1669:覚悟を決めよ。
――唐突に調理場で畑の妖精さんが現れた。
驚いたけれど、妖精さんたちは料理長さまの命令には従っている。仕事がなければお猫さま、トリグエルさんの隣でじっとしているため害はないと判断した私は妖精さんたちの気まぐれに任せることにした。
巻き込まれてしまったトリグエルさんには申し訳ないが、鰹節で手を打ったので許して欲しい。物珍しい光景だと調理場にはヴァルトルーデさまとジルケさまが様子を見にきていた。私も報告から少し時間が経って、問題はないかと確認しにきたところである。
「ナイの欲望が反映されている」
「だなあ」
ちょこちょこと働く妖精さんを二柱の女神さまは視線で追いながら私に言及した。たしかに調理部の方たちは一週間忙しいだろうと考えてはいたものの、それで美味しい品が食べられなくなるとは一切考えていない。ということは、私ではなく二柱さまの煩悩が現れた結果ではなかろうかと私は言葉を紡ぐ。
「ヴァルトルーデさまとジルケさまの欲望も反映されていませんか?」
「そんなことはない」
「なわけねーだろ。この屋敷、ナイの力で満たされているんだぞ?」
速攻で否定されるものの、私はまだ納得がいかない。
「本当かなあ。私を騙そうとしていませんか?」
「最近、ナイが疑い深い。可愛くない」
「ま、あたしらが屋敷に馴染んできた証拠だ、姉御」
私の言葉にヴァルトルーデさまがむっとした表情を浮かべ、ジルケさまは肩を竦める。二柱さまの見解は畑の妖精さんたちより仕事熱心ではないし、料理長の命令をきっちりと聞いていること、仕事がなければ休むことができるため放置で構わないとのことである。誰も調理場にいなくなれば、妖精さんたちも姿をけすだろうとのこと。顔を引き攣らせたままの調理部の皆さまには申し訳ないけれど、現れてしまった妖精さんを追い出すことは不可能である。
浄化儀式を執り行えば消える可能性はあるものの、流石にそれを行えばお婆さまが激怒しそうである。やはり、調理場に現れた妖精さんは自由にさせておくしかないだろう。調理場の治安が乱れるようであれば、強制退去せざるを得なくなるけれど。
そうして私が調理場を出て廊下を歩いていれば、ふと庭にある東屋が視界に入る。そこには一週間、アストライアー侯爵邸に滞在している来賓の皆さまが他の国の方々と交流を果たしている。お茶を頂く場所として東屋には人が集まりやすいようだ。婚姻式を残り二日に控えて来賓の方たちが多く訪ねてきている。
一週間前は共和国の大統領一行とアガレス帝国一行にフソウの一行とヤーバン王国の一行が滞在していた。今は北大陸のミズガルズ一行と亜人連合国一行に南大陸のA国一行も屋敷で過ごしている。私も時折顔を出して商談に加わらせて貰っていた。国のトップ同士が出席しているため、凄くスムーズなやり取りができるためいろいろと買い付けることができた。
一緒に料理場から出てきたヴァルトルーデさまとジルケさまも東屋の様子に気付いたようである。錚々たる面子だけれど、二柱さまは人間としかとらえていない。とはいえ侯爵邸で過ごす時間が長くなって、人間の世界では地位の高い方たちだと把握はできているようだ。
「なにを話しているんだろう?」
「さあな。難しい話してるんだろ。あたしらには関係ねえさ」
こてんと首を傾げるヴァルトルーデさまと両の手を頭の後ろへと回すジルケさま。私は肩を竦めて『ユーリの部屋に行ってきます』と告げ、二柱さまと別れを告げる。
そうしてジークとリンと一緒にユーリの部屋の前に辿り着く。普段であれば乳母の方が直ぐに対応してくれるのだが、最近はちょっとした変化があった。二度ノックを鳴らせば、アンファンが取次ぎの対応を担ってくれたのだ。侍女訓練校を卒業した彼女は無事にユーリの側仕えを務めることになった。もちろん能力が足りなければユーリの侍女に付かせるつもりはなかったけれど、侍女長さまが大丈夫という太鼓判を押してくれた。
私の姿を見たアンファンはしずしずと礼を執り頭を下げる。出会った頃と比べて随分と大人になったなあと感慨深い思いを抱きながら私は言葉を紡いだ。
「アンファン。ユーリに会いにきました。入って良いですか?」
「ご当主さま、どうぞ」
礼を解いたアンファンの背は私より高くなっている。すでに百六十五センチとなっているそうで、私とは十センチ近く身長差ができてしまった。どうして私の成長は遅いのかと嘆くものの、一応、まだ背は伸びている。生理がきたから、成長はこれからも望めるはずだ。緩い顔になっているとアンファンに呆れられるだろうと、私は背を正してアンファンに導かれながらユーリの部屋の中へと入って行く。
「ユーリ。お姉ちゃんだよ」
ユーリの部屋に入れば、文字の読み書きを練習していたようである。私に気付いたユーリは一旦手を止めて、首をこてんと傾げた。真ん丸な大きな目を私に向ける姿は無垢そのもの。
超可愛いと私が両腕を伸ばせば、椅子から立ち上がったユーリがとことことこちらに歩いてきてそのまま抱き着いてくれる。ユーリを放さないようにと私も抱きしめていれば、肩の上のクロはジークの頭の上に避難していた。
『ナイはユーリに甘いよねえ』
安全圏でクロが声を出している。案内を担ってくれたアンファンは乳母さんの隣に控えて、様子を見守ることに徹するようだ。ぎゅうぎゅうとユーリを抱きしめていると、次第に体温がジワリと伝わってきた。子供の体温は心地良いと実感しながら、私はユーリを抱いたまま立ち上がる。腰を痛めてはならないから、もちろんゆっくりと。
「そうかなあ。普通だよ」
ね、と私がユーリに視線を合わせれば、恥ずかしかったのか私の肩に顔を埋めた。そのまま見守っていればユーリは不思議に感じたようで、顔を元の位置に戻してこてんと首を傾げる。私はユーリと視線を合わせて、二日後のことを声にした。
「ユーリにはベール持ちの大役があるからね。頑張って貰わないと」
そう。ユーリには私の花嫁衣裳のベールを持って貰い、侯爵領領都にある教会のヴァージンロードを一緒に歩いて貰う予定だ。ユーリのことを公式に発表する場でもあるから、あと二日、病気や怪我で倒れるようなことがなければ良いけれど。まあ、そうなればユーリには休んで貰って代わりを立てれば良いだけである。でも成長したユーリは大事な役目を背負っていること、少し前からお偉いさん方が集まっていて屋敷の雰囲気が変わっていることをつぶさに感じている。子供は聡いなあと感心しながら私はまた声を出す。
「ちゃんとできそう?」
「できりゅ!!」
私の声にユーリが右腕を上げて自信満々に宣言した。これは頼もしいと笑い、私たちはユーリの部屋を出ていくのだった。
◇
夜。アルバトロス城の執務室でワインを片手に私は双子星を見上げていた。――明日はアストライアー侯爵領領主邸へと前乗りする日である。
流石にアストライアー侯爵の婚姻式にアルバトロス王の名代を向かわせるわけにはいかず、私が直接向かうことになった。執務は全て終わらせ、二、三日、私が王都を留守にしても問題ないように手配している。王太子夫妻には王都に残るように命じて、不測の際には対応するようにと厳命していた。情勢は安定しているため万が一起ころうものなら、それはもう本当に運がなかったという証拠だろう。
それに、あと百年程はアルバトロス王国が滅んでしまうことはない。
創星神さま方と懇意にしているアストライアー侯爵がいるのだから。むしろ宗教の総本山である聖王国が潰れない心配をしなければならないだろう。長年、宗教の総本山ということで安穏と聖職者たちが政治を担っていたことで大問題となっているのだから自業自得ではあるが。
とはいえ聖王国の浄化に務めなければならない教皇には同情の余地はある。あと大聖女にも。教皇も大聖女ウルスラも創星神さまや西の女神さまと面識があるため、聖王国内では盤石の地位を得ている。それでも一枚岩ではならないのが国というものだ。少し前も聖王国の騎士団が弱体化してしまっていた。彼らの性根を鍛え直すということで、ヤーバン王国から数名の戦士が派遣されたとのこと。
「ヤーバン王国式の訓練は一体どんなものなのか」
知りたいような、知りたくないようなと軽く息を吐いて、私は再度双子星を見上げる。
「アストライアー侯爵が双子星の片割れに傷をつけたことが、もう数十年前のようにも思える」
片方の双子星にある大きな模様は二年ほど前にアストライアー侯爵が五節の魔術を放ち星に影響を与えていた。魔術師団のヴァレンシュタインも魔術を放ち傷を付けられる可能性はあるというが、複数回となれば無理だと口にしていた。
王城内ではアストライアー侯爵の規格外振りが分かる逸話になっている。はあと私がありありと息を吐けば、執務室の部屋をノックする音が聞こえた 私は護衛の近衛騎士に視線を向け取次ぎを頼む。すると王太子がやってきたそうで、私に少し話があるということ。私は問題ないと我が息子の入室を許した。
「父上」
陛下、とは言わないのであれば私用のようだ。
「どうした、ゲルハルト」
小さく笑みを浮かべる息子に私は肩を竦めて用件を促した。すると彼は胸元から小瓶を取り出して机の上に置く。
「胃の痛みに効くという薬です。明日、持っていかれては如何でしょう」
どうやら息子は亜人連合国のエルフを頼って薬を手に入れてくれたようである。彼は亜人連合国に入国したことがあり、彼の国の者たちとの縁を多少は持っている。アストライアー侯爵のような強い繋がりではないが、薬を望めば分けてくれる関係は築くことができていた。
「……助かる」
私が差し出された小瓶を胸元に仕舞い込めば、ゲルハルトが私としっかり視線を合わせる。
「父上、お覚悟を」
「いや……そう真面目な顔で言われてもな……」
覚悟を決めなければいけない婚姻式ってなに、と言いたくなるものの、逃げていたツケがここで回ってきたのだと腹を決めるのだった。嗚呼、胃の腑が痛い。




