1636:クレイグ、再度霧隠れの亡国へ。
トレーニングルームのお陰で、少しは私の体力が戻ってきただろうか。ユーリの部屋で彼女を抱き上げてみれば、腰への負担が前よりマシになった気がする。ユーリは日を追うごとに成長しているから、私の努力は無駄ではなかったようだ。私の腕の中でキャッキャと騒ぐユーリに私は視線を合わせて、いつも呪文のように唱えている言葉を紡ぐ。
「ユーリは可愛いねえ」
私の声にユーリが目を細めて『ユーリはきゃわいい!』と腕の中ではしゃいでいる。乳母さんたちが優秀なのか、こういう一面を持ちつつ穏やかな子に育っているのではなかろうか。
将来が楽しみだと私が笑えば、ユーリが不思議そうに首を傾げる。なんでもないよと告げると、抱かれていることに飽きて『下ろして』と腕の中の彼女が主張した。仕方ないかなと私がユーリを床へ下ろせば、彼女は玩具の側へと向かっていく。お気に入りの積み木の玩具で遊び始めたユーリに私は肩を竦めると、避難していたクロが肩の上に戻った。
『ナイがそればかり言っているから、ユーリは面白がって自分で可愛いって言っているよ?』
「今だけなら、良いんじゃない? 流石に十歳超えてから自画自賛していたら、一人の時だけにしようねって教えるけれど」
困ったねえと言いたげにクロが溜息を吐くけれど、私は特に気にしていない。ユーリはまだ幼くて周りとの区別がついていないというか。もう少しすれば他の人との年齢の差を意識し始めるはずだ。
可愛いという自画自賛は恥ずかしいことだと自覚できれば自然に収まるはず。保護した当時はユーリの反応の無さに困っていたけれど、今では年齢相当の行動を取っている。過保護な面があるかもしれないが、クロもクロで心配し過ぎではないだろうか。
『大丈夫かなあ?』
「大丈夫だよ、多分」
『適当だねえ』
「そうかな?」
心配しているクロに私は肩を竦める。クロは他にも気掛かりがあるようで、こてんと首を傾げた。
『霧隠れの亡国の管理はクレイグに投げちゃったからねえ、ナイは』
「クレイグなら大丈夫だよ。家宰さまの下で勉強してきたから、小さい村なら管理できるって保証してくれているからね」
私が管理することになった霧隠れの亡国の地は聖遺物である真贋の王冠を浄化したことで、霧も発生しなくなり通常状態へと戻っている。廃都は千年もの時間が経っているため、復興を目指すならば相当の時間が掛かるだろう。
今は住む人もいないため、廃都の再興は考えていない。とりあえず、細々と生き残っていた村の人たちへの支援をしようと、昨日、クレイグには霧隠れの亡国に向かって貰っていた。今頃は村に辿り着き、いろいろと話を聞き出しているはず。なにごとも起こらないようにと願っていれば、私のお腹がぐるると鳴った。
「お昼ご飯、食べに行こうか」
『うん』
私が苦笑いを浮かべながらクロに伝えて、食堂を目指すのだった。
◇
――霧隠れの亡国。廃都から離れた場所にある寒村に俺は辿り着く。
ナイの話に乗り、霧隠れの亡国の管理を任されることになったのだが本当になにもない場所だった。先程、廃都の周囲をジャドに飛んで貰ってのだが、ボロボロで再利用もできない状態の街並みである。
再興するのであれば高額の資金が必要となりそうだと肩を竦め、廃都から離れた位置にある村へと辿り着いたところである。村の入り口の前に降り立った俺たちに村の連中がビビって家の中へと戻って行った。ジャドのことを知っているはずなのに、随分と気の小さい連中だと俺は息を吐く。そんな俺を見たジャドは首を傾げながら口を開いた。
『クレイグさん。私と護衛の人間がおりますが、十分にお気をつけて』
『ロゼ、クレイグ守る!』
ジャドの影からスライムのロゼが出てきた。ロゼはナイの側にいたがるが、今回はナイの命を受けて気合が入っているらしい。ジャドと護衛の数人で俺の安全は確保されているようなものなのに、まさかロゼを付けるとは。過保護だよなあと俺は肩を竦めロゼとジャドを見る。
「ありがとな。一応、アストライアー侯爵家の使者が代官を寄越すと村の連中に伝えてはいるが……なんのことか分かってないらしいからなあ。先ずは説明からだ」
ふうと俺は息を吐き、首元のタイの位置を手直しする。アストライアー侯爵家の代官として恥ずかしくない服装であるが、どうにも堅苦しい。とはいえこの地の代官を務めるようになるなら、アストライアー侯爵家の従者として恥ずかしくない振る舞いをしなければと俺は気合を入れ直す。俺を見ていたジャドは目を細めながら地面に尻を付けた。
『ナイさんも随分と無茶なことを貴方に頼みましたねえ』
「一応、考えに考えた末に俺に任せたはず。ナイだから思い付きで言っている可能性も高いけど」
やれやれと言いたげなジャドに俺は肩を竦めて村へ入ろうと足を動かす。そうして村に入って直ぐの所で立ち止まり、俺は大きく息を吸い込んだ。
「――村の者たちに告ぐ!」
俺は大音声でアストライアー侯爵家の者であり、この地の代官を務めるように命じられたと伝え、家から出るようにと命じた。俺の声を聞いて村の者たちがおずおずと家から出てきて、どうすれば良いのか凄く困惑した様子である。
「この村に何名住んでいるのか把握したい。動けない者はそのままで構わないが、動ける者は私たちの前に出てきてくれ。魔獣はこの通り、君たちに手を出さないと保証しよう!」
もう一度、俺が目的を告げると大人しく村の者は従ってくれる。やはりいきなり現れた余所者に良い感情を抱けるはずはないだろうと俺は息を吐くと、ジャドが顔を寄せて俺の肩に顔を撫で付ける。
「ジャド、強いって」
温厚なジャドが本気を出せば俺なんて一瞬で死んでしまうだろう。本当に彼女に知性が備わっていて良かったと安堵していると、ジャドは肩から顔を放して苦笑いを浮かべた。
『申し訳ありません、少し勢いがつき過ぎてしまいました』
小さく頭を下げるジャドにそこまでしなくてもと俺は伝えていれば、村の若者――と言っても俺より二つ三つ上の年齢だろう――が前へと進み出る。
「あ、あんたはアストライアー侯爵さまの関係者なのでしょうか?」
「そうなります。閣下より村を管理せよという命を受け、本日は様子を伺いに参りました。近隣国、並びに西大陸の各国はアストライアー侯爵が村を治めることを了承しております」
村の若者が異物を見るような目で俺を見ている。見慣れない者がくれば、外を遮断していた村の者が警戒するのは当然だ。若者の目に浮かんでいるのは『困惑』と『警戒』である。あとはこれからどうなるのかという不安だろうか。貧民街で過ごしている子供のような目だなと俺は溜息を吐きそうになった。
「お、俺たちは学がないので難しいことはわかりません……助けてくださるということでしょうか?」
「いえ、アストライアー侯爵の傘下に村が入ることになるので、税を収めて貰うようになります。その対価として村の皆さまへの施策を私が行います」
助けるというわけではない。無償で助けられるのであれば助けてやりたいものだが、俺たちは貴族位を持っているのだ。村の者たちには相応のものを対価として払って貰わなければ。とはいえ俺もナイも悪徳領主というわけではないのだから、最初から過度な税を負わせることはない。ただ目の前の彼らには俺たちの事情や気持ちなんてこれっぽっちも分からないはず。
「金を取るのですか!? 金なんて持っていませんよ!!」
やはり反感を生んだかと俺は息を吸い込んで、村の者たちに損得を語り尽くす。そして決定権は既になく、従うしかないと俺は告げるのだった。
◇
アルバトロス王国王都。アストライアー侯爵家のタウンハウスにある庭の東屋で、私はクレイグさんから届いた手紙に目を通しています。ふいに机の上に影が差し、誰だろうと顔を上げれば苦笑いを浮かべたロザリンデさまが私を見下ろしています。
「ロザリンデさま。どうされました?」
「珍しくアリアさんが浮かない顔をしておりますので、気になりましたの」
どうしたのかと私が問うと、ロザリンデさまは片眉を上げながら答えてくれ、席に座って良いかと尋ねられました。私は構いませんよと椅子を手で差して、側に控えていた侍女の方にお茶を淹れて貰うようにとお願いします。席に腰を下ろしたロザリンデさまは私の顔を覗き込み、話してくださいなと無言で訴えておられます。私は隠す必要もない事柄かと決め、ロザリンデさまと視線を合わせます。
「クレイグさんから手紙が届きまして。目を通していたのですが、霧隠れの亡国にある村の統治をナイさまから任されたと……」
「めでたいことではありませんか。仕える主からの信頼を勝ち取っている証拠でございましょう。それなのにアリアさんはどうして困り顔を浮かべていらっしゃったのです?」
ロザリンデさまが仰ったとおり、クレイグさんはアストライアー侯爵家の中で出世しているのでしょう。けれど、管理を任された土地は辺境の村であることと、閉鎖的な村だったということが私は凄く気になるのです。
私の父が治めるフライハイト男爵領も田舎にあって、最近まで近隣の領地との交流はなく、他所の方に対して警戒心が凄く強いものを持っていました。父は土地を親の代から継いでいるため、領地の人たちから反感を買うことは少なかったのですが……全く新しい場所の管理を任されたクレイグさんが村の人たちに手を焼く姿がありありと浮かんでしまうのです。
「なるほど。たしかにアリアさんが心配になられるのは仕方ないこと。ですが、小さな村一つ治められないのであれば、周りの方たちがクレイグさんに無能の烙印を押すでしょう」
ロザリンデさまが侍女の方から出されたティーカップを手に取って、一口、二口と嚥下しました。彼女が告げた通り、小さな村一つ治められないのであれば、クレイグさんに能力がないと判断されてしまうでしょう。
やはり心配だなと私が肩を落とせば、ロザリンデさまは『筆頭聖女として村に赴いてみれば?』と助言をくださります。たしかにクレイグさんと相談をして許可が貰えるならば、村で治癒院を開くこともありだろう。教会にもお伺いを立てないといけないし、ナイさまにも根回しをしなければいけないけれど……無謀なことではないだろうと、私はさっそく手紙を認めるのでした。




