1649:聖王国からアルバトロスへ。
聖王国、大聖堂へと続くメインストリートは大勢の人で埋め尽くされていた。屋根のない豪華な馬車にはフィーネお姉さまとベナンター子爵が乗り込んで、大通りを往復して戻ってきている。お二人は教皇猊下と言葉を交わし、帰路に就くと天馬さま方に跨った。そうしてどんどん聖王国から離れて行く姿をあたしはぼーっと眺めている。
――フィーネお姉さまがアルバトロス王国へ向かわれてしまった。
お姉さまと出会って随分と長い時間を一緒に過ごしてきたけれど、あたしにとって本当にかけがえのない時間だった。聖王国大聖堂の大扉の上にあるテラスからあたしは天馬さま方が消えた空を見ている。他の聖女もウルスラもフィーネお姉さまが消えてしまった悲しさで暗い顔をしている。現に私も気落ちしていた。お姉さまに一生会えないわけではないのに、毎日顔を見られなくなったのだから当然だろう。
お姉さまがベナンター子爵を愛していることは知っている。でも、やはり……嗚呼。感情が上手く制御できないと、あたしは視線を床へと落とした。
「聖女アリサさま。顔色が優れませんが……」
あたしの側に控えている護衛が心配そうな表情で見ていた。顔色が悪いというより、気落ちしているだけなので気にしないで欲しい。でも、聖女としてならば、今の私の表情はよろしくないものだと分かる。
「元大聖女さまがアルバトロス王国へ向かわれてしまいましたから。今は、お許しください」
片眉を上げながらあたしが無理矢理に笑えば、護衛が『聖女アリサさま……』と複雑そうな表情に変わる。遠い遠い空へと消えてしまったお姉さまたちがいる方向をあたしは見据えた。
もし彼がお姉さまを不幸にしたら……。
多分きっと起こらないことだけれど、もしもの場合があるかもしれない。そうなったらお姉さまをあたしが迎えに行こう。あたしは空は飛べないけれど、歩いてアルバトロス王国まで向かう覚悟はあるのだから。うん、と一人で頷いていれば、教皇猊下とウルスラが空を見据えながら言葉を交わしている。
「行ってしまったか」
「寂しくなってしまいますね……でも、フィーネお姉さまに今まで頼ってばかりでしたから、今度は私たちだけで聖王国を盛り立てなければなりません。猊下、頑張りましょう!!」
教皇猊下が小さく溜息を吐き、ウルスラが自身を鼓舞するように声を紡いでいた。たしかにお姉さまが不在になったことで、聖王国は国力を落としてしまっている。周辺国も『大丈夫か』と心配していると小耳に挟んだ。
一連の出来事で聖冠騎士団の『面倒な人たち』を追い出せたこと、また彼らに連なる神職者も閑職に追いやれたことで、教皇派は滑らかに動けるようになっていた。あとは信者の方たちがアルバトロス王国へと目を向けなければ良いけれど……今回、聖王国で執り行ったお姉さまの婚姻式では四女神さまが参列してくれている。
女神さまが参列なされていることは公表して構わないと許可が降りていた。そのため、多くの方が大聖堂と周辺に集まって、お姉さまとベナンター子爵もさることながら、四女神さまへ集まる視線が凄く多かったのだ。聖王国が教義を大陸に住む人たちに説いても良いとも許可を得ている。だから、聖王国は以前よりも西大陸の人たちから信を得られるはず。そして裏切った場合は女神さまから相応の罰が聖王国に下るだろう。あたしと聖女たちに教会のみんなは意思を統一して、気を引き締めなければならないのではないだろうか。
あたしがウルスラの声を聞いて決意を新たにしていれば、教皇猊下も拳をこっそりと握りしめている。
「……ああ、そうだな。どんなに険しい道でも乗り越えて見せなければ」
拳を握りしめていた手を解いて、猊下は腹の当たりに手を添えた。猊下もなにか決意をしているのかと、あたしは彼であれば聖王国は沈まないだろうと前を向く。
――どうかお姉さま、アルバトロス王国で幸せに。
来年の夏にお姉さまと南の島で再会できるだろうか。こればかりは実権を握っているアストライアー侯爵に掛かっているなとあたしはみんなと一緒に仕事へと戻るのだった。
◇
聖王国での婚姻式を終えたのが昨日。今日はアルバトロス王国王都の教会で婚姻式を執り行う。教会で俺とフィーネさまは着替えを済ませて、式の時間がくるのを待っていた。聖王国の婚姻式とアルバトロス王国の婚姻式は少し段取りが違っている。花嫁がヴァージンロードを歩くことはなく、二人で共に祭壇を目指すようになっていた。こういう細かな違いは異文化情緒を溢れさせていて面白い。
燕尾服に着替えを終え、俺は花嫁側の待機室を目指している。後ろにはユルゲンとジークフリードが補佐と護衛役として控えてくれていた。二人とも落ち着いた様子だから、一時間後に控えている式で緊張している俺の気持ちを分けてあげたいと願ってしまった。駄目だ、駄目だと頭を振っていれば、花嫁側の待機室へと辿り着いた。入室許可を求めると直ぐに入って構わないと係の人が俺たちを誘ってくれる。
部屋の中には椅子に腰かけたフィーネさまがおり、豪華な純白のドレスに身を包んでいた。ナイさまとヴァルトルーデさまとジルケさまとナターリエさまとエーリカさまも一緒にいて、先程まで雑談に興じていたようである。
俺が部屋に入るなり、フィーネさまが嬉しそうな顔で視線をくれる。いつもの彼女の笑みのはずなのに、俺は少しだけ違和感を覚えた。そりゃ昨日まで聖王国にいたのに今日はもうアルバトロス王都にいて、二日連続の式となっているのだから彼女も大変だろう。
「フィーネさ……フィーネ、疲れていませんか?」
名前を言い直せば、他の方たちが『お?』と反応する。そういえば俺がフィーネさまの名を呼び捨てていることを、部屋のみんなは知らなかったはず。その事実に気付いた俺は無性に照れ臭くなる。でも照れると余計に揶揄われるのは理解しているので、頑張ってポーカーフェイスに務めた。
「大丈夫です、エーリヒさま! この三日間は倒れることができませんからね。倒れるなら婚姻式の諸々が終わってからでないと!」
「無理はしないでください。フィーネが倒れれば俺は心配してしまいますし、悲しいですから」
普段の調子の彼女だなと俺は安堵して言葉を紡いだ。俺が紡いだ言葉にはっとして、不味いと周囲を見渡せばユルゲンとジークフリードが少し呆れている。ナイさまは片眉を上げ、ジークリンデさんは我関せず。ヴァルトルーデさまは頭の上に疑問符を浮かべ、ジルケさまは『あーなんか暑くね?』とナターリエさまとエーリカさまに声を掛けている。
北と東の女神さまは『窓、閉まっておりますもの』『ええ。開放しましょうか』と声を上げていた。そうしてエーリカさまが人差し指で窓を指し、くるくると動かせば勝手に窓が開いている。こんなことで神力を使わなくてもと俺が心の中で突っ込んでいれば、フィーネさまが顔を赤に染めながらナイさまの方を見た。
「ちょっとナイさま!! うわーコイツ等、甘い空気醸し出してんじゃねーよって顔をありありとなさらないでください!」
「冤罪です」
恥ずかし紛れなのかフィーネさまがナイさまに突っ込んだ。でもナイさまは真顔で即座に否定する。甘い空気を醸し出してしまったのは俺の所為だから喧嘩をしないでくださいと止めに入ろうとすれば、ユルゲンとジークフリードが関わらない方が良いと視線で止めた。俺がどうしようと迷う間もなく、ヴァルトルーデさまとジルケさまが声を上げる。
「ほんの少し考えてた」
「ナイだしな」
面白そうに二柱さまがナイさまを揶揄っている。ナイさまと関わっている時のヴァルトルーデさまとジルケさまは生き生きしているというか。
「二柱さま……告げ口は感心しませんよ」
そしてナイさまも女神さまに対して軽口を叩いているから、ヴァルトルーデさまとジルケさまは先程のように突っ込んでしまうのだろう。しかし、ナイさまは俺とフィーネさまのやり取りは甘いと感じていたようである。俺がジークフリードに視線を向ければ、彼は片眉を上げていた。どうやらナイさま相手にジークフリードは俺と同じことはできないと言いたいようである。隣に控えているユルゲンは苦笑いでやり取りを見つめていた。
「否定しない! 思っていたんですね!!」
フィーネさまがナイさまに更に突っ込めば、事実だったのか無言を貫いている。
「いや、少しは否定してくださいよ! 嘘でも良いのに!!」
フィーネさまはいたたまれなくなったようで変な突っ込みを再度入れれば、ナイさまは片眉を上げた。
「女神さま方の前で嘘を吐くのは……ちょっと」
そんなこんなで話をしていれば、式の時間が迫っている。呼び出し係の人に呼ばれ、俺とユルゲンとジークフリードは一旦女性陣から離れることになった。廊下を歩いて俺たちは教会の正面扉を目指す。外にはパレードがあると聞きつけた王都の人たちが多く集まっているそうだ。昨日も随分と賑やかだったけれど、今日も騒がしくなるのだろうと俺は肩を竦める。
「ベナンター卿」
途中、呼び止められて後ろに振り返れば、護衛をたくさん引き連れて陛下が笑って俺と視線を合わせた。
「陛下」
礼を執るなり顔を上げろと陛下が俺に告げる。言われたまま顔を上げれば陛下が凄く真面目な表情になっていた。何事だろうと俺が身構えれば、陛下は緊張しなくても良いと片眉を上げる。そう言われても難しいものは難しいと陛下から少し視線を逸らせば、陛下が俺の両肩を掴んだ。
「ベナンター卿。これからもアルバトロス王国のために働いてくれ」
そのための地位は私が保証しようと陛下が告げて、俺の両肩から手を放した。これは伯爵位を賜る予定の俺に対して陛下なりの激励だろうと俺は解釈する。
「承知いたしました、陛下」
俺の言葉に満足そうに頷く陛下はユルゲンとジークフリードにも似たような言葉を交わして、肩を軽く叩いていた。もっとアルバトロス王国に貢献できるかどうかは分からないけれど、俺は俺のペースでアルバトロス王国への忠誠を示そう。心配は無用です陛下、と心の中で口にするのだった。




