1656:ベナンター子爵邸の料理。
そういえば、フィーネさまのブーケトスはナイさまの方へは飛ばず、教会前に集まった方たちへと向かっていった。受け取った若い女の人は嬉しかったのか、笑みを零していた。不思議なことも起こるものだと感心していると、どうにも妖精さんの仕業だったようである。なにか妖精さんたちに目的があったのかもしれない。ナイさまは婚姻は決まっているからと、渡るべき人に渡ったならそれで良いと口にしていた。
無事に婚姻式もパレードも済ませることができ、陽が落ちて幾分か時間が経っている。今、催されているパーティーは王都で行った晩餐会とは違い、仲内や親戚筋を招待しているため凄く気軽なものとなっている。一通り、ご参加してくださった皆さまとの挨拶周りを終えて、俺とフィーネさまは軽食コーナーへと足を運んだ。そこにはヴァルトルーデさまとジルケさまが料理を凄い勢いで取り分け、凄い勢いで胃の中に納めている。
子爵邸の料理人の腕を確かめなければと、俺とフィーネさまは二柱さまの下へと足を進めたのだ。ナターリエさまとエーリカさまも二柱さまの側で一緒に料理を嗜んでいる。北と東の女神さまはいろいろな料理を少量取って楽しんでおられるようだ。味は二柱さまの口に合うのかと心配になるが、手は進んでいるので大丈夫なはず。
ちなみにナイさまも凄い勢いで食べているのだが、本当に小柄な身体の中にどう仕舞い込んでいるのか謎だ。クロさまも提供されている果物を啄んでいるようで、なによりと笑いながら俺とフィーネさまは二柱さまの前で軽く一礼を執る。
「……」
「…………ちょと、待って、くれよ」
ヴァルトルーデさまとジルケさまは俺たちに気付いて声を掛けてくれるものの、口の中のものを処理するために時間を要するようである。俺とフィーネさまは急がなくて構いませんと伝えて、少し経てば嚥下を終えたようである。二柱さまは持っていたお皿を机の上に置いて、俺とフィーネさまと視線を合わせてくれた。
「美味しい。エーリヒが作ったの?」
「いえ。俺は子爵家の料理人の皆さまにレシピを渡しただけです。美味しいのは彼らの腕が良いためですね」
ヴァルトルーデさまの質問に俺は答えた。ベナンター子爵家が雇っている料理人にレシピを渡せば、俺の想像の一段上の味を提供されたこともある。ナイさまの屋敷の料理人の方たちも凄いが、ウチの料理人の腕前も優れていて俺は驚いている。
アルバトロス王国にある伝統的な貴族料理も十分に美味い。フィーネさまも半年間で気に入ってくれたようだし、時折提供される聖王国料理を嬉しそうに頬張ることもあった。俺が苦笑いを浮かべると、今度はジルケさまが肩を竦める。
「謙遜だろ。エーリヒのことだから、事細かに失敗し易いところとか、難しいところとか書き込んでるだろ?」
「……どうしてそれを」
ジルケさまは何故、俺のレシピのことを知っているのだろう。見た人しか知らないというのに。
「ナイの家の料理人のおっちゃんたちが言ってたぞ。エーリヒのレシピは材料や手順だけを記してねえってよ」
コツが必要な時があったり、俺が失敗した時はメモを残しておくのが癖だった。そのためか、誰かにレシピを提供する時はインクの色を変えてレシピに書き込んでいた。役に立つかどうかよりも、俺の自己満足のようなものである。
気にしない人はそのまま手順通りに作れば良いだけだし、気になる人は助言に従ってくれたなら嬉しいというもの。ナイさまの料理人の方たちには好評だったとジルケさまから聞けて、俺は嬉しい気持ちになってくる。すると俺の隣にいるフィーネさまが半歩前に出て、あるコーナーを指差した。
「ヴァルトルーデさま、こちら、凄く美味しいですよ。納豆が入っていますけれど」
フィーネさまが指を指したものは納豆料理である。彼女にお願いされて俺が料理人に指示したものだ。納豆パスタに納豆焼き飯、納豆オムレツ、納豆ピザが並んでいた。比較的、アルバトロス王国の人たちが食べやすいものにしたつもりであるが……皆さまの反応はどうだろうか。
半年間、フィーネさまと同じ屋根の下で過ごしていたためか、料理人も彼女の好みを把握している。時折、超実験的な納豆料理が出てくることもあるのだが、なにげに不味くないという不思議な結果に至っている。フィーネさまは美味しそうに食べているし、仮に不味くても『残すのは勿体ない』と言って綺麗に食べ切っていた。ただ失敗したメニューは永久的に没になるか、新なアレンジを加えて違う料理として提供して欲しいとお願いしていた。
「エーリヒが考えた料理は美味しい。ナットウも食べられるようになった。けれど、どうして融合させたの?」
ヴァルトルーデさまが珍しく少し困った様子でフィーネさまに問いかけた。たしかヴァルトルーデさまは納豆自体を食べることができるお方だ。アレンジ料理であれば匂いや粘りは消えているので、そう気にならないはず。
だというのに他の料理と混ぜ合わせることが駄目なようである。ジルケさまはフィーネさまが勧めた納豆料理を取り分け用の皿に少しだけ乗せていた。フィーネさまはヴァルトルーデさまからの質問に鼻息荒く返事をする。
「美味しいからです!」
「……そか」
微妙な雰囲気のヴァルトルーデさまにジルケさまはご自身が食べた皿をヴァルトルーデさまに差し出す。
「姉御、フィーネのナットウ好きは筋金入りだ。諦めろ。あと食ってみろよ、案外いけるぞー」
ジルケさまの言葉にヴァルトルーデさまは素直に従って、お皿の上の納豆焼き飯を掬って口に入れた。フィーネさまはヴァルトルーデさまを凝視して『どうですか!?』と直ぐに問いたい気持ちを抑え込んでいるようだ。
「本当だ。疑って、ごめん」
へにょっとヴァルトルーデさまが眉尻を下げた。フィーネさまはそんなヴァルトルーデさまに握り拳を作って口を開く。
「いえいえ。見た目というか、納豆のインパクトが強いので仕方ないことですし、食べて下さって美味しいと言って頂けたなら、納豆好きとして凄く嬉しいです。ナイさまが納豆は苦手だと言って、あまり侯爵邸では提供されないようですし…………今度、遊びに行かなきゃ」
フィーネさまは機会を伺ってアストライアー侯爵領に赴くようである。旅行がてら彼女と一緒に馬車の旅に出るのも良いかもしれない。新婚旅行の概念はアルバトロス王国にも聖王国にもないけれど、行っては駄目ということではない。他国へは足を運んでいたけれど、アルバトロス王国内は向かったことのない土地が多い。フィーネさまと相談してみようと俺が決めていると、ヴァルトルーデさまが不思議そうな表情になる。
「そういえば、納豆と納豆料理はフィーネが遊びにきた時にしか出てこないね」
「苦手だからだろ。ナイはなんでも食べるけどよ、駄目なもんは避けてるだろ。辛い料理とか」
ヴァルトルーデさまがジルケさまに『そう言えば』と声を返している。俺もナイさまに苦手な食べ物があるとは信じ難いけれど、俺もフィーネさまも苦手なものはある。美味しいと言われているけれど、俺は蜂の子とかは無理だし、バッタかなにかを煮詰めたものも駄目である。どうにもビジュアルがまんま過ぎて受け入れられない。食通を名乗るなら食べなければいけないが、どうにもなあと目を細める。
「そういえばナイさまは辛いものも苦手でしたね。美味しいのに」
「うん。限度があるけれど、辛い料理も美味しい」
「南は辛い料理が多いから、あたしは西の飯の方が好きだ」
女性陣の声を聞きながら俺は考える。辛い料理は辛いという味の中に旨味を残さなければならない。辛いだけのものなんて、俺は料理とは認められない。辛い料理を作ってみても楽しいだろうか。
とはいえ試作品をフィーネさまに味見して貰うのは気が引ける。子爵邸の料理人にも味見をして貰うにはちょっと難しいというか。当主が料理人の仕事場に居着いては凄くやり辛いはずだと、調理場に赴く機会が少なくなっていた。
ちょっとどうにかしたいと考え込んでいればフィーネさまが俺の顔を覗き込んでいる。
「エーリヒさま?」
「は、はい!?」
「浮かない顔になっていますね?」
「なにか新しい料理を作れないかと思いまして」
少し考えていたことを誤魔化すように、俺はフィーネさまに言葉を返す。
「本当ですか? 楽しみです!」
綺麗に微笑んだフィーネさまのあと、ヴァルトルーデさまとジルケさまが『楽しみ』『お、エーリヒの料理がまた食えるのか』と笑うのだった。
◇
夜会が始まって随分と時間が経っていた。私は軽食コーナーを陣取っているのだが、話しかけたそうな人がたくさんいるため視線が合った方がいれば、私から声を掛けて少しばかり話をしていた。
料理が美味しいから、本当に合間を縫って行っているため会話をしたのは数人程度ではある。とはいえ知らない人と話すのは気を使う。夜会に参加している中では私の爵位は高いため、縁がなく爵位の低い方には自分から話しかけなければいけないという縛りがキツイというか。
私は視線は収まったと、軽食コーナーで料理を取り分ける。パートナーとして参加しているジークは食べる気はないようだ。リンは護衛を担っているため、もちろん食べない。ちょっと寂しいなと感じつつ、ベナンター子爵家の料理人の方たちの腕が良く、いくらでも食べられる気がする。私が取り分けを終えて、ジークとリンを見る。
「顔合わせを済ませたけれど、次はあるのかなあ」
「どうだろうな。まあ、深く考えない方が良いんじゃないか?」
「縁のない人の夜会に参加すれば、ナイの周りに人の壁ができそう」
本当に先程まで話した方と再度会うことはあるのだろうか。微妙なところだなと苦笑いを浮かべながら、コロッケを一口口に運ぶ。さくさくの衣にジャガイモの甘さとひき肉の旨味が口の中に広がった。
中濃ソースかなにか欲しいけれど、十分に美味しいレベルだ。他にもちょこちょこと摘まめるクラッカーやパンの上に生ハムやチーズを乗せたお洒落なものもある。招待されている方たちも料理が美味しいと知っているのか、今まで参加させて頂いた夜会よりも軽食コーナーに人が集まっていた。
ベナンター子爵家は美食で名を上げそうだ。
エーリヒさまの料理の腕が良いためか、料理人の方たちのレベルも高いようである。それに王城の晩餐会や夜会では出ないようなチープ――悪い意味ではない――な料理もたくさんある。私は畏まったものより、チープなものの方が好きだから、エーリヒさまとフィーネさまが主催している夜会の料理は箸が進む。ふふと私が笑えば、肩の上のクロが尻尾で私の背中をテシテシ叩いてくる。
『ナイ。食べ過ぎちゃ駄目だよ~また動けないってお腹擦るでしょう?』
私がなんだろうとクロに顔を向ければ、仕方ないなあみたいな感じで声を上げた。
「食べ過ぎてはいないし、流石に動けなくなるまで食べないよ。屋敷じゃないし……」
『本当かなあ?』
「クロもクロで美味しいって果物一杯食べてるよね?」
『普通だよ、これくらい』
私とクロのやり取りにジークとリンがどっちもどっちだと言いたげな顔になり、解散の合図がエーリヒさまから放たれるのだった。




