1687:無事に。
……クレイグが酷く冷めた目で私を見ている。
王都で執り行われたジークと私の婚姻式から三日後の朝。昨夜、転移陣を使用してアストライアー侯爵領へと戻ってきた私たちは日常に戻り始めている。少しだけ変わったことはジークが私の部屋で寝るようになったこと。
婚姻式の二日間は来賓の方への挨拶に自分たちのことで手一杯で凄く忙しかったことだけは覚えている。それ故か二日目の夜、ジークを待っていた私は見事に寝落ちを決め込んでしまっていた。
ジークも起こしてくれれば良かったのに、疲れているだろうからとそのまま寝てしまい朝を迎えた。ジークと私が致していないことに気付いた屋敷の皆さまは顔を青褪めさせていた。すわ、既に夫婦仲が冷めたのか、ジークの息子氏に問題があるのではと。ジークは立場上なにも言えないから『私が寝落ちしてしまっただけです』と説明する羽目になったのだ。
その話を私から聞いたクレイグは朝食の席で呆れかえっており、凄く冷たい視線を向けている。
「ナイ……お前なあ……」
「えっと、うん。その件に関してはジークは怒って良いかなって」
クレイグが深い溜息を吐いたあと、私は食べている手を止めて小さく頭を下げた。私の近くにはテーブルの上でクロが果物を啄んでいるし、床ではヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭がまったりしていた。屋敷の皆さまもそわそわしていない。アズとネルもテーブルの上で美味しそうに果物を啄んでいる。
ジークは素知らぬ顔で朝食を口に運んでいるし、リンも普段通りに食事を食べ、サフィールはどう話に入ろうかと悩んでいるた。クレイグは私からジークへと視線を移して口を開いた。
「だとよ、ジーク。ナイに怒る良い機会だぞ。偶には文句の一つくらい言ってやっても良いだろ」
「怒涛の二日間だったからな」
クレイグの苦言にジークは澄ました顔で答える。まあ……一日遅れてしまったけれど初夜は無事に済ませていた。私がジークに平謝りしっぱなしだったこともあったためか、まあ、夜にはゴールインしたわけである。
身長差の所為でジークは大変そうだったけれど、翌朝になったジークの顔はツルツルテカテカしていたし、いつもより覇気があった。私は暫く寝台の上でのそのそと服を纏いつつ、また致したい旨をジークに伝えたわけであるが。
「本当、ナイに文句言わねーよなあ。お前ら双子は」
またクレイグが深い溜息を吐いた。呆れているクレイグにジークが片眉を上げた。
「怒る理由がない」
素知らぬ顔で答えるジークにクレイグが『余裕だな……』と声を上げる。リンも自分が話題に上がったため、答えなければと食事の手を止める。
「ナイに怒るのは無茶をした時と、危ないところに行こうとする時と、自分の命を投げ出そうとした時」
言葉を紡ぎ終えたリンが私を見て『無茶したら駄目だよ』という視線を向けてくるので、私は『そんなことしないよ』と目で訴える。リンは本当かと言いたげに目を顰めており、私を疑っているようだった。私がなにか言葉を紡げば、絶対にジークとリンから突っ込みが入ると黙っておくしかない。
「討伐遠征に出なくなったんだ。前みたいに心配するようなことは減っただろ」
「減っている。けど、敵、たくさん」
クレイグが肩を竦めると、リンが妙な顔で私を見る。危ないところへ身を投じる機会は減ったけれど、人付き合いが多くなり、リン的にいろいろと心配なことが増えたと言いたいらしい。
たしかに命の危険を感じる機会はめっきり減っているけれど、敵意やら好意を向けられる機会は本当に増えている。それでもまあ、創星神さま一家とお付き合いがあるためか滅多なものは向けられていない。神さま方が防御壁になってくれているのは有難いけれど、ヴァルトルーデさまとジルケさまはいつまで屋敷に滞在するのだろう。
今日も今日とて二柱さまは私たちと一緒に朝食を摂っている。王都で執り行われたジークと私の婚姻式の二日後の昼、廊下でばったりと出会ったヴァルトルーデさまはなんとなくよそよそしかった。
ジルケさまは意味深な顔で私を見上げたあと、軽く鼻を鳴らして肩を竦めていた。私は私でなんだこれと首を傾げていたのだが、夜にはいつも通りの二柱さまに戻っている。その後も普段通りの二柱さまだったので私の気のせいだったのかもしれない。二柱さまが一時変だったけれど、屋敷で過ごす魔獣や幻獣に妖精の皆さまも二日後はなんだか妙だったというか。
無言で私を見たあと、さっと視線を逸らすエルとジョセに、にやにやしているジャドさんとこてんと首を傾げるクロエおばあ。ルカはいつも通りに庭を爆走しながら嘶きを上げ、ジアはそんな兄を見て呆れた顔をしている。
ノールは兄と姉を見つめながらこてんと首を傾げていたので、ルカの真似はしないで欲しいと願うばかりだ。妖精さんたちも二日後は何故か屋敷から気配を消しており、本当に変な感じがしていたけれど……侯爵領に戻ってからは至って普通だ。
――クレイグとサフィールとリンも早く結婚しなきゃね。
そう口にしたい気持ちを抑えた私は偉い。多分きっと、口にした途端クレイグに『なにを言っているんだ』と懐疑な視線を向けられ『自分は結婚したからって余裕だな』というツッコミも入りそうだ。サフィールは照れた顔になって、リンはサフィールになにかを訴えるような視線を向けそうだ。アリアさまも早くクレイグと結婚したいようだけれど、立場が邪魔をして言えないだろう。
一応、アルバトロス王国の国王陛下と教会にはアリアさまとクレイグの婚姻はどうですか、という問い合わせを入れている。
アストライアー侯爵の名を強く主張すれば通ってしまう問い合わせのため、滅茶苦茶気を使いながら手紙を記した。それにクレイグの性格上、私を頼ってしまったとなれば拗ねてしまいそうである。
文句は言わないけれど、なにか胸につっかえたものを抱えたまま婚姻を果たして欲しくない。でも、問い合わせでもしておかなければ急に話が上がった際に騒ぎになってしまう。塩梅が難しいと私が肩を竦めれば、さあ仕事だ仕事とクレイグが席を立ちあがる。
「行くかあ」
「僕も託児所に行かなきゃ」
席から立ち上がったクレイグとサフィールが食堂を出て行く。二人の後ろ姿を見送ったジークとリンも席から立ち上がった。
「俺とリンは訓練だな」
「ん。アレ、どうにかする方法考えないと」
そっくり兄妹が視線を合わせて頷いた。リンの『アレ』発言は元聖王国の騎士さまのことである。性根を叩き直すためにご老体二人にお任せしたけれど、長年ひん曲がってしまったものはなかなか直る気配がないそうだ。
でも、何故かタフで折れないから侯爵家の警備部の方たちも加わって、根性の矯正に尽力しているようである。リンは『アレ』をボコスカ殴っているだけのように見えるが、なにか意味も持って殴っているはず。直らなければアガレス帝国の鉱山送り予定としているが、もう少し様子見だろうと私も席を立つ。
「私は執務をしなきゃ」
婚姻式で雑務が溜まってしまっている。とはいえ家宰さまとセシリアさまとアルティアさまが有能だから私に大きな負担はなかった。それよりもご夫人から『どうでしたか?』『上手くことが運んだのでしょうか?』と問われる方が問題である。どうにもジークと私の身長差の所為で心配が勝り気になるようだ。あと数日は我慢しなければいけないかなと私が肩を竦めると、ヴァルトルーデさまとジルケさまも席から離れる。
「図書室、行く」
「あたしは庭にいる」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが並んで食堂を出て行った。なんだかんだと言いつつ、二柱さまは移動の際に一緒に行動することが多い。アズとネルはジークとリンの肩の上に乗って、ご機嫌に顔を彼らに擦り付ける。クロも顔を私に向けて翼を広げる。
『ボクも執務室に行くよ。普段通りになってきたねえ』
クロが言い終えると、広げた翼を器用に動かして私の肩に乗った。そういえば婚姻式の二日間はクロは私の肩の上にはいなかったので、本当に日常が戻ってきたと目を細める。来賓の皆さまも自国へと戻っているが、婚姻式の引き出物は気に入ってくださるだろうか。男性には婚姻式の日付が入った短剣を、女性には日付の入った扇を贈っている。
ドワーフの職人さんに頼んで前々からお願いしていたものだが、素材が鉄製なので喜んでくださるのか。目が肥えている方は『微妙だな』と評しそうだ。とはいえそんな言葉がドワーフの職人さん方の耳に入れば『あ”あ!?』となるのは確実だから黙っているだろうけれど。
みんながいなくなった食堂で私も席を立つ。
「今日も一日、頑張ろうか」
『だね~』
私とクロの声にヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちが立ち上がり、食堂を出て長い廊下を歩いて行き執務室へと辿り着くのだった。
◇
アストライアー侯爵閣下の婚姻式が終わり、王都は随分と静かになっている。
とはいえ教会で執り行われる治癒院には人が多く集まって、ざわざわとしていた。時々、騒ぎを起こす人がいるけれど教会騎士の人に追い出されて『畜生!』と叫ぶのも、ある意味日常のようなものだろう。
私は先日侯爵閣下とお話ができて、今日は凄く気合が入っている。侯爵閣下から引き継いだ患者さんはくるだろうかと期待に胸を膨らませ――本当はこない方が良いけれど――て私は自分の席に就く。しばらく待っていると入場が開始されて、それぞれの聖女さまの下へと患者さんたちが向かっていく。
「よろしくお願いします、聖女さま」
困り果てている患者さんに私は笑みを浮かべて『どうしましたか?』と問う。さほど魔力量が多くなく、豊富な方が羨ましいと思うものの、私ができることをやっていくしかない。
私の治癒術で治らない人がいれば他の聖女さまに回り、他の聖女さまで治らない患者さんが私の術で治る場合もある。相性があると言われているけれど、はっきりとした原因は不明なままだ。本当に魔術って不思議だなと、患者さんから症状を聞いた私は術を施して次の方と促した。仕切りの向こうから現れたのは、恰幅の良い小母さんだった。
「聖女さま、お久しぶりでございます」
丁寧に礼を執る小母さんはアストライアー侯爵閣下から引き継いだ患者さんである。どの聖女さまに診て貰っても症状が直らず、痛み止めの術を施すようになった方だそうで、アストライアー侯爵閣下が小母さんを受け持っていた。
実力のある聖女さまは痛み止めの術はお金にならないと避ける傾向がある。だというのにアストライアー侯爵閣下は彼女を避けることはなく、ずっと術を施してくれていたそうな。婚姻式に参列する前、アストライアー侯爵閣下から預かった言葉を小母さんに伝えることができる。そう思うと私は自然と笑みを携えていた。
「ああ、お会いできて良かったです」
「?」
私の上げた声に小母さんが首を傾げた。まあ、急にこんなことを言われてもわけがわからないよねと、私は肩を竦めて経緯を伝えた。そしてアストライアー侯爵閣下から預かっているお言葉も。話に耳を傾ける小母さんは次第に涙ぐんでいる。
「……黒髪の聖女さまはわたしを見捨てたわけではなかったのですね」
そういえば私が治癒を施す際に彼女は何度か『黒髪の聖女さまは?』と声を上げていたと思い出す。単に小母さんがアストライアー侯爵閣下に診てもらいたかっただけと軽く捉えていたけれど。そっか。小母さんは侯爵閣下が受け持つ患者であったと同時に『黒髪の聖女』の信奉者でもあったのだろう。だから急に診てくれなくなった『黒髪の聖女』に複雑な気持ちを抱いていたようだ。
「閣下は貴族位を得てお忙しくなられてしまいましたから。受け持ちを続けたかったけれど、無理になってしまったと肩を落とされておられました」
私は更に言葉を続ける。
「なにも言わぬまま、担当を離れることになり悪いことをしてしまったとも仰っておられましたよ」
すると小母さんは涙を流しながら『良かった……』と安堵の表情を浮かべる。侯爵閣下と小母さんの間にどんなやり取りがあったのかは知らない。けれど、蟠りが解けたなら話した甲斐があると。




