1657:宿泊先。
解散の合図がなされて、私とジークとリンは挨拶に向かおうとエーリヒさまとフィーネさまの下へと向かう。ついでにヴァルトルーデさまとジルケさまも連れて。
壇上の目立つところにいるお二人は仲睦まじそうに並んで、私たちを待ってくれていた。ご飯が美味しかったと私が告げればエーリヒさまとフィーネさまが苦笑いを浮かべる。ご飯に惹かれて夜会に参加しているのは私くらいだから笑われても構わないが。
お二人は王都のタウンハウスを拠点として、エーリヒさまは外交官を続け、フィーネさまは女主人として屋敷の切盛りを行うそうである。お二人なら心配はいらないだろう。夫婦仲は冷めそうにないし、領地運営も順調だと聞いている。
「では、またお会いしましょう」
「遊びにきて下さいね、ナイさま! あ、あとアレの開発も兼ねて!」
幸せそうに笑うエーリヒさまとフィーネさまに私も『また』と声を上げれば、今度はヴァルトルーデさまとジルケさまも『また』『またな』と告げて会場を後にする。
馬車に乗り込んだ私たちは、ベナンター子爵領の隣領となるジークの領地へと向かう。エーリヒさまのお屋敷には日帰りが無理な方がたくさんの方が泊っている。私たちまで泊れば負担になるだろうと、ジークの屋敷に泊まることになったのだ。
位置関係上、ベナンター子爵領の領都とジークの領都は近い。二時間少々で辿り着けば、屋敷の方たちが玄関で出迎えてくれた。皆さま、緊張している気がするのは何故だろう。私はジークの婚約者なのだから気軽に迎えて欲しいものの、やはり侯爵位という地位が圧を掛けているのだろうか。おずおずと言った感じで家宰の方が礼を執る。
「アストライアー侯爵閣下、ようこそいらっしゃいました! ご当主さま、お帰りなさいませ」
「よろしく頼む」
ジークが頭を下げないのは珍しい。当然の行動だけれど、私は良いものを見られたと家宰の方と視線を合わせる。
「三日間、よろしくお願いします」
「わ、我々に頭を下げずとも! 侯爵閣下はご当主さまの伴侶となるお方なのです!」
私が礼を執れば家宰の方が慌てて口を開き、あわあわしていた。
「申し訳ありません。癖のようなものなので、あまりお気になさらず」
どうにも私の癖は今だに抜けてはおらず、知らない人には頭を下げてしまう傾向があるようだ。アストライアー侯爵邸ではみんな慣れてしまい、苦笑いで『頭を下げないでください』と釘を刺されるため、家宰の方のように慌てふためかれるのは久しぶりだ。
ジークの屋敷に三日滞在するのは、領地の見学を兼ねて私の顔見せを行うためである。グイーさまのお告げで皆さま知っているけれど、夢と直接見るのは違うだろうし、ジークの領地を見学できるので楽しみにしていた。家宰の方はクロとも言葉を交わし、そのあと二柱さまとも挨拶を交わすのだが私たちより凄く緊張していた。
「ナイの側仕え扱いで構わない」
「だな。過剰な接待は必要ねえぞ」
二柱さまの言葉にジークの屋敷の皆さまが『そんなことを言われましても』と言いたげになっている。けれど女神さまの言葉を無下にするわけにはいかず頷くしかない。このままでは陽が昇ってしまいそうだと、私はジークの腕の裾を握って先を促した。
「ナイ、部屋に案内しよう。女神さま方もご案内致します」
「うん、よろしく」
「頼む。そろそろ寝てえしな」
そうしてジークの案内により、玄関ホールに向かった。男爵位の屋敷にはフライハイト家に入ったことがある。フライハイト男爵さまのお屋敷は所々ボロが目立っていたけれど、ジークの屋敷には見られない。
規模はやはり子爵家と比べると狭いなと言いたくなってしまう。侯爵家の屋敷と比べれば五倍以上は差があるのではないだろうか。きょろきょろと私とヴァルトルーデさまとジルケさまが物珍しそうに玄関ホールを見渡している、ジークが苦笑いを浮かべている。
「上に行こう。女神さま方も。ナイは当主部屋に。俺は別の部屋で寝る」
「ジークが当主だから当主部屋で寝なよ。私はジークが寝る予定の部屋で休ませて貰うから」
どうやらジークは気を使ってくれたようだ。婚姻を果たせば一緒の部屋で、となるだろうけれど、私とジークは今は婚約者同士である。同衾したとなれば周囲からなにを言われるか分からない。少し面倒だと思わなくもないが、これ以上噂を立てるようなことはしたくない。ジークは私の言葉に片眉を上げて、微妙な表情になっていた。
「どうしたの?」
「いや。ナイをどこの部屋で迎えるか揉めていてな。婚約者さまを来賓室で良いのかと、紛糾していたから」
私の問いに答えてくれたジークが更に微妙な顔になる。
「それを言い始めるとヴァルトルーデさまとジルケさまはもっと豪華な部屋を用意しなきゃいけなくなるよ」
私はジークの婚約者だけれど、ヴァルトルーデさまとジルケさまは女神である。私と同列扱いは無理だろうし、もっと豪華な部屋をと話の場でなるに違いない。苦笑いを浮かべる私にジークは困り顔のまま言葉を紡ぐ。
「女神さま方は特別扱いは必要なく、ナイの側仕えとしてで構わないとなっていたから」
あまり揉めず、申し訳ないが来賓室でということになったらしい。なんだろう、私は女神さまより扱いが上となるのは。むーと私が考え込んでいると、ヴァルトルーデさまとジルケさまが面白そうな雰囲気を醸し出す。
「ナイ。当主部屋で寝れば良い」
「だなー。もう、用意しちまったんだろ?」
二柱さまの声と同時にジークが私の肩を軽く叩く。たしかに迎え入れの準備を終えているのなら我が儘は言えないかと私は頷いた。そうしてジークに部屋に案内して貰う。
こじんまりとした――十分広いけれど侯爵邸と比べれば狭い――当主部屋は前室と寝室と応接室に分かれているようだ。リンは隣の部屋で寝て、ジークも近くの部屋で寝るそうである。二柱さまは来賓室に案内され、そちらで過ごすことになった。
私のお世話係として三日間、年配の女性が就くことになった。その方とも挨拶を交わして、先に持ち込んでいた夜着を取り出して介添えして貰う。なんだ年配の女性から微妙な視線を受けているのだが、一体どういうものなのか。
疑問に感じて直接なにかあるのかと問えば、なんでもないと首を振る。着替えを終えればクロたちが戻ってきて、年配の女性と挨拶を交わしていた。女性は驚きながらもクロたちと会話ができているから、年の功だろうかと私は笑みを浮かべる。クロと年配の女性が何度か言葉を交わしたのちにこんな声が聞こえてきた。
「いえね、ご当主さまの未来の奥方さまは随分と華奢で。どうにも老婆心を抱いてしまいます」
どうやら年配の女性は私の身体の細さに驚いていたらしい。年配の女性は骨格が太く、肉も厚めに纏っている。彼女と比較すると私は随分と細いだろう。一応、女としての機能も備わったし身長も以前より伸びているのだから、私の未来に期待して欲しい。ばんきゅぼんは無理そうだけれど、日本人女性の平均身長は超えられそうだ。
『たしかにナイは小柄だけれど魔力量が多いから。心配しなくても良いと思うよ~?』
クロが呑気に年配の女性と喋っている。コミュ力高いなあと感心していれば、年配の女性が失礼しましたと慌てて頭を下げていた。私は気にしないで欲しいし、三日間あるので雑談を交わしたいとも告げておく。年配の女性と距離は縮められるかなと、私は彼女が部屋を出て行くのを見送れば側にいたリンが声を上げる。
「ナイ。なにかあれば直ぐに呼んで。兄さんの屋敷だから大丈夫だと思うけれど……変な人はどこにでもいる」
「いつもありがとう、リン」
「ううん。ナイになにかあると大変」
リンは表情を変えずに告げるのだが、私になにかあると大変というのは、事が大きくなり過ぎて大変なことになると言いたいのだろうか。たしかになにか起こると大騒ぎになっている。
でもまあ、侯爵位を賜っているお陰か変な人が私の下にくることは滅多になくなっていた。代わりにとんでもないことが起きているよなあと私は目を細める。リンに私はご飯を貰いなよと告げれば部屋を出て行く。見送った私はクロたちにもう寝ようかと告げて主寝室へと入った。天蓋付きの寝台が部屋の真ん中に鎮座しているのだが、男爵家の皆さまは気合が入り過ぎではないだろうか。
「ベッドの上に薔薇の花びら」
『良い匂いがするねえ』
私の視界に映ったものはベッドの上に大量の花びらが撒かれ、お香も焚かれていた。普通のお貴族さまであれば『良い感じ』とか『素敵』という感想になるのかもしれないが、私には勿体ないとなってしまう。
クロたちも凄いねえと興味を持って鼻を鳴らしている。お香の匂いが強くて、薔薇の香は分からない。体重で花びらを押しつぶせばベッドの染みになると、私は『そうだねえ』と言いながら身体に触れる部分にある花びらをかき集める。
「お香は消して、しばらく換気しようか。ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちの鼻がもげちゃう」
片眉を上げながら私は床にいるヴァナルたちを見た。毛玉ちゃんたちはスンスンスンとお香の匂いを嗅ぎ取っている。人間には良い匂いで済むものだが、彼らにはキツイだろう。
『ごめん、主』
『申し訳ありません』
『鼻が利く生き物故に』
『屋敷の方には申し訳ありませんが』
しょぼんとしたヴァナルと雪さんたちが声を上げた。私はお香を消して、近くの大きな窓を開ける。夜空には双子星が輝いており、雲一つない綺麗な星空が広がっていた。外から吹き込む風がお香の匂いを弱くしてくれている。五分も経てばお香の匂いは飛んでくれるだろう。
「事情を説明すれば分かって貰えるよ。屋敷の人たちもヴァナルたちがいるとは思っていなかっただろうから、ごめんね」
ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちが窓の側にやってきたので、私はしゃがみ込んでヴァナルのもっふもふな身体を撫でる。ダブルコートの毛はふかふかで触れると気持ち良い。
ヴァナルもなにも言わずに私の手を受け入れてくれていた。すると雪さんたちが羨ましそうにこちらを見ている。普段、自分たちで掻けない部分を撫でて貰えるのは、ヴァナルたちにとって気持ちの良いことらしい。順番ねと私が声にすると、毛玉ちゃんたち三頭も寄ってきて『撫でて!』と主張している。
「はいはい。順番、順番」
私の言葉に毛玉ちゃんたちが身体を擦り付けてきた。どうやら待ち切れないようで、早くと言いたいようである。
『明日はジークの領地の見学なんだよね?』
クロは私の肩の上で呑気に声を上げると、私の意識が取られたのか今度は雪さんたちが尻尾をばしんばしんと床に打ち付けて、ちゃんと撫でて下さいと言いたげである。
「うん。顔見せも兼ねてね。楽しみ」
クロに声を返した私は空いていた手を出して、雪さんたちの黒い身体を撫でまわすのだった。




