1662:テオとアンファンの帰還。
アリアは人の心を開くのが上手い。
アリアとリヒター嬢が聖女として、俺が代官を務めるネーベルハイム領へときてくれていた。目的はもちろん聖女の慰問で、村人の病気を見て回るというものだ。
この村に教会はないから、アルバトロス王国教会から聖女が派遣させてもなんらおかしくない。けれど、筆頭聖女を向かわせるとは教会も大胆なことをしたものである。依頼人がナイだからということも大いに関係していそうではあるが。
とある家の中。寝台の上で身体を起こした老婆とアリアが顔を突き合わせていた。窓からは小型の竜二頭が興味深そうに覗き込んでいる。家の者は混沌とした状況に引いているものの、老婆のことが心配なようで視線を窓と老婆とアリアと俺の間で彷徨わせている。
先程、アリアが治癒の魔術を施し、しばらくすると老婆の顔色が少しマシになっていた。治療を施すまでは半信半疑の表情を浮かべていた家の者たちは、苦しそうだった呼吸も落ち着いた老婆を見てほっとしている。老婆はアリアの手を取って、ぎゅっと握り込んでいた。アリアは老婆に笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「早く元気になってくださいね」
「ありがとうございます。ありがとうございます、聖女さま」
アリアの手を握ったまま老婆は何度も頭を下げていた。アリアはそんな老婆の背を撫でて『きっと良くなります』と声にする。ナイがアリアと同じ状況になっていれば『良くなります』ではなく『栄養のある食べ物を取って、寝台の上でも良いので身体を少しでも動かしてください』と現実的なことを口にしそうだ。この辺りは聖女ごとの違いだろうと、俺はアリアたちの後ろで苦笑いを浮かべる。そうして家を出て直ぐ、家族の息子夫婦がアリアたちを追いかけてきた。
「聖女さま! 母を診て頂き本当にありがとうございます!」
「義母は生き字引として、我々に知恵を授けてくれました。いなくなったらどうしようと途方に暮れていたのです!」
夫婦は手に持っている野菜が入った篭をアリアたちに差し出した。お礼として受け取って欲しいようである。今回、ナイの要請ということで侯爵家から教会に寄付がなされているため、治癒にお金は掛からない。村の者にも伝えているので、純粋な彼らの礼なのだろう。アリアは息子夫婦を前にして、籠へと手を伸ばしながら言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます! とっても美味しそうなお野菜ですね!」
へらりと笑ったアリアが野菜を受け取った。受け取っても自身のものにはならないし、明日になれば教会の食卓に並んでいるだろう。野菜より寄付をとはっきり告げてしまう聖女もいる中で、筆頭聖女のアリアが喜びながら野菜を受け取ったのであれば、アルバトロス王国教会の聖女たちは『追加の寄付を』とはなかなか言えまい。
口にしたらしたで、カルヴァイン枢機卿が苦言を呈しそうだなと俺は片眉を上げる。俺の横に控えているサフィールと部下も『アルバトロス王国の筆頭聖女さまは優しいよね』『ですね。受け取ってくださって良かった』と安心していた。
アリアが村人の気持ちを無下にすることはないと俺は知っている。サフィールも彼女と南の島で顔を合わせているから当然知っているはず。部下は彼女と初めて接しただろうから、悪い印象を持たれず済んで良かった。
筆頭聖女として頑張っている彼女を馬鹿にされるようなことがあれば、俺は黙っていられるだろうか。
喧嘩っ早いと言われているから、手を出さないという自信はない……けれど、立場を得ている今は我慢しなければ。彼女のためにも、アストライアー侯爵家のためにも。
「では、次の方も診なければならないので、これで」
「本当にありがとうございました」
アリアの声に息子夫婦が頭を下げる。そうして教会の事務員がアリアから野菜を受け取っていた。小型の竜二頭も今度はどの家かなと首を傾げながら、こちらを見ている。
「サフィール。次は?」
「向こうの家。幼い子供だね。栄養状態が悪いまま過ごしていたから……」
俺の問いにサフィールが答えてくれた。昨日、サフィールに病人の様子を見て回って貰っておいて良かったと安堵する。俺では病人を診ても、寝台の上で寝ているヤツとしか分からない。サフィールであれば治療はできないものの、症状の把握や早く聖女や治癒師に診て貰う優先順位を付けられる。サフィールの声を聞いたアリアたちは小さく笑身を浮かべる。
「今は支援が入っていますし、回復を祈りましょう! 小さい子なら遊びたい盛りでしょうしね」
「ええ。未来を担う子は多いに越したことはありません」
筆頭聖女と筆頭聖女補佐が顔を見合わせる。行きましょうと告げた彼女たちの声に俺は先を歩いて、目的の家の前で俺たちを迎え入れる者と並んだ。
「よ、よろしくお願いします」
少し怯えている家の者にアリアは嫌な顔を一つもせず、にっこりと笑ってよろしくお願いしますと元気良く言葉を返した。俺が思い浮かべる筆頭聖女の像はしずしずと頭を下げているのだが、アリアは明るく笑って言葉を紡いでいる。まあ、彼女の持ち味だなと俺は肩を竦め、また家の中に入っていくのだった。
◇
アルバトロス王都からアストライアー侯爵家へテオさんと一緒に私は戻っている。
侍女訓練校を卒業し馬車で王都からアストライアー侯爵領まで一週間を掛けて戻ってきたところだ。二年間離れていたことで、私は凄く懐かしい気持ちになっていた。長期休暇の際には戻ってきていたけれど、やはり長く離れてしまうと懐かしい気持ちを抱いてしまうようだ。ユーリもまた大きくなっているだろうと、テオさんと一緒に玄関ホールに入れば侍女長さまと警備部の警備部長さまが立っていた。
「おかえりなさい、アンファン」
「テオ、アンファンに失礼なことをしていないだろうね?」
お二人が小さく笑いながら声を掛けてくれた。テオさんと私も礼を執って顔を上げる。
「ただいま戻りました」
「王都より帰還いたしました」
以前の私であれば『ただいま』という言葉で済ませていたはずだ。侍女長さまに私が訓練校を卒業した姿を少しは見せられただろうか。すると警備部長さまが鳩尾の辺りに手を持って行く。
「二人とも随分と背が伸びたね。二年前は私のこの辺りだったというのに」
ふふふと笑いながら警備部長さまが近寄ってきた。彼はテオさんの頭をぐしゃぐしゃと掻いてしみじみとしている。私の下にも侍女長さまがきて『長旅、ご苦労さまです』と告げた。
「さて、屋敷の皆に挨拶をしたいでしょうけれど、先ずはご当主さまに帰還報告を。手荷物を部屋に置き次第、テオとアンファンは執務室へ」
「承知致しました」
「は!」
侍女長さまの声に私はお辞儀をし、テオさんは足をくっつけて敬礼を執る。侍女長さまは付いてきなさいと口にして、警備部長さまはまたあとでと軽く手を挙げて玄関ホールから外へ向かっていった。
テオさんと私も割り当てられた自室に戻って荷物を置き、待たせてはならないとご当主さまの執務室へと急ぐ。そうして侍女長さまに案内されて中へと向かい、テオさんと私はご当主さまに帰還の報告を終えた。
――ご当主さまは相変わらずだった。
挨拶にきたテオさんと私を見て『身長が伸びましたね』と笑っていた。ご当主さまも三センチほど伸びたらしいが、以前とあまり変わらないように見える。側仕えのお二人は婚姻を果たし赤子を無事に生んで、まだしばらく仕事は休むらしい。代わりに彼女たちの母親がご当主さまの側に控えているけれど、存在感が半端なかった。
お屋敷は相変わらずだけれど、天馬さまやグリフォンさんたちが増えていた。心なしか妖精さんたちも増えているような気がするけれど、屋敷の人たちは気付いていないかもしれない。
ご当主さまと軽く話をしながら、騎士訓練校と侍女養成校について良かったところや、足りなかったこと、欲しい施設とかあるかと問われた。
答えて意味があるのかと訝しみながら語っていれば、ご当主さまの意図が見えてきた。もしかすると、ご当主さまは侯爵領でも同じ学校を作るか、王都の教育施設に支援をするのかもしれないと。たしかに大事なことだと気付いた私は、なるべくご当主さまに伝えられることを伝えたつもりである。そうして話を終えてテオさんと私は執務室を出た。
部屋を出たテオさんと私は廊下を歩いて行く。しばらく歩いていれば、隣を歩くテオさんがふうと息を吐いた。
「あの人、変わらねーな」
「うん。それにいろいろと忙しいみたい」
片眉を上げるテオさんに私も苦笑いを浮かべる。ご当主さまは相変わらず方々に顔が広く、忙しなくしているようだ。女神さま方も相変わらずのようで、屋敷でお過ごしになられている。
私たちがいない間に、屋敷には二十七柱さまもの創星神さまを迎え入れたとか。屋敷の人たちには申し訳ないけれど、養成校に通っていて良かった。私はきっと緊張で動けない気がする。本当に忙しないご当主さまだと笑っていれば、テオさんもいつの間にか苦笑いを浮かべて肩を竦める。
「自ら忙しくしてないか?」
「うん。学校のこと聞かれたから、なにか考えがあるんだろうけれど」
ご当主さまは本当にいつ休んでいるのかとは思うものの、お昼からは庭の東屋でお茶を飲んでいたり、ユーリと戯れている。案外その時間がご当主さまにとって大切な時間なのかもしれない。
夜もジークフリードさんとジークリンデさんとサフィールさんとクレイグさんとで良く話をしているようだ。ご当主さまのように長年付き合いのある友人を私は得られるのだろうか。侍女養成校では数人、仲良くなれた女の子がいる。手紙のやり取りをしようと約束をしているけれど……まあ、手紙がこなければ私から認めてみよう。そうしなければきっと縁は続かない。
「婚姻式、どんなものになるんだろうな」
考え込んでいるとテオさんが私に問いながら不思議そうな顔になっている。少し前、王都の教会でエーリヒ・ベナンター子爵さまの婚姻式を見たけれど、花嫁である聖王国の元大聖女さまは凄くお綺麗だった。一緒に見に行っていた友人も『素敵!』と声を上げていたから間違いはないだろう。ご当主さまとジークフリードさんとの婚姻式はどうなるのか。少し私は頭の中でイメージしてみた。
「凄く豪華そう」
うん。本当に凄いことになりそうだ。もしかすると、アルバトロス王国の陛下や創星神さまもお越しになられるのではないだろうか。私が侍女として大きな催し物に立つのはその時になりそうだ。テオさんもきっと侯爵家の警備として、初めての大きな仕事となるのだろう。お互いに頑張ろうと頷き、私はユーリの部屋に行きますねと伝える。
「おう。やっと会えるんだ。遠慮なく行ってこい」
テオさんが笑いながら見送ってくれたあと、私は誰もいないことを良いことに廊下を走り始めた。そうしてユーリの部屋の前に辿り着き、二度、ノックの音を鳴らす。乳母の方は私と分かれば、直ぐにユーリの部屋にいれてくれた。ユーリはまた成長しているだろうと部屋に足を踏み入れれば、ユーリが大きな瞳を向けて私を認めた。
「おねーちゃん! アンファンおねーちゃん!」
そう口にしたユーリは立ち上がってこちらへと駆け寄ってくる。私も両腕を広げながら彼女の下へと向かって、ぽすんと抱き留めた。
「ただいま、ユーリ。これからずっと一緒だよ」
私の言葉に背に回ったユーリの小さな手に力が籠められる。やっぱり私はユーリの側にいることが幸せだと、彼女の温もりを感じながら実感するのだった。




