1666:先行入り。
アストライアー侯爵領領都、領主邸。
アストライアー侯爵の婚姻式まであと一週間。わたくしはアガレス帝国の皇帝としてナイさまに賓客として招かれ、余裕を持って前乗りしている。皇配として我が夫も帯同しているし、妹四人もナイさまのご好意で招かれていた。
妹たちは凄く嬉しそうに超大型竜の方の背に乗っていたものの、我が夫は少し恐々としており慣れない空の旅に疲れたようである。ナイさまと先程挨拶――ユーリさまもいらっしゃった――を終え、貴賓室へと案内していただきそれぞれの部屋で過ごしていた。お茶の時間となったため、庭でお茶にしないかという提案を受けアガレス帝国一行はナイさまの屋敷の庭に出ている。
そこには先客がいて――もちろん事前に連絡が入っている――私たち一行の顔を見るなり、席から立ち上がって礼を執った。
「まさか貴殿らとご一緒することになろうとは」
共和国の大統領閣下が苦笑いを浮かべる。彼はまた選挙に勝ち大統領職を辞すことはなかった。アガレス帝国と共和国の交流は途絶えていたというのに、ナイさまを起点にして話を交わすようになるとは。
国のトップ同士が既知となり、交流不可としていた国境沿いの領には共和国との繋がりを持って構わないと許可を出している。もちろん違法なことをすれば厳しい処罰を受けるため、常識の範囲内ということである。すると共和国もアガレス帝国の国境沿いにある街に興味があるのか、商人の出入りが始まっているそうだ。悪いことではないと私は席を立ちあがった大統領と視線を合わせて笑みを作る。
「ええ、本当に」
礼を執ったわたくしに大統領が手を差し伸べる。硬く握手を交わしていると、東屋にあるテーブルの上にはクロさまがちょこんと乗ってこちらを見ていた。
いつもナイさまの肩の上にいて、片時もそばを離れない竜が何故、一頭でいるのだろう。疑問に感じてわたくしが首を傾げると、クロさまは翼を広げて少し腰を落とし、テーブルから飛びあがりわたくしの肩の上に乗る。予想外の出来事に頭が混乱しそうになっていれば、クロさまが声を上げる。
『さっきぶりだね、ウーノ。ナイは忙しいからお客人の相手をボクやヴァナルたちが務めているんだ。人手が足りないから、魔獣の手も借りようって』
どうやらナイさまの発案でクロさまたちはアストライアー侯爵邸に招かれた者たちの相手を務めるようである。いつもナイさまの側にいらっしゃるクロさまがわたくしたちの相手を務めてくださるということは、わたくしたちをナイさまは敬ってくれているという証拠だろう。
一瞬、何故クロさまがいるのか驚いてしまったが、理由が分かってしまえばわたくしの心は天にも昇るような気持ちになっていた。しかし共和国の大統領も一緒というのは少々複雑である。とはいえアストライアー侯爵家の使用人の数は本当に少ない。我が儘は言えないとわたくしは笑みを浮かべてクロさまに『よろしくお願い致します』と伝える。するとクロさまは『長旅お疲れさま。さあ、座って』と声を上げた。わたくしたちアガレス一行と共和国の大統領一行はその声に従って席へと着く。共和国の者と同じテーブルに着くとはとしみじみしていれば、クロさまがこてんと首を傾げた。
『お茶はなにが良いかなあ? 飲み慣れたものの方が良い? ナイはいろいろな所からお茶を取り寄せているから、日替わりで楽しんでも面白いかもしれないねえ』
クロさまは側に控えている侍女に『今日のお薦めはなにかなあ』と問いかけた。すると侍女は北大陸のミズガルズ産の茶、南大陸にあるA国の茶、フソウの茶を挙げる。フソウの茶は紅茶ではなくリョクチャという代物のようで、アストライアー侯爵家以外には手に入り辛い品だとか。わたくしたちはナイさまが日頃口にされている紅茶があればと提案すれば、承知しましたと侍女が礼を執る。共和国の大統領は北大陸の茶を飲んでみたいと口にしながら肩を竦める。
「アストライアー侯爵の食通は相変わらずのようですな。我が国からもたくさんの品を買い付けておられる」
『ナイはご飯のこととなると見境がないから。無理なことは断って貰って良いからね』
大統領にクロさまは『本当に困ったものだよねえ。まあ仕方ないところもあるけれど』と困り顔になりながら、長い尻尾を右へ左へと動かしているようだ。クロさまの尻尾の感触が服を伝って肌で感じ取れる。クロさまは言い終えると、わたくしの肩からテーブルの上に戻って行った。ちょっと寂しいと思ってしまうのは失礼であろうか。いや、でもナイさまと同じ体験ができたから良しとしよう。
「困るなどと。侯爵殿は無理のない範囲で申し出ておられるから問題はありませんぞ。むしろ共和国の自慢の品々をもっとお贈りしたいくらいですからな!」
にっと笑う大統領にクロさまは『そっか。無理な時は教えてね?』と告げたあと、机の上でくるりと身体を回してわたくしの方へと身体を向ける。
『もちろんウーノたちも。東大陸は黒髪黒目信仰があるからナイに言われると断り辛いでしょ?』
「クロさま。ご心配には及びません。ナイさまはきちんと帝国のことを慮ってくださっておりますから。大統領と同じく、我々もアガレス自慢の品をナイさまへもっと贈りたい気持ちがありますわ!」
もちろん、ナイさまであっても渡せないものはある。飛空艇がその代表だろう。ナイさまも理解なさっておられるようで、飛空艇が欲しいとは一言も口にしない。南大陸の東の端にある国の王が『よければ譲ってくれ。金は出す』という書状を寄越してきたが無視している。ナイさまが口にしないことを他所の国の者に強いられるとは驚いた。
今回の帰りに立ち寄って天文学的な金額を吹っかけてみても面白いかもしれない。こんな金額払えるはずがないと顔を真っ赤にして怒り狂いそうだ。ふふふとわたくしが笑っていれば隣に腰掛けている夫から『顔、顔』と小声が届く。あら、失礼をとわたくしは表情を取り繕ってクロさまを見た。
『接待することなんてなかったから緊張するねえ』
クロさまは運ばれてきたお茶を見ながら照れ臭そうにしながら『どうぞ~』と声を上げた。わたくしの前に運ばれた茶に視線を落として、ティーカップを持ち上げる。
鼻をくすぐる茶の香りは凄く優しく、ナイさまが良く飲まれているということに胸を躍らせた。どんな味がするのだろうと一口嚥下してみれば、口の中にほのかな甘みが残る飲みやすい紅茶だ。そういえばナイさまは辛い食べ物が苦手であったから、苦味の強い茶は苦手なのだろう。ふむと茶の味を実感していると、ふいに気配を後ろから受ける。気配に振り返れば、とんでもないお方が立っていた。
「クロも緊張するんだ」
「クロは緊張しねーだろ」
西の女神さまと南の女神さまが唐突に姿を現してわたくしたちの方を見ている。声を掛けられたクロさまは『ヴァルトルーデさまとジルケさま。どうしたの?』と首を傾げた。わたくしたちは失礼があってはならないと、表情を引き締める。
「に、西の女神さま! 南の女神さま!!」
「お会いできて光栄でございます」
共和国の大統領一行とわたくしたちアガレス一行は一気に立ち上がり深く頭を下げる。
「大仰な態度は要らない」
すると西の女神さまの声が聞こえて、クロさまが『頭を上げて~』とわたくしたちに伝えてくれる。以前、女神さま方とお会いした時も同じ言葉を頂いてはいるものの、その時はナイさまが隣に控えて下さっていた。ナイさまがいない状況で横柄な態度など取れないが、西の女神さまとクロさまの言葉に倣って恐る恐る礼を解く。二柱さまにわたくしたちはどうお声掛けすれば良いのかと悩んでいれば、先に言葉を紡いだのは女神さまの方だ。
「ナイが各国からたくさん食料を譲り受けているから、暇ならお礼を伝えて欲しいと頼まれた」
「な。だから、あたしたちは屋敷にきた連中に声を掛けてるってわけだ。気を使わないでくれ」
二柱さまは仕方ないという雰囲気をありありと醸し出しているものの、嫌がっているようには見えない。むしろ状況を楽しんでおられるような。しかし……ナイさま……女神さま方に御礼参りをしてこいと言うのは如何なものでしょうか。
『ナイだからねえ』
どう答えようかと迷っていると、机の上のクロさまが困り顔になっている。たしかにナイさまであれば西と南の女神さまに『お願い』をしてもおかしくはないのだろう。で、あるならば固まったままでは失礼とわたくしは居住まいを正して女神さまとしっかりと視線を合わせた。
「西の女神さまと南の女神さまから感謝のお言葉を頂くことになろうとは。アガレス帝国の品をご賞味下さり恐悦至極に存じます」
わたくしが礼を執り頭を上げると、西の女神さまと南の女神さまが柔らかな笑みを浮かべている。まさか二柱さまからそのような表情が見られるとは。特に西の女神さまは感情の起伏が薄く喜怒哀楽を感じづらい。
「ナイが料理長たちに芋料理をたくさん作って貰ってる。すいーとぽてと、美味しい」
たしかナイさまから頂いたレシピの中の一つにお菓子としてあったはず。わたくしはナイさまが賞味した同じ品が食べられると、アガレス帝国の帝宮の宮廷料理人に作らせて食してみたが、女神さまが仰る通り美味しい品だった。
女神さまが喜ぶ料理を発案するナイさまは一体……と思うものの、レシピの考案者はエーリヒ・ベナンター子爵である。少し前、彼はフィーネ・ミューラー嬢と婚姻を果たしており、ナイさまの婚姻式で顔を合わせることになるだろう。女神さまから褒められたことを彼に伝えなければとわたくしが考えていると、南の女神さまも目を細めて口を開く。
「ちょこれーとも美味いよな。プリエールが紹介してくれたやつが一番美味かった」
「こ、高級品は苦手でございましょうか?」
共和国の大統領が恐る恐る女神さま方に疑問を投げる。富裕層向けの品が女神さまのお口に合わないとなれば、共和国にとって大問題となる。大統領が顔を青褪めさせているのは仕方ないのだろうと、他人事のようにわたくしは耳を傾けている。
「値段が張るやつはちと苦手だな。けどよ、東と北の姉御は気に入っているぞ。茶請けに欲しいって、ナイに頼み込んでいるからな」
だから好みの問題だろうな、と南の女神さまが続けて仰った。南の女神さまはフォローを入れてくださったのだろうか。安堵している大統領を横目で見ていれば、蹄の音が聞こえてきてどんどん近づいている。一体、なにごとかと我々と共和国の護衛の者たちが身構えた。けど、これは……なんとなくだが、わたくしは蹄の音の正体が分かった。
「ははははははは! 凄い勢いだな、ルカ!! 以前より脚が速くなったのではないか!?」
ヤーバン王の声と共に黒天馬であるルカさまが嘶きを上げながら、東屋の近くを凄い勢いで走り去っていった。なんとも言えない空気が流れてしまい東屋に沈黙が訪れた。空気を変えるにはどうしたらと悩んでいれば、クロさまが西の女神さまの肩へと飛んで行った。
『アレクサンドラは相変わらずだねえ』
「ね」
「本当にな」
苦笑いでクロさまと西の女神さまと南の女神さまが肩を竦めていた。この空気になった責任をヤーバン王には取って貰わないと。女神さま方は再度食料の礼を告げ、邪魔しては悪いと告げられて去って行くのだった。
――女神さまと言葉を交わすことができる場所。それがアストライアー侯爵領、領主邸である。




