1667:庭に出てみる。
ウーノお姉さまはアストライアー侯爵邸で一週間お過ごしになられることが、凄く嬉しいようである。
アガレスという大きな国を背負っているウーノお姉さまは毎日政務で頭を抱えていた。広い国を統治するということは遠方の地域にも気を配らなければならない。やれ、属州への税の分配が少ないとか、中央だけを優遇しているとか、そういう声が絶えないからだ。
ただ黒髪黒目信仰のある東大陸でお姉さまはアストライアー侯爵閣下との縁を持っていることで、周囲の者から尊敬の念を向けられるようになった。共和国とも少なからず交流を再開させていることも、お姉さまの評価に繋がっている。
あの父の血を受け継いでいるなんて信じられない。いや、私も第二皇女だからあの父の血を受け継いでいるけれど。
父の無能な部分は兄や弟たちが継いだような気がする。元第一皇子のアインは同性も異性もイケると豪語していた。第二皇子のツヴァイは野心が強すぎだが、兄に媚びへつらうことで地位を盤石なものにしようとしていた。第三皇子は……ってもう考えても仕方のないことだと私は軽く首を振る。今日はアストライアー侯爵邸滞在二日目である。朝食を終えて、来賓室へと戻ってきたところだ。
ウーノお姉さまも宛がわれた部屋へと一旦戻っている。妹たちも同様だ。窓からは午前の優しい光が差し込んで、部屋を明るく照らしている。少し外に出たい気持ちがあるものの、アガレス帝国の者としてホストであるアストライアー侯爵家の面々を困らせるようなことはできない。もう暫く部屋で過ごそうと長椅子に腰を掛けた。
ふうと息を吐き、私は力を抜く。本当に黒髪黒目のお方であるナイさまのお屋敷、アストライアー侯爵邸に訪れているなんて信じられない。本来であれば招待客はウーノお姉さまのみだろうに、ナイさまは気を使ってくださり私たち四人も呼んでくださった。ウーノお姉さまよりも話す機会が少なく、本当に顔を合わせた程度の関係である。有難いことだと感謝していると、窓の外に視線が向いた。
アストライアー侯爵邸の庭にはさまざまな花が咲き誇り、植栽の木々も美しい。そしてなにより庭にはペガサスやグリフォンが過ごしている。魔獣が過ごしている庭なんて、他の貴族の家では聞いたことがない。
ナイさまは創星神さま一家とも関係をお持ちになっておられるから本当に凄い方である。やはり庭に出てペガサスやグリフォンの方たちと交流を持ってみたいという欲が私の心に芽生えてしまう。駄目だと一人で頭を振っていれば、ふっと空気が変わった。ような気がした。
『暇なの?』
ふいに耳元で女の子の声が聞こえて、周りをきょろきょろと見渡すが誰もいない。
「え?」
私の警護を務める者たちに今声が聞こえなかったかと問えば、ゆっくりと顔を横に振る。ただ彼らは私が感じ取った違和感を無下にはせず、きょろきょろと周りを見渡し始める。やはり誰もいないと彼らが口にした瞬間。
『外に行けば良いじゃない!』
「へ?」
『我慢は良くないよ!』
ポっ、ポっ、と目の前で灯りが灯る。三十センチほどに淡く光る玉の中には羽が生えた人間の姿があった。これは……フェアリーと呼ばれる者たちではないだろうか。
彼らは純真無垢な人間の前や気に入った者でしか見えないと言われている。護衛の者たちは私の反応にきょとんとしている。アガレス帝国では起こり得ない現象に目を丸くしてしまうのは仕方ない。だってここはアストライアー侯爵邸。女神さまが二柱さまもお過ごしになられている屋敷なのである。価値はアガレス帝国の帝宮よりもあるだろう。
「え、えっと?」
『外に出よう!』
『出よう!』
妖精たちが私の服の端を持ち、扉を指差していた。たしかに外へと出たい気持ちはある。
「し、しかし私が勝手に外に出れば屋敷の方たちの迷惑となりましょう。せめてナイさまのご許可がなければ……」
だが、今、庭へと出るのは屋敷の者たちが困ってしまうだろう。せめて事前に連絡を入れていれば良かったが、私たちが庭へと出るのは午後の予定となっているのだ。せめてナイさまのご許可があればと私が声に上げれば、妖精たちはふと思案顔になる。すると二つほど灯りの玉が消えて暫くするとまたぱっと光って私の前に現れた。
『外、行って良いって!』
『許可、取ってきた!』
『褒めろ!』
口々に妖精たちが声を上げ、両手を腰に当てて自慢げな顔になっていた。私はどうしたものかと悩んでいると、部屋の扉から二度ノックする音が鳴った。護衛の者に取次ぎを頼めば、どうやら屋敷の侍女が訪ねてきたようである。
忙しいだろうに申しわけないことをしてしまったと眉尻を下げながら、私は侍女の入室に許可を下す。暫くすれば侍女の者が恭しく部屋へとやってくる。ウーノお姉さまは侍女の衣装を纏い、ナイさまの後ろに控えてみたいと妄想を膨らませていた。シンプルなデザインはアストライアー侯爵邸の様子に似合っているが、西大陸の女性より顔の彫が濃い私たちに果たして似合うだろうか。いや、そんな疑問を抱えるよりも、侍女の者が何故訪ねてきたかを問わなければ。
「失礼致します。ご当主さまから庭へ出られても大丈夫だとお言葉を預かって参りました」
「そう。ナイさまにはご許可を頂き感謝いたしますと伝えて貰えるかしら?」
礼を執る侍女に私は『忙しいのに悪いわね』と告げる。話を聞いていた妖精たちはまた両手を腰に当てて、自慢気な表情になっていた。とはいえ外に出てみたかったのだから、妖精たちには感謝しないといけないし、ナイさまのご好意にも感謝しなければ。私は護衛の者たちに外へ行こうと目配せをして、部屋の外へと出た。すると隣の部屋からはウーノお姉さまが同じタイミングで姿を現した。
「ウーノお姉さま?」
「あら、ドゥーエ。まさか貴方も外へ出たいと呟いたのかしら?」
「はい。そうしたら妖精たちがナイさまにご許可を取ってくださいまして」
きょとんとした顔を浮かべたウーノお姉さまは私の姿を見るなり綺麗な笑みを浮かべた。帝宮ではなかなか見れない綺麗なウーノお姉さまの表情だ。ウーノお姉さまも妖精に呟きをしっかりと聞き取られて、庭へ出る許可を頂けたようである。
「たまには二人で参りましょうか。妹たちには悪いけれど」
ふふふと笑うウーノお姉さまに私は縦に首を振る。妹たちが生まれてからというもの、ウーノお姉さまとの二人きりの時間は減ってしまっている。得難い時間になりそうだと私はウーノお姉さまの隣に並んで、庭へと歩いて行く。アストライアー侯爵領邸とアガレスの帝宮を比較すれば、流石に我が宮の方が広い。とはいえ領主邸に置かれている調度品は良い品が多い上に、珍しい品がたくさんあった。
「これは……フソウ国の鎧かしらね」
やはりフソウ国の品は目に入りやすい。西大陸の国々と我々アガレス帝国の趣とは全く違った品となる。閉鎖的な島国で独自文化が築かれて、かなり成熟していると見える。
「なんとも細かい仕事ですね。青銅や鉄を鍛えて繋ぎ合わせているようです」
本当に職人の細かな気遣いが方々に見えた。ウーノお姉さまも息を殺しながら鎧を見つめている。するとまたパッと明るい光の玉が現れて、私とウーノお姉さまの周りを飛んだ。
『ナガノブから貰ったの!』
『使わないから勿体ないって!』
妖精たちは私たちに自慢をするかのように語りかける。勿体ないと仰ったのはナイさまだろう。実に彼女らしい言葉だとウーノお姉さまとともに苦笑いを浮かべる。廊下の調度品をゆっくりと眺めながら庭へと進んだ。
まだ朝の早い時間のためか訓練場から野太い声が聞こえてくる。同時に小気味よい木剣の音も耳に届いた。訓練場から届く音を聞きながら、私とウーノお姉さまは庭にある小道を歩き始めた。魔獣の方とお会いすることはできるだろうかと心を躍らせていると、脇道から大きな身体がのっそりと現れる。
『おはようございます。ウーノさん、ドゥーエさん』
脇道から顔を覗かせたのはグリフォンのジャドさまだ。
「ジャドさま、おはようございます」
「おはようございます」
丁寧に挨拶をくださり、私とウーノお姉さまも頭を下げた。ジャドさんは人手が足りないため朝の警備を手伝っていたそうで、他の雌グリフォンも参加しているそうだ。もしこの先で出会っても驚かないようにと気を使ってくれたようである。
天馬さま方も不審者がいないかどうか庭を見回っているそうだ。すごく贅沢な魔獣の使い方だと思うものの、きっと彼らが自主的に動いているのだろう。ナイさまは魔獣の方たちを扱き使うようなことはなさらないのだ。ジャドさまは巡回を終えているとのことで、私たちの散歩に付き合ってくれるそうである。なんとも気さくな魔獣の方だと驚きつつも、栄誉なことに少し嬉しくなった。
『ああ、そうでした。ウーノさん』
歩き始めて暫く、なにか突然思いついたようにジャドさまがウーノお姉さまに声を掛ける。
「如何なさいましたか、ジャドさま?」
ウーノお姉さまは平然とした様子でジャドさまの声に答えていた。流石、自慢のお姉さまは狼狽しないと感心していればジャドさまが言葉を紡ぐ。
『天馬も増えましたが、グリフォンも増えております。よろしければアガレス帝国にもお邪魔してよろしいでしょうか?』
一気に大陸を渡るのは難しいが、島を経由しながらゆっくりと西大陸から東大陸へと移動するのは可能らしい。何度か竜の背に乗って移動してきているため、ルートの構築は終わっているとのこと。あとは東へ行きたいという雌グリフォンを案内するそうである。竜のお方も時折アガレス帝国へと飛来していると目撃情報が出ている。更に稀に帝宮まで顔を出してくださる竜の方もいた。
魔素の濃度が西大陸より東大陸の方が薄いため定住は無理だが、気まぐれに遊びに行くには丁度良いらしい。他のグリフォンの方たちも同じ考えだそうである。自分の縄張りを持ちたいグリフォンが出てくることも考慮しているとか。
「帝国の者たちに被害がなければ、わたくしは国を統べる者としてグリフォンの皆さまを歓迎いたします」
『それはもちろん。逆に被害が出るようであれば、ナイさんを通してお知らせ頂ければ幸いです。私、ジャドが対処致しましょう』
ジャドさまが胸を張って、尻尾をぶんぶんと振っている。こんな話ができるのはアストライアー領主邸だからこそだ、と散歩を続ける。そうして散歩を終えたあと、ジャドさまがナイさまと相談してアガレス帝国とジャドさまが契約を結ぶことになった。大きな紙には『グリフォン滞在願い』と記されており、ジャドさまの肉球の押印とアガレス帝国の玉璽が押されているのだった。




