1682:アルバトロスの空の下で。
朝陽が昇ってから数時間が経っている。もう少しでアストライアー侯爵さまの宣誓式とパレードが執り行われる予定だ。
王都の街では侯爵さまの姿を一目見たいと数日前から他国からも人がきているし、各領地からも人がやってきており、商業地区にある宿屋はどこも満室なのだとか。創星神さまの使いを果たした侯爵さまだから、吟遊詩人も方々から集まっていると話を聞いている。
俺も侯爵さまのお姿を見てみたいと朝早くから王都の教会の前で友人と共に時間を潰している。俺と同じ考えの者がたくさんいるようで、既に教会前には人だかりができていた。商売っ気の強い者は店を開いて食べ物や飲み物を売っている。教会も人が倒れてはならないと聖女さまを配置させていた。
半年前に執り行われた聖王国の大聖女さまと娶ったベナンター子爵の婚姻式も派手であったが、アストライアー侯爵は果たしてどうなるのだろう。
「なあ、ベナンター子爵さまの婚姻式では大きな竜が空を飛んでいたけれど、アストライアー侯爵さまの式はどうなるんだろうな?」
「亜人連合国と懇意にしているお方だからな。確実にベナンター子爵さまの時に見た五頭の大きな竜は飛ぶだろうよ」
俺の疑問に友人はふふんと鼻を鳴らしながら答えてくれる。何故、なにも関わりのない彼が自慢気な表情で言い切るのだろう。でもまあ、アストライアー侯爵さまはアルバトロス王国民にとって偉大な方である。そのアストライアー侯爵さまが忠誠を誓うアルバトロス王国の国王陛下は本当に尊い方であろう。陛下の治世は盤石で、次代である王太子殿下も王国民から期待されている。
国が維持管理している障壁のお陰で他国が攻めてくることはないし、大陸中央に位置する国というのに平和なものだ。戦争を知っている祖父母の世代も数は少なくなっているものの陛下の治世に期待をして子や孫が戦にでることがないようにと願っている。
今のアルバトロス王国の状況であれば喧嘩を売ってくる国など皆無に等しい。
それは四大陸全土に名を轟かせているアストライアー侯爵さまのお陰だ。竜を従え、天馬とグリフォンとも友誼を結んでいる侯爵さまに誰が逆らえようか。それに侯爵さま自身も多大な魔力量の持ち主であり、双子星の片割れに傷を付けたという伝説を築いている。誰も逆らえないなと俺が苦笑いを浮かべると隣の友人が空を指差した。
「おい、あれ! 見て見ろ!!」
友人が俺の肩を揺らしながら大きな声を上げると、周りの者たちも釣られて空を見上げていた。そして俺も友人が指差した空の方へと視線を向けた。
「な、なんだ、あの数は!?」
王都から少し離れた場所を飛ぶ大きな竜の姿が五つ見えている。そしてその周りにも大小さまざまな翼を広げる竜の姿が見えていた。数を数えるのは大変で、正確なものは分からないが……五十で足りるだろうか。竜が多く王都の空を飛んだり訪れる時はアルバトロス王家から知らせが事前に入る。今日はその知らせを聞いていないと、たらりと背中に汗が伝った。
「ま、まさか、竜が王都を襲いにきたのか!?」
「そんなはずはないだろう!? アストライアー侯爵さまと仲が良いんだぞ!!」
「喧嘩して竜が怒ってしまったとか!?」
それは周りの者たちも同じで告知のない竜の襲来に悪いことしか考えられなくなっている。時折、竜の方が王都にあるアストライアー侯爵邸やミナーヴァ子爵邸へとふらりと降りることもあるが……その時は一頭か二頭で大群でくることはないし、アストライアー侯爵家の紋章か亜人連合国の国章を掲げている。
今いる位置からは大群で飛んでくる竜の方が紋章や国章を下げているか分からない。だからこそ不安になってしまう。だって俺たちは竜に対抗する力なんて持っていないのだから。逃げるか、でもどこにと、心をざわざわさせていれば、教会の大扉の前にいつの間にか神父さまが立っている。
「皆さま、落ち着いてくださいませ! ご安心ください!! 昨晩、アストライアー侯爵閣下より数多くの竜と天馬とグリフォンと共に王都を目指しますという知らせがございました!!」
神父さまの大音声が広場の一部に聞こえた。広場の端には声が届いていないものの、俺たちがいる場所の者たちは落ち着きを取り戻している。知らない者にも伝えなければと、隣近所の者たちと『良かった』『やはり閣下の竜だったのか』とまだざわざわとしている方向へと声を上げた。
俺たちの声を聞いた者は同じように聞こえていない者に伝えようと声を上げていた。そうして広場の様子が落ち着いた頃、王都の壁の外に竜の大群と天馬さま方とグリフォンが降りる姿を見るのだった。
「俺たちは凄い光景を見ているんじゃないか?」
「だな。まだ侯爵さまが聖女だった頃に見たあの光景より、多くの竜を己の目に捉えるなんて……」
俺と友人は王都の壁を超える大きな竜の方を見上げていた。身体はあまり見えないものの首と顔ははっきりと捉えることができ、黒と白と赤と青と緑の竜の方が王都の中に視線を向けている。
そして黒い竜と白い竜の方が地面から立ち上がったのか、身体の上の部分が見えるようになった。
『驚かせてしまったなら申し訳ないことをした。今、降り立った竜と天馬とグリフォンは街の者に手出ししないと確約しよう』
『本日はアストライアー侯爵閣下の婚姻式に参加すべく、亜人連合国から参らせて頂いております。小さな竜が街中をウロウロして少々騒がしいでしょう。彼らが皆さまにご迷惑を掛けるようであれば商業区にある飛竜便屋にお知らせください」
黒い竜と白い竜が声を上げると、赤い竜と青い竜と緑の竜が小さく頭を下げている。竜が人間に頭を下げるようなことをするなんて……驚いていた俺たちを慮ってくれるなど信じられない光景だ。でも、これもまたアストライアー侯爵さまが亜人連合国の竜と親しい証拠なのだろう。天馬さまやグリフォンさまの姿は見えないものの、きっと壁の向こうでたくさん待機しているに違いない。
黒と白の竜の方の声に安堵の息を漏らす者もいれば、本当にと疑っている者もいる。まあ疑うのは仕方ないものであろうが、アストライアー侯爵さまが亜人連合国と友誼を結んで以来、王都の街では竜の方が闊歩していることがある。
五メートルくらいの竜の方が荷を引いていたり、手紙を持ってどこかへと飛んで行く姿をよく見るのだ。興味の強い者は竜の方に声を掛け、喋っているところも見たことがあった。俺は恐れ多くてできないのだが、傍で見ている限り襲われるようなことはなかったのだ。だから黒と白の竜の言葉を信じても良いのだろう。
本当に凄い光景だと俺が肩を竦めれば、教会の大扉前に立つ神父さまがまた声を張り上げる。
「さて、皆さま! アストライアー侯爵閣下のご乗車なさっている馬車が暫くすれば現れます。ご迷惑を掛けないようにお願い致します!」
そう言い残して神父さまは教会の中へと引っ込んだ。
「閣下を直接お目にできる絶好の機会だな!」
「ああ。毎年、建国祭でお姿を見られるが距離があるからなあ……今日こそは近くで見たいものだ」
俺たちが顔を見合わせて場所を移動しようとすれば、どこからともなく小母さんが声を掛けてきた。
「おや、アンタたち。黒髪の聖女さまのお姿を近くでみたことないのかい!」
見知らぬ小母さんは両手を腰に当て自慢げな顔になっていた。黒髪の聖女さまというのは、アストライアー侯爵さまが貴族になる前に周囲から言われていた二つ名である。外見の特徴をそのままにしたものであり、貴族になってからの方が侯爵さまの話題は尽きない。
「そりゃ、俺たち平民が侯爵さまに近づけるはずねえだろ」
俺が肩を竦めて答えれば、小母さんは両手を広げながら肩を竦める。
「黒髪の聖女さまは治癒院にしょっちゅう参加なされていたのに、あんたたちは見たことないのかい!」
「俺たち若いから病気に罹らねえしなあ。怪我を負うこともなかったし」
健康面の不安は俺たちより目の前の小母さんの方が勝るだろう。俺たちは至って健康だから治癒院で世話になったことはなく、興味もなかったお陰か侯爵さまの聖女時代には詳しくなかった。
「だなあ。黒髪の聖女さまの評判は耳にしたことあるけど、大したものじゃなかったろ?」
だから友人が口にした通り俺も小柄な黒髪の聖女さまは誰でも診てくれるという噂くらいしか知らない。
「アンタたち、なに失礼なことを言っているんだい! あたしたちの声に耳を傾けながら治癒を施してくれる聖女さまなんて、黒髪の聖女さまくらいだったよ! お貴族さまになられて、治癒院にご参加なさることが少なくなって寂しい限りさね」
目の前で小母さんが肩を落としている。でもアルバトロス王都の教会には筆頭聖女さまがいらっしゃるから悲観するようなことではないのではと俺は小母さんに伝えた。
「筆頭聖女さまも筆頭聖女補佐さまも良い方で腕も良いよ。でもあたしはまた黒髪の聖女さまに診て欲しいと願っちまうんだよねえ」
しみじみと目の前の小母さんが溜息を吐く。治癒院へと通う者は固定の聖女さまがいると聞いたことがあるから、小母さんは以前は黒髪の聖女さまに診て貰っていたのだろう。ただ立場が上がってしまったのだから仕方ない部分ではないだろうか。また溜息を吐いた小母さんはガラリと雰囲気を変える。
「……黒髪の聖女さまにお子が誕生して女の子が生まれれば聖女さまになるのかねえ」
たしかにアストライアー侯爵さまの子が誕生すれば聖女か聖人を目指すかもしれない。でも先ずは。
「どうだろう。世継ぎを決めるのが先だろうしな」
「だよなあ。アストライアー侯爵家が一代で潰れたら大問題だ。ならお子はたくさん生んで貰わないとなあ」
やはり貴族であれば子を成すことが最優先されるのではないだろうか。ロウ男爵さまと婚姻を果たしたアストライアー侯爵さまは一体何人の子を儲けるつもりだろう。たくさん生まれると良いなと友人と言葉を交わせば、小母さんがむっとした顔になる。
「あんたたち簡単そうに言うけれど、子供を産むのは命懸けなんだよ?」
わかってんのかい、と小母さんがむっとした顔になっているが、俺たち男が生みの苦しみを分かるはずもない。どう小母さんに答えたものかと考えあぐねていれば、アストライアー侯爵さまを乗せた馬車が教会の前に停まる。
先に背の高い赤髪のロウ男爵さまが馬車から降りたあと、くるりと身体の向きを変えて馬車の方へと手を差し伸べていた。ゆっくりと馬車のステップを踏むアストライアー侯爵さまの姿を俺が目に捉えれば、周りの者たちがわっと沸き上がる。
「侯爵さまー!」
「ご婚姻、おめでとうございますー!」
祝いの言葉が方々から掛かり、俺も友人もおめでとうございます! と声を張り上げた。近くにいた小母さんは少し物悲し気な雰囲気で侯爵さまを見ているのだった。




