1631:【⑧】エーリヒくんのお迎え。
――勝てたんだ……。
今まで生きてきた俺の人生の中で、勝負事で勝てたのは初めてかも知れない。もちろん学生時代のテストや入試で合格を勝ち取ってきたけれど、身体を使った勝負というものは俺の人生において珍しいことである。相手の聖冠騎士の四人はあっけにとられており、どうして負けてしまったのかと自分の手を見つめていたり、頭を抱えていたり、地面に膝を突いていたりと忙しそうだ。
俺の下には一緒に戦ってくれたジークフリードとマルクスとギド殿下が集まってくれて、良かったと喜んでいた。勝者と敗者の様相が綺麗に分かれていて、少しだけ複雑な気分になる。
聖冠騎士団の人たちはこれからどうなってしまうのか。
今回、負けたことにより彼らは不遇な立場へと回りそうだし、閑職に追いやられそうである。とはいえ俺も勝つか負けるかなんてわからないから、彼らに真剣に挑んだ。
こうして彼らの今後を考えることは失礼なことかもしれないと、少しだけ唇を噛んだあと開始線に並んで礼を執る。聖王国の大聖堂前広場にいる観衆の人たちは驚きながら、大聖女フィーネさまが他国へ渡ってしまうことを嘆いている。
彼らの不安はどんどんと広がっていき、大聖堂の大扉の上にあるテラスへと視線が注がれている。テラスにはフィーネさまがいて、胸の前で手を組み観衆へと視線を向けていた。
なにか言葉はないのかとフィーネさまに観衆の期待が高まる。きっと俺の下へと嫁ぎたくないという声を期待しているのだろうというのは安易に想像できた。だからと言って、俺はフィーネさまとの婚姻を諦めることはしない。俺は大聖堂の階段下にいる教皇猊下に視線を向けたあと彼の下へと足を進める。猊下との距離が二メートルほどになり俺は歩みを止めた。
「教皇猊下! 私は貴方が下した三つの試練を乗り越えた! 大聖女フィーネとの婚姻を認めて頂こう!」
騒いでいる観衆にも聞こえるように大きく口を開いて、俺は言葉を紡ぐ。偉そうな口調であるが、周囲に向けたパフォーマンスであると身内は理解してくれるに違いない。教皇猊下も理解してくれているのか申し訳なさそうな顔を俺に向けたあと、顔を前に向けて声を出す。
「まさか、私が下した厳しい試練を乗り越えるとは……! アルバトロス王国は創星神さまの使いを務めたアストライアー侯爵がいらっしゃる! 私はアルバトロス王国のエーリヒ・ベナンター子爵と大聖女フィーネの婚姻を認めよう。そして聖王国とアルバトロス王国との架け橋となるよう努めて欲しい。可能か?」
教皇猊下が両手を翳しながら俺へと言葉を向けているのだが、本当は集まった観衆へのものである。これはきちんと答えた方が良いだろうし、少し大袈裟に動きをつける方が良いかもしれないと俺は丁寧に礼を執り頭を下げた。
「勿論でございます」
俺が頭を上げれば、教皇猊下が大聖堂の正面扉の方へと身体を向けて顔を見上げる。
「大聖女フィーネ! 君の気持ちは!?」
教皇猊下の問いにフィーネさまは綺麗に笑い、テラスの柵に足を掛け……って、え?
「エーリヒさま!!」
俺の名前を大きな声で告げた彼女は躊躇もなく、階下へと飛び降りる。ちょっと待って欲しいと俺は階段を一気に駆け上るのだが、絶対に間に合わない。けれどフィーネさまが怪我を負ってはいけないと、勝手に自分の足が動いていた。すると階段を昇る俺の足はあり得ない加速をして、難なく飛び降りたフィーネさまを抱き留めることができた。が、フィーネさまと重力が加わった衝撃に俺の腰が耐えられるはずもなく。
階段の上付近で、みっともなく俺は尻餅をついてしまうけれど、どうにかフィーネさまを抱き留めることができた。そして俺の首に回る彼女の両手、俺の顔の近くに迫る涙を溜めた彼女の顔といろいろなところが当たっていることを自覚する。
「嬉しいです! ずっと、待っていました。本当に教皇猊下が出した試練を乗り越えてくれるなんて!」
尻餅をついたまま、俺は彼女にぎゅっと抱きしめられる。いろいろと当たって脳味噌が沸騰しそうだけれど、ここでいろいろといたすわけにはいかないと俺は必死に理性を総動員した。俺は心の衝撃をどうにか耐えながら、フィーネさまの腰に右腕を回す。
「遅くなってしまって申し訳ありません。でもちゃんと……白馬に……ではないですが、天馬さまに乗ってフィーネさまを奪いにきました」
ははと俺は軽く笑って、恥ずかしさを誤魔化した。フィーネさまの顔は俺の顔の横にあって表情は見えないけれど、彼女が俺の首に回した腕に力を入れ、鼻水を啜る音が聞こえてくる。嬉しくて泣いてくれているのかと、俺も彼女と同じ気持ちになって右腕に力を込めた。すると突然影が差して咳払いが耳に届く。
「さて、二人とも立ち給え」
片眉を上げながら教皇猊下が俺とフィーネさまに手を差し伸べた。
「申し訳ありません」
「嬉しくて……つい、飛び降りてしまいました」
俺は謝罪を入れて、フィーネさまを先に立ち上がるようにと促す。そうしてフィーネさまは教皇猊下の手を持って、ゆっくりと立ち上がった。俺は彼女の体温が離れたことを少し残念に感じつつ、不味いことにならなくて良かったと安堵した。
そして俺は自分で立ち上がり、あと数段の階段を昇り踊り場に立つ。教皇猊下に前を向いてくれと言われて身体を正面に向ける。階段の下にある広場には七人の聖冠騎士団の人たちとジークフリードたち六人に多くの観衆の視線が俺たちに向けられていた。
大量の視線が俺に向けられる日がこようとは。
驚きながら教皇猊下の言葉を待っていると、俺の手に隣に立つフィーネさまの手が重なった。そうして教皇猊下が観衆に向けての演説を始める。聖王国とアルバトロス王国の過去とこれから、そしてフィーネさまが大聖女の地位を辞すこと。
観衆は悲しみに暮れる人、嘆く人、茫然としている人さまざまだ。でも一つだけ言えることはフィーネさまが大聖女の地位を辞すことに喜んでいる人はいなかった。俺はきっと聖王国にとってとても大事な方を迎え入れるのだなと改めて思い直す。だから俺は彼女を不幸にしてはならないのだ。もし彼女を俺が不幸のどん底に追いやれば、聖王国の人に首を斬り落とされても文句は言えない。
「皆、二人の幸せを願おう! そして聖王国の未来も! きっと、女神さまも見守ってくださっている!」
教皇猊下の声に女神さまは見ているけれど、と俺は苦笑いを浮かべた。件の方は天馬さま方とジャドさんたちグリフォンさんたちの中でこちらをじっと見ていた。
ヴァルトルーデさまとジルケさまはフィーネさまとの仲を深めている。もしかすると俺がフィーネさまを不幸にすれば、聖王国の人たちよりも女神さま方に首を斬られるかもしれないと苦笑いを浮かべた。不幸にしてはならないと隣にいる彼女へと視線を向けると、綺麗に笑うフィーネさまが瞳を揺らしながら俺の名を呼ぶ。
そうしてフィーネさまの顔が近づいてきて、なんだろうと俺は首を傾げた。さっき彼女を受け止めて顔を合わせた時よりも随分とゆっくりだった。
「え」
フィーネさまの整った綺麗な顔が俺の目前で止まる。彼女は目を瞑っており微動だにしない。俺の唇と彼女の唇が重なったと自覚したのはもう少しあと。そうして周りから阿鼻叫喚の声と揶揄うような声が俺の耳に届く。満足したのかフィーネさまは悪戯を成功させたような子供のような表情で顔を放せば、俺の顔へと一気に熱が昇った。
「お顔、真っ赤ですよ、エーリヒさま!」
ふふふと笑うフィーネさまに俺は良かったのだろうかと教皇猊下の方へと視線を向ける。すると煤けた顔の教皇猊下がギギギと顔を動かして『聖痕は……』と呟けば、俺の顔も青褪めてしまう。
「消えているのではないかと。私の魔力が減った気がするので」
凄く軽い調子で笑っているフィーネさまに俺は良かったのかと頭を悩ませるものの、ぐだぐだと考える暇はなくなったから、これで良いのかもしれないと改めるのだった。
◇
――成功したかな?
待つばかりでは駄目だと私からエーリヒさまにキ……ちゅーを迫ったけれども、彼は『良いのだろうか』と頭を悩ませているようだ。でも私と彼が握った手は離れてはおらず、聖王国の大聖堂大扉前の踊り場で集まった人たちから視線を浴びていた。
夜、部屋のベランダに立った私をこっそりと覗いていた聖冠騎士団の一人は――七人の中に選ばれていたから強いらしい――頬に涙を伝わせていた。好きでもない人に好意を抱かれることになるなんて……と思うけれど、どこかの第四王子殿下よりもマシと思ってしまうのだから、私の人生は紆余曲折あったのだろう。
でも、今からきっとエーリヒさまとの楽しい生活が始まるはずだ。
彼とであれば前途多難なことだって乗り越えていけるし、不幸のどん底に落ちてしまっても大丈夫。私にも、彼にも信頼できる人たちがたくさんいるのだから、きっと助けてくれるから。私が固まっているエーリヒさまを見れば、彼ははっとした表情になって再起動を果たした。
「な、ななな、な、何故!?」
「ずっとエーリヒさまとしたかったことですから。それに私からしたという事実があれば、少しはエーリヒさまの負担が減るかなって」
顔を真っ赤に染めているエーリヒさまが言葉にならない声を上げて私を見ていた。私は私で、初めて彼とちゅーしたことが嬉しくて、顔が緩みまくっている。ただ、考えなしで行動に出たわけではなく、エーリヒさまが私の意思を無視して婚姻を望んだという勘違いを聖王国の皆さまから解くためである。私の考えを聞いたエーリヒさまははっとした表情になって、胸の内側に手を入れてなにかをまさぐっていた。そうして取り出した小箱をエーリヒさまがパカリと開けると、そこには綺麗な指輪が入っている。
「フィーネさま、好きです。俺と結婚してください」
照れ臭さそうにエーリヒさまが笑って私を見ていた。もちろん、彼から私への返事は決まっている。
「はい!」
涙が出そうなほど嬉しくなるけれど、指輪を嵌めたい気持ちが上回った。そして私が左手を差し出せば、エーリヒさまが小箱から指輪を取って薬指へとすっと嵌めてくれた。
サイズがピッタリだけれど、いつ私の指の号数を把握したのだろうか。わからないけれど、ぴったり嵌る指輪ときらりと輝く宝石が眩しくて、指輪に右手を添わせてそっと撫でた。照れながらエーリヒさまと見つめ合っていれば、教皇猊下が妙な雰囲気を醸し出していた。そちらへそっと視線を向けると、凄い顔を浮かべて教皇猊下が佇んでいる。
「私の立場は……」
女の子の一生に一度の晴れ舞台なのだから、無粋なことは言わないでくださいという言葉を私は飲み込んだ。そして教皇猊下が『今、大聖女フィーネとエーリヒ・ベナンター子爵が結ばれた!』と高らかに宣言するのだった。




