1661:亡国の領地の名。
――翌日。
霧隠れの亡国の村にある襤褸屋――貧民街よりマシ――の中で朝飯を済ませて、新しく建てる家についてや、畑仕事についてや、雑事について仕事をしていれば、客人を迎え入れる時間となっていた。
一度、襤褸家に戻った俺たちは持参していた荷物の中から服を取り出す。着慣れていないもののため少し手間取るものの、客人を迎え入れるのだからみすぼらしい衣装ではアストライアー侯爵家の名に傷がつく。まあ、これからくる客人はそんなことは気にしないかもしれないが。村に姿見はなく、俺は一緒に着替えているサフィールに顔を向ける。
「サフィール、変じゃねえか?」
着替えを先に終えていたサフィールは、俺の声に振り向いて下から上へと視線を動かす。
「大丈夫だよ。タイは曲がっていないし、襟も跳ねていない。ちょっと見慣れないけれどね」
サフィールは俺の正装姿を見て小さく笑った。ナイもサフィールも俺のことになると遠慮がない気がする。まあ、俺も二人に遠慮なんてものはないから、お互いさまだろうけれど。
ジークとリンは俺とサフィールを揶揄うことはしない。そっくりな双子の揶揄いが向くのはナイだけである。ナイは双子のソレを気付いているか、いないのか。なににせよ、未だに仲が良い俺たちは変わり者なのだろうと、サフィールに視線を向ける。
「笑うなよ。サフィールだって慣れねえ格好になっているじゃねーか」
サフィールも普段よりお堅い服を着ているものの、客人を迎え入れる俺より軽いものだ。それ故かサフィールは笑みを深めて口を開いた。
「僕はクレイグよりましだよ。整髪料は使ってないしね」
「くそう。後で覚えておけ」
俺とサフィールのやり取りに部下が苦笑いを浮かべて『そろそろ時間です』と告げる。その声で俺たちは襤褸家から外へと出れば、小型の竜が二頭こちらを見ている。
視線が合えば、彼らがぱっと顔を輝かせて俺たちの下へと走ってくる。どれも小型の竜は似たような個体が多くて見分けがつかない……前に会ったことがあるだろうかと頭を捻っていれば、二頭が俺たちの前で止まる。
『クレイグ~、サフィール~、遊びにきたよ~』
『この森、広いから~気付くの遅くなったの~ごめんね~』
ケタケタと笑う竜は前に顔を合わせていたようだ。どうやら、エーリヒと一緒に一ケ月近く旅をした竜たちのようである。ナイが霧隠れの亡国にきたあと、この森に残って遊び場にしていたとか。
エーリヒが聖遺物を見つけて結構な時間が経っているので、良く森の中で遊んでいたものだと感心する。魔物を退治していたようだから、俺的には有難いことである。一言、二言、小型の竜と言葉を交わして、俺は客人のことを思い出す。
「もう直ぐ客人がくるから、迷惑掛けるなよ」
「おっと。くすぐったいよ」
小型の竜二頭は話を聞いているのか聞いていないのか。俺たちの方に頭を向けて、脇に突っ込んでくる。サフィールは慣れているのか、当然のように受け入れて小型の竜の頬を撫でている。
俺はつい避けてしまい『どうして避けるの~』と小型の竜の片割れが少しだけ拗ねた。悪いと謝った俺は手を伸ばして小型の竜の頬を撫でておく。ひとしきり撫でれば満足したようで、小型の竜二頭は部下の方へと顔を向ける。
『この人、だあれ?』
『初めてだよねえ?』
毛玉のようにスンスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ小型の竜二頭に、部下は直立不動になって名乗りを上げる。匂いを嗅ぎ終えた小型の竜二頭は距離を取って目を細める。
『覚えた!』
『よろしくね~!』
ケラケラ笑う陽気な小型の竜に部下は緊張した様子のまま深く頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
顔を上げた部下に小型の竜二頭は『気楽にして良いよ~』『僕たち偉い人じゃないよ~』と言って、仲良くしようねと呑気に声を上げる。
「そういや、お前ら、ポチとタマじゃねえんだよな?」
ナイが竜に名前を贈らないお陰で、名前で判別できていない。アズとネルを生んだ親竜はポチとタマと名付けているが、アストライアー侯爵邸を訪れる竜に名前は一頭も付いていない。飛来した個体が分からないのは報告書に認める際に困ることがある。良い機会かもしれないと俺は小型の竜二頭に視線を向けた。
『ポチとタマは南の島~遊び惚けているの~』
『名前はないの~ポチとタマが羨ましい~』
ポチとタマは気ままに南の島で遊んでいるようだ。俺たちが島へ向かうとポチとタマは必ずいるから、南の島に居着いたのかもしれない。ただ自由な竜だから、突然屋敷に現れても全然おかしくないけれど。やはり名前が欲しいなと俺は頭の後ろを手で掻こうとして止める。整髪剤を塗っているのを忘れていた。代わりにはあと息を吐いて、彼らに言いたいことを伝える。
「ナイに名前付けてやれって言っとくわ」
『わーい!』
『ありがとうー!』
俺の言葉に小型の竜二頭が周りをくるくると走り始める。よほど嬉しいようだから、きちんとナイに伝えなければ。部下は困惑、サフィールは苦笑いを浮かべながら口を開く。
「クレイグ……ナイが大変なことになるよ。他の仔たちも言い始めるんじゃないかな?」
そりゃそうだろうなあと、俺は意地の悪い笑みを浮かべた。
「構わねーよ。変な奴に絡まれて騒ぎになるより良いことだろ。雌グリフォンにも名付けしてねーし、孵った仔連中もない。天馬たちにもつけてやんなきゃならねーのに、突っ込まれねーから放置してるんだぞ、アイツ」
竜もグリフォンも天馬も遠慮しているのか、ナイに名を求めない。今付けておいてやらないと、また来年には数が増えているだろうから良い機会だ。俺は更に笑みを深めれば、サフィールが微妙な顔になる。そうして俺はまた言葉を紡いだ。
「それに、俺が代官をいきなりナイに任された意趣返しは、まだやってねーからな」
ナイの気持ちは有難いが、やはり事前に教えて欲しかった。いや、まあ、代官業が嫌というわけではないが、ナイがしたり顔で『サプライズ成功した』みたいな雰囲気になっていたのがむかっ腹だっただけで。これくらいの仕返しであれば可愛いものだろうと俺が肩を竦めると、サフィールも肩を竦めた。
「悪い顔してる。ナイは頭を抱えそうだね」
「ま、自業自得だ。仮名で良いから贈ってやりゃ良かったのに。なあ?」
俺はまだ喜んでいる小型の竜二頭に声を掛けた。俺の声に走っていた小型の竜二頭はぴたっと止まって、こてんと首を傾げる。俺は空を見上げると、中型の竜一頭が悠然と空を飛び、高度を落としていた。
「行こう。客人がきた」
「うん」
俺の声にサフィールが返事をしたあと、部下がはっとした顔になる。
「はい。私は村の者たちを呼んできます」
返事をくれた部下は村の連中を呼んできてくれるようだ。彼であれば問題ないと俺はサフィールと一緒に小さな空き地の方へと足を向ける。
『僕たちも行くー!』
『お迎えするー!』
小型の竜二頭も迎えてくれるようだから賑やかになりそうだと俺は片眉を上げて、サフィールと一緒に待ち合わせ場所の空地へ向かった。すると部下が村の連中を引き連れて、こちらへと辿り着く。中型の竜の方はゆっくりと高度を下げつつ旋回している。亜人連合国の国章とアルバトロス王国教会の紋章を掲げているから、野良竜ということは絶対にない。
そう。客人はアルバトロス王国教会の聖女さまである。
ナイが教会に霧隠れの亡国にある村へ聖女を派遣して欲しいと打診したのだ。ナイの願いは聞き届けられ――無下にできる奴はなかなかいないだろう――て、本日、聖女さまがわざわざ国を跨いできてくれたのだ。ナイが要請したということで、飛竜便はアストライアー侯爵家持ちである。さて、誰がきてくれたのかと俺は空き地に降り立った中型の竜の背を見る。
「筆頭聖女と筆頭聖女補佐がくるとは」
アリアとリヒター嬢の姿にシスターが二人控えている。あとは教会の事務職員が一人いて、計五人がやってきていた。聖女が派遣されると聞いてはいたが、まさか彼女たちとはと俺はサフィールの方を見る。
「ナイからの要請だからね。教会も無下にできないだろうから」
サフィールは苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。もしかしてまたナイの仕業なのかと疑い、竜や他のみんなに名前を贈るように絶対に伝えようと誓う。
「もしかして、シスター二人はナイが言ってた噂の……?」
「うん。シスター・ジルとシスター・リズだね」
俺は孤児院での生活を経て商家へと弟子入りしたから、教会のことに詳しくない。サフィールは孤児院で働いていたから、教会のこともある程度知っている。そして、シスター二人はナイが気を付けた方が良いと言っていた特徴に当てはまっていた。一人が盲目故に一緒に行動していることが多いと聞いていたから直ぐに分かった。
竜の背から降りてくる教会の面々を見た村の連中は白い衣装に身を包んでいる筆頭聖女と筆頭聖女補佐に目を奪われている。そして俺たちの横にいた小型の竜二頭は教会の面々の姿を見て声を上げた。
『アリアとロザリンデだ~』
『久しぶりだねえ』
あ、こらと止める間もないまま小型の竜二頭はアリアとリヒター嬢の方へと向かっていく。まあ、良いかと俺は諦めて彼女たちがこちらにくるのを待っていた。
アリアとリヒター嬢は竜が近くにきたことに驚くものの『久しぶりですね!』『お久しぶりですわ』と挨拶を交わしている。後ろに付いている事務員は顔を強張らせているが、シスターは小型の竜二頭に驚きもせず平然としていた。ナイが言っていたとおりシスター二人はただ者ではないと姿勢を正す。
「アルバトロス王国教会から派遣されました。筆頭聖女を務めております。アリア・フライハイトです」
「同じく、筆頭聖女補佐を担っております。ロザリンデ・リヒターと申しますわ」
丁寧なお辞儀をした二人に俺も礼を執る。
「アストライアー侯爵家、ネーベルハイム領の代官を務めております。クレイグ――」
ネーベルハイム領はナイが悩みに悩み抜いて、考えたこの村とあと二つの村を足した領地の名前である。まあ、土地自体は霧隠れの亡国を含むからそれなりの広さはあるはずだ。
デグラス領の名前――陛下から好きに名付けて良いと言われている――も仮名のままだというのに、先にこちら村の名前が決まってしまっていた。まあ、デグラス領の新たな名前はナイが考えれば良いだけのことだから、俺は一向にかまわないけれど。そうしてシスター二人からも名乗りを受けて、村の病人を診て貰おうと案内を始めるのだった。




