1645:めでたいこと。
――フィーネさまがエーリヒさまとの婚約を発表した一年後。
アストライアー侯爵領領主邸の執務室で私は今日も今日とて執務に追われている。ソフィーアさまとセレスティアさまがそろそろ戻ってくるかと思いきや、第二子誕生の報が入って職場復帰が更に一年遠のいていた。セシリアさまとアルティアさまが困るのではとご夫人方を見れば『問題ありません』『ええ、なにも。しかし、そろそろユーリさんの教師を誰が担うか考えるべきでは?』という言葉が返ってたため、特に問題はないようである。
私とジークの仲も深まっており、一ケ月に一度侯爵領領都の街に出てお出掛けタイムを取っていた。クレイグに『デートじゃなくて、ナイの買い食い時間だろ』と突っ込まれ、否定できなかったことがちょっと悔しい。
そしてサフィールはアストライアー侯爵家麾下となる家の長となったのだが、意外や意外。奥さん候補がリンとなっている。なにかが変わるわけでもなく、リンは私の護衛を続けるつもりであるそうだ。子供ができたら、産休制度を使うとのこと。
執務室で違和感を覚えつつ作業をしていると、訓練を終えたジークとリンが戻ってきて警備に就いてくれた。壁際で控えてくれているのだが、件のリンさんはいつも通りの姿である。私が彼女に視線を向ければ直ぐに気付いてくれて、リンは首を小さく傾げた。仕事の山場は過ぎているし、雑談しても良いだろうと私は口を開く。
「リンがサフィールと婚約するなんて……私は驚いたよ」
本当に。リンは色恋をあまり理解していないと感じていたけれど、しっかりサフィールと恋や愛を育んでいたようでなによりである。幸せな家庭を築いて欲しいが、サフィールがアストライアー侯爵家麾下の家の長となっているので果たして子は生せるのか。私がくつくつと笑っていれば、リンが片眉を上げる。
「ナイが鈍いだけ」
リンは女神さま相手に容赦のない言葉のナイフを投げるけれど、私にも刺さる日がこようとはとお腹を擦る。もうお姉ちゃん気取りはできないねと私が肩を竦めると、リンが小さく息を吐く。その様子を見ていたセシリアさまとアルティアさまも小さく笑っているのだが、もしかしてお二人もサフィールとリンの関係を気づいていたのだろうかと、私が訝しんでいればご夫人方が声を上げる。
「一年程前からでしょうか。サフィールさんがジークリンデさんを口説き始めたのは」
「ええ。ジークリンデさんはナイさまと一緒の時間が多いですから、隙間時間を狙って確実に距離を詰められておりましたわ」
ちょいちょいサフィールは屋敷の庭であったり、訓練場の片隅でリンとの会話を増やしていたようだ。全く気付かない私が間抜けなわけだけれど、コソコソしなくても良かったのではと思ってしまう。
でもまあ、私が知ればサフィールは揶揄われてしまうと考えたのかもしれない。実際、サフィールがリンとお付き合いをしようと考えていると知ったなら、私は確実にサフィールの応援に回る。
リンも満更でないと知ったなら、イケイケゴーゴーと応援するだろう。サフィールの性格であれば、静かに見守って欲しかったから黙っていたのだろう。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえという格言があるから、私は二人が良い関係にステップアップしたことを知らない方が良かったようだ。しかし、それはそれとして。
「ジークは知ってたの?」
「ああ」
ジークはリンのお兄ちゃんだから、ちゃんと把握していたようだ。今さっき納得したばかりだけれど、ちょっと腑に落ちないぞと私は執務机に身体を横たえる。
「まあまあ、よろしいではありませんか」
「ナイさまは執務で手一杯でしょうし。各国から夜会を開催しないのか、我が国にきて欲しいという依頼も舞い込んでおりますわよ」
セシリアさまとアルティアさまの声に私は身体を起こすと、書類が一枚頬にくっついていて重力に逆らえず落ちていく。私は書類がどこかに飛んで行ってはならないと、手で抑えて元の位置に戻した。私の頬から落ちた書類はジークと私の婚姻式について記されているものである。近々では違う方の婚姻式があると、私はセシリアさまとアルティアさまに視線を向ける。
「そろそろエーリヒさまとフィーネさまの婚姻式が執り行われるので、今は控えておかないと。半年後には私たちの婚姻式がありますし……準備が大変」
一週間後にはエーリヒさまとフィーネさまの婚姻式が執り行われる。聖王国からアルバトロス王国への嫁入りとなるため、聖王国の大聖堂から天馬さまに乗って、アルバトロス王国へと戻る演出をするそうだ。大聖堂の前で教皇猊下とウルスラさまが盛大にお二人を見送るそうである。そして聖王国の神職者の皆さまと彼の国に住まう方たちも。そしてアルバトロス王都の教会で夫婦の誓いを立てるとのこと。
教皇猊下の立場がない気がするけれど、アルバトロス王国へ嫁ぐのだからとフィーネさまが決めたそうだ。まあ、聖王国には本物の聖遺物が展示されるようになったし、信者の方が減ることはないだろう。
あとは大聖女ウルスラさまと聖女さま方の働きに期待すれば良いはず。フィーネさまを信奉していた方には嘆いている人がまだいると聞く。惑わされた方には男性が多く、フィーネさまの美しさに惑わされたらしい。罪な女性だなあとフィーネさまの前で私が冗談吹かすと、パシンと勢い良くスナップの効いた右手を肩に頂いたのでもう余計なことは口にしないと決めた。
そしてジークと私の婚姻式も半年後に控えている。執務が普段より忙しいのはコレが原因だ。慶事だから嬉しいけれど、派手に挙げる婚姻式は私には似合わないという気持ちが湧いてしまう。
ジークと婚姻を果たすことは事実だから、それで良いじゃないかと考えてしまうのだ。でも私は侯爵位を持つお貴族さまで。領地の人たちへの告知も兼ねているし、付き合いのある貴族家との関係もあるのだからサボれない。私が怪訝な顔を浮かべていると、なにかを察知したセシリアさまとアルティアさまが小さく笑いながら声を上げた。
「招待客も決まり、衣装の準備も滞りなく済みました。王都と侯爵領と男爵領でパレードもありますから、ナイさまには体力を付けて頂かなければなりませんわね」
「招待された各国の王は相当に安堵していらっしゃるでしょう」
婚姻式の会場はアストライアー侯爵領領都にある教会である。当日はカルヴァイン枢機卿さまがきてくれて祝詞を上げてくれるとか。アリアさまとロザリンデさまも一緒にきて祝ってくれるそうである。なにげに同行者としてシスター・ジルとシスター・リズが入っていたことに私は苦笑いを浮かべたけれど。調理部の皆さまも半年後の晩餐会でなにをメニューに出すかと悩んでいるそうである。
私とジークの婚姻式があると知ったグイーさまとテラさまも参加するし、グイーさまからシェクトさまにも話が届き、通信用の石から『我も行って良いか?』と問い合わせがきたところだ。断る理由はないしヴォイドさまとプライムさまと一緒にきてくださいとお願いしておいた。いろいろな方が驚きそうだが、もう諦めてくださいと言うしかない。
ジークに婚姻式に参加して欲しい方はいるかと聞けば、エーリヒさまとユルゲンさまという声が一番に上がった。ボルドー男爵さまも面子に入っていたけれど、私が招待しているから問題なかった。
皆さまに渡す予定のお土産とか細々としたものも決まっていて、あとはサイズを測って発注を掛けている衣装が着れないことを避けるだけ。なんだか緊張してきたぞとお腹を押さえた私は、あれと違和感をまた覚えた。むむむと口を真一文字結び、大きい方かと首を傾げる。
「少し抜けますね。直ぐに戻ります」
私が席から立ち上がれば、嫌な感触が走る。セシリアさまとアルティアさまと家宰さまが、私が途中で離席することが珍しいと首を傾げている。懐かしい感覚にうっと口から声が出そうになるのを、私は我慢して笑みを作って誤魔化した。クロは私がお手洗いに向かうと察知したようで肩の上から降りる。ジークとリンも分かったようで、リンだけが動いてこちらへと足を向けた。
「ナイ、私も行く」
「うん」
歩き始めた私にリンが声を上げて、直ぐに後ろに控えた。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも待っていれば、執務室に私が戻ってくると理解している。セシリアさまとアルティアさまと家宰さまも私の用事がなにか気付いて、いってらっしゃいませと言いたげであった。私はそそくさと執務室から出れば、リンが真面目な顔で大丈夫かと問うてくる。
「大丈夫だけれど……ちょっとね」
「ナイ」
リンが私の声を上げ、両手が伸びてきた。何故かお姫さま抱っこで抱え上げられるのだが、正直お手洗いまで割と距離があるから有難い。
「ごめん、歩きたくないから運んで欲しい」
リンの首筋に私の顔を置いて力を抜いた。いつもであれば私はリンに『降ろして』と懇願しているから、その言葉がないことに彼女は目を丸くする。
「気にしないで。大丈夫……?」
「うん。今のところ」
そうしてリンにお手洗いまで運ばれて、私はいそいそと中へ入る。あー……やっぱりと納得しながら応急措置をして個室から出た。私は長い長い溜息を吐き、手洗い場で両手をついた。見てしまうとお腹と腰の痛みが強くなるのは何故だろう。ともかくこのままではいけないと、私はお手洗いから出てリンに声を掛ける。
「リン、ごめん。侍女長さま呼んできて。私は部屋に戻るから」
「なら部屋に戻って呼べば良い」
そう告げたリンがまた私をお姫さま抱っこで抱えて歩き始めた。途中で侍女の方に会って、侍女長さまを部屋に呼んで欲しいとお願いする。リンは部屋に戻るなり私をベッドに優しく下ろして、大丈夫と再度問いかける。
「さっきも言ったけれど、今は大丈夫」
「無理しないでね」
リンがベッドの縁に座って、私の腰を撫でてくれた。リンの手の温もりで痛みが少しだけ和らぐ。ありがとうと私は笑ってリンに答えた。
「平気だよ、病気じゃないしね」
病気ではないけれど、人によって症状は様々である。私の場合は一体どうなるのかと考えていれば、侍女長さまとエッダさんが慌てた様子で部屋にきた。そうして月のものがきたと告げると、侍女長さまは目を見開き、エッダさんは両手を合わせて嬉しそうな顔になっている。侍女長さまは『おめでとうございます』と告げ、エッダさんを残して部屋を出て行きいろいろ用意してくれるそうだ。エッダさんは温かいお茶を用意しますねと告げたため、私は緑茶をお願いする。
なんとなく侍女部屋が騒がしいことに気付いたあと、セシリアさまとアルティアさまが急いで部屋に現れて大喜びをし、少し遅れて侍女の方たちと下働きの女性陣がざわざわとしていた。
ジャドさんとジョセさんに雪さんと夜さんと華さんもめでたいと挨拶にきて、なんだかお祭り状態である。しかし、生理用品を初めて使ったけれど……なんともいえない感じである。密着感がなく、受け止めてくれるものも頼りない……うーんと悩んだ私はフィーネさまと一緒に生理用品の開発に取り組もうと手紙を認めるのだった。




