー侯爵領領主邸の人員は万年不足しているため、家宰殿の命により俺は残って手伝いをしている最中だ。ほとんどの片付けは終わり、残すは頂いた贈り物の仕分けだけとなっている。

 領主邸内にある別館で俺は積み上げられた贈り物を見上げる。午前中も仕分けをしていたはずなのに減った気がしない。昼ご飯を早々に終えた俺は続きをしようと別館に戻ってきたのだが、あまりの多さにちょっと気が遠くなってしまった。


 「……」


 「クレイグ、手を動かしましょう」


 呆けていた俺に家宰殿が苦笑いを浮かべながら苦言を呈す。俺ははっとして頭を下げたあと、箱と一緒に付いている目録を開いて中身が同じか確認をして仕分けをしていく。金目の物が多いため、信頼されている者しかこの仕事を任せられない。だから家宰殿が直接指揮を執り、俺も一緒に仕分けをして、あとは選び抜かれた者が手伝いとして各所から派遣される。


 「遅くなりました」


 少し慌てた様子で別館に姿を現したのはナイの介添えを担っている侍女である。信頼を得ている下働きの女性もいるから、俺たちがいても特に気にならないだろう。彼女は侍女長から真面目なところを評価されているようで、今回の手伝いの面子に選ばれていた。家宰殿は彼女を見て小さく笑い、仕分けの手を止めて床から立ち上がる。


 「いえ、助かります。あと少しすれば警備部から力自慢の者がくるので、重い品は彼らに任せます。ですので細々した品の仕分けをお願いしたく」


 「承知しました。では午前と同じ要領で」


 家宰殿が仕事内容を告げると、侍女は分かりましたと言ってぱっと部屋を見渡したあと扱いやすそうな箱の下へと移動する。ナイは装飾品や金目の物より、食に多大な興味を持っていると招待客が分かっているようで、食料と装飾品を贈るため別館は凄いことになっていた。


 食料品は直ぐに痛むものではないが、早く中身を確認しないと駄目になることもあるだろう。礼状も認めないといけないから、早く片付けるに越したことはない。

 ナイと懇意にしている国や個人は比較的、マトモな品を贈ってくれている。アガレス帝国からは装飾品と衣装とサツマイモが贈られている。共和国からも装飾品を主にちょこれーとが大量に届いていた。

 ヤーバン王国からは刀剣類とディップソースがいろんな種類とともにあり、フソウ国からも装飾品と着物とフソウの特産物がメインとなっていた。リーム王国とヴァンディリア王国も同じような内容だ。とはいえナイ本人は『凄く高そうな品をホイホイと……』と苦言を呈すようなものである。


 で、少しナイと距離がある国からは変わった品が届いているというか。

 

 いかにも高級そうな深い青色の箱を俺は手に触れる。目録には『黄金像』と記されていた。そう大きな箱ではないが、文字通りだと金でできた像だからずっしりと重い。持ち上げるのは一旦諦めて、俺は箱の蓋を丁寧に開ける。すると像は真っ赤な布に包まれており、俺は布を摘まんでどんな品かと解いていく。

 

 「なんだ、これ?」


 「女神さまの像ですか」


 俺の声に作業をしていた家宰殿と侍女が手を止め箱の中を覗き込む。現れたのは西の女神さまを模した黄金像だった。


 「教会の女神さまを参考にしておられるのですね」


 ナイ付きの侍女は片眉を上げながら、教会の女神さまを模したものだと口にする。彼女が片眉を上げた理由は直ぐに分かった。本物の西の女神さまはふっくらとしておらず細身なのだから。女神さまを象っているものを手に取ってしまって良いのかと迷い俺は家宰殿に視線を向けた。


 「あまり外に出すべき品ではありませんね。宝物庫行きとしましょう」


 家宰殿も片眉を上げながら、仕分けをしていく。まあ、金に困れば換金すれば良いだろうと俺は赤い布を元に戻して箱を閉じる。贈ってきた国は西大陸にあるヤーバン王国の北に位置するエーレガーンツ王国だ。あー……ナイと微妙な関係に陥っているから、丁度良い機会と考えて祝いの品だけを贈ってきたようだ。俺も家宰殿も微妙な顔になって、ナイ付きの侍女は不思議そうにしている。


 「ご当主さまが創星神さまの石を大陸中に配っていた際に男性を宛がおうとした国ですね」


 家宰殿が続けて、当の本人は失脚しておりますし問題ないのですが、あまり丁寧な礼状は記さない方が良いでしょうと呟いた。俺は家宰殿の言葉を手帳に書き記しながら、黄金の女神像が入った箱に『宝物庫行』と記した紙を貼る。

 家宰殿の声を聞いていたナイ付きの侍女は凄い形相になって無言を貫いていた。どうしましたと家宰殿が問えば、いえと遠慮気味に答えているが彼の国に思うことがあるのは一目瞭然だろう。家宰殿は彼女の気持ちを汲んだのか、今なら咎める者はいませんよと声にする。するとナイ付きの侍女がむっと少し考えたあと口を開いた。


 「箱を投げ捨てたいですが……女神さまを象っているので……」

 

 雑に扱えないと言いたいようだ。たしかに全く似ていない女神さまを象っている品だが、一応は女神さまである。雑に扱ったという話が広まれば、アストライアー侯爵家の評判に関わるだろう。

 もしかしてこの品を贈ってきた国はそこまで考えていて……と頭に過るのものの、きっと女神さまの本来の姿を知らないのだろう。女神さまを見ていたはずの者たちは失脚して、面子は総入れ替えされているだろうから。


 気を取り直して次の品に手を伸ばせば、装飾品が入っていた。食べ物は贈られていないが、祝いの言葉がつらつらと記されている。そうして次、次、と箱を空けていけば、警備部から人が派遣され箱が宝物庫へと運び出されていく。山積みだった箱は随分と減ると同時に陽も随分と落ちている。家宰殿がふうと息を吐いて、立ち上がり部屋にいるみんなを見渡した。

 

 「即礼状を認めなければならない方たちから頂いた品に関しては……あと一日、と言ったところでしょうか。本日は解散としましょう。皆さま、お疲れさまです」


 家宰殿の声に返事をした俺たちは別館から出て行き、明日も頑張ろうと声を掛け解散するのだった。変な品がもう出てこないことを願いながら。

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― 新着の感想 ―
アストライアー侯爵領領主邸 領主邸従業員一同は御当主ナイ様の様子を伺っていた 可笑しな挙動 不振な…  婚姻式の夜は寝落ちして 初夜をすっぽかしたナイ様らしい事に 翌日きちんと致したとの事で一同安堵 …
2026/08/26 22:49 あかマント
更新お疲れ様です。 まあ、ナイちゃんにしてみたら落ち着くところに落ち着いたから、フワフワした気分が落ち着いたんじゃないかなぁ・・・ もしまだ落ち着いていない様だったら、妊娠した時が心配になっちゃいま…
まさか侍女達の間でナイの偽者疑惑が持ち上がるとは……本人が知ったらどんな表情浮かべるやらw 告白受けた時にテンパったのを乗り越えたからこそ婚姻へ漕ぎ着けたんだから今更初夜で情緒不安定になる要素は少ない…
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