1616:【⑬】エーリヒくん、決意する。
グイーさまから話を聞き終えた頃は、既に陽が沈んで真っ暗になっていた。
俺たちは危険がなくなった謁見場で一夜を明かすことを決めて、火を熾してご飯を作っていた。ナイさまたちも一緒に一夜を明かすことになり、アストライアー侯爵邸に連絡を入れたようである。
ジャドさんと小型の竜の方二頭も空から謁見場に入り、ナイさまがいることに気付いて真っ先に挨拶をしていた。ナイさまは魔獣や幻獣に懐かれているなと、俺が火の側でご飯を作っていればご本人がやってくる。少し離れた位置に腰を下ろしたナイさまは、火に掛けているダッチオーブンに視線を落とした。
「エーリヒさまのご飯が食べられる」
ナイさまは火の側でご機嫌に笑っている。当然、ナイさまが笑っているとなれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまも『エーリヒのご飯。楽しみ』『美味いんだよなあ。エーリヒが作った飯は』と零していた。
遠征から一ケ月が経っているというのに、ロゼさんから提供された材料と調味料と調理道具を駆使して今までで一番豪華な食事ができたかもしれない。グイーさまから堕ちた神さまについて追加情報も得たことだから、安心して今日は一夜を過ごそうとみんなで笑う。
といっても人数が多いことと、たくさん食べる人たちがいるため手間を掛ける料理より、短時間で大量に作れる料理にしたけれど。とはいえメインはお肉が欲しいだろうし、食材の中に大量の鳥胸肉があったため、塩胡椒で味付けして、ジャガイモと玉ねぎと香草をダッチオーブンに放り込んで焼いている最中だ。
「旅の最後の日になりそうですし、ナイさまからご支援を頂きましたからね。たくさんありますし、遠慮なく食べてください」
俺は顔を上げてみんなの顔をみれば、笑って楽しそうにしてくれていた。やはり、こうして喜ばれるのは作った者としての醍醐味なのだろう。
食材を出してくれたロゼさんはナイさまの横で動かずに、ナイさまにスライムボディーを撫でられていた。最近、七色の創星神さまがいらっしゃったし、ロゼさんも思う所があるのかもしれない。しかしロゼさんが影の中から出てきたは良いけれど、ヴァナルと神獣さまと毛玉ちゃんたち三頭はどうしたのだろう。ふと、いつもナイさまの側にいる面子が足りないことに俺は気付く。
「ナイさま」
「はい?」
「ヴァナルたちは?」
「急いでいたので屋敷で待機中かなと……」
俺がどこにと問えばナイさまが視線を逸らした。
「なるほど」
俺は頷いてダッチオーブンとまあまあの大きさの鍋に視線を落とした。鍋にはスープが仕込んである。新鮮な野菜があったので、コンソメスープにしておいた。この二品に対してご飯が欲しくなるのは日本人的感覚だろう。
とはいえご飯を炊くスペースはなくパンを提供予定である。さて、そろそろ仕上げに入ろうと俺は鍋の蓋とダッチオーブンの蓋を開ける。途端にコンソメの匂いと肉の焦げた匂いが鼻をくすぐる。
きちんと火は通っているようで、今すぐにでも食べられる。そのままナイフとフォークを使って食べても良いけれど、女性陣には取り分けてお皿で提供した方が良い筈だと俺は手元の皿と深皿に手を伸ばした。ナイさまは俺の様子を見たあと、顔を上げて星空を見上げた。
「グイーさまも誰かに恨まれることがあるんですねえ」
感慨深そうにナイさまが呟いた。堕ちた神さまはグイーさまに恨みを募らせていたようである。恨んだ理由が浅いものなので、神さまがそれで良いのかと突っ込んでしまいそうになったが。彼の使命は神の島で警備であったが、暇故に力試しとしてグイーさまに挑むようになったとか。何万年もグイーさまに挑んで勝てず、ついに堕ちた神さまは自棄を起こして暴走してしまったそうな。
グイーさまは暴走した神さまを『じゃじゃ馬だな』と石に閉じ込め、神さまの島から適当に地上へと投げ捨てたとか。グイーさま的には閉じ込めた神さまが石から出ないように処置をしたものの、時間を掛けて堕ちた神さまは地上に影響を及ぼしたようである。それがアストライアー侯爵家の禁忌の森であり、海神さまにも影響を与えていたとか。本当になんとも言えない壮大な事件である。
空を見上げていたナイさまが視線を戻せば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが肩を竦めた。
「父さん。楽天的な性格だから、投げた石から堕ちた神の力が漏れ出ているとは考えていない。だから後手になる」
「仕方ねえんじゃね、姉御。親父殿の良いところでもあるんだし」
二柱さまが『そうだけれど』『深く考えてもしゃーねだろ』とまた肩を竦めている。ヴァルトルーデさまはジルケさまの適当さに小さく息を吐いて、また言葉を紡いだ。
「母さんも適当だから、誰かに惚れられていても無視してる」
「親父殿の下に就いているあたしらは、なにかあった時の対処要員だからその時にならないと動けねーしなー」
どうやら創星神さま方の部下は大変なようである。神さまたちにもいろいろと事情があるのだなと俺は料理を取り分けた皿をみんなに渡していった。するとナイさまが目を細めてお皿の上をじっと見ている。
簡単な品だし、アストライアー侯爵邸の料理に劣るという心配が俺の中で勝る。とはいえ今日は野外でのご飯だから、ナイさまは久しぶりのことだろう。まあ、食べてみないと美味しさは分からないなと俺がナイさまに合図をして欲しいと無言で訴えると、俺が作ったのだから俺がやるべきという視線がくる。それならばと俺は手を合わせた。
「いただきます」
声を上げれば、みんなも続いて各々、食べたいものから手を出している。ナイさまはお肉から、ヴァルトルーデさまとジルケさまはスープから手を付けていた。性格が出ているような気もしてならないが、野郎陣は肉から手を出している奴が多い。
鶏肉を頬張った人たちは咀嚼して嚥下すると、幸せそうな顔になっていた。昼の時間は随分と緊張していたから、こうして夜に落ち着いてご飯を食べていることが奇跡みたいだ。俺もご飯を食べようとコンソメスープを一口飲んだ。口に広がるほんのり甘い味と野菜の味が伝わって、嚥下すると腹が温かくなっていく。五臓六腑に染みわたる、とはこういうことだろうか。
「エーリヒ、美味しい」
「おう。やっぱエーリヒが作った飯は美味えよなあ」
「褒め過ぎかと。基本を押さえて慣れてしまえば、誰でも作れますから」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが俺の料理を褒めてくれるけれど、道具と材料があったから作れたものである。それに料理に慣れてしまえばレシピで同じ味が再現可能なのだから。
メシマズと言われる人たちは過度なアレンジや、本当にセンスのない人なのだろう。俺的には手順のあるものに、明後日の方向に味が付くのが不思議でならないけれど。騎士組とナイさまたちだから、ご飯を食べ終えたのは凄く短い時間であった。ナイさまは食器を手に持って立ち上がって声を上げた。
「じゃあ、みんなで片付けをしましょうか」
「ん」
「やるかーめんどくせけどなあ」
ナイさまとヴァルトルーデさまとジルケさまに俺は慌てて止めに入る。流石に侯爵位を持つ人と女神さまに片付けなんてさせられない。でもナイさまは今日は野宿だから、爵位や立場は関係ないと断られてしまった。俺はジークフリードに助けを求めると、好きにさせてやれと無言で彼から返事が戻る。ナイさまは俺たちのやり取りを見たあとで苦笑いを浮かべた。
「やり始めれば、直ぐに終わりますよ」
「だなーやろうぜー」
ナイさまにジルケさまが軽い調子で答えていた。水場はないので、布で食器の汚れを取るだけである。時間があれば水場で再度洗い流すのだが、明日の朝には荷物を纏めて、最寄りの街を目指して帰還報告を入れておく。そしてロゼさんの転移でアルバトロス王国王都へ戻るのだ。
霧隠れの亡国まで一ケ月を要したというのに、転移であれば一瞬で戻れてしまう。有難いような、なんとなく旅の醍醐味を捨て去っているようなと俺は苦笑いを浮かべ、片付けを進める。そうして男女別れて、寝床に入った。亡国の謁見場で一夜を過ごすなんて、一体誰が考えるのだろうか?
◇
――夜。
聖王国大聖堂の横にある官舎では、ここ最近、美しい大聖女フィーネさまが夜になるとベランダに出て双子星を見上げながらなにか祈りを捧げていると噂になっていた。自分は噂を確かめてみようと、噂で聞いた時間に庭へと忍び出た。
美しい大聖女フィーネさまの部屋があるとされる近くの茂みに隠れていれば、二階の部屋の大窓から彼女がゆっくりと歩いてベランダの柵に手を掛ける。長い銀糸の髪が双子星の明かりに照らされて、幻想的な光景を描いている。それは大聖堂にあるステンドグラスよりも美しく儚いものに見えた。そうして美しい大聖女フィーネさまは両手を胸元で握り込み目を瞑る。
本当に我が国の大聖女さまは偉大であると、自分の心が踊っていることに気付いた。大聖女ウルスラさまも偉大な方ではあるが、聖王国を救った美しい大聖女フィーネさまの凄さには敵わないだろう。それに大聖女ウルスラはまだ幼い面影が残っており、美しい大聖女フィーネさまのような大人の儚さや美しさを現すにはまだ時間が掛かりそうだった。
ベランダで祈りを捧げている美しい大聖女フィーネさまから自分は視線を離せない。ふくよかな西の女神さまも良いが、目の前に存在している美しい大聖女フィーネさまの方が何倍も麗しい。ほれぼれする光景に自分が見惚れていれば、美しい大聖女フィーネさまはなにか言葉を呟いている。なにを言っているのだろうと自分は目を顰めて焦点を合わせた。
――どうかご無事で。
と美しい大聖女フィーネさまは呟いたのだろうか。どうかご無事で……誰かの無事を願う言葉である。誰に対して祈っているのだろう。宣教に向かった宣教師に向けてのものだろうか。
それとも治癒院で魔術を施した患者に対してであろうか。それとも無二の友がなにか危ない目に合っているというのであろうか。自分の頭に浮かんだことを否定しようにも、自分は美しい大聖女フィーネさまの人となりをしらないのだから、答えなんて導けない。自分の不甲斐なさに気付いて、ゆっくりと茂みの中を後ろへ下がる。そして美しい大聖女フィーネさまが見えなくなれば、身体を翻して立ち上がり思いっきり庭を走る。官舎の中に戻って、自分の部屋に入ろうとすれば知人と鉢合せすることになった。
「どうした顔色が悪いぞ」
そんな知人の心配を他所に自分は疑問を口にする。
「なあ、我らの大聖女フィーネさまは誰を心配しているんだ?」
要領の得ない自分の疑問に知人は少し考える素振りを見せ、ああと声を上げた。
「アルバトロス王国の準男爵が大聖女フィーネさまを娶りたいと打診をしたそうでな。教皇猊下が面白がって、準男爵に三つの試練をお与えになった。その話を聞いた大聖女フィーネさまは毎夜、祈りを捧げているわけだ。教皇猊下の無茶に付き合わせて申し訳ないと」
なるほど。アルバトロス王国には聖王国を崩壊の一歩まで追い詰めたアストライアー侯爵がいる。たしかに金を奪われて怒る理由は分かるものの、西大陸の宗教原点である聖王国を貶めようとはなんたる不届き者であろうか。
最近、アストライアー侯爵は神さま方と懇意にしているそうだが、きっとなにか神さま方の弱みを握っているのだろう。そのアルバトロス王国に属する準男爵持ち程度の男が我が国の大聖女さまを娶ろうなどと。不快極まりないと自分の心が荒振るのだが、ふとしたことが頭を過る。
「その不届き者と大聖女フィーネさまとの面識は?」
「アルバトロス王国から聖王国に派遣されていた外交員だとは聞いている。だから大聖女フィーネさまに一目惚れしたのではって噂だ」
知人の言葉に思い合っている可能性は低そうだと自分は心底安堵する。すると知人は俺の肩を軽く叩いた。
「あくまで噂、だからな」
「ああ」
なにか確かめるような知人の声に自分は適当に頷いて、部屋に戻ろうと扉を開く。自分が騎士として聖王国の神職の方々の護衛を務め初めて早五年。どこの骨とも知らない男に聖王国の美しい大聖女フィーネさまを獲られてなるものか、と。




