1658:ロウ男爵領滞在。
朝、八時。結構早い時間だけれど、既に仕事をしているからと出発しようと玄関ホールに集まっていた。先程、朝ご飯を済ませたのだが、お腹一杯幸せ一杯で動けるか心配であるものの、移動は徒歩のため丁度良い運動となるだろう。
「蜂蜜たくさん塗れて贅沢だった。ジークはちょっと苦手そうだね」
朝食として提供されたものはパンとスープだ。パンに塗るものとして蜂蜜が何種類もあったから、いろいろと試してしまい、結構な量のパンをお腹に納めることになったのだ。男爵領では養蜂が盛んで春には果樹を、夏には花を秋にはソバの蜜を集めて貰っていると、ジークに教えて貰った。だからたくさんの種類があるんだねと私が感心していると、知らなかったのかと驚かれてしまった。
知識が偏っているというか、興味がないことと学校で教わらないことは本当に知らないことが多い気がする。養蜂でいろいろな種類の蜜を集めることは知っていたものの、詳しくはなかったし、味まで違うことを実感したことはなかった。たまにはこういう体験も良いよねと感心していると、ジークが片眉を上げる。
「たしかに今まで、あまり出てこなかったからな。大量に食べるのは少し難があるな……ナイが食べている姿で腹が満たされた」
アストライアー侯爵邸の朝ご飯で蜂蜜は出てくることはあるけれど、何種類も出てくるのは稀である。蜂蜜の他にジャムや付け合わせのものが多く提供されることが多い。ジークの領地に足を運んで良かったと笑えば、今度はリンが私の顔を覗く。
「ナイ、凄く幸せそうな顔してたよ」
「美味しいから、仕方ないよ。ヴァルトルーデさまとジルケさまはどうでした?」
へへへと笑った私は二柱さまの方を見る。ヴァルトルーデさまとジルケさまもジークの屋敷の朝食が珍しかったようで、結構な量を平らげていた。
「美味しかった」
「美味かったな。また明日も食べれるなら楽しみだ」
ふふふと笑うヴァルトルーデさまとジルケさまはお腹を擦っていた。なんだかグイーさまみたいだと口にすると怒られるだろうから私は沈黙を選択した。私は女神さまから肩の上に乗るクロへ視線を向けた。どうだったと問う前にクロは尻尾をテシテシ私の背に叩きつけながら、ご機嫌に口を開く。
『果物も美味しかったよ。蜂蜜も舐めさせて貰ったけれど、本当に集めた蜜で味が違うんだねえ』
丸ごと出された果物をクロは前脚と後ろ脚を器用に使って果物を啄んでいた。蜂蜜も私たちが味がそれぞれ違うと口にしたから、クロは興味を持ったらしい。小皿に取り分けて、チロリと舐めれば味の違いが分かったようである。
ただ蜂蜜は舐める程度で十分だったようで、取り分けて貰ったのにごめんねと口にしたため私は小皿の蜂蜜をパンに塗って食べることになった。そしてクロが興味を持ったということはヴァナルたちも興味を示すわけで。パンは食べられないけれど、彼らもちょっと味見をしたかったようだ。小皿に取り分けた蜂蜜をべろんと舌で舐めとって味見をしていた。毛玉ちゃんたちは同じものなのに、味が違うことで混乱していたのがちょっと面白かった。
養蜂場も見学させて貰えるそうだから、毛玉ちゃんたちの混乱が解けると良いけれど。
「そろそろ行こう」
ジークが声を上げて手を差し伸べてくれる。今までだとこういう機会は馬車の昇降時くらいだったけれど、彼の腕を取る機会が増えていた。リンは前までよく拗ねていたけれど我慢をしているようだ。あまり拗ねていればジークと私の仲が疑われてしまうことを警戒しているようである。私はジークの手を取って、顔をジークに向ける。
「うん。歩いて移動だから楽しみ。屋敷で運動初めておいて良かったよ」
屋敷の筋トレルームで時間が空けば、ちょこちょことウォーキングマシンに乗っていた。一日、三十分乗るだけでも効果があるようで、ふくらはぎや太ももが少し細くなっていた。
「少しは効果が出ているのか?」
ジークが身体の向きを玄関へと向けながら問う。私はジークと握っていた手を放して腕に手を添えた。
「足に筋肉が付いたかも。見た目はあまり変わってないけれど」
「触ったらちょっと固くなってた。ナイは体力を付ける努力をしている。偉い」
私のあとにリンが続く。お風呂に一緒に入ることが多いので、話題に上ればどれどれとリンは私のふくらはぎや太ももを手で触れて確かめていた。リンはまだまだ頑張れとかもっと鍛えようとは言わない。ムッキムキになって欲しいわけでもなさそうで、一緒に筋トレルームにいると『やり過ぎは良くない』と言って私を止めてくれていた。
「ジークリンデは過保護」
「だよなあ。事務仕事ばかりで身体が鈍っているだろ。もっと鍛えても良いんじゃねえか?」
逆に二柱さまは私はもっと体力を付けるべきだと口にすることが多い。別にひ弱でもないから、過度に運動をする理由もないはずだ。面白半分で私を揶揄っているだけのようなと私が首を傾げると、女神さまの言葉をリンはよろしく思っていないようである。玄関でじっとしているとリンが口に出しそうだと私はジークを見上げて外を指差す。
「行こうか」
私の声に頷いてくれたジークは分かったと告げて歩き始める。今日の面子は案内役の男爵家の家宰さまとジーク。護衛にリンと数名の侯爵家と男爵家の騎士の方。側仕えとしてヴァルトルーデさまとジルケさまが控える。
変な人が出てこないようにとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも外に出て、私たちの後ろを歩いてくれるとのこと。ヴァナルたちがいれば本当に飛び込んでくる人はいないだろうと思えるあたり、魔獣や幻獣の方たちの強さが身に染みる。
玄関を抜け、庭を通り、正門を出て歩くこと三十分。
私たちが歩いていると領の人たちから『ご領主さまー!』『アストライアー侯爵さまー!』と声が掛かる。私は返事の代わりに軽く手を振って答えていた。ジークは目礼で済ませている。ヴァナルたちのことは告知済みのため、領の人たちは比較的落ち着いている。とはいえ魔獣が五頭も歩いていると、目を引ん剝いてしまう人もいるわけで。
毛玉ちゃんたちが面白がって驚いている人たちに近づこうとすれば、ヴァナルと雪さんたちに止められていた。にゃんでー? と抗議の声を上げているけれど、ヴァナルと雪さんたちは『怖がっているから煽るの駄目』と伝えていた。
そして煽るのは自分より同等の力を持つ者か格上の相手だけにしておけとも。不思議そうな表情になる毛玉ちゃんたちはよく分からないと言いたげな顔になっているが、いつかはヴァナルたちの言葉を理解できるだろう。
毛玉ちゃんたちの成長も楽しみだと笑っていれば男爵領の中心部にやってきた。
どこの領地も商業区に大きな広場があるのはアルバトロス王国の特徴なのだろうか。こじんまりとした規模だけれど、商人が店を開いてお客さんと値段交渉をしていたり、自慢の商品について語っている。食品系の屋台も出ていて甘い匂いが鼻をくすぐった。ジークは大丈夫かなと見上げれば、微妙に眉間に皺を寄せている。
「違う所に行く?」
私は片眉を上げながらジークに問えば、同じくジークも片眉を上げた。
「いや、大丈夫。ふいに匂ってきて驚いただけだ」
眉間の皺が解かれて、ジークが小さく笑う。私は無理になったら教えてと伝えて、広場にある商店を見渡しジークに行こうと告げる。
「ご当主さまー! お久しぶりです! なにか買ってくださいよー!」
「アストライアー侯爵閣下! 婚姻式、楽しみにしております!!」
広場の中を歩けば、お店の人やお客さんから沢山声を掛けられた。詰め寄ってくる人はおらず、節度を持って距離を保ってくれている。衣料品や日用品をちょこちょこと買い付けて、教会の孤児院へ送って欲しいと頼んでおいた。お金はアストライアー侯爵家からジークの男爵家を経由して払うとも伝えておく。するとジークが胸元から紙を取り出して、お店の人と言葉を数度交わしていた。
「ちゃんと請求してね?」
店から離れたあと私はジークを見上げながら念を押しておく。
「大した額じゃないから俺が払う」
やはりジークは少額だから肩代わりしようとしてくれたようだ。男性だから見栄もあるのかなと、私は別のお願いに変えてみる。
「うーん……孤児院への支援だし、今回は私が払うよ。代わりに良い匂いがしてる出店の料理を買って欲しいかな」
どうだ、と私が言い切ればジークは仕方なさそうに笑って『分かった。なにが食べたい』と食事系の店が多く並ぶ方へと視線を向ける。私はお肉に目を引かれ、ジークにお願いすると少し待っていて欲しいと告げて場を離れた。
ジークが店の人と少し話し込めば、慌てて店の人が商品を用意してくれていた。ジークはこちらを見て『少し待っていてくれ』と合図をくれるから、お店の人はなにか工夫をしてくれるようだと一つ頷いておいた。忙しそうに動いている店の人を眺めていれば、ジークが葉っぱのお皿に乗ったお肉の塊を片手で持ってこちらへと戻ってきた。
「燻製豚だ。旅人や商人に向けた保存食だな。店の者曰く、焼き直しているから見た目は悪いが味は逸品らしい」
美味しそうな燻製豚はお肉を塩漬けにしたあと、蜂蜜を塗って燻製にしたものだとか。ジークが教えてくれた通り、保存が効くため旅人や遠出する人が買っていくとのこと。お店の簡易窯で軽く温めてくれているから、凄く良い匂いが漂ってくる。朝ご飯を食べたばかりというのに、胃が刺激されて涎が口の中を満たした。食べても良いとジークが手に持っているお肉を私の胸元まで下げてくれる。
「美味しい。たくさんあるので、みなさんもどうぞ」
私が振り返れば、二柱さまが嬉しそうな表情になって燻製豚へと手を伸ばした。ヴァルトルーデさまとジルケさまはなにも言わないけれど、もう一枚と手を伸ばしている。美味しかったようでなによりと笑えば、私も食べろと再度ジークがお皿を向けてくれた。リンにも食べて貰おうと私は彼女にお肉を差し出す。護衛中だけれどたまには良いだろう。
毛玉ちゃんたちも凄く興味を持って尻尾をぶんぶん振っているけれど、塩漬けされているのでよろしくない。お手製ジャーキーと茹でただけの豚肉や鶏肉を代わりとして納得して貰う。一瞬で豚肉の塊が消えてなくなり、ジークは苦笑いを浮かべながら口にする。
「次に行くか」
うんと首を縦に振った私にジークがまた歩き始める。今度は店舗を構えて商売をしている方たちの下へと向かうようだ。蜂蜜専門店もあるから興味があれば寄ってみようとなり、広場を抜け高級品を取り扱っている場所へと移る。すると目の前から小型の竜の方がとことこと荷を引きながら、私たち一行を認めた。するとてててと駆け足になって、彼ら二頭が私たちの目の前で止まる。
『聖女さまがいる~?』
『なんで~?』
こてんこてんと首を左右に傾げながら小型の竜の方が声を上げた。
「君たちもどうして? 偶に男爵領に現れるって聞いてはいたけれど」
私の疑問に小型の竜の方が顔を見合わせてから、前をもう一度向いた。
『お手伝いだよー!』
『果物くれるのー!』
どうやらどこかの商店の人に懐いたようで、果物を対価にお手伝いをしているようだ。よく彼らが懐いたなあと感心しながら、お店の人を紹介したいと小型の竜の方二頭が私の服の袖を食んで、行こうと急かしている。ジークに行って良いかと無言で問えば、もちろんと返ってきたので、私はなすがまま彼らに引かれながらお店を目指すのだった。




