1650:名前を呼んで。
――アルバトロス王都の上空を超巨大な竜が五頭に、天馬さま方が二十頭以上、グリフォンが十頭通り過ぎて行く。
晴れ渡る空の下。目の前にあるアルバトロス王国教会と空の青には通り過ぎた彼らの色は凄く映えていた。俺は産まれた時からアルバトロス王都に住んでいるけれど、こんな光景は一度だって見たことがないと空を見上げながら口を大きく開けている。隣で見ている長年連れ添っている妻もあんぐりと口を開けている。
アストライアー侯爵さまのタウンハウスに彼らが単独で降り立つ姿はよく見ることができたけれど、群れで飛んでいるのは本当に珍しい。いや、もう一生に一度の運を使ったように思うものの、最近のアルバトロス王国は事件が起こり過ぎではないだろうか。
近々で一番大きな出来事はベナンター子爵さまが聖王国の大聖女さまを娶るために聖遺物を見つけ出したこと。見事見つけたことにより、大聖女さまとの婚約を経て婚姻が果たされたこと。
本当に大きな出来事であり、王都の街では吟遊詩人が歌を紡いでお二人がどう結ばれたのかがつぶさに語られている。学院生時代のベナンター子爵が留学していた大聖女さまと仲良くなり、外務官として聖王国に赴いたベナンター子爵が当たって砕けろと言わんばかりに大聖女さまに告白したとか。
別の吟遊詩人は大聖女さまが学院生として留学していた頃、密かに彼に恋心を募らせ、その恋心に気付いたベナンター子爵もどんどん彼女に惹かれていたとか。どの吟遊詩人が正しいことを歌っているのかは分からない。王都の者たち、特に女性は自分の好きな話を選び取って、キャッキャと騒いでいる姿をこの半年間で何度見たことか。
「あんた、巨大な竜が空を飛んで行ったわね」
横にいる妻が俺へと視線を戻して、少しだけ驚いた顔を浮かべている。ただ妻の驚きは仕方ない。俺だって驚きを隠せないでいるのだから。
「亜人連合国所属の竜だから落ち着いて見られるけどよ……暴れる竜が出たら、お前は俺を置いてさっさと逃げろよ」
本来、竜という生き物は人間に恐れられるものであり、ああして友好的な態度を執るのは珍しい。今まで話に聞いていた竜は、どれもこれも人間を食べたとか、街を一夜で壊滅させたとか、信じられない話ばかりだ。だからもしアルバトロス王都を竜が襲ったならば、妻には子を連れて真っ先に逃げて欲しい。俺は家族を守るために身を挺してでも守り切ろう。
「なにを言っているの。あんたを置いて逃げるなんて、できやしないよ」
「お前が生きてなきゃあ子供たちが困るだろう?」
いや、本当に俺のことなど放って逃げて欲しいと心から願う。だが妻も俺を置いていく気はないようで話は平行線だ。何度か言葉を応酬させていれば、近くにいた人たちが口元を伸ばしていた。
「おうおう、熱いねえ、お二人さん! それにアストライアー侯爵閣下がいらっしゃる! 悪い竜が現れても、閣下と陛下方がきっとどうにかしてくれるさ!」
どこからともなく俺たちに向けた言葉が投げられた。俺と妻は今の言葉で恥ずかしくなって黙り込む。たしかにアストライアー侯爵閣下とアルバトロス王国の陛下が俺たちを守ってくれるだろう。
今、空を飛んで行った竜も天馬もグリフォンもアストライアー侯爵と懇意にしていると聞く。それに創星神さまの使いを務めたお方なのだから、危機が迫れば颯爽と現れてくれるのだろう。恥ずかしい言い合いなんてするものではないと、俺と妻が小さくなっていれば、またどこからともなく声が飛んでくる。
「これから、ベナンター子爵と大聖女さまのパレードだよ! 惚気ている暇はないわよ!!」
ばしんと気っぷの良い中年女性が俺の肩を叩いた。彼女は妻にはぽんぽんと背を叩いている。扱いに差があると俺は片眉を上げるものの、今日はベナンター子爵さまがどんなお方なのか興味があって妻と一緒に外へと出てきたのだ。多くの人たちが詰めるアルバトロス王国教会の正面扉のある階段下には覆いのない豪華な馬車が一台停まっている。ベナンター子爵さまも気になるが、大聖女さまも美しいお方だと専らの噂だ。
「あんた、鼻の下伸ばしてんじゃないよ?」
「伸ばしてない! 俺はお前が一番だ!」
妻が俺に疑いの目を向ければ、周りの人たちに『また惚気ているぞ!』と囃し立てられる。俺と妻は視線を逸らして黙り込むことしかできなかった。そうして暫くすれば、アルバトロス教会の正面扉からカルヴァイン枢機卿と筆頭聖女さまと筆頭聖女補佐さまと教会の神職者の方たちが姿を現した。彼らの登場で集まっている者たちが口々に声を上げる。多くはカルヴァイン枢機卿を讃えものと、ベナンター子爵と大聖女さまはまだかという疑問の声だ。
そうして正面扉から次に現れたのはアストライアー侯爵閣下さまである。彼女に続いて、随分と雰囲気のある四人の女性も出てきた。お一人、いや一柱さまは西の女神さまであると直感した。
何故、直ぐに分かったのか理由は分からない。でも俺の中に眠る本能のようなものが、四人の中にいるふくよかな方が『西の女神さまだ!』と主張を始めたのだ。アストライアー侯爵さまの後ろで四柱さまが立ち、信じられない光景を描いている。妻もとなりであんぐりとした顔を浮かべながら、教会の階段上の踊り場に視線を向けていた。同様に周りの人たちも。次第に、女神さま方に視線が集まっていき群衆から声が上がる。
「あ、あのお方たちは!!」
「め、女神さま方かっ!?」
「凄い雰囲気をお持ちだ!」
「各大陸の女神さまが揃われているぞ!」
各々の口から声が飛び出て、熱気が湧いてくる。ベナンター子爵と大聖女さまを目的として見にきていたのに、俺は本当にとんでもない方たちを視界に納めることができたとぎゅっと手を握り込んだ。周りの人も俺と同じ心境なのか、教会の凄さやアルバトロス王国の素晴らしさを口々に声を上げている。
「アルバトロス王国教会!」
どこからともなく聞こえた声に感化されて、人々は『アルバトロス王国教会!』と同じ言葉を発している。そしてまた誰かが『アストライアー侯爵閣下!』と声を上げれば、真似をするようにそれぞれが絶叫していた。初めて感じるとてつもない熱気に俺の胸には込み上げてくるものがあった。こんな素晴らしい国で生きることができるなんて。
噂によれば自由連合国と名乗る国では首都の民は大変苦労しているそうだ。新しい代表に変わって状況は随分と改善されたが、まだまだ元に戻るには時間が掛かるだろうと酒場で誰かが囁いていた。
誰だって苦労なんてしたくない。こうして平穏に生活できているのはアルバトロス王国のお陰だと身に染みる。感慨に耽っていれば、他の高位の貴族さまたちが現れたあと、燕尾服に身を包んだベナンター子爵さまと白いドレスを纏った大聖女さまが姿を現す。彼らの登場で教会周辺に集まった人たちに火が灯る。
「ベナンター子爵! 大聖女さま!!」
「ベナンター子爵! 大聖女さま!!」
お二方の名を叫ぶ者たちが大勢いた。次第に声が揃って大合唱になっている。ベナンター子爵と大聖女さまは群衆の声に答えるように、小さく手を振ってくれた。すると大合唱から『おお!』という声が沸き立ち、お二人が階段を降りていく。彼と彼女は仲睦まじく馬車に乗り込み、王都をぐるりと回ってまた教会へと戻ってくる手筈になっている。彼らを狙う不届き者が現れませんようにと願っていれば、馬車がゆっくりと進み始めるのだった。
◇
教会での式を終え、俺とフィーネさまはオープン馬車に乗り込んでいた。沿道には多くのアルバトロス王都の人たちが集まって、フィーネさまと俺に手を振ってくれている。時々、花びらが舞い降りてきて、パレードを華やかに彩ってくれていた。俺とフィーネさまは笑みを浮かべて手を振っている。まるで前世のニュースで流れていた海外の王族が結婚した時そのものの景色であった。俺は苦笑いを浮かべて、隣に座すフィーネさまに顔を向ける。
「凄いですね」
「まさかここまで受け入れてくださるとは……でも私が大聖女のままなのは少し笑っちゃいました」
肩を小さく竦めたフィーネさまに俺は本当にと声を上げた。観衆の皆さまはフィーネさまが大聖女の位を退いたことを知らないようである。もしくは知っていても、大聖女さまという響きの方が彼らに慣れしたしんだものだからかもしれない。少し可笑しくてフィーネさまと笑い合っていれば、足元からぬっとヴァナルが顔だけを出した。どうしたのだろうと俺とフィーネさまが首を傾げると、ヴァナルはふんと鼻を鳴らした。
『嫌な雰囲気。行ってくる』
その言葉と同時にヴァナルが消えて、何故か床からスライムが湧いて出てくる。
『ロゼもー!』
ヴァナルはナイさまがもしもがあるかもしれないと、ヴァナルを俺たちに付けてくれたのだ。こればかりは凄く有難いことだと感謝していたけれど、まさかロゼさんまで一緒だとは。
お祝いの日に碌でもないことが起こるものだと呆れてしまうけれど、俺は子爵位を得ているし、フィーネさまも子爵夫人、もとい伯爵夫人となるのだから変な輩に目を付けらても仕方ないのだろう。手を振りながら、ヴァナルとロゼさんは大丈夫かなと心配していれば、フソウの神獣さまが床からぬっと顔を出した。
『もう番さまは捕まえたようですよ』
『ご安心ください』
『番さまが脚で抑え、ロゼが簀巻きにしているようです』
どうやら彼女たちは状況報告のために顔を出してくれたようである。隣で報告を聞いていたフィーネさまが小さく首を傾げたあと、ありがとうございますと告げて更に言葉を紡いだ。
「そういえば、雪さんと夜さんと華さんはヴァナルさんのことを番さまって呼ばれていますね。名前で呼ばないのですか?」
フィーネさまの言葉に俺も確かにと頷く。いつまでも番さまではヴァナルも寂しいのではないだろうか。するとフソウの神獣さまは『そんな恐れ多い』『そうです。番さまの名を呼ぶだなんて』『恥ずかしいですね』とそれぞれが口にする。フィーネさまが『雪さんと夜さんと華さんが可愛い』と呟いたあと、ドヤと表情を変えた。
「ヴァナルさん、喜んでくれるかもしれませんよ?」
フィーネさまの言葉にフソウの神獣さまは顔を赤く染めて床に消える。するとフィーネさまが『雪さんたちは乙女ですよねえ』とにんまりとしていた。フソウの神獣さまに乙女を感じるとはと驚きつつ、俺とフィーネさまはアルバトロス王国の街を一周するのだった。




