1634:おかえりの挨拶を。
――エーリヒ・ベナンター子爵が聖王国から戻ってきた。
フィーネ・ミューラー嬢を連れて。ここまでは描いていた脚本通りである。仮面を付けていた六人の正体もバレて――聖王国上層部の一部の者は知っている――はいないようで、別の国の王が助力しているなどと露にも思っていないだろう。
夜というのに王都の空には白い天馬たちが飛んでいる姿をはっきり視認できる。四年前まではアストライアー侯爵が連れてきた二頭だけだったのに、どうして十倍以上の数に増えているのか。考え始めると腹が痛くなる上に、頭も爆発してしまいそうだから止めよう。今は無事にエーリヒ・ベナンター子爵が戻ってきたことを喜ばねば。
ベナンター子爵が婚姻できることはめでたいが、私の執務室へ誘い酒を交わす機会が減ってしまうという気持ちもある。
私は残念な気分を打ち払い、天馬さま方とグリフォンさま方が王城の庭へと降り立つ姿を見るのだが、まるで教会に飾られている宗教画のように美しい。私ははっとして、軽く頭を振って意識を正常に保とうと努める。
二柱の女神さまも同席している場であるから、呆けたままでは失礼を働いてしまうかもしれないのだから。ベナンター子爵が黒天馬から降り、馬上のミューラー嬢に手を差し伸べた。
彼女は長い髪を邪魔にならないようにと耳に掛けながら、照れ臭そうにベナンター子爵に手を伸ばす。随分と初々しい二人だと周りの者たちと微笑ましく眺めていれば、彼らが私の下へとやってきた。先にアストライアー侯爵に言葉を交わさなくて良いのかと言いたくなるが、彼は王である私を優先してくれたようだ。
「陛下、ただいま戻りました。多大なご尽力、感謝申し上げます」
ベナンター子爵が頭を下げれば、ミューラー嬢も一緒に礼を執る。顔を上げた彼女は小さく笑い、私との視線を合わせた。
「陛下、これからお世話になります」
「ああ、よろしく頼む。アルバトロス王国と聖王国の橋渡し役として期待している」
「はい」
自力で伝承に残る幻の聖遺物を見つけ、堕ちた神をも見つけた人物に頭を下げられることに違和感を覚えるものの、私がアルバトロスの王としてこれからも生きるのであれば受け入れるしかないのだろう。霧隠れの亡国はアストライアー侯爵が土地を得ることになったから、彼にはどこか新たな領地を与えねば。しかしながら彼に与えられる土地が残っていない。
どこか良い場所はないかと宰相に調べさせてはいるものの、空白地はなく、問題のある貴族家を廃する道しかなかった。不正を調べ上げて廃爵するにも時間が掛かるが、やらないよりマシかととある子爵家に目を付けた。とはいえ、温厚な彼がその話を聞いて喜ぶかといえば否であろうと、私は微妙な心持ちになってしまう。ベナンター子爵とミューラー嬢と二言、三言交わせば、彼らは私の下を去っていく。
そうして天馬さま方とグリフォンさま方と戻ってきていた六人と話しているアストライアー侯爵の下へと向かっていた。
なにを話しているのか凄く気になるものの、立場的に気軽には行ってはならないと私は堪えるしかない。その場にいる叔父上にあとで話を聞いてみようと決めて、私は執務室へと戻るのだった。
◇
アルバトロス王国の王都へ戻った俺たち一行は王城の中庭で陛下に挨拶をしたあと、一緒に待ってくれていたナイさまの下へとフィーネさまと一緒に歩いて行く。俺の左側に立つフィーネさまの体温を感じられて少しむず痒い思いに駆られるものの、これからはこうする機会が多くなるのだろう。ナイさまは俺たちと一緒に戻ってきた六人と二柱さまと話込んでいるのだが、俺たちがきたことに気付いてくれてぱっと視線が合った。
「おかえりなさい、フィーネさま、エーリヒさま」
へらりと笑うナイさまにフィーネさまが俺から離れて彼女の前に立つ。離れてしまった熱を寂しいと感じてしまうのは、凄く贅沢なことだと苦笑いを浮かべて、俺はフィーネさまの少し後ろに控えた。
「ナイさま! お久しぶりです! そしてただいま、ですね!」
ふふふと笑ったフィーネさまが両手を広げてナイさまを抱きしめた。少し小柄なフィーネさまが小柄なナイさまを抱き留めれば、丁度胸に蹲っていた。なにがとは言わないが、ナイさまはもぞもぞと動いたあと、新鮮な空気を肺に取り込んで命拾いしたという表情になっている。
「苦しいですよ、フィーネさま……リンより抜け出し易いですが」
はあと溜息を吐いたナイさまにフィーネさまがカラカラと笑う。本当に仲が良く、フィーネさまに転生者仲間がいて良かったと俺は安堵する。フィーネさまは長い銀色の髪を耳に掛け『あ』となにか思い至ったようだ。
「良いじゃないですか……って、大聖女の地位を失っていますから、侯爵閣下に気軽に接するのは駄目ですね」
失礼しましたとフィーネさまは声を上げてナイさまに礼を執る。
「失っている?」
きょとんとした顔のナイさまはフィーネさまの言葉の意味を掴みかねていた。
「あ。聖痕、消しちゃいました!」
「え?」
フィーネさまが照れ臭そうに笑うと、ナイさまは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり固まった。そう。計画ではフィーネさまにはまだ聖痕が残っているはずだったのだ。だからナイさまの驚きは仕方ないし、周りの人たちが驚いているのも仕方ない。聖王国の大聖女さまの聖痕は『真実の口付け』で消えてしまうのだから。意味は語らなくとも理解できるはずと俺はナイさまとフィーネさまのやり取りを見守るのだが、どうしてというナイさまの視線が俺に飛んでくる。
「……大聖堂の前でキスと指輪を渡しました」
「指輪を渡してからではなく? キスをして指輪?」
俺の言葉にナイさまが不思議そうな顔になる。しかし、恋愛事に鈍いナイさまがどうしてソコに気付いてしまうのか。確かに普通は指輪を渡してからキスを交わすのが普通である。
けれど、フィーネさまは聖王国の大聖女さまであり、聖王国の大切な存在だ。俺が先に指輪を渡していれば、観衆の人たちからなにを言われるか分かったものではない。フィーネさまの気遣いに感謝しなければいけないと俺が目を一瞬瞑ると、フィーネさまが俺の腕を取った。
「えっと、私からちゅーしちゃいました!」
フィーネさまの言葉に一部の人たちが『大胆だなあ』と言いたげな表情になっていた。ボルドー男爵閣下とヤーバン王国の陛下は『見物だった』と言いたげな顔になっているけれど。
マルクスとギド殿下は『女からは不味くねえか?』『女性からとは驚きだ』と呆れと感心が入っているようだし、ジークフリードはなにを考えているのか読めなかった。二柱さまは『フィーネ、可愛かった』『ま、好きにすりゃ良いさ』というスタンスらしい。
「おめでとうございます?」
ナイさまはなにをやっているのやらという表情で俺たちを眺めたあと、真面目な顔になってこれから俺たちはどうするのかと問うた。
「先ずはこちらの生活に慣れて貰うことからですね」
「王都のタウンハウスで過ごして、屋敷の切盛りができるように勉強を始めます」
俺とフィーネさまのこれからをナイさまに語る。フィーネさまは俺と付き合い初めてから、聖王国でこっそりと女主人のアレコレを書物で学んでいたとか。随分と勤勉だと笑ってしまいそうになるが、それだけ本気で俺との婚姻を考えてくれていたのかと嬉しくなる。婚姻届けは直ぐに出す予定であるが挙式は一年後にと二人で答えを出している。
「聖王国よりアルバトロス王都の規模が大きいので、お出掛けすれば息抜きに良さそうです」
どうやらフィーネさまはアルバトロス王国での楽しみ方も考えているようだ。王立学院に留学していた頃は王城で缶詰状態だったから、自由を得たと感じているのだろうか。
しかしフィーネさまが暴漢に襲われると大事に発展するはずだから、警備面の強化を考えておかねば。誰か腕の立つ人物がいれば良いけれど、今のところ俺にはその伝手がない。
俺は王城の庭で居心地悪そうにしている父の顔が見え視線がはっと合えば、何故か向こうが目線を外す。俺はまだ子爵位だし爵位を新たに賜っても法衣の伯爵位だから、父を超えることはない。一体、なにを考えているのだろうと俺はフィーネさまに声を掛けて、父の下へ行かないかと相談する。ナイさまは大事なことだから、私より先に声を掛けるべきだったのではと困り顔になっていた。
「エーリヒさまのお父さま!?」
俺の言葉にフィーネさまがきょろきょろと顔を動かして父を探していた。俺がフィーネさまに父の居場所を耳打ちすれば、どうしようと慌てて衣装と髪を直している。こういうところも可愛いと俺が見惚れていれば、フィーネさまは背を正して緊張しながら『行きましょう』と声を上げた。
「いってらっしゃい」
凄く気楽そうにナイさまが声を上げれば、フィーネさまは片眉を上げながらナイさまを見ている。ご両親のいないナイさまの前で少し無遠慮な話題だったと反省していると、側に控えていたジークフリードが『気にせず行ってこい』と無言で告げる。俺はフィーネさまに行きましょうと手を差し出せば彼女の手が重なる。その瞬間、親に彼女を紹介するのはこういう気持ちなのかと感慨深くなった。
「メンガー伯爵閣下、いえ、父上。お久しぶりです」
「あ、ああ、我が息子よ。久しぶりだ。大聖女フィーネさま、お初にお目にかかります」
俺が父に挨拶をすれば、隣にいるフィーネさまに頭を下げて名乗りを上げる。やはり聖王国の大聖女さまは西大陸の人にとって特別な存在のようである。特に信仰心が高い人にとって、聖王国に向かい大聖女さまや教皇猊下のご尊顔を見ることは一生に一度の機会であるとか。
「メンガー伯爵閣下。私はもう聖王国の大聖女の位を失っております。これからはエーリヒさまの伴侶として努めてまいりますので、どうかよろしくお願い致します」
フィーネさまの声に父がどういうことだと言いたげな表情を浮かべたので、俺は聖王国で起こったことを説明しておいた。話が進む度に父の表情がどんどん青くなっている。
「聞いてはいたが……まさか、そんなことになっているとは……」
と魂が抜けたような表情でフィーネさまに父は『息子を頼みます』と告げるのだった。




