1670:いざ、魔境へ。
――アルバトロス城・転移陣部屋。
約束の時間となり私はアルバトロス城の転移陣部屋へときていた。今回、王都からアストライアー侯爵の婚姻式に参加をする面々も一緒に移動をする。
同行者は私の妃とボルドー男爵夫妻にハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯、ベナンター子爵夫妻に教会のカルヴァイン枢機卿と筆頭聖女のアリアと筆頭聖女補佐のロザリンデである。公爵と辺境伯の奥方はアストライアー侯爵家で娘の代役として側仕えを務めている。おそらく合流すれば、共に婚姻式に参加するはずだ。するよね?
私はアストライアー侯爵領にある領主邸へ赴くのは今回が初めてである。報告書では知っているが、天馬が庭にたくさん過ごしていること、グリフォンも十頭いること、そしてなにより女神さまもいらっしゃる。アルバトロス王国の王城より価値のある場所になっていることに私は溜息を吐く。すると叔父上、ボルドー男爵が私を見て片眉を上げた。
「別に取って喰われやしないのだから、堂々としていれば良いではないか」
「そう仰いますがねえ、叔父上……初めてアストライアー侯爵の領主邸へ赴くのですよ?」
私は初めて赴くのだが、アルバトロス王として威厳を保てるだろうか。亜人連合国の代表と初めて顔を合わせた際は内心震えあがっていた。失礼があれば私の首など一瞬で飛んでしまうだろう。
亜人連合国の代表は理性的な者であったから何事もなく済み国交を築いている。アストライアー侯爵が竜の浄化を務めてから、本当にいろいろなことが起こっているのだから婚姻式でもなにか起きるかもしれない。
「覚悟は必要でしょう」
そう。覚悟は必要だ。
「要らぬだろうに」
叔父上が肩を竦めて苦笑している。叔父上のような豪胆さが私に備わっていれば良かったのだろうが、生憎と肝の大きさは普通である。叔父上は通常の十倍くらい大きいかもしれない。
ハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯も少し緊張しているようだ。ベナンター子爵は慣れてしまったのか、我々に囲まれていることの方が落ち着かない様子である。
ベナンター子爵夫人は元大聖女ということもあり堂々として……いや、ベナンター子爵と一緒にいられることが嬉しいのか顔が緩くなっていた。我が妃は天敵であるボルドー男爵に弱みを見せまいと、背を伸ばして私の横に立っている。
アストライアー侯爵を妃は以前に手懐けようとしていたが失敗に終わっていた。
いや、正しくは手懐けようとしていたが侯爵の出世が早過ぎて、手を出せずに終わってしまっていた。最初こそ残念がっていたが、次第に手を出しては己が食われてしまうと察知したようである。
カルヴァイン枢機卿は二柱の女神さまが侯爵邸でお過ごしになられていることに緊張している。筆頭聖女アリアと筆頭聖女ロザリンデは彼に話題を持ち掛けて、落ち着かせようと試みている。そろそろ時間だと近衛騎士から声が掛かり、私は魔力補填を担う面々へと視線を向けた。
「筆頭聖女アリア、筆頭聖女補佐ロザリンデ、ベナンター夫人。よろしく頼む」
私の声に名を呼ばれた三人が顔をこちらへと向ける。
「承知致しました!」
「大役、賜らせて頂きます」
「よろしくお願いします!」
大陸会議に参加するため転移の際には筆頭聖女と筆頭聖女補佐に魔力補填を頼んでいる。ベナンター夫人は今回、アルバトロス王国の者として初めてのことだ。聖王国の大聖女として転移陣の魔力補填は経験済みだから問題あるまい。
少し大所帯となってしまったから転移陣に乗れるか乗れないかの具合になっているが詰めれば問題はない。全員が陣の上に乗れば、丁度魔術陣が淡い光を放ち始めた。どうやらアストライアー侯爵邸側で魔力補填が始まったようである。
「ナイさまの魔力ですね」
「分かりやすいですわ」
「荒々しい感じがするので、お腹が空いているのかもしれませんね」
三人の声に男連中がぎょっとした顔になる。侯爵の機嫌が悪いのかと頭を過るが、アストライアー侯爵は普段怒ることはない。彼女が怒った時は既に手が付けられないようになっているので何事もないはずである。ベナンター夫人は時折あらぬ発言をし易い。少しばかり気を付けるようにと苦言を呈した方が良いだろうか。私が伝えるよりもベナンター子爵を経由した方が良いのだろう。
「繋がりましたね。ではっ!」
筆頭聖女の声で視界が真っ白になる。腹の中にある腑がふっと浮くような感覚に襲われれば、目に映る景色は王城の地下ではない場所に辿り着いている。周りの者たちはここがアストライアー侯爵領領主邸の転移陣部屋かと感慨深そうに見渡していた。
外部の者が利用することはないと言って良い。こうして他家の転移陣部屋にいるということは、その家の主が我々を信用しているという証だ。アストライアー侯爵に信用されているのは有難いものの複雑な心境に陥りそうだ。
転移陣から魔力光が消えれば、ふと気配を感じて私はそちらへと視線を向けた。そこにはアストライアー侯爵と伴侶となるジークフリードと双子の妹であるジークリンデにハイゼンベルグ公爵夫人とヴァイセンベルク辺境伯夫人が控えている。更に後ろには……西の女神さまと南の女神さままでいらっしゃっる。どうやら侯爵の側仕えに扮しているようだ。私が口の端を伸ばしていれば、アストライアー侯爵が礼を執った。
「陛下、皆さま、ようこそおいで下さいました」
深々と頭を下げる彼女に、相変わらず腰が低いと苦笑いを浮かべそうになる。私は一行の代表として声を上げねばと顔を引き締めた。
「アストライアー侯爵。忙しい日にすまないな。感謝する」
「いえ、陛下と皆さまには日頃からお世話になっております。本日はごゆるりと我が屋敷でお過ごしください」
侯爵は外へ出ましょうと声を上げ階段を昇って行く。一階へと辿り着き、長い廊下を歩いていれば庭には天馬の姿がちらほらと見える。グリフォンが三頭元気に走り回っており、少し前に卵から孵った若い個体なのだろう。
――まあ、それは良い。話に聞いていたことである。
時折、光の玉が現れては消えを繰り返すのは何故だろうか。私だけ見えているのだろうかと不安になっていれば、我が妃とハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯とカルヴァイン枢機卿もぎょっと目を見開いていた。
「妖精さんたち、増えていませんか?」
「ええ、以前より多いような」
「ナイさまのお屋敷ですからね。増えても不思議はないというか」
筆頭聖女アリアと筆頭聖女補佐ロザリンデとベナンター子爵夫人が小声で話していた。妖精がいると聞いてはいたものの、まさか視界に捉えることができるとは思っていなかった。
彼女たちの肩には光の玉が現れており、なにか話し込んでいるようだが内容が聞こえることはない。不思議なことがあるものだと感心しながら廊下を更に歩く。
しかし妖精もさることながら……私たち一行の後ろを二柱の女神さまが歩いているのは如何なものか。
侯爵も侯爵でどうして女神さま方を後ろへ下げてしまうのだろう。せめて侯爵の直ぐ後ろを歩いて欲しいのだが、彼女の後ろにはジークフリードとジークリンデしか歩いていない。他の面々は最後尾を歩いているため、我々が前となってしまっていた。
とんでもない不敬を働いているのではと胃の腑がじわじわと痛くなってくる。来賓室に通されればゲルハルトから贈られた胃薬を飲もう。そうしようと決めた瞬間、玄関ホールへと辿り着くいていた。そこには見知った顔がたくさん並んでいる。
「皆さまは陛下がいらっしゃると知り、出迎えたいという申し出を受けました」
「そうか」
アストライアー侯爵が苦笑いを浮かべながら、玄関ホールに立つ面々に視線を向ける。私も彼らへ視線を向けた。
「久しぶりだ、アルバトロス王よ!」
「侯爵に振り回されていないかな?」
「お久しぶりでございます」
ヤーバン王とフソウ国のナガノブ殿にアガレス皇帝が私に視線を向けて言葉を紡いだ。私は彼らの下へと向かい握手を交わす。ヤーバン王とは大陸会議で会っているが、ナガノブ殿とアガレス帝とは久方振りである。
とはいえ大陸を渡った者と数年に一度でもあれば奇跡と言っても良いことである。こうして何度も顔を突き合わせることになること自体が奇跡のようなことなのだ。アストライアー侯爵のお陰で大きく変わったと私は苦笑いを浮かべる。
「陛下、お久しぶりです。皇帝陛下の名代として参りました」
「貴殿は随分と大人びた」
「いえ、まだまだ未熟者です」
ミズガルズ神聖大帝国の皇太子が笑って私へ挨拶をくれる。彼とも握手と一言二言交わす。我が妃や一緒にきている公爵たちとも彼らは言葉を交わしていた。侯爵邸で各国の王たちが集まり、交流の場を設けている。本当に一体どうしてこうなったのやらと過去を振り返りそうになって、私は余計に胃の腑が痛くなると考えることを放棄した。すると今度は亜人連合国の代表たちが私の前に立つ。
「アルバトロス王。貴殿の活躍を聞かぬ日はないな」
「亜人連合国も我々同様、四大陸中に名を広めているではないか」
亜人連合国の代表は長い黒髪に緑色の瞳を持つ巨大で強大な竜である。人間の姿を模しているのはこうして場に適するためだそうである。そしてもう一つは本来の姿に戻ると巨大過ぎるために人の姿を模しているらしい。
彼の後ろに控えるエルフの女性二人が邪魔だと言って煩いそうである。白竜殿も同じ理由で人の姿を模していると聞いた。亜人連合国も見えない序列があるのかと少し世知辛くなる。しかしアルバトロス王国同様、亜人連合国も四大陸中に名を広めている。飛竜便を運営していることと、なにかあればアストライアー侯爵が移動手段として頼るためであるが。
私の言葉に代表殿が肩を竦めてアストライアー侯爵へと顔を向ける。
「それは彼女のお陰だ」
「いえ、私は亜人連合国の皆さまのご好意に甘えているだけです」
代表殿にアストライアー侯爵が目礼を執る。亜人連合国から好意を受けられる者自体が限られていると、アストライアー侯爵は気付いているのだろうか。侯爵は常識を持っているように見えて、実のところどこかズレている節がある。叔父上、ボルドー男爵はそんな彼女を面白いと笑っているが、私は次になにをしてくれるのかと冷や冷やしているのだ。今までは我が国のためになることが多かったが、これから先はどうなることか。
そして婚姻で侯爵の家族が増えることになれば、トラブルも倍になってしまわないかと気付く。
いや、まさかと心の中で否定しながら、私は侯爵によって来賓室へと案内されるのだった。――い、胃薬を。




