1623:後回しにすんな。
アストライアー侯爵領領主邸にある執務室から俺とサフィールは出て行き長い廊下を歩いている。シンとした空気は騒がしい屋敷では珍しく、まるで俺たちにきちんと考えを出せと言われているようだった。俺は溜息を盛大に吐いて後ろ手で頭を掻くと、隣を歩くサフィールが苦笑いを浮かべながら俺を見ていた。俺は頭から腕を放して片眉を上げる。
「ナイの奴、なにを考えているのやら……」
本当に、自分が得た褒賞を俺に渡してどうするというのか。俺はナイの家臣だから土地の管理を任されることはあるだろう。けれど、千年もの間空白地だった土地を渡そうとしている。
とはいえ土地の管理者、代官になれば好いた人を迎えやすくなるだろうか。とはいえ俺が好いている人は教会で高い地位を持っている。いくらアルバトロス王国の聖女は婚姻しても聖女のままでいられるからといって、立場がある人間に同じことを望めるのか微妙なところだ。俺がまた溜息を吐けばサフィールが前を向いて声を上げた。
「僕たちのため、じゃないのかな。きっと僕たちの未来とその先も見ていそうかなって」
「本当に自分のことは後回しなのな、アイツ」
サフィールが笑い、俺は肩を竦める。本当に幼い頃からナイはずっと俺たちに手を差し伸べてくれているんだよなあと窓の外を見る。
「ナイだからね。侯爵位も望んでいたわけじゃないし、それならみんなに分配した方が良いって考えていそうかなあ。まあ、ナイのことだから僕たちも巻き込んでしまえって思っているかもしれないけれど」
俺は窓の外を見つめたままサフィールの言葉を聞いていた。たしかにナイは幼馴染組を巻き込んで一緒に苦労しようと考えてもいそうだと、俺はサフィールの方へと視線を戻す。
「ま、この歳になって俺たちが離れていないのは奇跡みたいなもんだしな」
「奇跡以上のことが良く起こっているけれどね」
俺とサフィールは笑い合うのだが、先程窓から覗いた庭の光景から現実逃避するわけないはいかないと俺は言葉を続ける。
「そうだな。庭に竜が降りてくる光景なんて早々見られるわけがねえ……なにかあったのか?」
庭に視線を向けていれば、中型の竜の方が丁度降り立っていたのだ。今日、竜のお方が屋敷にくるという通達は出ていない。俺の声にサフィールも庭へと視線を向ければ、目を丸くして庭の光景に驚いていた。
「どうしたのかな? 小型の竜の方はちょくちょく遊びにくるけれど、中型の竜の方が庭に降りてくるのは珍しいよね」
小型の竜の方たちはサフィールの言ったとおり、ちょくちょく遊びにくるのだが本当に気ままなもので連絡がないことがほとんどだ。天馬の森から気まぐれで領主邸の庭に顔を出す個体もいる。
昼下がりの庭で『あーそーぼ!』と呑気な声が響くのだ。遊ぼうの声が響いて暫くすると、ナイとユーリが庭に出て本当に彼らと遊び始めている。一緒に毛玉やグリフォンのおばあに、卵から孵って半年ほど経ったグリフォンも輪の中に入っていた。二柱の女神さままで混ざることもあれば、辺境伯夫人が高笑いを出しながら乱入することもある。本当に愉快な職場だと煤けそうになるのを抑え、俺は現実を見ようと努めた。
「ナイもそのうちくるだろうから、行ってみるぞ」
「そうだね。事情、聴いてみよう」
俺とサフィールは廊下を早足で進んで庭へと出る。小型の竜でも恐怖の対象であったのに、中型の竜に近づこうとする日がくるとは驚きだ。とはいえ庭に降り立った中型の竜の方は『誰かいないか』という表情で、周りをきょろきょろと見渡しているのだから誰かが対応しなければ。
一応、家宰殿の下に就いているのは俺だし、事情を聴いても問題にはされないだろう。屋敷からいの一番に俺たちは庭へと出たようで、中型の竜の方がいる場所まで進んでいく。俺たちの姿を見た中型の竜の方はほっとして、顔を地面に下げるのだった。
『突然、申し訳ありません。聖女さまからご依頼を受け、私が担当することになり領主邸にお邪魔したのですが……』
中型の竜の方は平身低頭に言葉を紡いだ。俺が昔に抱いていた竜のイメージは、地上で暴れ、人間を巻き込んで死者を多数生み出すというものでしかなかった。
今目の前にいる竜も他の竜の方たちも理性的で大人しい方が多く、こうして友好的に付き合いができている。その切っ掛けを作ったのはナイだから、本当に俺の幼馴染はなにをやっているのやら。俺は一度頭を下げて言葉を紡ぐ。
「アストライアー侯爵領領主邸にようこそいらっしゃいました。当主はまもなくこちらにくるかと。少々、お待ちください」
俺の声に中型の竜の方が不思議そうな顔でしばらく考え込んでいる。
『いえ、私はクレイグさんに用があるのです。聖女さまからお聞きになっておられませんか?』
「俺の名前を何故……」
知っているのかという問いは口から出てこなかった。すると中型の竜のお方は『貴方の話を聖女さまからたくさん聞いております。幼馴染であること、頼れる仲間であること、信頼している人間だとも』と口にする。
ナイは中型の竜の方になにを吹き込んでいるんだと俺は文句を言いたくなるが、当の本人はまだこない。良いから早く状況を説明してくれと願っていれば、サフィールが『ナイがきたよ』と教えてくれる。俺が後ろを振り向くと、ナイの姿と護衛のジークとリンも見え、ヴァナル一家も一緒にきている。ナイが中型の竜の方の前に立てば軽く頭を下げた。
「ようこそ、アストライアー侯爵領領主邸へ。無理な願いを聞き届けてくださり感謝致します」
『いえいえ。きちんと報酬は頂いておりますので、お気になさらず』
一人と一頭のやり取りを眺めていれば、ナイが俺たちの方へと向き直る。
「クレイグ、サフィール。突然だけれど、霧隠れの亡国の見学に行ってらっしゃい」
「は?」
「え、僕も?」
なにを急に言い出しているんだと俺はナイを見据えた。が、ナイは俺の厳しい視線を受け流している。
「護衛はヴァナルたちが一緒だし、空から見下ろすだけの予定にしてあるから危険はないよ。家宰さまと託児所の人たちには根回しは済んでいるから、今からでも行けるからね」
「……お前は!!」
「流石に急だねえ」
軽く笑っているナイに腹は立つものの、現地を見せてくれるというなら有難いこと。サフィールは完全に俺に巻き込まれた形となるが、俺よりサフィールは屋敷に籠りっぱなしである。その辺りをナイは気にしているのかもしれないと俺は彼女を見るのだが、なにも考えていなさそうな表情になんとなく腹が立つ。すると毛玉たちが俺たちの背を鼻先で押して、中型の竜の方へと誘っていた。
『くりぇぐ、さふぃーりゅ、まもりゅ!』
『かっきょいいとこ、みせりゅ!』
『だいかちゅやく!!』
どうやら毛玉たちはやる気になっているようで、ぐいぐいと力強く背中を押した。俺たちが毛玉たちの力に敵わずなされるがままだ。
『空の旅、楽しむ』
『ええ。気ままに向かいましょう』
『空で敵対できる者などいないでしょうからねえ』
『いたら、いたで面白いですけれど』
ヴァナルとフソウの神獣さまは呑気にそんなことを言いながら、中型の竜の方の背の上へとひょいひょいっと登っていた。もう、これは旅立つしかないなと俺が諦めると、サフィールも覚悟を決めたようである。
ジークは鞄に食料を詰め込んでくれたようで、俺とサフィールに渡してくれる。知っていたなら教えてくれと俺が彼に訴えると『黙っておいてくれと頼まれた。すまん』と申し訳なさそうにしていた。どうやらナイが面白がって、俺たちに対して計画していたのだろう。まあ、相手が俺たちで良かったし、俺たちだからこそできたナイの茶目っ気かと息を吐いて、中型の竜の方の背に乗るのだった。
◇
今年も南の島で二週間を過ごし、長期休暇を終えて九月になった。
時間が流れるのは早いとアルバトロス王国王都の王城内にある、外務部の執務室で俺は息を吐く。手元にある書類にはナイさまが霧隠れの亡国の土地を賜り、クレイグが代官を務めるようになったこと、アストライアー侯爵家麾下の家を作るという発表がなされることが記されている。
俺も子爵位を賜って時間が経っているし、フィーネさまを迎える準備は着実に進んでいた。とはいえ、クレイグとサフィールが出世したのは本当にめでたいことである。島で彼らの事情を聞き、いろいろと応援したいこともできたから素直に今回のことは喜ばしいと、俺は隣にいるユルゲンへと視線を向けた。
「クレイグもサフィールもナイさまの下で大変そうだな」
とはいえ彼らはアストライアー侯爵領領主邸で充実した日々を送っているそうである。少し不満なことは気になる人と離れてしまったことくらいだとクレイグが笑っていた。
「ですねえ。クレイグさんははっきりとした目標を掲げておられますが、サフィールさんはどうするつもりなのでしょうか」
ユルゲンが困り顔を浮かべて、俺もサフィールの応援はしたいものの、流石に難攻不落そうな相手に尻込みしてしまいそうだと苦笑いを浮かべて口を開く。
「サフィールはジークリンデさんが好きだっていうのは本当に意外だった」
俺はユルゲンを見ながら肩を竦めた。てっきりサフィールはナイさまに想いを秘めていたのかと思いきや、人間の心は簡単に読めないもので、ジークリンデさんが好きだそうである。
去年の彼は教えてはくれず、今年は俺たちの関係が少し深まったお陰だろうと信じたい。しかし応援するにもジークリンデさんの好みもよく分からないし、ジークフリードになにか糸口はないのかと聞いてみても、微妙な返事しか戻ってこない。
ナイさまのように胃袋を掴めば希望も見えてくるのだが、ジークリンデさんが好きな食べ物はなんだろう。いや、食べ物で釣れない可能性もあるのだから、他の事はと俺は考える。
「宝石類は興味なさそうだしなあ……」
「侯爵閣下の隣で彼女が食べられないね、と話しているところを聞いたことがあります……」
貧民街で過ごしていたことがあるので、彼女は宝石類には興味がなく、換金率が良いという認識でいそうである。ナイさまの専属護衛を辞めるつもりはないだろうし、彼女の意思を尊重しなければ恋仲には進めそうにない。とはいえ、ナイさまのことを理解しているのであれば、サフィールの恋路は案外悪いものではないのかと俺は首を傾げて仕事を再開させるのだった。




