1643:珍プレー好プレー。
物陰からナイさまを見つめる人がいる。
夜会会場では交流が続いており、結構賑やかになっているのではないだろうか。といっても今までの私は聖王国で大聖女を務めていたから、純粋な貴族の夜会なんて数えるほどしかない。ないけれど、やべー人の見分ける目は持っているつもりだ。決して、聖王国で鍛えられたものではなく、私個人が持つものであると言い張りたいけれど。
ナイさまをじっと見つめるその人は、話しかける機会をう伺っているようだ。ナイさまは今、ボルドー男爵さまと連れの方と言葉を交わし、去って行ったところである。
私はエーリヒさまの服の袖をちょんちょんと引っ張って、こちらを見て欲しいと訴える。エーリヒさまは直ぐに私に視線を合わせて微笑んだ。相変わらずカッコイイと感心している場合ではないと真面目な顔を浮かべる。
「あの人、ヤバそうですよ……エーリヒさま」
私の言葉を聞いたエーリヒさまは視線の先も追ってくれた。そしてしばらく眺めたあと。招待客の人たちに時折埋もれて見えなくなってしまうけれど、ナイさまを見つめていた人が怪しい動きをしているのは確かなことである。エーリヒさまも目を細めて、ナイさまを見つめていた人を見つけたようである。うーんと少し悩む雰囲気を見せたエーリヒさまが私の方へと向き直る。
「……非常に不味そうですね」
ですよねーと私が頷くと、護衛に付いてくれている人たちも『ヤバいな』『ヤベエだろ、あれ』と声を上げていた。エーリヒさまは私に頷いて左腕を差し出し、私もエーリヒさまの左腕を取る。護衛の人たちも私たちの行動に納得してくれているようで、黙ってついてきてくれるようだ。
「あの方は?」
「外務部の同僚です。ナイさまの話を妙に俺から聞き出す方だと思ってはいたのですが……見積りが甘過ぎましたね……」
私の問いにエーリヒさまが答えてくれる。
「人の心の内は分からないですからね。悩むより、止めに行きましょう、エーリヒさま!」
ナイさまと既知であれば遠慮なく言葉を交わしに行けるはずだから、ナイさまを見つめていた人は彼女との縁は築いていないはず。
「はい」
エーリヒさまが目を細めて頷いてくれた。問題になるなら、問題になる芽を摘み取れば良いだけだ。聖王国では何度か失敗して大事になってしまったけれど、アルバトロス王国では失敗しないようにしたい。それにエーリヒさまに迷惑を掛けるような人がいるならば、全力で守らないといけない。
ナイさまは放っておいても周りの誰かが助けてくれるし、彼女の雑草魂で凹むこともないはず。エーリヒさまは繊細な方だから、私が守ってあげないと。もちろん私のことはエーリヒさまに守って貰うつもりだけれど。
「皆さまと話はできましたか?」
「ベナンター卿……あ、いえ、子爵! ええ、初対面の方といくらか会話を交わすことができました。これもベナンター子爵の交流の広さのお陰。感謝しております」
はははとナイさまを見ていた人は乾いた笑いを取った。エーリヒさまは落ち着いた様子で無難に対応していると言って良いのだろう。これで彼の出鼻は挫けたかなと私はほっと息を吐く。
「子爵は素敵な未来の奥方を見つけられましたなあ」
「そうですね。私には勿体ない方かと」
今度はふふふと笑ったナイさまを見つめていた人は私に視線を向ける。なんとなく嫌な感じがすると直感した私にエーリヒさまが身を寄せて、変なことをするなよと相手の人に牽制を掛けてくれた。
ああ、やっぱり私の未来の旦那さまは素晴らしく優しい人だと幸せな気分になって、今受けていた嫌な感じはどこかへと吹き飛んでしまう。なんとなくナイさまはなにをしているのかと横目で確認すれば、手に持ったお皿に大量の料理を乗せて食べている姿が見えた。
ナイさまらしいけれど、女神さまとご一緒に結構な量を食べているのは女性として如何なものだろうか。夜会では太るからと言って、食べない女性が多いと聞いている……でも、まあナイさまを女性の枠で収めるのは無理だと私は肩を竦めて視線を元に戻す。それと同時に、ナイさまを見ていた人がごくりと喉仏を動かした。
「ベナンター子爵。無理を承知して申し訳ないが、アストライアー侯爵と渡りをつけてくれないか?」
ナイさまを見ていた人はエーリヒさまより十歳ほど年上だろうか。それ故か、心のどこかでエーリヒさまとナイさまを見下していそうだ。目の前の人の爵位は分からないけれど、服装や身動きからしてあまり高いとは言い難そうである。そしてエーリヒさまは今の言葉で身体を強張らせる。やはりナイさまに目を付けていたのかと私は小さく息を吐けば、エーリヒさまが目力を強めた。
「何故、アストライアー侯爵閣下と話をしたいのでしょう?」
「機会があるのであれば、侯爵と話をしてみたいと以前から狙っていてね。そこで君から夜会の招待が届いて、これは好機だと参加させて貰ったのだよ。どうだろう、私の細やかな願いを叶えて欲しい」
ナイさまを見ていた人はエーリヒさまの機嫌を伺うように問うている。一方でエーリヒさまは警戒心を露わにさせていた。
「お相手の方に益があると判断できるのであれば、私は閣下と貴方との渡りをつけましょう。貴方は閣下になにを与えられますか?」
エーリヒさまの言葉に後ろに控えている護衛の一人が『立派になりましたなあ……』と感動している。どうやらエーリヒさまのご実家から派遣されたか、エーリヒさまが持つ爵位のベナンター家所属に変わった人なのだろう。もしかすると彼はエーリヒさまの幼い頃を知っているのかもしれないと私は胸を躍らせてしまうが、今は目の前のことに集中しなければ。
ナイさまが目の前の人を相手にするとは思えないけれど、なにが起こるか分からないし、女神さま方に妙なことを口走れば不味いことになるのは確実だ。ナイさまは爆弾のような人だなあと少し意識が遠くなるのを我慢して、目の前の人を注視する。
「え、益……私が侯爵に与えられるもの……は……」
「あるのですか?」
考える仕草を見せながら間を保つためか、ナイさまを見ていた人は視線を右へ左へと彷徨わせていた。エーリヒさまは畳みかけるように言葉を投げて、ナイさまを見つめていた人の逃げ場を塞いでいく。
もう少しかなと私がエーリヒさまを見れば、少し厳しい表情でナイさまを見ていた人に視線を向けていた。厳しいお顔もカッコいいと私は心の中でガッツポーズを取る。エーリヒさまが怒りの感情――そこまでいっていないかもしれないけれど――を見せるのは珍しい。私に向けられているものではないから、余裕を持って愛しい彼の顔を見ることができた。
「閣下の好きなものや、趣味を上げられますか?」
「そ、それは……」
「閣下がどのように屋敷で一日を過ごされているのか、言えますか?」
「な、何故、そこまで」
「もし仮に。閣下と邪な関係になりたいと願っているのであれば、私の全力を以て事に当たらせて頂きますが」
エーリヒさまはようやくナイさまと気持ちを通わせたジークフリードさんを悲しませるようなことをしたくないようだ。本当に見たことのない表情になっているので、少しだけジークフリードさんに嫉妬してしまう。男性の友情って結構強いものがあるなと、自分で自分の心を諫めていればナイさまを見ていた人が顔を真っ青に染めている。
「べ、ベナンター子爵。いや、すまない! 話を聞かなかったことにしてくれ!」
ナイさまを見ていた人は『体調が悪くなったので、申し訳ないが先に帰らせて貰う』と告げて踵を返し、そそくさと会場を後にした。エーリヒさまはふうと息を吐く姿を見て、私は彼を見上げた。
「大丈夫ですか、エーリヒさま」
「ええ、大丈夫です。しかしまさか、身近なところでナイさまを利用しようと狙っている人がいるとは……俺の判断が甘かったようですね。気を付けないと」
エーリヒさまが苦笑いを浮かべているが、彼の奥深くの感情には悲しみもあるのではないだろうか。仕事仲間、それも外務部でナイさまのことを良く知っている部署の人がなにか企てるなんて思ってもいなかっただろうから。エーリヒさまに悲しんで欲しくないと私は笑み作って、やるべきことを伝えておく。
「なにも起こらなかったのですから良しとしましょう。あ、あとナイさまに伝えておきましょう。もしかするとなにか起こるかもって」
「そうですね。ナイさまの下へ行きましょうか」
私がナイさまの下へ行こうと提案すれば、エーリヒさまも肯定してくれた。でもどこか物憂げな彼に私が先程のことを語った方が良いのだろうかと、ふと考える。
「私が説明しましょうか?」
とはいえ勝手はできないと、エーリヒさまに問うてみた。
「いえ。外務部の者でしたので、俺が説明するのが筋かと。ありがとうございます、フィーネさま」
片眉を上げながら笑うエーリヒさまは無理をしていないだろうか。気になるけれど、他に気になることができてしまう。でも、切り出すには丁度良いタイミグなのかもしれない。
「エーリヒさま?」
「はい?」
私はお願いをするためにエーリヒさまを見上げた。でもすぐには言い出せずに、遠回しなことを私は紡いでしまう。
「その、私とエーリヒさまは婚約者ですよね?」
「も、もちろん。婚約解消や破棄なんてするつもりはありませんよ!」
あれ、もしかして変な方向にエーリヒさまは勘違いしていないかと私は少し可笑しくて笑ってしまう。切り出すなら今だと、手を置いていた彼の左腕から離れて正面に立つ。
「では、私のことはさま付けで呼ばないようにしてください。良いですよね?」
私は後ろに両手を回して、エーリヒさまにお願いしてみた。少し強制的な言葉になっているかもしれないけれど、エーリヒさまだといつまでもさま付けで私のことを呼んでいそうだ。
だから、丁度良いタイミングだったと私は笑えば、エーリヒさまが顔を赤く染めながら視線を逸らせた。彼は『いや、その』としどろもどろになりつつも、きちんと私と視線を合わせてくれる。
「フィーネ」
「はい、エーリヒさま!」
ああ、ようやくこの日がやってきたと私は笑って答えれば、エーリヒさまが更に顔を赤く染めている。
「狡いですよ……」
そう口にしたエーリヒさまに私は照れ笑いを浮かべて、ナイさまの下へ行こうと彼の腕を引っ張って歩くのだった。
「甘いな」
「くそう。羨ましい」
背後で呟く護衛の人の言葉を聞こえないふりをして。




