1665:名前を贈ろう。
霧隠れの亡国にある村、ネーベルハイム領と名付けた場所にアルバトロス王国教会の筆頭聖女さまが慰問に向かい、無事に終わったという報告が入った。
閉鎖的な場所のため拒否される可能性も考えていたのだが、アリアさまの明るい性格とロザリンデさまの真面目な所が村の方たちが受け入れてくれた大きな要因だったのだろうとクレイグが考察している。考察してくれたクレイグが私の執務室の応接椅子に腰を掛けていた。報告を終えてなんとなくお茶をしようとなったわけである。
「アリアさまと会えて良かったねって、サフィールが言ってたよ」
私はクレイグからの報告を受ける前にサフィールとも会ってちょこっと話してネーベルハイム領のことを聞き出していた。発展の余地はあるけれど、今は弱った体力を取り戻すことの方が先だろうというのがサフィールの見解である。
元気のない子供もいたようでアリアさまとロザリンデさまの慰問で少しはマシになると良いけれどと言っていたが、果たしてどうなるのか。エーベルハイム領に聖女さまはいないから教会を建設しても良さそうである。聖女さまがいなくとも、神父さまかシスターがいるだけでも状況はマシになるはずだ。なにかあれば飛竜便を使って飛んで行けば良いし、緊急時であればロゼさんの転移で向かう手もあるのだから。
しかしクレイグはアリアさまと良い感じになっていると聞いてはいたものの、更に雰囲気が良くなっているとか。
私はクレイグがアリアさまと話している姿は南の島でしか見ていないから、そこのところはイマイチ分かっていない。でもサフィールが仲間内に嘘を吐くことはない。だから本当のことだろうと話題に出したわけだが、クレイグは顔を少し赤く染めていた。
「アイツ……ナイに余計なことをっ!」
クレイグは天上に視線を向けてぼそりと声を上げた。私がサフィールの名前を出したのは失敗だったかと、心の中でごめんサフィールと謝っておく。
「……阿呆面晒すなよ」
いつのまにか視線を私へと戻したクレイグが怪訝な視線を向けていた。どうやら私が心の中でサフィールを謝っていた時に妙な顔になっていたらしい。
「阿保面かもしれないけれど、クレイグに直接口に出されるほど酷くはないよ!」
「へいへい。あ、そうだ。屋敷にきている竜の連中と天馬たちとグリフォンに名前を決めてやれ。俺たちも名前がなくて不便だしよ。あいつら、ナイに名付けて貰えば喜ぶだろ」
私の抗議の声が流されてしまうと、クレイグには真面目な顔になる。たしかにクレイグが言った通り、屋敷にいる天馬さまとグリフォンたちに屋敷に遊びにくる竜の方たちには名前がない。
勝手につけるわけにはいかないし、みんなも名前が欲しいと望まなかったため、名無しのままここまできたわけだけれど。クレイグは私が賜っている元デグラス領の領都にも必要だろうと、軽く息を吐いた。陛下から好きに名前を付ければ良いと言われているから、デグラス領のままで良いかと考えていたけれど……やはりちゃんとした名前を付けた方が良いのだろう。
「女神さまに仮名を贈っているんだ。今更だろ?」
「なにも言い返せない……!」
クレイグがジト目で私を見ていた。たしかに女神さまに仮名を贈っているのだから今更である。名前を候補に挙げて選んで貰えば良いかもしれない。エルとジョセの三番目の仔が一番最初に贈るべき相手かなあとか、四頭の雌グリフォンさんたちと四頭の仔グリフォンさんたちの名も考えなければ。
「……分かった。考える」
「いつにもなく素直だな。石頭のナイは一度考えたことをなかなか曲げねえのに、なにか変なもんでも食ったか?」
クレイグが片眉を上げながら私の顔を覗き込んでいる。随分とクレイグは私に失礼なことを口にして肩を竦めた。
「食べてないよ! 落としても、最近は三秒ルール適用させてないから!!」
「人前でやるなよソレ。昔の癖はつい出ちまうぞ……」
まあ、クレイグと私の関係は昔から突っ込まれて、突っ込み返す関係だよなとお互いに笑い合って解散となった。執務室を出て行ったクレイグを見送った私が自席に戻ると、セシリアさまとアルティアさまと家宰さまが苦笑いを浮かべていた。
「相変わらずのご関係ですのね、ナイさま」
「クレイグとは十年以上の付き合いとなりますからね。お見苦しいところをお見せいたしました」
セシリアさまの声に私が目礼をすると『ただ少し羨ましかっただけですわ。謝らないでくださいまし』と彼女は声を紡いだ。貴族の方たちは異性と軽口を言い合うことはないらしいから、少し珍しく映ったようである。アルティアさまはクレイグと私の関係よりも話題の方に興味があったようで、ニコニコ顔で私を見ていた。視線が合ったとたんに彼女は机に身を乗り出す。机の胸に立派なものが乗っているのは言うまでもない。
「天馬さま方の名をお決めになられるのですか!? わたくしも参加させて頂いて宜しいでしょうか!?」
「エルとジョセの名前はセレスティアさまが贈っておられますからね。反対する理由がありません」
私の答えにアルティアさまが乗り出していた身を今度は仰け反らせて『わたくしが魔獣の方々に名前を贈ることになろうとは!! 嗚呼、神よ! 死んでも良いわ!!』と声を上げている。彼女の声を西の女神さまであるヴァルトルーデさまが聞き届けていれば『大袈裟』と微妙に顔を歪めるのではないだろうか。相変わらず愉快な方だと私が肩を竦めると、今度は家宰さまが声を上げる。
「しかし名を贈るとなれば、かなりの方たちの分を考えることになるのでは」
大変だけれど、名前がないままという状況も困ったものだから、クレイグの声を切っ掛けに名付け大会としても良いのではないだろうか。屋敷の中で過ごしている方たちと、よく遊びにくる小型の竜の方に名を贈るだけである。みんなに贈るようなことはないし、野良魔獣が噂を聞きつけて集まることもないだろう。うんうんと一人で頷いていれば家宰さまが『ああ、ご当主さま』と言葉を続けた。
「はい?」
「領都で生まれた赤子にご領主さまの名前を付けることが流行っております。宜しいでしょうか?」
なにやら領都内で私の名前を冠している子が増えているとか。ナイという名ではないけれど、二文字を使った名前が登録されているそうである。
「何故?」
「それはご領主さまの名ですもの」
「ご領主さまのような方に成長するようにと両親は願っているのですわ!」
私が疑問の声を上げれば、セシリアさまとアルティアさまが答えてくれた。どうやら領民の方たちから尊敬を集めると必然的に領主の名を冠した赤子が増える傾向にあるとか。捻くれた子に成長しないかという不安はあるものの悪い気はしなかった。
そうして名前を決めようと名前図鑑を引っ張り出して良さげな候補を上げていく。ポチとタマの前例があるから、気を抜けないなと苦笑いを浮かべてしまう。けれど名付けに困ったら日本的な名前を付けても良いかもしれない。フソウの方たちが不思議に感じてしまうかもしれないが、フソウ的にはあと百年ぐらいは先取りしている名前のはず。
うーん、うーん、と悩みつつ、あとでこのことを知ったセレスティアさまが血の涙を流しそうだなあと私は苦笑いを浮かべてしまう。
直感的にこれいいなあという名前を挙げて紙に記していった。とりあえずエルとジョセの三番目の仔に付ける名前と雌グリフォンたち四頭と仔たちにおばあの名を決めておく。とはいえ気に入らなければ再考しないといけないし、名前がいらないのであれば無理矢理につける必要はないなあと私たちは庭に出る。途中でジークとリンも合流して、割と大勢が集まることになった。
きょろきょろと領主邸の広い庭を見渡す。まったりと過ごしている天馬さまたちの姿が見えるものの、エルとジョセの姿はない。元気に走り回っているルカの姿もないし、一体どこにいるのやら。厩でまったりしているのかなと私が首を傾げると、後ろに控えているジークとリンが声を上げた。
「いないな」
「いないね」
『ボクが探してこようか?』
「ちょっと反則気味だけれど……これでどうかな?」
ジークとリンとクロの声に私は指に嵌めている魔力制御の指輪を一個外してみた。すると腰元のヘルメスさんが『ご主人さまの魔力が!!』と声を上げ、ジークとリンが佩いているレダとカストルも『マスターの魔力ですわ!』『どうした、いきなり? ま、良いけどよ!』と声を上げる。ロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも反応している。クロも私の肩の上でご機嫌に声を上げる。
『効果が抜群だねえ』
クロの声に苦笑いを浮かべると、視界に映る天馬さまの姿が増えていた。天馬さま方の姿は一度見ただけでは誰が誰かなんて分からないけれど、なんとなくエルとジョセの姿は判断できる。
「あ、エルとジョセだ。ルカが凄い勢いでこっちにきてる……」
ゆっくりとこちらを目指すエルとジョセを追い抜いてルカが蹄の音を響かせながらやってきた。
「ルカが一番乗りだね」
と私が声に上げるとルカは鼻を鳴らしながら前脚で地面を掻く。ルカは大きな顔を寄せてきて『撫でて』と主張する。私がそっと手を伸ばせばルカは目を閉じて、長いまつげを晒していた。ゆっくりとルカの頬を撫でていればエルとジョセがジアと三番目の仔を連れて私たちの前に立つ。ルカは私の手が飽きたようで、ジークとリンとクロに挨拶をするようだ。
『呼ばれたような気がしましたので』
『どうやら私たちの勘は当たったようですね』
エルとジョセも頭を下げれば、私に撫でてと無言で要求してくる。ジアと三番目の仔が良いなあという表情をしながら、その場でじっとしていた。ルカと比べて、ジアと三番目の仔は大人しいねえとしみじみしながら私はエルとジョセに用件を伝えた。
『嬉しいです。ナイさんから仔に名前を授けてくださるなんて』
『本当に。ナイさんは今や我々の間でも一目置かれるお方。仔も喜びましょう』
「遅くなってごめんね。屋敷にいる仔が増えて、悩んでいたらいつの間にか時間が流れてて……まだ名を贈れない仔もいるけれど、まずはエルとジョセの仔にって」
エルとジョセが目を細めながら嬉しそうな顔になる。お猫さま、もといトリグエルさんが生んだ屋敷で過ごしている四頭の猫たちにも名付けていないなあと気が付く。本当に名を贈らなければならない仔たちが大勢いるけれど、先ずはと私は三番目の仔の前に立つ。産まれてから時間が経っており随分と大きく成長していた。彼女は私の前で尻尾を揺らしながら、金色の瞳で見下ろしている。
「ノールはどうかな? ルカとジアの名前と同じ『光』って意味のある言葉なんだけれど」
私が彼女の第一候補の名前を伝えれば、顔をすりすりとしてくれた。
『気に入ったみたいだねえ。ナイの魔力が減ってるから』
「減ったのかよく分からないんだけれど……」
すると肩の上のクロが良いなあと言いたげにしみじみと声を上げていた。私はクロの声に自身の魔力が減ったのかと確認してみるものの、良く分からなかった。
『減ったよ。それに、ほら』
ノールの表情というか態度がドヤとなっている。首を伸ばしながら前脚で地面を掻いて、なにかを訴えていた。エルとジョセも問題ないようだし、気に入ってくれたなら良いかと私は息を吐く。けれど。
「すっごくドヤ顔。ルカみたいにならなきゃ良いけれど」
私の声に他の人たちに相手をして貰っていたルカがくるりと身体をこちらに向けた。そして私の頭のアホ毛をルカが器用に口を開いてガジガジする。
「痛いよ、ルカ。ごめんって!」
鼻を鳴らすルカにどこからともなく『羨ましいですわ』という声が私の耳に届いた。代われるなら代わりますよという声を飲み込んで。




