1632:【⑨】エーリヒくんのお迎え。
恥ずかしい……でも、これで良かっただろうし、俺が選んだ道を後悔なんてしない。聖王国の大聖堂大扉前の踊り場で集まった人たちに笑みを浮かべて手を振るフィーネさまのことが俺は心から好きなのだから。
教皇猊下は困っているもののアルバトロス王国と聖王国の未来を考えて俺とフィーネさまとの婚姻を許可してくれた。アルバトロス王国の陛下も認めてくださっているから、これから彼女との婚姻に必要な手続きは順調に進むはず。これから二人で決めなければならないことがたくさんある。きっと忙しなく過ごすことになるけれど、フィーネさまと一緒に過ごせるのなら充実した日々となるだろう。
広場の熱狂が落ち着けば、俺とフィーネさまと教皇猊下は大聖堂の中へと入る。他の人たちも大聖堂へと戻っているのだが、七人の聖冠騎士団の姿はなかった。
おめでとうと祝福をくれる方に、俺のような若造に大聖女を奪われるとはという視線、興味をありありと醸し出している視線を受けていれば、教皇猊下が改めて俺とフィーネさまの前に立つ。祝福の言葉を贈られたあと、彼は息を吐いて少し寂し気な表情に変わった。
「……まさか国外に出ることになろうとは」
聖王国で起きたアレを切っ掛けに、教皇猊下とフィーネさまは随分と苦労していた。教皇猊下は裏で聖王国にとって不要な人を閑職に追い込んだり、不正の証拠を突き付けて辞職せざるを得ない状況へと持っていき、多くの神職者を追い出したようである。
それでもヤバそうな人が残っているのは致し方ないことなのだろう。フィーネさまは表で信者の確保に奔走しつつ、聖女さまの結束を固めて地位の向上を行っていた。数年間でよくできたなと感心しつつ、俺は教皇猊下とフィーネさまの二人に視線を向ける。フィーネさまは教皇猊下へ顔を向け、片眉を上げて感慨深そうな表情になった。
「私も聖王国で一生を終えると思っていましたが……本当になにが起こるか分かりませんね」
彼女の言葉に、俺も国外から奥さんを得るなんて一ミリも考えていなかったと苦笑いを浮かべてしまう。本当に人生なにが起こるかわからないけれど、アガレス帝国へと拉致召喚されてから随分といろいろなことを体験してきた。信じられないことも起こったし、信じられない人脈を持つことにもなっている。まだまだ人生は続いていくけれど、今日起きたことが人生で一番派手な出来事だったといえるだろう。
公衆の面前でキスなんて全く考えていなかったし、多くの人たちから祝福と嫉妬を一斉に受けるとも思っていなかった。本当に濃厚な一日だったと俺が肩を竦めれば、話をしていた教皇猊下とフィーネさまが頭を下げていた。
「幸せに。フィーネ嬢」
「はい! ありがとうございます」
二人の言葉に俺は言っておかねばならないことがあると口を開く。
「必ず、フィーネさまを幸せにします」
まるでご両親への挨拶のように聞こえてしまうが、教皇猊下とシュヴァインシュタイガー卿はフィーネさまを支えてくれていた。だからきっと間違えではないはずと下げていた頭を上げる。するとしっかりと頷いた教皇猊下が見えれば、視界の隅から見知った二人がこちらへと走ってくる。その後ろには聖王国の聖女さまたちも一緒だった。
「フィーネお姉さま!」
「お姉さま!」
イクスプロード嬢が二メートルくらいの距離の所で勢いよくフィーネさまの胸に飛び込んだ。フィーネさまは小柄な方になるから受け止められるか心配になったけれど、難なくイクスプロード嬢を受け止め、少し遅れて大聖女ウルスラが足と止めた。
二人の後ろには聖王国の聖女さまたちが少し涙目になりながらこちらを見ていた。女性の視線を多く浴びていることに緊張してしまうものの、俺に向けられたものではなく彼女たちはフィーネさまを見ていると分かる。
「アルバトロス王国に向かわれるのですね。覚悟はしていましたし、応援もしていますが、いざお姉さまがいなくなると思うと……寂しいです……ごめんなさい、笑って送り出すと決めていたのに」
イクスプロード嬢がフィーネさまの腕の中で涙を一筋流していた。フィーネさまはイクスプロード嬢に困り顔を向けながら、抱き留めている手をゆっくりと上下に動かしている。
「大聖女は私一人でも務まると豪語しましたが、離れるとなると不安になってしまうものですね。でも、私たちはフィーネさまが残してくださったものを継承していきます!」
大聖女ウルスラも声を出し、言葉通り不安な様子を見せている。けれど、彼女は直ぐに表情を変えて真っ直ぐフィーネさまを捉えた。
「ありがとう、アリサ、ウルスラ。でも無理はしないで。私は聖王国を離れるけれど、時間を見繕ってみんなの様子を伺いにいく予定だもの」
フィーネさまがイクスプロード嬢を抱き留めていた腕の片方を放して、大聖女ウルスラを引き寄せた。周りの人たちは美しい光景だと感動して、涙を流している人までいた。
俺はフィーネさまを縛るつもりはない。彼女が聖王国に行きたいのであれば時間を見繕って遊びにいけば良いと考えている。フィーネさまももちろんアルバトロス王国内にずっと留まるとは考えていないだろう。会いたいと望む心があれば縁は一生消えないはずだから、今より少しだけ変わった関係性を築きながら続いていくもののはず。
「手紙、出しますね」
「私も!」
イクスプロード嬢と大聖女ウルスラがフィーネさまと距離を取って笑い合う。そしてフィーネさまは二人の後ろに控えていた聖女さまたちにも顔を下げた。
「ええ。皆さまも息災で」
フィーネさまの声を聞いた俺は彼女に手を差し伸べる。
「では、フィーネさま」
「はい。着替えてきますね」
俺は行きましょうという言葉は飲み込むとフィーネさまの手が重なって直ぐに離れた。フィーネさまは大聖女の衣装から私服へと着替えるため、大聖堂にある祭壇横の扉へと消える。扉の向こうへと消えたフィーネさまを見ていた教皇猊下が身体の向きを変えて俺を見る。なにを言われるのかと俺が身構えると、彼は穏やかな表情を浮かべて口を開いた。
「ベナンター子爵。君も大聖女フィーネ、いやフィーネとともに聖王国へ気軽にきて欲しい。歓待しよう」
「ありがとうございます。猊下もいつか、私の領地へお越しください。田舎でなにもないところですが……精一杯のおもてなしをさせて頂きます」
「そうか。君の手料理は美味いとフィーネから聞いていてね。楽しみにしていよう」
教皇猊下がふふふと笑う。フィーネさまは教皇猊下に俺のことをどう語っていたのだろうか。まさか俺が料理を作るなんて……って報告書で創星神さま方に料理を提供した一員として記されていと思い返す。
社交辞令のつもりであるが、猊下が俺の領地に足を運ぶことになるのかは微妙なところ。でも、フィーネさまと一緒に作った品を彼に食べて貰うのはアリかもしれない。そうして暫くすると私服姿のフィーネさまが俺の下へとやってきた。
「お待たせしました。今日はパフォーマンスになりますが、エーリヒさまと一緒に天馬さまの背に乗れることを凄く楽しみにしていました!」
ふふふと笑うフィーネさまに俺は『行きましょうか』と手を差し伸べる。ゆっくりと重なる彼女の手の細さと熱を感じながら、大聖堂の人たちに深く礼を執った。
「皆さま、行ってきます!」
「フィーネさまをお預かりいたします」
フィーネさまと俺が顔を上げれば、大聖堂の中にいる人たちが手を振ってくださっている。そうして外に出れば、西日が随分と眩しい時間になっていた。広場に残っている人は多く、フィーネさまと俺の姿を見て指を指している。
エルが気を利かせてくれたのかルカが三対の翼を器用に動かして、大聖堂大扉の前の踊り場にゆっくりと降り立った。そうして嘶いたルカは視線で『二人とも乗って』と訴えてくる。
一応、乗れるには乗れるけれど、フィーネさまを後ろに乗せるとなれば凄く緊張してしまう。とはいえルカに乗らなければアルバトロス王国に戻れそうにないと、フィーネさまを抱えてルカの背に乗せて俺もあとで跨る。少し不格好な乗り方になったものの、練習をしていたから以前の俺よりマシだろう。
広場の一角に控えていた天馬さまたちとジャドさんたちグリフォンさんたちも飛び立つ準備を始めている。ジークフリードたちも天馬さまたちに跨って帰る用意を済ませていた。
「確り捕まっていてくださいね、フィーネさま」
「もちろんです。嫌と言われても離しませんよ、エーリヒさま」
お互いに名前を呼んで笑い会えばルカがまた大きな大きな嘶きを上げて、空へと浮かびゆっくりと大聖堂の上へと駆けていく。ふいに後ろを見ればフィーネさまは眼下に広がる聖王国をじっと見つめているのだった。
◇
美しい大聖女フィーネさまがアルバトロス王国のいけ好かない男に連れられて消えてしまった。
自分たち聖冠騎士団の七人は大聖堂前の広場で、豆粒の様に小さくなっていく彼女をただただ見ていることしかできない。どうして自分たち聖冠騎士団は負けてしまったのだろう。日々、訓練に務め護衛の業務に励んでいたというのに……心に大きな穴が開いたような気がして、目頭から自然に汗が流れ出ていた。
「私たちは負けた。全ての責任は隊長の私にある。教皇猊下と神職者の方々に聖王国の人々に詫びるのは私一人で良い」
隊長が地面から立ち上がり、いつの間にか外へ出てきていた教皇猊下に向き直る。そうして隊長は腰に佩いていた剣の鞘を持って、教皇猊下の前に差し出した。自分たち六人も慌てて立ち上がり、教皇猊下に頭を下げる。
「猊下。全敗という不名誉な結果を残してしまい、大変申し訳ございませんでした」
「そうだな。君たち七人は大聖女フィーネ派を名乗り、彼女を過剰に崇めていたが……思い当たることはあるかな?」
隊長に教皇猊下が深い溜息を吐いた。教皇猊下の言葉は事実である。我々七人は聖冠騎士団の中でも、美しい大聖女フィーネさまを敬愛してやまない者なのだから。
美しい大聖女フィーネさまの護衛に就けるようにと、日々、手を回していたのだ。そういえば最近、美しい大聖女フィーネさまの護衛に就く機会がなかったとはたと気付く。いや、まさかと自分が否定していると、隊長が教皇猊下に大真面目な表情を向ける。
「はい。しかしながら猊下。大聖女フィーネさまは我々にとって聖王国を救った方でございます。崇めることのなにが悪いというのでしょうか」
「もう彼女は大聖女の地位にはない。先程、確認をしたが彼女の聖痕は消えた。君たちが信奉している大聖女フィーネはもうどこにもいないのだよ」
「え?」
教皇猊下は厳しい表情で自分たちを見ていた。しかし今の言葉は真実であろうか。美しい大聖女フィーネさまの聖痕が消えたなどと、冗談で済まされることではないと猊下であれば理解しているはずなのに。だとすれば……――本当のこと?
どうして美しい大聖女フィーネさまの聖痕が消えてしまうのだ。彼女は教えに背いたことも、女神さまに刃を向けたこともないのに! ただ聖王国のためにと日々、大聖堂横の治癒院で信者に奉仕していた方だ。優しく美しい大聖女フィーネさまの聖痕が消えたというのであれば、女神さまによるいじめではないか! と激しく自分の心が憤る。けれど今は隊長が自分たちを聖冠騎士団に残れるようにと教皇猊下に望んでいるのだから、憤る心を抑えようとぐっと唇を噛みしめる。優しく美しい大聖女フィーネさまとの再会をいつかできることを願って。




