1622:ちょっとした動き。
一番難題であった聖遺物の件がどうにかなって、ほっと息を吐いている。
そして俺はつい先日、アルバトロス王国の陛下から陞爵を受けベナンター子爵となった。陛下は俺に領地も授けたかったようだけれど、都合の良い場所がなかったそうである。周りのみんなからおめでとうと祝福を受け、父であるメンガー伯爵からも『まさか我が息子がこんなに出世を果たすとは』と驚いていた。大聖女フィーネさまが縁戚に入ることになるから、親父は今から緊張しているようである。聖王国の大聖女という地位は西大陸の人々にとって、やはり高貴で慈愛に満ちた素晴らしい人物という認識があるらしい。
俺からすればフィーネさまを一人の女性として見ているから、高貴で慈愛に満ちたという感覚はあまりない。フィーネさまはやはり可愛らしい人というのがしっくりくる。俺の言葉一つで照れてくれ、好きだと伝えてくれる。そんな女性を男が嫌いになれるはずはなく、ただただ好きという感情が溢れ出てしまうだけ。
そんなことを考えながら、外務部の執務室で仕事を捌いているのだが、世間はもう直ぐ――貴族の人限定とも言える――長期休暇の頃となる。
また南の島でフィーネさまと会える。聖遺物を見つけるため今年は不参加とナイさまに伝えていたけれど、彼女の取り計らいで俺たち旅に出た面子も急遽参加OKとなっていた。本当にナイさまの配慮は有難いと、俺は自席で目の前の書類を捌きながら考え事をしていた。
「あとは、いつ聖王国に向かうか、かあ……」
この辺りのことは南の島で過ごす二週間でフィーネさまと相談した方が良いだろう。教皇猊下の都合もありそうだから、裏でこっそり手を回せそうな機会が南の島である。
彼女と話し合って決めなきゃいけないことをいろいろとリストアップしておけば、相談漏れが起こることはないはずだ。そう決めた俺は定時で執務を終えられるように目の前の書類を捌いていく。すると少し前、霧隠れの亡国内で出会った辺境村の人たちが、ナイさまを神格化しているという文字を見つけてしまう。
「ぶほっ!」
俺は驚くものの、ふと思う。ナイさまは神さまの使いを果たしたのだから、彼女を誰かが神聖視しているのはなにもおかしくはない。大陸を創造した女神さまと星を創造した神さま方と俺はきっと関係を持ち過ぎたのだ。
誰がナイさまを神格化している話の報告を上げたのかと末文まで読めば、霧隠れの亡国に隣接しているあの町からのものだと知る。どうやら隣接している町は辺境村と接触をして交流を持ったようだ。頻度は低いものの行商人が入るようになり、また物々交換が始まっているそうである。行商人は村人が作った篭を買い付けているようで、村は少額ではあるものの現金収入も得ているとか。
村の状況が落ち着きそうなことに俺は安堵するも、ナイさまを神格化しているという情報に頭を抱えたくなる。すると隣の席に腰を下ろしているユルゲンが顔を上げ俺を見た。
「どうしました、エーリヒ。何度も貴方は仕事中に吹いているので、僕も初めの頃よりは驚きが少なくなってしまっておりますが」
片眉を上げるユルゲンに俺はなんとも言えない表情を浮かべた。
「霧隠れの亡国にあった辺境の村の人たちがナイさまを神格化しているって」
「侯爵閣下がその話を聞けば凄く怪訝な顔を浮かべそうですねえ。西の女神さまがいるのだから、女神さまを崇め奉ってくださいと仰られそうです」
書類の内容を俺がユルゲンに伝えると、彼もまた片眉を上げて微妙な表情となった。
「だろうなあ。私は人間ですって否定しそうだ」
乾いた笑いを俺が口から出すと、ユルゲンは『そうだ』と言わんばかりの顔になる。
「閣下は霧隠れの亡国の土地をどうするおつもりでしょう?」
「考えてみるとは言っていたけれど、飛び地なうえになにもない場所だ……元王都を整備するにしてもお金が掛かるから……要らないと言いそうだけれどね」
どうやら彼はナイさまが霧隠れの亡国の地をどうするつもりなのか気になるようである。霧隠れの亡国の土地自体は広くなく、少し大きい子爵領くらいの規模だ。堕ちた神さまの一件を解決――グイーさまがきちんと夢で報告をくれた――できたからこその報酬なのだが、賜っても要らない土地というのが正直な気持ちだろう。本当にナイさまはどうするのかと俺とユルゲンは顔を見合わせたものの答えは出ず。結局、仕事をしようとなり俺たちはまた机と睨みっこを続けるのだった。
◇
アストライアー侯爵領領主邸・執務室。
アストライアー侯爵であるナイが俺とサフィールを呼んでいると連絡を受けて、今、ナイのいる執務室の中へと俺たちは入ったばかりである。立派な執務机の真ん中にはナイがちょこんと座っていた。
相変わらず彼女の肩の上にはご機嫌な竜が乗り、足元にはフェンリルとフソウの神獣と仔たちにスライムがいて、近くには家宰殿とハイゼンベルグ公爵夫人とヴァイセンベルク辺境伯夫人が控えている。
当然、ジークとリンも執務室の隅で護衛として控えており、真面目な顔をして立っていた。俺とサフィールが執務机の前に立てば、ナイが照れ臭そうな表情になる。仕事中だから緩い顔をするなと俺は彼女に言いたくなるものの、流石に高位貴族のご夫人がいる前でいつものような態度を執れないと背筋を伸ばした。
「クレイグ、サフィール。きてくれてありがとう」
「珍しいですね、ご当主さまが我々を呼び出すなど」
「ええ、本当に」
ナイは普段通りであるが、俺とサフィールは畏まった物言いになっていた。するとナイは片眉を上げて困り顔に変わる。
「気持ち悪いから普段の喋り方でお願い」
ナイが求めたことに俺とサフィールが少し沈黙すれば、ご夫人方が『我々は気にせず』『ご当主さまの仰る通りに』と言いたげであった。なかなか難しいことを言ってくれると俺は肩を竦めそうになるのを我慢して、はあと息を吐く。するとナイは俺とサフィールがなにか声に出す前に口を開く。
「二人に少し打診したいことがありまして」
その言葉とともにナイの顔が真面目なものになった。話の内容はなにかアストライアー侯爵として俺たちに頼みたいことがあるようで、真面目なものであろう。相談事であれば、いつも一緒に摂っている朝食か夕食の時間にでも可能なのだから。俺とサフィールはナイがなにを言い出すのかと視線を合わせたあと前を向いた。
「クレイグ。アストライアー侯爵として私が陛下から飛び地を賜る可能性があるのは知っているよね」
「もちろん」
ナイたちが堕ちた神さまの一件を解決したと少し前に創星神さまの夢を見た。夢を見たのは当然、周りの連中もである。ナイが怪我を負ったジークとエーリヒを見て、かっとなり、気付いたら堕ちた神さまを浄化していたそうである。なんつー無茶をと言いたくなるものの、ナイだからなあというのが周囲の人間の見解だ。俺も、ナイだからうっかり浄化ができてしまったのだろうと考えている。
「その飛び地の管理をクレイグに任せたいと考えております」
「……霧隠れの亡国の?」
ナイは微妙に敬語で喋り、俺は普段使いの言葉――とはいえまだ丁寧な方ではある――を使っていることに気付いているのだろうか。気付いていなさそうだとチラリと横を見れば、サフィールが片眉を上げながら笑うのを我慢していた。
「そう。でも陛下にまだ返事をしていないため、白紙になる可能性もあると知っておいて欲しいです」
それは俺の返事次第でナイが褒賞を受け取らないこともあると言っているのではと訝しんでいれば、霧隠れの亡国について資料を渡された。霧隠れの亡国内にはひっそりと生き延びていた人間がいるようで、ナイが助けたという村以外にもあと二つ存在していたそうである。西大陸各国の陛下方はナイが霧隠れの亡国を領地として得ることを認めているとか。真贋の王冠を見つけたエーリヒも領地を賜る権利があるように思えるが、彼では財力が足りないと判断されているとか。
ナイは貧乏くじを引かされているのでは……と思うものの、ここから三つの村を町へと成長させ、さらに規模を上げ、霧隠れの亡国の全盛期より栄えたなら。彼女の下には称賛の声が集まるだろう。
もし俺が代官として派遣されれば、開拓費はアストライアー侯爵家から出ることになる。俺の懐は痛まないから構わないのだが、ナイは霧隠れの亡国というなにもない土地をこれからどう発展させたいのだろう。それを俺に任せてくれるのかとナイを確りと捉える。
「私が代官を務めた場合、どこまで裁量を頂けるのでしょうか?」
「今、住んでいる人たちに日常生活を送れるようにするのが最低限の条件となります。あとはクレイグの自由にして良いかと」
なるほど。今、現存している村を維持と回復を見込めるなら、あとは俺の自由に村や町を開発して良いようである。とはいえ人口が少なすぎるため、やれることは本当に限られるけれど。
貧民街の孤児だった俺がまさか土地を管理する立場に回るかもしれないとは、本当に子供の頃の自身に『お前はすげー出世するぞ!』と言ってやりたい。
そして貧民街で命を落としていった仲間にも。死んでしまった連中には『お前たちだけ良い思いをして!』と言われてしまうかもしれないが、それでもさ。あの状況から抜け出して努力をしていれば、成り上がることもできたと知って欲しい。俺が感傷に耽っていると、ナイが頭の後ろを掻いている。なにか言いたいことがあるなら言っておけと、俺は無言で彼女に伝えた。
「天馬さまやグリフォンさんたちも興味を示しておりますし、亜人連合国からも、私の領地となるのであれば移住する方がいるかもしれないと話を伺っておりますね」
なんでそうなるという声を俺は飲み込んだ。いや、うん。ナイだしな。そうなることもあるだろう。それに天馬やグリフォンや竜に敵う人間なんてそうそういないし、手を出す馬鹿がいればナイがキレ散らかす。きっとアルバトロス王国の陛下から僻地を賜るより、楽に運営ができそうだと俺はナイに『分かった。代官を務める』と告げた。
「ん、ありがとう。クレイグ。そしてサフィールになんだけれど……アストライアー侯爵家麾下にある家を創設しようと考えておりまして。指名する人を何人か考えているんだけれど、サフィールに一番槍を務めて貰えないかと」
ナイは苦笑いでサフィールと視線を合わせた。どうやらアストライアー侯爵家の指揮下にある家を増やしたいようである。未来を考えるのであれば悪い手ではない。ジークは婿入りするし、リンに興味はないだろう。俺も時間を置いてナイの麾下にある家を創設してくれるらしい。だが一番最初はサフィールにお願いして、アストライアー侯爵家に生まれた子の教育係を務めて欲しいとのことである。
サフィールであれば問題なく仕事を担えるだろう。あとは伴侶が欲しいところだが、彼は全く色恋の気配を感じさせない。ナイより疎そうであるが、以前に好きな人がいると言っていた。それは誰だと俺が訝しんでいると、サフィールが小さく驚いている。
「僕が一番初めに?」
「急な話だし、今直ぐ返事をしなくても構いません。少し考えておいてください」
ナイの声にサフィールが少し悩ましそうにしながら『承知しました』と告げ、俺たち二人は部屋から出るのだった。




