1660:霧隠れの亡国の村。
エーリヒさまとフィーネさまが婚姻して一週間が過ぎていた。
惚気が凄く入った手紙がフィーネさまから私の下へと届いたのは言うまでもない。婚姻式の少し前から記されたその手紙は事細かく書かれ、そこまで知らせてくれなくてもと言いたくなるくらいに甘かった。
夜。アストライアー侯爵邸の自室で私はフィーネさまの手紙を読み終えた私は長い長い溜息を吐き、手紙を封筒の中へと戻した。
「…………」
呆けたままでいれば、肩の上でまったりしていたクロが私の顔を覗き込む。ぺしぺし尻尾で背中を叩いてくれるのが少し気持ち良い。足元にいるヴァナルも私の様子を察知したのか、顔だけ起こしてこちらを見上げていた。
『ナイ、大丈夫?』
「大丈夫じゃないかも」
クロの声に私は顔を両手で覆って、洗顔をするように上下に動かした。そうしてまたはあと溜息を吐く。
『ナイが大丈夫じゃないって言うなんて珍しいねえ』
「他人様の惚気話は時に劇物だよね……胃もたれしそう」
私が目を顰めれば、クロが顔をこてんと傾げる。するとヴァナルもこてんと首を傾げたあと、問題はなさそうと判断したのかまた顔を床に戻して寝始めた。
『フィーネとエーリヒのことが記されていただけでしょう?』
「そうなんだけれど、事ある事に私の旦那さまは超素敵、世界一、宇宙一って書かれていてね……胃も胸も焼けそうで……お茶淹れて貰おう……」
まあ、それだけなら良かったけれど夫婦生活がダイレクトに伝わるので、手紙に目を通して良いのかと少々迷ったところもある。既に子づくり計画も立てているようで、エーリヒさまとも相談済みなのだとか。あーうん。頑張れーと私は言うしかないのだけれど、歳が近いと子供と遊びに行ったりできるし、お互いの領地に行ったり来たりもできますねえ、とも記されている。
なんだかプレッシャーを感じるなあとまた私は目を細めて、椅子の背凭れに体重を預けて天井を見げながら呼び鈴を鳴らす。
ソフィーアさまとセレスティアさまにも赤子が誕生しているのだが、お二人とも男の子だったそうである。世継ぎを生んで安泰だと思いきや、ユーリの相手を務めてやれないと少し残念がっていた。第二子懐妊中のため、職場復帰はまだだけれど女の子ができれば良いと漏らしているとか。
「失礼致します」
訪ねてきてくれた侍女の方に私は身体を起こして笑みを作る。
「お茶を淹れて頂きたくて」
「承知致しました。少々お待ちください」
綺麗な所作で頭を下げた侍女の方はすっと部屋を下がって、しばらくすればワゴンを押してお茶を淹れてくれる。お茶を飲んだあと、私はベッドに潜り込んで眠りに就くのだった。
◇
――霧隠れの亡国。某村。
ナイの命令で代官となった俺は霧隠れの亡国にある村の一つにやってきている。村の者たちはようやくアストライアー侯爵家の傘下となることを認め、税を払うことを決意したようだ。前に俺が村を訪ねた時にメリットとデメリットを伝えておいたのだが、村の若い者たちが頭の固い年寄り連中を納得させたようである。強制的にとも言えるかもしれないが。
俺はアストライアー侯爵邸から連れてきた部下とともに村の状況を事細かく把握しようと、見回りをしているところだ。村の連中には困っていることを聞き出しているが、警戒心が高い者からは話を聞けていない。
俺が認められるようになるのはいつになるのか。アストライアー侯爵家の傘下になることには納得したようだけれど、ナイがいないと不満に感じている者もいるようだった。少々面倒だが、地道に村を改善させ俺を代官として認めてくれるように仕向けなければ。言い方は悪くなってしまうが、村は俺のために用意された実験場と称しても過言ではないはず。
「クレイグさん、あちらはどうしましょう?」
俺の下を離れていた部下が戻ってきて沢の方を指差した。沢には小さな小屋があり、外には水車が回っている。ただ動きが妙だから壊れているようだ。
「壊れているなら修理だな。小麦を引く水車は必要だ。優先順位を上げよう」
俺は水車を見て部下に命を下す。すると手元の紙に部下が書き込みを始めた。俺はその様子をみつつ、周囲を見渡した。この寂れた村が元気を取り戻すにはどれだけの時間が掛かるだろう。早くしてやりたいという気持ちがあるものの、見知らぬ土地の見知らぬ者に情を抱けというのは少々難しい話だ。積極的に俺たちに協力しようとする者もいれば、消極的な者もいる。
消極的な者はそのうち村から弾かれることもあるかもしれない。その辺りにも気を配りながら、村を再興させないとと俺は息を吐く。
「他にはなにか……」
「ああ、畑や田を耕す牛か馬が欲しいと請われましたが」
部下の男が紙に書き留めている手を一旦止めて、俺と視線を合わせる。俺は急いで彼の方に腕を回して顔を近付けた。
「この話を竜の方たちにするなよ?」
「え?」
俺が小声で呟くと部下は呆けた顔になる。どうやら言葉の意味を分かっていないようだ。そういえば彼はアストライアー侯爵家に仕えて日が短いのだった。
「話した途端に小型の竜がやってくんぞ?」
「まさか」
片眉を上げて笑う部下に俺は至って真面目な表情を向ける。
「良いか、ご当主さまが統治しているんだぞ?」
「……あり得るかもしれません」
部下が右へ左へと視線を動かせば、考えを改めることができたようである。
「まあ、遅いかもしれないが……」
「えっと……きっと手遅れかと……天馬さまもやってきておりますし」
そう。村には既に竜の方たちと天馬さま方が飛来している。竜の方は以前、エーリヒたちと旅をした竜から話を聞いたと言って、こちらにきている。天馬さま方は俺が霧隠れの亡国へ向かうと知り、どんな場所かと興味があると言って一緒についてきた。
気の良い連中だから、村の者の手伝いを始めそうだ。グリフォンの方たちも興味があるようで、ジャドではないが他の雌グリフォンが今日はきていた。念のため、村のことには時期がくるまで手を出さないと約束をしているけれど、果たしてどうなることやら。
「だよなあ~」
呆れて肩を竦めていれば、今度はアストライアー侯爵邸の託児所にいる年長組――十歳前後――の三人がこちらへとやってきた。ナイが託児所の子供たちに社会科見学だ! と言って一緒にきていた。監督役として巻き込まれたサフィールもいて苦笑いを浮かべていた。年長組の三人は他者に対して警戒心がまだ緩いのか、村の子供と仲良くなったようである。
「クレイグさん! 村の子たちと遊んできて良い?」
俺を見上げて元気に問う年長組三人に俺は片眉を上げる。
「良いけど、村から外に出るんじゃねーぞ。外には魔物がいるからな」
俺が腰に肩手を当てると、目を輝かせながら年長組の三人が笑う。村の子供はイマイチ状況を理解していない。ただ年長組三人の勢いに押されているだけだ。でもまあ、外の連中との交流は村の子供にとって刺激になるはず。
「はーい! 勝手な行動はしない! 約束は守る! 喧嘩はしない! みんなと仲良く! 今日は村の様子を見て、どんなことが必要か三人一緒に考える!!」
「おう。ご当主さまから出された課題を忘れるなよ」
へらりと笑う年長組三人は俺の声を聞いた途端に『はーい!』と告げて村の子供二人に視線を合わせる。
「行こう!!」
年長組三人が村の子供に手を差し出せば、おずおずと手を握っていた。一応、食料難は脱しているのだが、今までが今までのため村の子供たちは『遊ぶ』という概念が乏しい。その上、村の労働力とされていたため、幼いながらも畑仕事に励んでいたようである。こればかりは都会と田舎の差だなと俺は肩を竦める。
「子供同士は打ち解けるのは早そうだな」
年長組の三人を通して村の子供がなにか感じてくれるなら良し。また逆に村の子供と遊んだ年長組三人がなにか学ぶことがあったなら良し。
「ええ。あまり村の子供に覇気がないので、早く笑えるようになれば良いですね」
部下が声を上げると同時、とある家から出てきたサフィールが俺たちの下へとやってきた。
「だな。まあ、俺たちは真面目に村のことを考えよう。サフィールは大丈夫か?」
俺の声に苦笑いを浮かべたサフィールは肩を竦める。
「うん、平気」
「雰囲気が柔らかいサフィールは村の連中に頼られてるよなあ」
まあ、言葉を変えると舐められているとも言うが。サフィールはそれを分かっていて村の連中の言葉を受け入れ、病人の様子を見に行っていた。
「クレイグは村の人たちに圧を掛ける役だからね。適材適所だよ。でもまあ、家で寝ている人たちは……」
サフィールが最後まで言わず、困り顔になった。どうやら死期の近い者が多いらしい。次にくる時は聖女さまか治癒師を連れてくるべきか。この辺りはナイに判断を仰ぐべきだろうと俺は言葉を飲んだ。
「ま、やれるだけのことはやっているんだ。後悔とか感じる必要はないさ」
「うん。でもまあ、助けられるなら助かって欲しいよね。僕たちじゃあできることは少ないけれど」
ふうとお互いに息を吐く。
「この村、特産品になりそうなものも、なんもねーんだよなあ」
本当になにもない。どうやって生き残ってきたんだというくらいに質素な村なのである。森の中で大きな開墾もできておらず、狭い土地で細々と代を繋いでいたようだ。特産品も必要だが、先に開墾も必要だろう。人が増えれば食料消費も増えるのは当然だ。村が立ち直れば、新たに生まれる赤子もいるはずである。
「そうですね。少々、手痛い問題です」
「自給自足じゃあ、村が発展しないし」
部下と俺が話している姿をサフィールが聞き耳を立てている。するとなにか思いついたようで、サフィールは俺と部下に軽く手を挙げた。
「養蜂はどうかな? さっき、春になると青い花の群生地があるって聞いたから、もしかすると生計として成り立つかも。ジークの領地は養蜂が主産業だから詳しい人を招聘したり、蜂を分けて貰えると良いんだけれど」
サフィールは様子を見に行った家の者から花の群生地のことを聞いたようである。たしかに上手く嵌れば養蜂ができるだろうし、森の一部を果樹園に変えれば果物も収入として得られる。悪い話ではないし、あとは村の連中のやる気次第だなと三人で頷く。そうして明日に客人を村へと迎え入れるための準備を始めるのだった。




